第10話

 これなら大丈夫。


 私、うどんこと宮中みやなか沙也花さやかは店長の案を信じて、馬の被り物を被り、お客さん――ご主人様、お嬢様の元へと向かった。


 冷房が効いている空間とはいえ、中はれる。


 視界は狭いし、目立つし。なにより、なぜ馬? メイド喫茶なのだから猫とか、うさぎとか、もっと別の、かわいい動物はなかったのだろうか。


 えだまめ店長を信じてしたことではあるも、間違いだったかもしれない。早くも後悔こうかいしてしまう。


 目立つ格好かっこうゆえ、常連さん方から突っ込まれること必至ひっし


 その会話の内容から、どうして、こんな被り物がお店にあるのかを知る。


 ちなみに、自作の名札に名前が書いてあるため、顔が見えなくても、私がうどんであることはわかってしまう。


「……うどんちゃん? どうしたの? その被り物」

「昔やったイベントのやつじゃん」

「そうなんすね」

「ほら、開店して間のないときにやった」

「たぶん。オレ、その時、来られなかったっすね」

「それにしても、馬って……邪魔じゃまじゃない? その出っ張り」

「確かに。被るにしても他になかったの?」

「店長がこれを被れと……」

「まさかのパワハラ疑惑!? オレから店長に言おうか? どうせならもっとましなのにしようよって」

「確か、干支えとアニマルイベントだったから、12種類あったはずだよ」

「あ、それ……この前やりませんでした?」

「やったね」

「あれ? だけど、うどんちゃんが被ってるのはなかったような……」

「初回限定なんですよ。結局、不評で……今は顔が見えるタイプですね」

「ああ、確かに。顔が見えないのはよくない。しかも、すごい圧を感じる」


 なんてものを渡してくれたんだ、あの人。


 常連さんが言う通り、これはよくない。


 被り物のせいで視界は狭いし、蒸れるし。出っ張りのせいで、よくぶつかる。さっきなんかグラスを倒しかけたし。


 カウンターに並んでいる酒瓶なんか倒したりなんかしたら一大事だ。


 これはいけないと、被り物を置きに裏に行こうとすると、あろうことか、光愛に呼び止められた。


「すみません」

「なんでしょう」


 声でバレてしまないかと内心、焦るも、そもそもバイトの時と学校の時とで、無理なく自然に声を変えているからバレるはずがない。


 もしバレるとしたら、声ソムリエとして名をせる程、精通している人物だけだろう。いや、声ソムリエってなに? 自分でボケて、自分でツッコんでるよ。


 被り物のせいで、中が蒸して暑い。そのせいで思考がおかしくなっている。全部、店長のせいだ。


 ……いや、白木しらきくん……いやいや、今目の前にいる光愛みなのせい。


 この事態の責任の所在すらわからなくなってくる。


「あの……!」

「はい。ですから、なんでしょう」


 なぜか続く言葉を躊躇ためらう、光愛。早くこの状況をどうにかしたいというのに、まったく。


 相変わらず空気を読めない人だ。焦燥しょうそうから語気ごきが強くなってしまう。でも、光愛だからいいか。


 どこか諦めた面持ちで続く言葉を待っていると、予想外なこと言ってきた。


「その被り物、貸してもらうことはできないでしょうか」


 できるわけないだろうがぁぁぁぁぁあああああ。


 なにを言い出すの、この子。


 いや、正直、今すぐにでも被り物を取りたいけど。そういう意味ではむしろ、こっちからお願いしたいよ。


 暑いし、蒸れるし、呼吸すらままならないくらい辛い。


 だからといって、そう言われて、おいそれと渡せるほど私の思考はおかしくはなっていない。


 その変な申し出をした当の本人が期待の眼差しを向けてきていると理解できるほどには理性があり、冷静だ。


 断ることは確定として、どう断ろうかと、思考を巡らしていると、光愛の連れ――お姉さんだろう人がまともなことを言って制止してくれた。


「そんなこと、できるわけないじゃない。ごめんなさい、変な子で」

「……いえ……」


 まともな人が一緒でよかった。


「えぇ〜、でも、ここにお着替えセットってあるよ。じゃあ、なんならいいのさ」

「それは私も知らないけど……」

「詳しいことはそちらのメニューには載っていないので……お持ちしますね」


 難を逃れたような、逃れていないような。


 私はいつまで被り物をしたまま光愛を相手すればいいの? まぁ、たとえ、被り物を取ったとしても、光愛にバレないための策がない以上、どうしようもないのだけれど。だとしても、もっといい方法はないのだろうか。


 思考を巡らしながら、ラミネート加工されたお着替えセット用の案内をカウンター横から取り、光愛に渡す。


 取り出す際、カウンターに被り物の出っ張りをぶつける。ああ、またね。なんて思えるあたり、この被り物にも慣れてきたのかもしれない。


 ちなみに、お着替えセットとは、お客様用のメイド服などに着替えるサービスを中心に、ドリンクとケーキがセットになっている。


 スタッフが着用しているものとはデザインが異なり、正直、ちゃっちい。


 しっかりしたのを求めているのなら、自分で用意した方がいいだろう。そんなこと口が裂けても、お客さんの前では言えないけれど。


 案内を渡してからしばらくして、光愛から注文が入る。件のセットを頼まれた。選んだ衣装はセーラー服。いや、メイド服じゃないんかい。


 しかも、連れのお姉さんまでも一緒に同じものを注文してきた。


 メイド喫茶なのに、お着替えメニューでメイド服が選ばれない。こういう時に思う。メイド喫茶とは?


 仕方なしに私は未だに邪魔な被り物をしたまま、準備に取り掛かる。


 お着替えセットがあるとはいえ、お客さん用の更衣室なんてものはない。そのため、トイレが更衣室として扱われる。マットを敷き、姿見すがたみを出し、着替えを入れたカゴを出す。準備ができたら声をかける。


 不思議なもので動いていると、私が今、置かれている状況を忘れられた。このまま乗り切れるのではないだろうか。そう思えてくる。


 いや、油断は禁物。気を引き締め、準備ができたタイミングで声をかける。


 2人同時に注文したことから、どちらが先か尋ねると、光愛が先に着替えるとのこと。


 バレてはいけない相手が個室に入り、視界から消えたことで、ホッと一息つく。


 被り物だって取っちゃう。ぷはっ!


 着替え始めたばかりだから、しばらくは出てこないだろう。


 外気がいきさらされたことで、解放感と同時に、多量の汗を感じる。冷房のせいか、いやに冷たい。


「あれ、うどんちゃん。やめちゃうの?」

「やめちゃうのって、さっき不評だって言ってたじゃん」

「そうだけど、なかなか似合ってたよ」

「嬉しくない! 似合うもなにも、誰が被っても一緒でしょ」

「んじゃ、次、俺が被るわ」

「じゃあ、次は俺で」

「ヤです。汗の匂いぎたいだけでしょ」

「こ! これがうどんちゃんの匂い。……くんかくんか」

「俺にも取っといてください」

「いいっすよ」

「いや、よくないから!」

「いくらなら嗅がせてくれる?」

「えぇ~、いくらだろう。……逆にいくらなら出せる?」

「あぁ……百万なら出せるかな」

「どうぞ! 嗅いでください。百万ください。むしろ百万だけください」

「心変わり早っ!」

「百万あったらなんでもできるじゃないですか」

「そう?」

「そう? って、やだやだ。これだから金銭感覚が狂った社会人は」

「でも実際、車を買うので精いっぱいだよ。車種によっては高級車でなくても足らなし」

「車はいらないんでいいです。それにそもそも免許もってないし」

「なに? うどんちゃん、車いらないの? じゃあ、俺が貰っちゃおうかな?」

「なんで百万が車にすり替わってるんですか⁉」


 調子を取り戻し、快活に常連客との談笑をする。


 先ほどまで鬱々うつうつとしていたのが嘘のようだ。


 あまりにもテンションが上がり過ぎて、意味もなくスカートを翻した一回転を披露ひろうしてしまうほど。

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