龍焔の機械神27短編 生還者

ヤマギシミキヤ

生還者

「……あ」

 なんとなく心にざわめきを覚えたわたしは、朝から外に出て酒場の玄関周りの掃き掃除をしていました。

 胸騒ぎではない様子です。だって胸が騒ぐのは悪いほうの意味で使いますからね。

 そんな風に手持ち無沙汰な時間を潰すために、いつもはあまりしない掃き掃除(埃も高空にそよぐ風で流されてしまいますし)をしていると、迷宮に通じる甲板の蓋が動いたような気がしたのです。

 そしてそれは、気がしたでは終わらずに、蓋が限界まで開けられ人の手が縁を掴みます。中から姿を現す、傷だらけの顔

 ここ最近、この空の上の酒場の常連客となっていた冒険者の皆さんです。心に芽生えたざわめきは、真実の形になって

「これはいつもどおりにお迎えしないと」

 そう、彼らは帰ってきました。

 わたしは掃き掃除の手を止めると、急いで店の中に入ります。

 普段と変わらない形で迎えてあげるために。

 彼らは日常の中に帰って来れたのだから。


 ――◇ ◇ ◇――


「いらっしゃいませ」

 リーダーが酒場の扉をくぐると、カウンターの奥で作業をしていた女性があの声で迎えてくれた。

 始めて聞いた時と何も変わらない声。

 何も変わらないからこそ、迷宮という異常から、普段の日常に帰って来れたのだと感じられる。

 迷宮の中で二回ほど同じ声を聞いたような気がするが、やはりここで聞けた安心感は格別だ。彼らは戻ってきたのだ。

 店の中に入ると、全員が椅子にも座らず床にへたり込んだ。安全な場所に戻ってこれたという安心感が、今まで強いられていた緊張を一気に取り去ってしまった様子。

「みなさん行儀悪いですよ」

 女性は、自分の店の中で醜態を見せる冒険者一行に注意するが、苦笑交じりだった。

「悪いな、脱出できて安心したら腰が抜けちまってしばらく立てそうもない」

 リーダーが悪びれもせず言う。

「他のお客様の手前もありますから、ちゃんと行儀良く椅子に座ってくださいよ」

「こんな空の上の店に、私ら以外に客が来るのかい?」

 女戦士が、店の隅に置いてある自分たち用の水瓶から、柄杓に椀へ水をすくって飲みながら言う。

「一応お店としては普通ですからね。来ないとは限りませんよ」

 彼らは普通の日常の中に帰ってきたのだ。だからこそ普通の日常で行ったなら注意されることも、ここでも注意されるということだ。それが日常。それが帰ってきた証。

「みなさんは、どこまで行けましたか?」

 女性が冒険者たちの今回の探索の顛末を尋ねた。

迷宮支配者ダンジョンマスターのいる最深階まで行ってきたよ。あんたと同じ顔のエライ強い迷宮支配者が最後の間を守ってた」

 この迷宮支配者と目の前にいるこの女性が別人なのか同一人物なのかという問題もあったが、生還してここに戻ってこれた瞬間に、それもどうでも良くなってきていた。

「倒せましたか?」

「全然。一瞬で全滅だよ」

 女性の質問にリーダーは惨敗を伝えるように両手を広げながら答えた。

「でもな」

 リーダーはそこで、女戦士しから差し出された椀に入った水を飲んでいる魔法使いの少女の方に顔を向ける。

「この子のおかげで助かった」

 魔法使いの少女――ピオはそれを聞いた途端、飲んだ水を気管に入れてしまってむせた。

「そう、ピオの勇気が私たち全員を救ってくれた」

 隣に座る女戦士がピオの背中を擦りながら優しげな顔で言う。

「わ、わたし、そんな……」

 半分ぐらいまだ残っている椀の水を見ながら、ピオが恥ずかしそうに言う。

「全員の殆どの武器を迷宮支配者に破壊されて、最深階からは逃げられたけど結局もうダメかと思った時、ピオがまた叫んだんだよね、ここで絶望してはいけないって」

 その時のことを思い出すように女戦士が言う。

 最深層である十階から九階へと戻ってきた冒険者たちは、自分たちをここまで守ってきてくれてた武器の殆どが失われてしまっている事実に改めて気付いた。

 リーダーも女戦士も僧侶も盗賊も、皆の頭の中には絶望という言葉しかなかった。

『ここから生きて帰るんです全員で!』

 しかしただ一人、まだ望みは絶たれていないと叫ぶ者がいた。

『ピオ……』

 呆然とする他の仲間にピオは更に強く語りかける。

『リーダーさんの妹さんに取り付いた悪霊は僧侶さんのミワザで、女戦士さんのお母さんの治らない病は盗賊さんの里にある秘薬の力で、僧侶さんの奥さんが閉じ込められた封印はリーダーさんと女戦士さんの剣に僧侶さんが聖なる祈りを込めれば砕けるはずで、そして百年に一度の魔の襲来に備えている盗賊さんの里にはみんなで加勢に行けば良いんです! だからまずはここから生きて帰るんです! 全員で帰らないと意味が無いんです!』

 迷宮支配者に決死の覚悟で突っ込んだ時に叫んだ以上に、ピオの声は大きかった。

 ここに集った冒険者たちの、それぞれの一つの書に縋りたい理由。

 リーダーは、妹を悪霊から開放するために。

 女戦士は、母の治らないと告げられた病気を治すために。

 僧侶は、敵対勢力によって仕掛けられた妻の封印を解くために。

 そして盗賊は、百年単位の一定期間ごとに滅ぼそうと襲ってくる敵対勢力から里を守る力を得るために。

 それは不可能だといわれたことだった。だからこそ最後の望みを託して一つの書に縋った。

 でも、自分たちの力を補えあえば、不可能は可能になるのかもしれないと。

 その可能性を、最年少の彼女が伝えた。たった一人の肉親を失った、この中で多分一番悲しい思いをしているだろう彼女が。

『……そうだな、せっかく生き残った命、最後まで抗わなければな』

 武器は盗賊が投げずに持っていたクナイが数本きりという状況であったが、ピオも僧侶もまだ魔術は使える。盗賊は最後の武器をリーダーと女戦士に渡し、自分も残りのクナイを握り締めた。

 そして冒険者たちは生き残りをかけた撤退を始める。

「まぁそれからは死に物狂いで逃げてきたよ」

 自分も水を飲み始めたリーダーが、ここへ帰って来れた経緯の説明を始めた。

「あんたに教えてもらった万歩罠の情報が役に立った」

「そうですか」

「万歩罠に敵を蹴り飛ばして封じたりして、九階八階はなんとか切り抜けてきたよ」

 万歩罠のトラップは冒険者にもモンスターにも同時に効果があるが、その地帯を抜けた瞬間に、追ってきたモンスターを再び罠の方に追い返してしまえば、相手はもう一度何万歩も歩かないとトラップから抜け出せない。

「あれってもしかして実は緊急退避用のトラップだったりするのか、撤退する冒険者用の?」

 万歩罠のトラップを上手く使えれば、追撃から逃れる時間を稼げるという事実を不思議に思って、リーダーは尋ねてみた。

「さぁどうでしょうね。それに関しては罠を作った迷宮仕事人ダンジョンワーカーズしか分からないでしょうし」

 女性はその事実を知っているのか知らないのか、そんな風に言葉を濁す。

「地下六階の宿屋には寄らなかったんですか?」

「寄りはしたが、さすがにもう呼び鈴を鳴らす気にはならなかったな」

 退避ポイントとして使える六階の宿屋まで何とか辿り着いた冒険者一行は、そこで一晩ほど過ごして体力回復に努めた。そしてそこを拠点として、七階や五階の宝箱の再回収に回った。

「途中で発見した低級な武器は拾わずにそのままにしておいたんだが、それが脱出の際には役に立った。今の自分たちには必要ないのに希少価値のある道具だからって持ち出したら、その後とんでもないくらいの災厄に見舞われる……本当にそうだと思った。やはり使うべき者が使ってこその武器であり道具だ」

 戦士であるリーダーが腰に釣った長剣を見下ろしながら言う。それは迷宮支配者の待つ最後の部屋に持ち込んだものに比べれば低い性能のものだが、彼を――彼らを迷宮内から脱出させるだけならば十分な力を発揮する。

「それにあの六階の宿屋の主、あんたと迷宮支配者は別人かもしれないが、六階のメイドと迷宮支配者が別人という保障は無いからな」

「確かにそうですね」

 そうして冒険者一行はなんとか武器の再装備を整え、地上までようやく戻ってこられたということだった。

「紅蓮の死神と戦い、そして生還した――それは大災害の一つにも例えられるものから生き残ったということなのだろうな」

 瞑想するように静かにしていた僧侶が、迷宮支配者と戦い全滅しかけて、それでも戻ってこれた事実を感慨深げに語った。

 紅蓮の死神とは、地震や台風そして津波と同等のもの。それが通過しただけで今までの平穏な暮らしは壊れて無くなる。その力は紅蓮の死神単体で、機械神一機とほぼ同じ戦力と称される。

 彼らは見逃してもらえたとは言え、それだけの存在と対峙し生きて帰ってこられた。それはとてつもない功績だろう。そしてそれだけの存在が守っているからこそ、一つの書とは戦いの果てに手に入れるものではないのだと、冒険者たちは気付けた。

「その事実と経験があれば、今まで不可能だと思っていたことも可能になってくるのではないですか?」

「ああ、その通りだ」

 紅蓮の死神と同じ顔の女性のその言葉に、全員が頷いた。ここにいる全員は、一つの書ではなく、その代わりにお互いを補い合える仲間を得た。それは一つの書を得る以上に難しく、そして意義のあること。

「ピオの指示に従ってなんとか抜けてこれたんだし」

 ここまで戻ってこれた魔術師の少女の功績を、隣に座る女戦士が改めて称えた。

 ピオは盗賊に守られながらの後衛の位置であるのは変わらないが、クナイ一本で戦うリーダーと女戦士を支援魔法で支え、時には指示も出した。脱出のために極力魔力を抑えながらの行動であるからか、今まで魔法の行使でまかなっていた部分を、言葉で補うようになっていた。今まで後ろからずっと見ていて、良く状況把握ができていたのだろう。

「あなたが迷宮支配者に対して命を懸けて立ち向かったから、それでみんなも納得したんだと思いますよ。この子に自分たちの命を託すのも悪くない、と」

 生死を懸けた脱出の局面で発揮されたその成果を、女性はそう称した。

「……あなたが迷宮支配者と別人なんでしたら、なんでそのことを知っているんですか、まるで見てきたみたいに」

 なんだか褒められたようで顔を赤くしていたピオが、照れを隠すようにそんな風に言う。

「……う~ん、なんででしょうね?」

 そして女性も真実をはぐらかすようにそんな風に答える。


 翌日。

 そのまま酒場の二階の宿屋で一晩過ごした冒険者一行は装備を整えて外に出てきた。

「あ、船が直ってる」

 縦に細長いこの浮遊島の先端の方に駐機している自分たちが乗ってきた飛行艇を見た女戦士が軽く驚いたように言う。

「みなさんが迷宮に行っている間に、工場に降ろして修理しておきましたよ」

「……金は払えんが」

「待ってる間暇だったんでわたしが勝手にやったことですのでお代は良いですよ」

 リーダーの心配そうな声に女性がそう答え、全員がホッとしたような顔になる。

「しかもなんか……足付いてるよ?」

 飛行艇に今まで見たことがない装備が追加されているのを女戦士が発見した。

「ええ、こういう平たい甲板の上にも降りれるように着陸脚を、修理がてら付けさせてもらいました」

「え? じゃあもう海の上には降りれないってこと」

「いいえ、この着陸脚は中に折り畳められますから、海の上にも今までどおり降りれますよ」

「すごいじゃない! 水陸両用だ! 売ったら良い金になりそう!」

 最後に足したその言葉に、一行から笑い声が上がった。

「お前はすぐ金だなぁ」

「だってこれからみんなの故郷を全部回らなきゃなんないんでしょ。色々費用もかかるの分かってるでしょ」

「だからってその移動手段を売ったらダメだろ」

「そうだけどさ!」

「みなさんのお手伝いが終わったらもう一度ここに来ても良いですか?」

 そうやって談笑に包まれている中を、ピオの声が遮るように通った。

 もうここへ来ることもないだろうと殆どの者が思っていた。しかしそれを、意外なところから否定する声が上がって一同は軽く驚いた。

「ここは冒険者を募る酒場でもあるんですよね。だったらそこに手持ち無沙汰な冒険者の一人がいても良いじゃないですか」

 町中の酒場であれば、そうやって酒の杯片手にクダやトグロを巻いている冒険者なぞどこにでもいるだろうが、ここは空の上にある酒場である。

「まぁ酒場としても宿屋としても一応は普通のお店ですからね、通ってくるのであれば止めはしませんけど、ここに来るには空飛ぶ乗り物が何か一つ必要ですよ?」

「みなさんのお手伝いが終わったら、まずは自分用の飛行機械を探す旅に出たいと思ってます」

 女性の言葉を聞いても、ピオの意志は変わらないらしい。ずいぶんと強くなったものだ。

「全員の面倒ごとを全部片付けた後もまだ旅が続くんであれば、アタシはまたお前と旅がしてみたいけどな」

 ピオのことが苦手と漏らしていた女戦士も、迷宮支配者との戦いの後から急激に成長した彼女のことは認めている様子で、そんな風に言い出た。

「それが叶ったら、今度はピオをリーダーにして冒険してみたいものだ」

「そ、そんなっ!?」

 リーダーの言葉にピオはそう慌てるが「異議無し」という声が上がる。

「……」

 ピオは恥ずかしさに縮こまるばかりであった。


「あの、名前を教えてもらっても良いですか?」

 全員が飛行艇に乗り込み、最後にピオが乗ろうとした時、見送りに近くに来ていた女性に訊いた。

「そういえば名乗ってませんでしたっけ」

 思い返すと名乗る機会がなかったことを女性も思い出した。

「わたしの名前はリュウガ・ムラサメです」

「それは……黒龍師団の紅蓮の死神の本名と同じなんじゃないんですか……?」

 女性が語ったその名を聞いて、ピオが軽い戦慄を覚えた。

 迷宮六階の宿屋で体力回復のために一晩過ごしていた時、ピオも紅蓮の死神にまつわる伝説を色々と訊いていた。その強さ、その恐ろしさ。人の姿はしているけれど、人の範疇には全く収まっていない常識を超えた力の塊。破壊の具現化。

「名前が同じというだけで同一人物とは限りませんよ。同じ名前の人だって世の中にはいっぱいいますし」

「……私は、やっぱりあなたに命を拾われたんですね、あの時」

 否定する言葉にピオは思わずそう言ってしまう。

「この迷宮の奥底にいた迷宮支配者とわたしは、同じ顔をしていて同じ声で喋りますが、今のわたしは――」

「わかってます。わたしの勝手な思い込みです」

 女性――紅蓮の死神と同じ名を名乗った女性の言葉を遮るように、ピオが言う。

「でも……残酷なんですね、この世界って」

「この世界は、優しい残酷で満ちています。良くも悪くも」

「……」


 冒険者一行を乗せた飛行艇が黒き龍焔の甲板を蹴り、空へと舞い上がっていく。

「彼女たちは一つの書が得られなくても、一つの書が与えてくれただろうものは持って帰ることはできました」

 徐々に高度を落とし雲海へと沈んでいく空の船が見えなくなるまで、リュウガはそこにいた。

「でも……」

 蒼空に、白い雲が流れる。いつも通りの日常。

「一つの書が得られても得られなくても、果たすべき志しが果たせられるとは、保障されていません」

 一つの書が万物の理の全てが書かれた書物だとしても、それはただの情報でしかない。それを活かすか無駄にするかはまた所有者次第。

 志し半ばで息絶えてしまう可能性を捻じ曲げることはできない。捻じ曲げられる力を持つのは、己に宿る生きる意志。

 この迷宮で本当に手に入れるべきものは――それ。

「彼女たちはそれを、本当に手に入れられたんですかね」

 リュウガはそう言うと、店の中に戻っていった。


 この世界は優しい残酷で満ちている。


 ――Fin――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍焔の機械神27短編 生還者 ヤマギシミキヤ @decisivearm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ