第14話

 桜舞い散る季節。


 春の陽気にあてられたわたし、園田そのだ光愛みなは放課後であるにも関わらず、まだ校舎こうしゃにいる。


 別に部活動に参加しようというわけではない。


 合唱部に所属してはいるものの、どこかの部活には入らないといけないため、仕方なしだ。


 最初こそ参加していたけど、意義を見いだせず、今では顔を出すことがなくなった。


 ピアノを演奏できるから力になれると息巻いていたけれど、わたしは本番に弱い。


 というのも、小学生の時、コンクールに出場したことがあるから言えることだ。


 苦い経験から、部員のみんなにはピアノを演奏できることも、失敗したことも話してはいない。


 久しぶりに参加しようというわけでもないのに、主たる活動場所である音楽室へと足を向けてしまう。


 部活動自体に、嫌な思い出があるわけではないからだろう。


 中に誰もいないことも手伝って、通学途中にある公園にでも立ち寄る気軽さで足を踏み入れる。


 だけど、自分が余所よそもののようで、下手にそこにあるものを触ろうとは思わない。


 実際は生徒である以上、余所者なんかではなく、合唱部員であることを考えれば遠慮えんりょするほうが逆に不自然なくらいだ。


 そう考えると少しぐらい自由にしてもいい気がしてきた。


 室内を見渡すと、脇には学生鞄がいくつもある。


 さすがに個人の所有物を漁るわけにはいかない。漁る理由もない。


 だけど、その光景から一度は音楽室に部員が集まったけれど、一時的に離れていることがわかる。


 いつ戻ってくるのかもわからないけれど、ピアノを演奏したいという衝動しょうどうを抑えきれなかった。


 家にあるのは電子ピアノで、本格的なので演奏はできない。


 だからといって、ピアノ教室や、ショッピングモールに展示されているのを試遊しゆうするのも気が引ける。


 演奏をしたいけれど、人前ではしたくない。いや、してもいいけど、コンクールのような、本番の舞台ではしたくない。


 知り合いにバレ、する羽目になったら困る。


 それでも、ピアノを演奏したいという欲求には敵わなかった。


 誰も来ないことを祈りつつ、誰にも見られないことを祈りつつ、学生鞄を足元に置き、ビアノの前に腰を据える。


 本番とは違う、行き過ぎた緊張はない。あるのは程よい緊張。誰かに見られるのでは、聴かれるのでは、という。それはまるで、お姉ちゃんのアイスを勝手に食べている瞬間を見られるのを恐れているような感覚。


 わたしはその緊張を心地よく感じながら、そっと指をえた。


 みしめるかのように一音一音、かなで、音の反響はんきょう堪能たんのうする。


 気のゆくまま、曲とも言えない曲を響かせていく。


 この音がどこまで響いているのか、考えてないと言えば嘘になる。


 バレてしまうかもしれない。だけど、やめられない。


 やめた瞬間、なにか良からぬことでも起こる気がする。そんなことないのに、一度、始めてしまうと簡単にはやめられない。


 そんな状態だから、近づいてきている人がいるのに気づかなかった。


「あなた、園田……光愛、ちゃん……だよね!」


 突然と、目の前に顔があった。短髪で、動きやすさを重視した髪型。輝く瞳は向ける対象への好奇心こうきしん度合どあいをあらわす。まぶし過ぎて直視できない。


 彼女の名前は、桜川さくらがわ実菜まな。同学年でクラスは別。顔を見た瞬間に名前が浮かんだのは、彼女は誰に対しても気さくに接する性格をしているからだろう。


 扉とピアノまでの距離はそこそこあるから、注意して見ていればもっと早く気づきそうなものだけれど、わたしは気づかなかった。


 よく見ると、彼女の後ろには人だかりができあがっていた。足を止め、遠巻きにこちらの様子をうかがっている。


 こんなにも注目されているのに、演奏を継続できる程、わたしは物怖ものおじしない性格をしていない。


 そんな性格をしていたら、そもそも隠れて演奏しようだなんて思わない。


 今更ながら、音楽室に足を踏み入れたことを後悔こうかいする。


 なんでこう、確実にいつかは人が来ることがわかっている状況で、堂々と演奏をしてしまったのだろうか。


「ピアノ、うまいね。知らなかったよ」

「…………」


 こういう時、どう返したらいいのかな。


 彼女の態度を見るに、歓迎されてないわけではなさそう。


 だけど、わたしは歓迎されたいわけではない。


 だからといって、追い出されるのもどうなんだろう。


 いっそのこと、そうしてもらった方が出ていく口実ができていいかもしれない。


 そこまで考えたところで、別に追い出されなくとも、自分から出ていけばいいのだという結論に至る。


 なにも言わず、立ち上がり、一目散いちもくさんに扉の向こう側――廊下へと駆けていく。部員にぶつかりそうになるも、道をあけてくれた。


 廊下をしばらく歩き、階段手前まで来たところで振り返り、誰もついてきていないのを見て、安堵する。


 ゆっくりと階段を下りていき、昇降口まで来たところで、あることに気づく。


 ――鞄を音楽室に忘れた。


 今から取りに戻るなんてできるわけがない。


 だからといって、音楽室に置いたままにすることもできない。


 しばらく昇降口で考え込む。


 下駄箱内の外履きを握ったまま固まってしまう。維持するのは大変で、はたから見れば変な人。だけど、その体勢から動く気になれない。


 取りに戻るなんて選択肢にないはずなのに、家に帰る一択のはずなのに、わたしの体は動こうとしない。


 まるで電池切れのロボットのように、ピタリと止まってしまった。


光愛みなちゃん」


 名前を呼ばれ動き出す。するつもりもないのに、反応してしまい、彼女の方へと顔を向けてしまった。


 自然と目が合う。


「よかった。間に合って」


 安堵あんどの息を吐きだす彼女を置いて、その場から逃げようと、わたしは動きを早める。新しい電池を入れ直した時のように、スムーズだ。


「待って!」


 したがわなくてもいいはずなのに動きを止めてしまう。


 あわただしく息を整える彼女に向き直った。


「ふぅ……はい、忘れ物」

「……ありがとう」


 差し出されたのは、わたしが音楽室に忘れていってしまった学生鞄。


 彼女はわざわざ届けてくれたのだ。


 必死に追いかけて来てくれたことを思うと、取りに戻るのを躊躇ためらっていたのがバカらしくなる。


「また来てね」


 彼女の笑顔がまぶしい。気持ちが高揚こうようするのを感じる。なにを悩んでいたのだろう。


 てっきりとがめられるとばかり考えていた。


 どうして今になって顔を出したのか、何をしに来たのか、とにかく歓迎されない言葉ばかりが頭の中で反芻し、勝手に悲観的になる。


 だからこそ、逃げるように音楽室から飛び出した。


 だというのに、かけられた言葉は相反あいはんするもの。


 また顔を出していいんだ。またピアノを弾いていいんだ。


 そう考えると気持ちが軽くなった。過去の嫌な思い出を忘れられるわけじゃないけど、それでも悲観的になる必要はないのかもしれない。


「うん」


 それからというもの、わたしは毎回のように部活動に顔を出すようになった。


 活動は週3回程度。


 今さらながら利用日以外を狙えば遭遇そうぐうすることはなかったかもしれない。ただ、吹奏楽すいそうがくも音楽室を利用している。


 そう考えると学校の音楽室はバレずに利用するのは不可能。客観的に見て、誰かに見つけて欲しいがためにあの場所を選んだようにみえるのではないのかと、今更いまさらながら恥ずかしく思う。


 ただそれでも、こころよく迎えてくれたみんなを思うと、小さいことだ。


 でも、不安はある。


 ピアノを演奏できる人を探していて、そのタイミングでわたしが現れたのだ。


 生徒でいなければ先生が演奏するんだけど、せっかくだから生徒だけでやりきりたい。


 別に先生が嫌われているとか、言えないけれど演奏が下手とか、そういうんじゃないとは、実菜まなちゃんの言葉。


 生徒だけで、という気持ちはなんとなくわかる。中学生なのだからと背伸びする気持ちがそうさせる。


 子供とは言えないけど、もちろん大人とも言えない。そういう中途半端な時期だからこそ抱える心情がある。


 病院では小児しょうにあつかいなんだけどね。


 ただそれは身体が、であって、精神部分では違うと思う。


 大人にこんなことを言えば笑われるだろうけれど、そう思いたい時期なんだ。


 理由を聞いたわたしは、尚一層なおいっそう、力になりたいと感じた。


 だけど、迎えたコンクール当日。


 わたしは最後まで演奏をやりきれず、途中で抜け出した。


 せっかく自らの意思で頑張ってみようと思ったのに、夏休みだって3週間程、返上したのに。


 補習対象にならないよう勉強を頑張りもした。だけど、本番に弱い、という1点がわたしをことごとく苦しめる。


 だからだろう。頑張るということにどうも前向きになれない。確かな本番があるものに限って。特に誰かを巻き込むことなんかが。


 みんなは気にしなくていいと言ってくれたけど、そもそもわたしが本番に弱いことはもっと前の過去の失敗からわかりきっていたのだから、申し出を受けるべきじゃなかったんだ。


 小学生の時にだって、わたしは失敗している。


 通っていた音楽教室の熱心な先生に勧められ、流れに任せて参加したコンクール。わたしは、その時も最後まで演奏できなかった。


 そのことを話して、誘いを断っていれば、みんなに迷惑をかけることはなかっただろうに。


 そう思い、コンクールが終わってから話すと、


「気にしないで。それよりごめんね。無理させちゃったよね」


 そう言って実菜ちゃんが申し訳なさそうにしていた。


 彼女は悪くない。悪いのはわたしだ。


 自分に言い聞かせ、前にも増して1人で音楽を楽しむようになった。


 そうしている間に、実菜ちゃんは変わってしまった。

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