第5話 『バベル』の塔
知恵の手慣れたコンソール操作で、眼下に広がる空虚な空間はだんだんとその姿を現していく。茶色い大地をまるで鳥のように俯瞰する。乾燥したそれは、日本のものとは思えない風景だった。
「宍戸さん、どこの地域かわかる?」
「ええ......と。乾燥帯?いやそれにしては森林の規模が大きいから......温帯?で全く海が見えないから......」
知恵はニコッと笑って、奈穂の手を握る。
「ひいっ!」
突然のスキンシップに驚く奈穂。
「いいですね。そういう発想......それこそ歴史好きですよ!」
奈穂の反応をものともせず、知恵は震えながらそうつぶやく。
やばいやつだ、こいつ。
奈穂は心の中でそうつぶやく。明らかに中学までの知り合いにはいないタイプの人間だった。
「ちょっと、時間を経過させます。ちょっと、と言っても数万年単位ですが」
平地を縦断する大河。時間の経過とともにその形は変わっていく。しかしある時を境にその変化があまり見られなくなる。あくまでも一部分だが。
奈穂はその川のそばに自然物ではない、建物の集団を見つける。それは時間の経過とともにどんどん大きく、そして数を増やしていった。
「文明の誕生です。川沿いに緑の地域が見えますよね。農地。人類が初めて生産経済に移行した証です。生産経済は余剰食糧も生む。その余剰食糧に支えれられて文明が成立するわけですよ」
難しいことをすらすらと説明する知恵。そう言いながら、コンソールを操作する。突然画面空間に巻き起こる変化。大きな水の塊が、建物や農地を飲み込んでいく。
「その文明も、こういう自然災害で簡単に消滅してしまうものです。かなしいものですねぇ」
くすくすと知恵はほくそ笑む。
「......悪趣味だね。あっ、でも水が引いたらまた建物が復活しはじめたよ」
奈穂はフィジカル=プロジェクションマッピングの一部を指さす。にょきにょきと天まで伸びそうな建築物が、復興しつつある文明の象徴のように伸び始める。知恵はその声を受けてコンソールをたたき始める。建築物が別ウィンドウで表示される。実際の画面が立ち上がる。神々しく見える垂直に見える建物。まるで高層ビルのようだった。
「ジッグラト......ですね。メソポタミア文明に見られる神殿です。機能はよくわかってはいないですけど」
「ほー、よくまあこんなものつくるわ」
「感心してばかりもいられませんよ」
知恵は奈穂のほうを向き直り、言い放つ。
「『アリストテレスシステム』であなたの歴史改変力を見せてもらうんですから」
「え?」
奈穂は間の抜けた声で返事をする。知恵は恐ろしくまじめだ。
「これから、この文明はいろいろな試練を受けます。この文明をどのように育てるか。そう、鉄器の登場までを一区切りとしましょうか。それであなたがこの学園にふさわしいかどうかを確認したいです。同室になったものとしてもね」
にやっ、と知恵は嫌な笑みを浮かべる。
(それって、あんたが決めることなの?)
奈穂は心の中でそう叫ぶが、声には出ない。
『アリストテレスシステム タイトル「文明の興亡」001784 シミュレーション開始 非生徒:宍戸奈穂 』
知恵は端末型のコンソールをそっと奈穂に渡す。
それを黙って受け取る奈穂。眼下に広がる空間が一瞬歪んで見えた。シミュレーションーーー開始であった。
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