第16話

純慶すみよしくん、もういいですよ」


 もういい? いや、なにが?


 いぶかりながらも声がした方、1階へと足を向ける。


 階下かいかでは光愛みなははが待ち構えていて、到着と同時にリビングへと案内された。


 そこには光愛がいて、あろうことか、スカートの中をのぞける体勢をしていた。具体的にはソファーに腰掛けた状態で、両足をっけたM字開脚かいきゃくのポーズだ。


 目のやり場に困りつつも、なにをしているのか観察しにかかる。


 集中しているようで、こちらにはまだ気づいていないようだ。


 なにをしているのかといえば、漫画を読んでいた。


 タイトルは『私たちのコーラス』で、内容は確か、合唱がっしょうに所属するとある女子中学生の青春を描いた物語だったはず。


 タイムリーな。やはり光愛は中学生時代のことをやんでいるのだろう。


 にしても、これは想定外だ。集中しすぎて目の前にいるというのに、まったく気づいてくれない。


光愛みなったら、ずっと漫画読んでてね。話しかけても、「静かに」としか言わないの。おかげで掃除そうじが進まなくて。だからよろしくね」


 言うだけ言って光愛母はどこかに消えていってしまった。買い物にでも出かけたのだろうか。


 なんにしても光愛と2人きりのようだ。


 姉の所在はわからないが、たとえ家にいたとしても、わざわざ近づこうとは思わないだろう。


 今は家が狭いから難しいが、父さんが亡くなる前に住んでた一軒いっけんでは、妹や弟の友達が遊びに来た際、わざわざ顔を出そうとはしなかった。


 あいつらも同じで俺の友達が来た時、顔を出すことはなかった。


 恐らくだけど、どこも同じだろう。知らずに対面することはあるが、話し声でもすれば、むしろけようとさえする。


 会いたくない、とまでは言わないが、得するわけでもないからな。実際、以前に来た時、おそらく姉に会っている。その時は軽い挨拶あいさつ……すらもないぐらい程にあっさりしていた。あの人が光愛の姉なのか確認する間もないほどだ。


 光愛母がいなくなり、本格的にどうしたものかと思い悩む。


 このまま光愛が気づくのを待とうものなら、無下むげに時間だけが過ぎてしまいそうだ。


 とりあえずとばかりに近づいてみる。正面から行く勇気はない。そもそもローテーブルがあるため、迂回うかいしてわきから近づくのが妥当だとうだろう。


 気づいてもらおうとしているはずなのに、不思議と物音を立てないようしのあしになる。光愛が集中しているからだろうか、邪魔じゃましてはならない。そう思ってしまう。


 すぐ隣まで来たというのに、まったく気づく素振すぶりをみせない。


 仕方なしに、俺は光愛が読んでいる漫画を1巻から読んでいくことにする。


 全部で何巻あるのかは知らないが、ここにあるのだけで14巻ある。


 光愛が今、読んでいるのは4巻だ。じっくりと読んでいるようで進みはそんなに早くない。俺は追いつくことがないよう同じぐらいのペースで読み進めていく。


 主人公の女子、蓮菜れなが中学校に入学し、部活どうしようかと思い悩むシーンから始まる。


 数々の部活動を体験し、どれもいいと思うも、どこか決め手に欠けていた。


 そんな時にある女子に出会う。名前は叶華のあ。彼女は誰もいない音楽室でピアノを演奏していた。


 演奏を聴いた蓮菜が一緒に合唱部に入って欲しいと懇願こんがんする。強引に話を進めていく。


 入部手続きをしようと、先生にうかがいを立てると、合唱部が廃部はいぶ寸前すんぜんである事実を知る。部員を5人集めなければならない。3年の先輩せんぱいに1人、部員がいるため、まずはその人のところに行く。


 そして、友達の友達なんかも含めて無事ぶじに5人集まり存続そんぞくが決まった。


 しかし、校内の部活動の規定は5人以上であるも、コンクール出場には6人以上必要であることが発覚する。


 顧問の先生が伴奏ばんそうすればという意見が出るも、蓮菜はどうしても伴奏して欲しい人物がいる。


 そんな折、近隣中学に同じく人数不足に悩まされているところがあると、顧問の先生から知らされた。


 コンクールには2校以上が合同で参加することもできる。


 歓喜するのもつかの間、合同練習するも馬が合わずケンカばかり。このままでは参加が難しい。


 そんな時、少女が立ち上がる。叶華だ。彼女は最初こそ気乗りせず、コンクール出場があやぶまれる度に内心ないしんほっと胸をで下ろしていた。そんな彼女だが、熱心な説得をし、無事に本番を迎えることとなる。


 ところが、本番中に叶華が気分を悪くし、途中でステージを降りてしまう。


 自ら説得しておいて、と悪態あくたいをつく、他校の生徒。蓮菜がかばうも、結局はコンクール出場のみの関係。即解散となった。


 本番から間もなくしてから叶華のあから蓮菜れなに過去を打ち明ける。幼少の時にも同じことがあり、本番のステージで演奏するのができないということ。


 それを聞いた蓮菜が叶華が演奏できるように協力していく。


 ここまでで10巻の内容だ。


 ゆくゆくは克服こくふくし、本番のステージでも演奏できるようになるのだろう。


 俺が10巻を読み切ったタイミングで、光愛はこの場にある14巻を読み切っていた。


「叶華みたいになれたらなぁ」


 みしめるような表情を浮かべ、登場人物に自身を重ね、過去をやんでいるようだ。


 俺が未読である11巻から14巻の間になにがあったのかわからないが、おそらくは叶華がコンサートという大多数が見ている前で堂々と演奏をやりきる様子が描かれているのだろう。


 そう予想し、俺は光愛にできることを考えてみる。


 系統は違うけれど、俺も水泳をやっていた。


 速さを競うのが常であるも、キレイなフォームや、そもそも泳ぐ様を見せることを思うと、共通点はあるだろう。


 なにか力になれるはずだ。


「まかせろ。どうにかする」

「いまさらどうにも…………? 純慶すみよしさん? いつから、そこに?」

「ずっといたぞ。光愛みなが4巻を読んでる時から」

「そんな前から!? 声かけてくださいよ」


 声はかけたと言おうとしたが、してなかったことに気づき、言葉を換える。


「いや、悪い。声かけても気づかないと思って、認識されるのを諦めてた」

斬新ざんしんな返答!? 諦めないでくださいよ。……わたしが言えたことじゃないけど」


 自身に照らし合わせ、嫌なことを思い出させてしまったか、しょんぼりと項垂うなだれ、悲しそうにしている。


 やはりいているのか。


 俺はいまだ具体的な解決策に思い至らないも、それでもなんとかしようと考えをめぐらす。


「それで? 純慶さんはどうしてここにいるんですか?」


 率直そっちょくに言えば、光愛が心配で様子を見に来たのだが、面と向かってそれを言うのは恥ずかしかったので、ぼかすことにする。


「特にどう、ということはないが……遊びに来た、ってところかな」

「……そうですか。でも、すみません。わたしが気づかなかったばかりに。この時間ではなにかしようにもなにもできませんよね」


 この時間というのは、すでに夕暮れ時で、真夏である今だと18時を過ぎている。


 確かに今からなにかするのは難しい。特に俺の場合は弟や妹のことがある。母さんに任せておくこともできるだろうが、仕事で疲れているだろうことを思うと、気乗りしない。


 家族のことを考えるのならば、今すぐにでも帰路につくべきだろう。


 だが、俺は光愛が心配でここまで来た。なにもせずに帰るわけにもいかない。だからといって、すぐに解決できることでもなさそうだ。


 考えをまとめていると、光愛から提案された。


「さすがにこのままというわけにもいきませんし……よろしければ今度、日を改めて、ということでどうでしょうか」

「そうだな。なら、今度の土曜日はどうだ? バイト前なら時間あいてるし、お金も入ったから。2人でどこか行こう」

「デートですね!」

「……お、おう」


 首肯しゅこうすると、嬉しそうにほおを緩ませ、太陽のようなまぶしい笑みをこぼしていた。


 思い返してみると、2人で出かけるのは久しぶりな気がする。


 俺はバイトで、光愛みなは補習で、言い訳になるかもしれないが、ちゃんと時間を作れていなかった。


 そう考えると、光愛になにかあった、というよりも、俺の気が回らなかっただけなのかもしれないな。


 だとしたら約束を取りげたことで今日の目標は達せられたと考えていいだろう。


 とはいえ、叶華のあのようになりたいとボヤいていたことは事実で、できることならどうにかしたほうがいいだろう。

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