第22話

「次はどこに行くんですか?」


 メイド喫茶で腹ごしらえを終え、俺たちは駅前を歩いている。


「バスに乗って移動する」

「バス? しかし、それではバイト先から遠ざかってしまいますよ」

「行きたいところがあるんだ」


 今日のデートで光愛みなは元気な姿をみせてくれた。ただそれは一時的なもので。


 今日を過ぎたらまた、家にこもってしまう生活に戻ってしまうかもしれない。


 いくら夏休みで外にでなければならない用事がないとはいえ体によくないだろう。


 だから光愛には一刻も早く、今日だけでなく明日以降も元気でいられるようになってもらいたい。


 そのための手を今日のうちに打っておく。


 あえて光愛には行き先を告げず、ついて来てもらう。


 帰宅する時にも利用するバスに乗ったからだろう。乗る時はそこまで疑問を口にすることはなかった。だが――


純慶すみよしさん、いつ降りるんですか?」


 ――いつも降りるバス停を過ぎてからいぶかしむ表情をみせるようになった。


「まだ先……終点までだ」

「……終点」


 光愛みなはそのことの意を理解したのか、うつむく。


 今日1日ずっと元気だったのが嘘のようにしゅんとしてしまう。


 なんだか悪いことしている気になるも、いまさら引き返そうとは思えず、バスは目的地である終点に到着した。


 目の前にはガラス張りが目立つ大きな建物がそびえたっている。


 地域に密着した文化活動を行っている。図書館、スタジオなどがある。ピアノを演奏できるコンサート会場だってある。


 地下1階から地上3階まで。


 ショッピングモール程の広さがあるも、部屋を借りるわけではないため自由に動き回れず把握しきれない。


 それになにより、そこまでしなくても求めていたものを見つけられた。


「それじゃ行こうか」

「はい!」


 俺たちは手を繋いで建物の中に入っていく。


 ガラス張りの自動ドアを抜け、エントランスに入ると、外観よりも広く感じられた。


 天窓てんまどまでの距離は遠い。3階まであるのだから当然といえば当然か。


 出入り口は2つあり、今入ったところとは逆サイドにもある。


 ドア付近にはいくつかイスがあり、逆サイドもそれは同じだ。


 中央にある掲示板はカタカタと音を立て、今日の施設利用予定を表示している。


 だが、特にそれを確認する必要はない。


 なぜなら部屋を借りなくとも利用できる場所に用があるからだ。


 まっすぐ歩きエントランスホールの中心まで歩を進める。


 そして天窓から差し込む光で輝くピアノを優しくで言い放つ。


「弾いてみろよ」


 出会ってから……再会してから、俺は光愛みなかなでる音色ねいろを聴いたことがない。


 それは俺が再会するまでの間にあったことが関係している。


 無理むりいしようとは思わないが、このままというわけにもいかない。


 なにより俺自身が光愛の演奏を聴いてみたい。


「……しかし……」


 人前で演奏するのを恐れているのか、困惑こんわくした表情で俺を見てくる。


 安心させるべく、俺は光愛の肩を抱き背中を押す。


「聴いてみたいんだ。なにより俺が。光愛の演奏を」


 笑みを浮かべ嬉しそうにピアノへと小走りする。


 周囲に弾くに至らないけれど、興味の目を向けて近づいていた小さな子供がピアノから距離をとる。


 光愛がピアノの前に腰掛けた。


 光愛の、どこかさまになっている姿が誇らしい。


 その様子を俺は背後から見守る。


 光愛の演奏を聴ける。


 それが目的ではないけれど気持ちがたかぶる。


 感触を確かめるように一音いちおん一音いちおんだす。


 光愛は振り向き、俺と目が合った。


 反射的にうなずくと、光愛は本格的に演奏を始めた。


 美しい音色を奏でる。それがどの程度のレベルなのか、俺にはわからない。


 だが、その場にいる誰もが魅了みりょうされたことだろう。


 明らかに人の数が増えているのがわかる。立ち止まりピアノの、光愛の周りを囲んでいく。


 光愛はそれでもなお億面おくめんもなく演奏を続ける。


 中学時代に失敗し、当時の仲間と再開して落ち込んでいたとは思えない。


 注目されている事自体を嬉しく思っているようにすら見える。


 なんの前ぶれもなく曲のテンポが速くなるも気にするほどではない。


 そうして演奏を終えてみれば、拍手はくしゅ喝采かっさいが巻き起こる。


 光愛は困惑した素振そぶりをみせてはいたものの笑顔で応えていた。


 なんだかなぁ。心配していたのに。呆気あっけに取られてしまった。


 光愛はすばらしい演奏をせてくれた。


 本番のステージと違うのはわかっている。


 しかし、心配していたのがバカらしくなるほど、何事もなかった。


「お疲れ。そして、ありがとう」

「……いえ」


 俺のところに戻ってきた光愛はどこか恥ずかしそうにもじもじとしている。そんなに恥ずかしがることでもないだろうに。


 光愛の演奏が終えたとわかるやいなや、足を止めていたギャラリーがちりぢりになっていく。


 人が減ってもなお、光愛の緊張は解けていないようだ。


 俺がお願いしといてなんだが、悪い事したかな。


「悪かったな。変なお願いして」

「いえ、それはいいのですが……」


 頬を赤らめ、なにか言いたげであるも、続く言葉を発しようとはしない。


 人が減り注目から解かれてなお、光愛は顔を赤くし、もじもじとして気分が……そう。気分が悪そうだ。


「気分が悪いのか?」

「そう……なんですけど」


「そうか。気分が悪いのか。救急車よぶか? それとも水……いや、その前に横に」


 迂闊だった。


 まなさんの話によると、光愛はコンクール本番に演奏を中断している。


 その理由がなんだったかは聞いていないが、体調を崩していた可能性がある。


 そう考えると、今回の大勢に注目されて演奏したことで、その時と同じようになってもおかしくはない。


 狼狽した俺はやることが脳内で渋滞を起こし、すぐに行動できずにいた。


 それを見た光愛は申し訳なさそうにしている。


「……えっと、純慶すみよしさん。その……えっと……」


 要領ようりょうを得ない言葉しか発しない光愛。意識がはっきりしていて、意思いし疎通そつうできるのが救いだろう。


 そうして光愛が意を決して発した言葉は――


「――もう限界ですぅ」


 そう言ってどこかに駆け出すという予想外な行動だった。


 走る元気があることを喜ばしく思いつつ、光愛が向かう先を追ってみる。


 そして到着したのは――


 ――トイレだった。


 さすがに中まで入れず外で待つことに。


 身体の不調と戦っているのかと思うと気が気でなかった。


 実は個室の中で倒れているのではないか。そう考えると周囲の目なんか気にせず入ってしまおうかとすら思えてくる。トイレの前で落ちつきなくしている時点で変な目で見られているわけだし。


 もしくは誰かにお願いして様子を見てもらうとか。


 いや、そんな大事にする必要がない可能性だってあるんだ。


 現に、トイレに向かう光愛はけていた。本当に体調がすぐれないのであれば、それだってできないだろう。


 そう考えると段々おちついてきた。光愛は大丈夫。心配することはなにもない。


 待つこと10分。光愛が姿を現した。


光愛みな!」

「純慶さん!?」

「どこか具合ぐあい悪いところないか? 痛いところは? うわぁ〜、俺はなんてことを」

「純慶さん、落ち着いてください。わたしはなんともありませんから」

「本当か!? 本当なんだな!」

「はい。……というか、すみません、わたしの方こそ」

「いや、いいんだ無事なら」


 言葉通りなんともない光愛を見て、俺はやっと落ち着くことができた。


 光愛のことを思って行動したのに、そのせいで傷つけてしまったらと思うと罪悪感ざいあくかんしかない。


「悪かったな。無理させて」

「いえ……えっと、もう本当に大丈夫ですから。それより、このあとはどうしますか?」

「今日はもう家に帰ろう。また体調たいちょうくずしても悪いし。今日はもう寝て休んだ方が」

「純慶さん!」


 俺は思ってるほど落ち着き切れていなかったようだ。


 光愛の一声で我に返る。


「もう本当に大丈夫ですから。その……えっと……」


 もじもじと恥ずかしそうにしだし、また体調がすぐれないのかと思ったが、続く言葉でそうではないことを知った。


「……と、トイレを……我慢がまんしてた、だけですから……」

「……」


 なんてことはない理由で思考が停止した。


 心配し、狼狽ろうばいし、女子トイレに突入すら考えていた自分が恥ずかしくなる。


 とりあえず、行動しなくてよかったと、心の底から思った。

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