足場のないワルツ

久賀広一

これは呪いの物語だ。


あたしはもう、38歳になっていた。


「やっと見つけたぞ、”魔兵隊”隊長ぉ~!」

オレンジと黄色のヒラヒラの服をなびかせ、あたしはアラフォーとは思えないような電波セリフを発していた。


「ふん。キサマか・・・。よくも30年近くもかけて、われの兵隊たちを倒していってくれたのう」

とある街角でそう答えたのは、玩具おもちゃのようにカクカクとしたプラスチックの人形である。

同じように角張かくばった馬に乗り、ビシッと背筋を正したそいつは、混乱する人たちの中であたま二つほど抜けていた。



なんだなんだ?

あのおばさん、すごいカッコしてるよママ!

「シッ!」


いきなり街角にでかい人形が現れた方が驚きなのだが、やはり民衆は美しく、恥ずかしいあたしの格好に釘付けになったようだ。


だがアラフォーをめるな。

こんな恥ずかしさは、まだテレビカメラがあることも知らず、空で足を広げて戦った26歳の時の比ではない。

「よくも四半世紀もの間、人間に化けて不快エネルギーをまき散らして来たわね・・・! おかげでこの志湊しそう市の町は、全国モラル指数29と、外国人にも日本一不評の町になったのよ!!」


そう。彼らは闇の存在だが、とくに際立った悪事を働くわけではない。

ただ拠点にして居座った町で、チクチクと不快な出来事を増やしてゆくのが”兵隊たち”の仕事だった。

そして、その隊長である彼はやはり、カタカタと不敵な笑みを発して言う。


「・・・ふん。もとはと言えば、すべて貴様のせいだろうに。我は言ったぞ。『この”最後の貴族”と呼ばれた玩具おもちゃ箱を開けるなら、お前のゆく先々で、不幸が起こることになる』と」

「くっ!」

あたしはその言葉に黙るしかなかった。


まだ幼かった、小学五年生のころ、海外旅行で行ったチェコの伯母の家で、悪魔の城箱を見つけてしまったこと。

そしてそのとき不気味に響いた、注意の言葉も聞かず、お城の窓からのぞくキラキラとした小さな舞踏場に魅入られてしまったこと。


だが、その玩具おもちゃ箱の実態は、のぞいてこそ美しく造られた、開いてはならない怨念の幻想イリュージョンパレスだったのだ。

そしてその華麗な円舞世界を守るのは、壁の外側に並べて配された、平民たちを卑下し、崇高を気どる兵隊群だったのである。


「世界は未熟なり!!」

悪魔の隊長は、そう宣言していた。

「我らはいにしえの主より、最も美しいものを守るようにと言われてきた。

・・・だが、貴様ら平民はどうだ! やめておけと注意されながら、己の好奇心を満たすためだけの行動をする。自分が何を目指したいのかも分からないまま、貴族のようなサービスはこれ以上ないほどむさぼろうとする。 時代が変わろうと、この町に、人としての理想『真・善・美』を理解する者はいない! 美しさがないのなら、後世に残る価値など一片もないわ!!」


声高こわだかに叫んだ兵隊長は、右手に持っていた槍を高々と掲げていた。

「おお・・・!」

「あのプラ兵隊、なかなか強気なことを言うじゃないか・・・」

何やらおかしなザワつきが生まれ始めたが、いきなり脈絡もなく説教をされても、あたしにはどうしようもない。


ぎゅっとこぶしをにぎりしめ、昔に冒険した伯母の広い家を思い出していた。

(・・・)

あの、遠い日の赤い屋根。そして、庭の隅にささやかに咲く、ブルーデイジー。

玩具おもちゃ箱が開けてはならないものだったことを知り、涙を流して謝っていたあたしに、おばちゃんは教えてくれた。


(そうだ・・・! あのとき悪戯いたずらしたあたしを、彼女はけっして怒ったりしなかった・・・)


「あんたは今、間違ったことを言った・・・」

「・・・」

ざわり。

ガヤガヤ。


一度は盛り上がり、やがて静かになっていた周囲に、あたしの声が響いていた。

ヒラヒラのスリーブから腕をつき出し、その先に持ったステッキを揺らすのは、五年ごとほどに現れ、ひとしきり話題になったのちに”変人”の一言で片付けられてしまうヒロインだ。

「・・・あたしはね、ただ好奇心のために悪魔の箱に手を伸ばしたわけじゃない!」

そう告げた言葉の意味は、この愚かな隊長には理解できないだろう。

しかしあたしは、おばちゃんから聞かされていた。・・・箱に残されていた、本当のエネルギーを。

最後に残された、市民たちの真実を。


「あんたは今、美しいものしか後世に残る価値はないと言った・・・。けど、『真・善・美』の言葉は、並立へいりつさせていいものじゃないのよ!」


「ハッ! 何を言っておる。我が生まれるさらに前より、認識の究極は『本質』、倫理の究極は『善』、そして何より、人間だけが持つ、生きるためには不要ですらある意識の高み、芸術の究極は・・・」

「そうじゃない!」

あたしは、彼の言葉をさえぎった。

美しさが、一つの究極の形だと・・・?

醜ければ価値はないだと・・・?


「あんたは、貴族の死を知るべきだ。『善』なき『美』はただの化粧だと。『真』なき『善』はただの欺瞞ぎまんだと。綺麗なものに執着するのは、孔雀やカラスでもやっている! あたしが悪魔の城に手を出したのは、その本質に触れるためよ!!」


そうなのだ。

なぜ、子供を感動させるほどの悪魔の箱が、倉庫の奥でホコリをかぶっていたのか。その華やかだった時代の貴族が、なぜ平民などにやぶれ去ったのか。

血統によって、学ばず多くを手にする貴族彼らは、時代の流れを肌で感じない。市民たちの心の中で未来への区画整理が進むなか、彼らは自分の古びた洋館を、いつまでも王宮だと信じていたのだ。


ーーうおお。

ーーあのヒラヒラ戦士、革命の使者だったのか!


「くっ!」

悪魔の隊長は、そこで返す言葉を持たなかった。

彼は、なぜおのれが敗れたのかを、まだ理解していなかった。

一人、二人と部下が市民のがわにつき、そちらに近い者からオセロのように盤上がひっくり返されたとき、まだ彼は人の上に立つことだけが高貴なことだと信じていたのだ。


彼は逃げようとした。

これまでにそうしてきたように、また人にまぎれて、平民を攻撃していくために。

・・・とくに、彼にとっては、お金のために相手を選ばない仕事人などが、その敵意の対象となった。

仕事を共にする相手や客をきちんと見定めず、『お金をたくさんくれるから』なんて誰にでもペコペコしている者は、しょせんおのれの歴史を、未来を見ることもせず、真の気高さを持ち合わせていないのだ!


隊長は跳んだ。

「ーーさせるか!」

しかし、あたしはヘビのような執念で彼を追ってきたのだ。

勤めている会社では執行役員にまで登りつめ、少ない休みを返上してまでこの町を数十年も出なかったのは、確かに罪悪感が、彼には隠した好奇心があったからにほかならない。


(ーー あたしの結婚適齢期を返せ!!)

幼少時の、ほんの小さな過ちが、こんなにも長い人生をあたしに歩ませるなんて。


右手に持っていたステッキで、頭上に円を描く。

ーーそして、いた方の左手を、その光かがやく真円に思いきり叩きつけていた。


「バーティカル=シューティングスター!!」


どおおっ!!


その瞬間、群衆のざわめきをかき消すような、空気のうねりが空に舞い上がった。


鮮烈に尾を引く星々ほしぼしが、目が痛くなるほどの高度へと一気に到達し、そこから流星の解放がはじまる。


「ヤバイ! こっちに来るぞー!!」

「隊長さん、逃げ足おそっ! いや、流星が速すぎるのか!」

「ボクは知っているよ! 彼女は前の戦いで、あの技を失敗したんだ。ミナたん、ついにやったんだね・・・」


それぞれのどうでもいい実況をよそに、その星の群塊は敵に吸い寄せられ、ついに悪魔の隊長は歴史の真実を浴びた。


「ぐおおっー!」


壮絶な叫び声をあげて、彼は背を向けたまま落馬したのだった。

その愛馬とともに、受け身をとる力もなく地面に倒れ、そのままピクリとも動かなかった。


(我はーー消滅するのか・・・まだ我には、やらねばならぬことがあるのに・・・)


その体から邪気が失われていくのを感じながら、あたしは一歩一歩と、隊長へと近づいていったのだった。


「ーー あなたが生まれたのは、かつては栄華を誇っていたブルボン王朝ーーフランス革命前夜の、最後の栄光時代だったそうね」

その、何かを求めるようにこちらを見つめてくる隊長が、あたしの足下で今、消滅しようとしていた。


「忘れなさい。閉じられてしまったあなた達の世界は、人々に望まれたからこそ、そうなったのよ。

・・・もし、悪魔の城箱に価値があるのなら、それは歴史の系譜の果てにふり返ってくれる、温かい子孫がいるからでしょう」

・・・そして、誰かがその本質に触れ、またそこから新たな芸術を創造してくれるかもしれない。


フシュウ、と最後のうめきのようなものを残して、魔兵隊長は消え去っていった。

(・・・)

あたりはシンと静まり返り、あたしこと本庄ほんじょう三七みなは、ついに今回の変身で、幼少からの呪いがけたことを知ったのだった。


「ーー ミ、ミナたん! サインを・・・いや、握手をしてください!!」

なぜあたしの名前を知っているのか、あやしいバンダナを巻いた青年が、周りの人垣から転がり出てくる。

ヒッ、とその生暖かくしめった手のひらで握られると、あたしはどうにか、自分の名を知っている訳を尋ねたのだった。

・・・いちおう、顔はうすい色のバイザーで、ずっと隠してきたのに。


(ーーボクたちの仲間みんなで、内緒にしとこうって決めたんだよ! なんたって、リアル魔法少女はデリケートな問題だから!! 会員制のサイトの奴が、テレビ中継された時に気づいて、総出そうででこの町の駅を張り込みして、似た顔の人を探し出したんだ!!)


聞きたくもないストーカー行為だったが、これからも秘密にすると約束してくれたし、なんといってもあたしの物語は、これで最終回になることを告げてやった。

しゅん、とその青年はうなだれていたが、まあ今回はフルしゃくで動画が撮れただろうし、お土産みやげにステッキもくれてやったので、充分な収穫だっただろう。


あたしは、その場を離れて取り囲んでいた群衆に手をふり、そのまま街角から高速で飛び去ったのだった。

・・・もちろん、余計な烈風を起こして、スカートをのぞけないように細工してやった。





ーー ざわざわ。ざわざわ。

その、後日のこと。


ヒーローものらしく、あと一つだけエピローグを加えていいのなら、志湊しそうの町は、大いに外国人が訪れる地へと発展していった。

なんと言っても、観光の目玉は、あたしこと本庄三七がしょぼい美術館に寄贈した、”最後の貴族”のおかげである。

その、ブルボン王朝の中でも至高の遺品は、フランス政府から何度も「返してくれ・・・!」と懇願があったが、今のところ借金だらけの町のために、兵隊たちには働いてもらっている。


・・・ん?

そんなことより、あたしの恋活はどうなったかって?

(聞いてないか・・・)


しかしまあ、あれからあたしは仕事を退職し、プライベートでは町から出たことがなかった人生に、やっと終止符を打てた。

貯金はまりまくっていたので、年金までの生活費を計算し、今は気ままにパック旅行などを楽しむ日々を送っている。

・・・運が良かったのは、高校のときやっていた水彩画教室にもまた通いだし、そこで少しホッとする感じの男性と知り合えたことだった。


「あっ、これこれ。見てよ、綺麗でしょ?」

今日は、その彼とはじめて外で会う日だった。

どこに行くべきか迷ったが、やはり誘われたとはいえ、一度目の記念すべきデートの出立は、すべてを片付けられた場所だろう。


「・・・ほんとだ。すごいね。ちゃんと宮廷内に音楽が鳴って、人のささやき声まで聞こえてくるみたいだ」

平日でも、思いのほか客が多く、しばらく待つことになったが、その城をのぞいた彼は驚いた様子でそう答えてくれた。



ーーあたしはたぶん、長くこの人と一緒にいたいと思っている。

それが叶えられるかどうかは分からないけど、穏やかで、同じ趣味を持つ彼との時間は、ゆっくりと過ごしていきたい。

時々ときどき、二人でネットを見ていてあたしの全身がいきなりうつし出されることはあったが、まあさすがに時の流れとともに、滑稽なニュースは過去へと追いやられていった。



(・・・兵隊。あなたが守ってきたものは、確かに価値があったよ。民衆は過去を許し、苦役くえきの上に成り立っていた、ただ美しかったものだけを、宝石のようにいまは愛している)


・・・あたしは、その栄華の城に、いつしか背を向けていた。



そこには、今はもうなきフレンチ・ノーブル・スタイルを色濃く残した、遠き日のワルツ円舞が、いつまでも奏でられていたのだった。






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