六話 私を欲しいと言ってくれるなんて…
「えー、
夏休みも終わりが見えてきた頃、いつものようにお昼ご飯を片付けて午後の準備に入るため、茜音さんの部屋に入ろうとすると、開いたままのドアからそんな声が聞こえた。
「本当にいい子だよぉ。あの佳織のお嬢さんと思えないくらい。そのままうちに欲しいくらいだもん」
「茜音の周りをまた強化するつもり? 少しはこっちにも回してよ?」
茜音さんの相手はお母さんじゃない。でもこの声はどこかで聞いたことがある。
「茜音さん、みんなお昼ご飯終わりました」
廊下に立っていても仕方ないし、悪口を言われていたわけでもない。
「失礼します」
扉をノックして茜音さんの部屋に入った。
「結花ちゃんありがとう。今日も暑いから水分とかちゃんと摂ってね」
「えっ? ほんとだ、結花ちゃんだ。うわぁ、本当に可愛いに美人がプラスされたね。聞いていたより全然元気そうだし」
茜音さんと一緒にいたのは、やっぱりお母さんのお友だちで、確か
うちの近所の海岸通りで小さなカフェレストランを営んでいたはず。
「こんにちは」
「こんにちは。うん、挨拶も合格だね。佳織早く戻って来ないかな」
菜都実さんは何かに待ちきれない様子だ。
書類を置いてから二人に頭を下げて、子どもたちの待つ部屋に向かう。今日も暑いので午後は水遊び。暑いから大喜びだったけど風邪をひかせてはいけないし。
夕方、いつもは一人で帰るのだけど、今日は初日と同じようにお母さんを待つ。
子どもたちはみんな、すっかり疲れてしまって、夕飯の時間に船をこいでしまった子もいて、その微笑ましい光景に私が逆に癒されてしまう。
そんな子たちを抱きかかえて寝室の布団に寝かせてきたときに茜音さんが手招きをしている。
「結花ちゃんありがとぉ。お母さんのお仕事終わったよ」
「はぃ」
お母さんはこの珠実園の顧問弁護士も仕事のひとつにしている。
入所している子たちの家庭問題や就職などのハードルを少しでも下げたいと、学生時代からのお友達だった茜音さんに協力してきたと以前教わっていた。
「お疲れさま。食べて帰ろうか。菜都実、行くよ?」
私とお母さん、そして菜都実さんも一緒になって電車に乗った。
さすがに昼間の疲れもあって、お母さんに寄りかかって寝てしまった。
菜都実さんとお母さんが何かを話しているのは分かっていたけど、その内容までは私の頭も理解しようとしていなかった。
「結花ちゃん、降りるよ?」
菜都実さんの声で起きる。
慌てて電車を降りて、駅の改札口を抜けた。
「二人とも夕飯まだでしょ? うちで食べていきなよ」
「でも、今日お店はお休みじゃない?」
「大丈夫。冷蔵庫にあるもので作るから」
三人で海岸沿いの道を歩いて、菜都実さんはお店のドアの鍵を開け、私たちを入れてくれた。
ドアのところの札は『CLOSED』のまま。海岸通りに面した『ユーフォリア』というカフェは、菜都実さんのお庭の一角にある小さなお店で、席の数も三十くらいのこぢんまりとしたお店。
私が小さい頃からの人気店だったし、学生時代にも時々お世話になっていた。学校帰りにみんなで相談をしたりするにはちょうど良い場所にあるお店だったからだ。
席数は少ないけど、その分可愛らしいインテリアやアンティーク調の家具や食器など、雰囲気作りはすごく大切にしていると思う。
ランチタイムはお値段も手頃だし、メニューも大人から子供向けまでバリエーションが広い。一部のスイーツやサンドイッチなどのライトミールはテイクアウトできることもあって、時々雑誌やフリーペーパーなどにも記事が載るくらいの地元の人気店だ。
このお店がお母さんのお友だちのものだと当時からみんなが知っていたら、私の人生も少しは変わっていたのかもしれない。
茜音さんと菜都実さん。お母さんは本当に友達に恵まれているんだなと思った。
「佳織、テーブルセットお願いしてもいい?」
「もちろんお任せ!」
お母さんがテーブルクロスと三人分の食器を用意する。その動きは以前にこういう仕事をしていたのではないかと思う手際の良さだ。
「このお店はね、菜都実たちが継ぐときに建て替えたの。その前のお店では、そうね、ちょうど結花の歳にアルバイトさせてもらっていたのよ」
やっぱりそうだったんだね。聞けば、当時は茜音さん、菜都実さんと一緒にお店の看板三人娘として人気もあったんだって。
その後、菜都実さんが結婚。同じように料理の修行をしていたご主人の保紀さんと一緒に、この生まれ故郷の横須賀に戻ってお店を継いだというんだ。
私たち女子高生世代が憧れてしまうような、小説の中にあるようなお話が、このお店の成り立ちにあるなんて知らなかった。しかも、そこのお話の中にお母さんが入っているなんて、これまで聞いたこともなかったよ。
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