第11話

「ただいま~」

「おかえり~」


 光愛みなの声だ。どうやら着替え終わったらしい。即座に被り物を被り直す。


 危なかった。調子に乗っているうちに光愛が席に戻っていた。


 顔は見られていないだろうけれど、バレてはいないだろうけれど、気が気ではない。


「あれ? やめたんじゃないの?」

「なんか急にこいしくなって~」

「なるほどね。わかるわ」


 わかるんかい!


 常連客との談笑を止め、光愛の下へと向かう。


「着替え終わったんですね」

「はい」

「かわいい」

「そう?」

「そうですよ。似合ってます」


 事前に考えていた言葉を並べ立てる。間違っても嘲笑ちょうしょうなんてしてはならない。


 まぁ、そんなこと仕事でなくてもするわけないのだけれど。


 それでなくても、光愛は似合っていた。お着替え衣装をちゃっちい、なんて思っていたことを恥じる程に。


「それじゃあ、今度はお姉さんですね。準備してきます」

「私が姉であること言ったかしら?」

「え⁉」


 しまった! 事前情報で光愛に姉がいることを知っていたからつい……咄嗟とっさに言い訳を並び立てる。


「確かにまだ聞いてませんでしたね。間違っていたら申し訳ございません。あまりにもお姉さんぽかったもので」

「間違ってはいませんよ」

「なら、良かったです」


 危ない、危ない。危うくボロを出すところだった。


 なんか光愛が不機嫌になった気がするけど、気にしないでおこう。わたしの方がお姉さんだもん、とか思っているのだろう。


 気を取り直して、臨時更衣室たるトイレへと向かった。着替えを入れたカゴを出し、内装を整え、準備ができたところで声をかける。


 なんてことはない流れ作業。被り物さえしていなければ慣れたものだと言えるだろう。


「それじゃ、行ってくるわね」

「うん」


 どうせなら光愛も一緒について行ってくれた方が私的には嬉しいんだけど。


 まぁ、そんなことはなく、光愛は席に座って、お姉さんが戻ってくるのを待つ。


 実際、そうするのが正解だ。特段、広いわけではないトイレは1人なら問題ないが、2人だと狭いと感じるだろう。


 なにより、冷房が効いていないから、夏の暑さを堪能たんのうできる。一種のサウナだ。


 その証拠に出てきたばかりの光愛はえりやらスカートやらをパタパタして風を送り込んでいる。はしたないにも程がある。


 注意したい気持ちはあるも、バレる可能性を思うと、言えない。できる限り関わらないようにしよう。


「お願いします」


 お着替えセットの1つであるケーキがキッチンからパスされた。光愛のだ。


 ちなみに、ドリンクは私がトイレを更衣室へと変貌へんぼうさせている間に、他のメイドの手により出されている。


 今、近づくのは危険だ。お姉さんがいれば、光愛みな奇行きこうを先ほどのように制止してくれるだろう。


 だけれど、今はいない。


 どうにか、このケーキを持って行く役目を他のメイドに託したい。そのためには他の仕事を受け持つ必要があるだろう。


 その折、出入り口に人の影が。ここぞとばかりに、来客の案内を引き受けるべく、足を向ける。


 しかし、光愛の横を通り過ぎんとするタイミングで、


「すみません。ケーキまだですか?」


 呼び止められた。いやいやいや、お姉さんが着替えている最中だけど⁉


 とはいえ、すぐにでも提供できる状況だから、そんなことも言いづらい。


 気づかなかった振りをして通り過ぎてもいいんだけど、気づいたのになにも反応しないのは人としてどうなんだろう。店員なら尚更なおさらだ。こんなとき、私の真面目な性格があだとなる。


 これがもし、駅前のキャッチやナンパ野郎だったら、構わずスルーすることだろう。だけど、今は違う。


 要は無視することはできない。


「ちょっと待ってね」


 これで対応せずにはいられなくなった。


 あわよくば、来客対応している間に、他のメイドが対応してくれればいいが、望み薄だろう。


 私以外にメイドは2人いるが、どちらとも別の業務を開始したばかりだ。


 私の来客対応の方が早く終わるだろう。


 一度は払うことができた鬱々うつうつとした感情がよみがえる。


 そうして、私がレバーハンドル式のドアノブに手をかけんとするタイミングで、来客が誰なのかが明らかになる。


 それは、店長だった。


 いつの間に外出していたのか、袋を下げていた。


 常連さんが「おかえり〜」と言っているあたり、それは幻ではなく、私が知らないどこかのタイミングて外に出ていたのだろう。


「なに? うどんちゃん、お出迎え?」


 あまりに近距離ゆえ声がかかる。


「いえ……いつの間に外出されてたんですか?」

「ん、まぁ、ちょっとねぇ」


 歯切れの悪い言葉だけを残し、そそくさとスタッフオンリーエリアへと消えていく。


 とにもかくにも、来客対応すらなくなった私は光愛のケーキ提供へと行動を移す。おぼんにケーキ皿を載せ、光愛の下へと向かう。


 ケーキはいちごのショートで、載せられたいちごは光沢を放っている。しゅんではないはずなのに、おいしそうだ。


 現実逃避すべく、意識をケーキに向ける。そんな自分を卑下ひげするかのようにやることを心の中で唱える。


 なんてことはない。お皿を置いたら、すぐ去ればいいだけの話だ。


 そう自分に言い聞かせ、光愛がいる丸テーブルへと向かう。


「お待たせしました。いちごのショートケーキです」

「ありがとうございます」


 らんらんと幼子のように瞳を輝かせ、目の前のケーキをロックオンしている。無邪気むじゃきすぎるその姿は私と同じ高校生とは到底とうてい、思えない。


 かぶりつかんとする勢いで……いや、実際にかぶりついている。手づかみで口へお運ぶ。


 家じゃあるまいしフォークを使えばいいものを。そう俯瞰ふかんした面持ちで見るも、そんな場合ではなかった。


 そうだよ、フォーク。本来ならケーキを出すのと同時にフォークも渡すのだが、うっかり忘れていた。


 クラスメイトとはいえ、光愛とはいえ、なんだか申し訳ない気持ちになる。


 今からでも渡してもいいのだが、手づかみという勢いある食べ方ゆえ、もうそんなに残っていない。


 渡したところで、あまり意味はないだろう。仕方がない。あとでタイミングをみて謝ろう。


 私だとバレていないとはいえ、光愛に頭を下げるのはしゃくではあるも、明らかに私に非がある。


 これで謝らなければ、人として、また委員長として、良くない。何より自分で自分を許せない。


 そうやって自身を鼓舞こぶし、声を掛けようと動き出す。


 すでにショートケーキは光愛の腹の中だが、仕方がない。ところが、声を掛ける前に、逆に私が光愛に話しかけられた。


 フォークがないことに今更ながら気づき、文句でも言われるのかと思った。だが、光愛から言われたことは予想外だった。


「もう1個、注文してるはずですよね。それもお願いします」


 一瞬、なにを言っているのかわからなかった。


 ケーキを2個も注文する人がどこにいる。まぁ、光愛ならありえなくもないけど。とはいえ、注文を受けたのは私で、光愛がケーキを2個、注文した記憶はない。


 光愛と光愛のお姉さんで、1個ずつ注文はしているが。


 そう。


 光愛が言っている、もう1個とは、光愛のお姉さんの分、ということだ。


 あろうことか、この娘。着替えている隙に姉のケーキを頂こうとしているのだ。


「……確認してきます」


 姉の分とはいえ、他人の分まで食べようというのだから、どんだけショートケーキが好きなんだ。いや、好きなのはいちごか?


 そういう問題ではなく、人としてダメではないか?


 そんなことを考えながらキッチンの白木くんに確認を取る。


「すでに出してますよ」


 即答だった。


 聞く話によると、光愛が着替えている最中にお姉さんから催促さいそくがあり提供したとか。


 あのお姉さんやりおる。光愛がすきをついて食べることを予想し、早めに対応していたのだ。


 そのことを光愛に伝えると呆気あっけなかった。


「そうですか」


 それもそうだろう。元々、自分の分ではないのだから。


 駄々だだをこねることも予想されたが、それはしなかった。白木くんがキッチンに入っているからだろう。むしろ、他人の物を食べようとしただけでも信じられない。


 それから光愛は何食なにくわぬ顔をして、お姉さんを出迎えた。


 仲が良いのか、悪いのか、よくわからない姉妹だ。


 その日の業務は終了。


 結論から言うと、私、うどんこと宮中みやなか沙也花さやかはメイド喫茶でバイトしていることを光愛にバレなかった。


 光愛はその後、長居することなく、滞在時間90分程でお店を後にした。


 実はバレているが、あえて言わなかった可能性はあるも、それはないだろう。


 光愛なら気づいた時点でところ構わず言ってくるはずだ。

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