捜査篇(1)
誇りと貧民の巣窟の小路を歩きながら、エリザベス・アリスンは顔をしかめてため息をついた。彼女はとあるダンジョンで発生した事件の助言を得るために、ある人を尋ねに歩いているのだが、なぜ自分がこんな貧乏くじを引かされてしまったのか――という愚痴めいたものが頭を占領していた。
若くして王立騎士団第三師団第二大隊第四小隊長に叙任されたエリー。しかも女性の立身出世としては異例の速さであった。いまだに男尊女卑の色濃い王国社会の中で彼女は気高く、そして美しい。男くさい騎士団にあっても年を重ねるごとに美貌はいよいよ凄絶を極めつくそうとしている。そして、そんな彼女を男どもが放っておくはずもなく、同僚から先輩まで、最近では騎士団長でさえ彼女に色目を使っているというもっぱらの噂だ。
黒い髪を肩のあたりで無造作に切り、しゃれっ気はないが白粉よりも白くきめ細かい肌が、太陽の光を浴びて水面のようにきらきらと輝いている。
この貧民窟にあると一層それは際立ち、今も鼻を垂らした小僧たちが追いかけっこをやめ、茫然とほの字で彼女を見つめている。酒臭い息を吐きながらダラダラと商売していた親父が、彼女を見たとたんキリっとして低い声色を使い始める。つまりは彼女、外見だけで周囲の人間を動かすだけの力があるというわけだ。傾国の美女――なんとも末恐ろしい娘である。
さて、そんな玉のような彼女がなぜこんな場所に来ているのかと言えば、騎士団が指名した探偵と、彼女が顔見知りであるという程度の理由であった。彼と彼女は以前ある事件でばったりと出くわしており、しかも彼女に降りかかろうとしていた災難を軽々と払いのけてしまったのであるから、並々ならぬ恩義を感じている。
しかし、これは――。
彼女は思わず足を止め、空を見上げた。
不格好に積み重ねられた木造の家々の上にぽっかりと太陽が浮かんでいる。時刻は真昼間だが、気のせいか太陽もほこりっぽく、なんだか全ての景色が蜃気楼の中に浮かんでいるようにハッキリとしない。
なぜ彼は、こんなところに住んでいるのだろう――。
エリーはそう思わずにはいられない。
彼ほどの才覚があれば、もっと良い、それこそ王都の中心にだって住めるのに――。
やがて見覚えのある小路に入る。そこは元来た道の脇にある階段で、いよいよ混雑を極めている。縦横無尽に子どもたちが走り回り、明るいうちから客をとっている娼婦が彼女を見て舌打ちをし、端で宿無しがぐうぐうと寝息をたてている。
そんな混沌のるつぼの中に、目指す人物の住む宿はあった。
そこは周囲の建物とさして変わらない汚い安宿で、ただ一つ違うものといえば、宿の夫婦がこんな時代に珍しい正直者の善人で、その一人娘の看板娘も両親の血を引き継いで優しく、素朴で可愛らしいという点だ。まさか娘目当てで彼がこの宿をとったとは思えないが、つつましくも幸福そうに暮らしている家族を見ると、エリーも自然と頬が緩んでしまうのを自覚した。
「あら、エリーさんじゃないの。いらっしゃい」
受付に座って帳面のようなものをめくっていた女将が顔を上げ、エリーの姿を認めると同時に破顔する。
「こんにちは、奥さん。アラン、いる?」
「ああ、彼ね。いるにはいるけど……」
「けど?」
「なんだか夜中まで仕事をしてらっしゃったみたいで、今は多分眠ってると思うわよ」
「そう」
話している女将の顔は、息子に対する母親のそれだ。実子のように彼をかわいがるのは問題ないが、最近では娘とめあわせようと画策しているという噂も聞いている。
「じゃあ、いるにはいるのね。入らせてもらうわよ」
「いたわってあげてね」
「こっちも仕事で来てるので」
ぶっきらぼうに言うと、エリザベス・アリスンは玄関から右手に伸びた階段を上る。中ほどまで行ったところで振り返ると、女将はすでに彼女の存在を忘れたかのように、再び熱心に帳面とにらめっこをしていた。
この宿の二階、四部屋あるうちの一番奥まったところに、彼女の尋ね人――アラン・ベックフォード氏は巣食っていた。
巣食っている、という言葉はまさしく適切で、アランはかつてここの夫婦の訴訟を担当してから、その恩義にあぐらをかいてただ同然で居座っているからだ。
二〇四と書かれた木製ドアの前に立つ。
「アラン、アラン、いる?」
最初は遠慮がちに声をかけた。しかし、中で物音ひとつしないので、こりゃ完全に寝ているなと思った彼女は、ノックしながらアランの名を呼び、さらにはそのノックの音を激しくしながら、声を荒げて「アラン、アラン・ベックフォード!」と叫んだ。
すると、ややあってから、
「はい」
と、寝起きの男の声が聞こえてきた。
「アラン、私よ。エリザベス・アリスンよ」
「エリーか?」
「そうよ、開けてちょうだい。仕事の話よ」
また間が開いて、しぶしぶといった調子で、内開きの戸が引きあけられた。そして、アラン・ベックフォードが、仕事の話という嬉しさ半分、気持ちよく熟睡していたところを起こされた苛立ちが半分、といった表情を浮かべて立っていた。
「入りたまえ」
「お邪魔します」
アランの部屋は四畳半ほどの広さで、ベッドと衣装タンス、デスクと椅子のほかには、あふれんばかりの本が本棚から氾濫していた。
「いつ見ても生活感のない部屋ねえ。ちゃんとご飯食べてるの?」
「一階の食堂でいつもおいしいご飯をいただいてるよ。なんだ君は、僕の生活に文句を言いに来たのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
アランはふんと鼻を鳴らし、
「まあ、君のことはある程度知っているつもりだ。だからこそお使いなんて頼まれたのだろう?」
エリーは恥ずかしそうにうなずいた。アランは椅子を引いて、
「座りたまえ。まずは紅茶でもどうだい? ここまで歩いてくるのは骨が折れただろう。なんせ馬車も通れないような細道ばかりなんだからね」
「ええ、ありがとう。いただくわ」
エリーは素直に腰かけた。アランは一階へ降り、しばらくすると湯気の立ったティーカップを二つ、お盆に載せて持ってきた。
「どうぞ」
「冷たいほうがいいわ」
「紅茶はあったかいからこそなんだ。文句を言うな」
アランは彼のベッドに腰かけ、カップから立ち上る香気をかぎ、それからふちに口をつけて少し口に含んだ。エリーはそんな彼を見ながらがぶりと紅茶を飲み込んだ。
「もう少しゆとりを持ったらどうだい? すぐれた人間はこうした時間をこそ優雅にたしなむというものなんだよ」
「なら優雅でも淑女でもなくていいわ。私は仕事の話をしに来たんだから」
じゃじゃ馬だなあ、とアランは笑い、
「で、どんな用件なんだい? 騎士団がらみってことは、刑事事件かな」
「ええ、そうよ。よく聞きなさい。ダンジョンから人間が消失したの」
「ふうん」
アラン・ベックフォードは表情一つ崩さない。「それはダンジョン内でモンスターにやられたからだろう?」
「違う――って、被害者のパーティーメンバーは言ってるわ」
「なるほど。トラップにかかって転送されたのでは?」
「いえ、それもないそうよ。本当に、突然、消えたらしいの」
エリーは言葉を切り、一句一句を強調するように言った。
アランは再び紅茶をすすり、目を細めて何か考え事をしているようだった。しばしの沈黙ののち、
「詳しく聞こう」
「そうこなくちゃ」
エリーは笑うと、カバンに入れていた書類を取り出し、アランに投げ出した。書類はアランの膝の上に投げ出された。
アランはそれを取り上げ、吟味するように目を通していく。
エリーが話し始める。
「被害者はジャン・クルック。今年一八歳。二年前から冒険者ギルド本部に冒険者登録をして、間もなく現在のパーティー『暁闇』に所属。ジョブはシーフ――盗賊ね。魔法はあまり得意じゃないが、小柄で華奢な体格のおかげで敏捷性にすぐれ、前衛として活躍していた」
エリーは一度そこで言葉を切り、紅茶を今度は上品にすすった。アランはそれを満足げに眺めたのち、ベッドの脇から葉巻を一本取り出し、
「一本、いいかな?」
エリーがうなずくと、アランは口の方を切って、マッチを擦って火をつけた。
「どうも困るね、僕のような魔法の使えない人間というのは」
アランはさして困ってもないような顔で言い、煙をゆっくりと吐き出した。「タバコに火をつけるのも一苦労だ。なぜって、マッチは高いんだから」
「やめればいいのに、タバコ」
「これを吸わないと考えがまとまらないからねえ」
エリザベスはため息をついて、部屋の主の透き通るような碧眼を見て、話を続けた。
「事件があったのは、王国歴一三六八年五月二二日――今から一週間前ね。その日、普段通り『暁闇』はギルドに顔を出し、『常闇の墓場』へと向かった」
「ほほう、『常闇の墓場』!」
アランはこの日一番のリアクションをとった。
「ええ、珍しいわよね、あんな場所に好んで行くのも」
「とすれば、もしかすると犯人はパーティーの中にいて、わざと『常闇の墓場』に行くように仕向けたのかもしれないな。あそこなら犯行もバレないだろうし」
「いえ、その線は薄いわ」
「どうしてだい?」
「『暁闇』はかなり頻繁にあそこを訪れていたそうよ。理由はよく分からないんだけど、あまり人が寄り付かないダンジョンだから、その分アイテムや財宝なんかの旨味があったんじゃないかしら」
「なるほど」
アランは窓越しに階下を眺めた。高く昇った日に照らされた路地はほこりっぽく、窓もあまり上等なものではないので、外の景色というよりは鏡のような役割を果たしている。
「それで?」
「『常闇の墓場』に入ったメンバーはいつもの通り三階層まで降りて行った……彼らの実力だと、そこらへんがちょうどいいみたいね。それで、普段通り探索を続けていると、道の傍らに見慣れない部屋ができているのを発見した」
「ふむ」
「これはもしかすると隠し部屋かもしれない――そう思ったメンバーは迷わずそこへ入っていったわ」
「そうだろうね。隠し部屋はレアアイテムなんかを手に入れられる可能性もあるんだから」
「けど、その部屋には何もなかった――文字通り、宝箱のひとつも、よ。がっかりしたメンバーは、今度はここにはトラップがあるんじゃないかと思ってそのサーチも始めた」
「新規に発見された地帯の索敵、トラップのサーチをして、その情報をギルドにもたらした者には報酬が与えられる――だったかな。その役目は……件のジャン・クルック氏が務められたのかな」
エリザベスはうなずき、
「けどやっぱりトラップもなかった。じゃあここは本当の外れ部屋じゃないか。そう思ったメンバーは、さっさとそこをずらかることにした。けど、そこでアクシデントが発生したの」
「ほう」
「突然、メンバーの持っていたランプが消えてしまったの。あのダンジョン、そのままだと一寸先も見えないくらいの暗闇なのよ」
「聞いたことはあるね」
「ランプが消えたパーティーは大騒ぎ。すぐに誰かがライトを使って光で照らせばよかったんだろうけど、あいにくライトを使える者が一人もいなかったのよ」
「珍しい話だね。そんなダンジョンに潜るというのに、ライトを使えないのは」
「正確に言えば一人いるんだけど、その日は体調を崩して探索に参加していなかったみたい。不用心とは思うけど、あまり稼ぎはいいほうじゃなかったみたいだし、生活のためにはやむを得なかったのでしょうね……それで、しばらくしてやっとランプに火を再点火できたけど、その時にはメンバーの一人――ジャン・クルックがいなくなってたっていうわけ」
「なるほどねえ」
「すぐにパーティーは帰還して事の次第をギルドに伝えたわ。ギルドマスターはすぐに騎士団へ通報。すぐさま第三師団の小隊が派遣されて現場の徹底的な検証が行われた。それに加えて、ジャン・クルックが下宿していた宿、そして彼の実家――公爵家――にも捜査隊が派遣された」
「ほう、彼は公爵の息子だったのか!」
「ええ、周囲には言ってなかったみたいだけど。その証拠に、『暁闇』のメンバーは知らなかったみたいだし。そしてそれらの徹底的な捜索の結果――」
「成果なし、か」
アラン・ベックフォードは煙を吐き出した。
「ねえ、どう思う?」
「どうって?」
「だから、この事件のことを、よ」
「奇怪なこともあるものだね」
「そうじゃなくって……」
エリーは頭を抱えた。「これが単なる失踪なのか、それともジャンは死んでしまったのか、死んだとしたら自殺なのか他殺なのか。あんたに見当はついたかって聞いてるの!」
「と言われてもね、話を聞いただけだと霧の中にいるみたいに何が何だか分からないよ。まさしく五里霧中ってところだね」
「まあ、それもそうよね……」
「ひとまず、現場検証と関係者――特に『暁闇』のメンバーには念入りに聞きこまなくては」
いつの間にか短くなっていた葉巻を灰皿にもみ消し、
「まずは現場だ。エリザベス・アリスン、案内してもらってもいいかな?」
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