十八話 初めて見せた笑顔は…


 帰りのホームルームが終わって、教室に忘れ物を取りに戻ると、あの原田が一人で教室の自分の席に座っていた。


「どうした、体調でも悪いのか?」


「いえ……。忘れ物を取りに来たんです。四階なので疲れちゃいました」


「なんだ、俺と同じか」



 聞けばこのまま下校するというので、誰もいなくなった廊下を二人で歩く。


「今日は初日から申し訳なかった。二学期には別の奴に指名してやるから」


「大丈夫です。こういうのには慣れていますから」


 身長は百六十センチくらいだろうか。俺の顔を見て話すとき少し顔を持ち上げるから、自然と上目遣いになる。


『原田さんを二組に入れたのは正解ですね。彼女がいれば小島先生も安心していられますよ。特別に目立つわけではないですけど、学級委員も一年間通じて経験していますし、しっかりした生徒です』


 確かに、引き継ぎの時に聞いていた話のとおりかもしれない。


 雑誌に載ってもいいと思うくらいの美人や、アイドル顔負けというくらいにスタイルや可愛さをアピールしている子なら、同じ学年やクラスの中にもいる。成績優秀というのともまた違う。


 これだけ近くで見てはっきりと分かった。


 あくまで高校二年生の自然体というものが彼女の魅力なのだと。




 一応校則では化粧は禁止と書かれてはいる。それでもナチュラルなもはほとんどの生徒が何かしらのメイクをしているし、教師の方からもよほど派手で指導しなければならないと思うようなものでなければ黙認しているのが実状だ。


 しかし、彼女はどこを見てもその痕跡がない。これは本当に上手なのかノーメイクかのどちらかだ。


「先生、何か私の顔についてますか?」


 横に歩いていながら自分の顔を見ていたことに気がついたのだろう。


「い、いや……。珍しいなって思って。言い方は悪いが、すっぴんだよな?」


「先生、確か校則でお化粧禁止でしたよね。校則にも書いてありますからご存知だと思ってましたけどぉ?」


 初めて見た。そのいたずらっ子のような笑顔が俺の頭に突き刺さる。


 あれだけの騒動の中を一人だけ集中できることから冷静沈着な子かとも思っていたのに、一方ではこんなあどけない顔をして笑うこともできるのか。


 すぐに元どおりの顔に戻ると彼女は続けた。


「私、昔から肌が弱くて長い時間のメイクが出来ないんです。日焼け止めも選んじゃうくらいなんですよ。正確に言えば薬用リップと化粧水くらいです」


「そ、そうだったのか。大変だなそれは。変なこと聞いてすまなかった。なにも化粧しろと言っているわけじゃない。そのままで十分だ。逆に何もしない方がいい」


「先生もお上手ですね。ありがとうございます。先生に信じてもらえればそれでいいんです」


 階段を下りきったところが昇降口だ。


 一瞬だったけれど原田の素顔を見られたのに、これ以上の時間が作れないことが悔しかった。


「それでは先生、さようなら」


「おう、ご苦労さんだったな」


 きちんと磨かれた革靴に履き替えて、ぺこりとお辞儀をすると長い髪を揺らしながら校舎を出ていった。




 職員室に戻り、今日提出してもらった各自のプロフィールを名前順にファイルに綴じていく。


 概ねのことは職員会議の中で昨年の担任の先生から引き継がれているけれど、まだ単元に入っていない今がそれらを読んで各自の個性を理解しておくチャンスの時間だからだ。


 ひとりひとりに目を通していくと、今日の教室での様子にもうなずける。ふとのところで手が止まった。


 三月二十五日生まれか。そうなると先月末に十六歳になったばかりだ。それなら四月に誕生日を迎える子とは一年近くの差があり、彼女のどことなくあどけない雰囲気にも納得がいく。


 それに加えてあのナチュラルさだ。保護者の欄を見ると、大手会社員の父親と弁護士の母親とある。きちんと育てられてきたのだろう。



 これまで「生徒に興味はない」と貫いてきた俺の頭の中に、一枚だけブックマークが差し込まれた。

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