第3話

 酔っ払った女性の言う通りに道を進んでいくと、お店に到着した。お店は居酒屋の2階にあり、建物と建物の間の狭い道に出入り口がある。


 建物の前に着いた時、1階が彼女のお店かと思ったが、違った。中に入るとL字型の階段がある。入ってすぐだと壁しか見えず、先がどうなっているのかわからない。


 道は狭く、手すりすらない。バリアフリーとは縁遠えんとおそうだ。老人や身体障害者にこの階段を上るのはこくだろう。ぱらいに肩を貸している俺も、その例外ではない。


「ここまででいい。ありがとう。助かったよ、少年」


 階段を上る前に、女性はみずから俺から離れ、自身の力のみで上り始める。ふらふらな足取りで、いつ階段を踏み外すか不安しかない。もしもの時のため、彼女の背後で構えながら進んだ。


 何事なにごともなく上り切り、俺の心配は杞憂きゆうに終わった。ようやっと、店内に入る。


 内装は喫茶店に近い。テーブルやイスが並べられ、落ち着いた雰囲気がある。だが、カウンターには数えるのも嫌になるほど多くの酒瓶が並べられていた。


 喫茶店であると同時に、居酒屋でもあるようだ。


「そこの丸いテーブルのところに座ってくれ」


 言われた通り、俺は腰を据える。女性はカウンター奥にある蛇口じゃぐちから出る水をグラスに入れ、それを飲み干す。


 それから俺にも水を持ってきてくれた。メニューも一緒だ。心なしか、先ほどより足取りがしっかりとしているように感じられる。


「お礼になにか食べていくか?」

「いえ、結構です」


 酔っ払いに料理をさせるなんて不安しかない。下手したら光愛以上だぞ。


 以前、光愛には料理をお願いしたことがあるが、換気扇は回さない、猫の手は忘れる、スマホでレシピを見ながら。と、不安要素全開だった。


 この女性は料理しなれているだろうから、光愛のようにはならないだろう。だが、無意味にしてもらう必要はない。お腹が空いているわけではないしな。


「それじゃあ、さっそくだけど、始めようか」


 どこからともなく取り出したノートパソコンを開き、話を切り出してくる。先程の酔っ払った姿が嘘のように真剣な眼差しだ。それはまさに、仕事人間とでも言えばいいのだろうか。


 まだ社会に出ていないため、わかるはずもないのに、それでも感じるものがある程、熱心さが伝わってくる。ここにいることが場違いな気がして、緊張が走る。


「まず、私はこのお店の店長を勤めている、えだまめだ。えだまめ、といのはこのお店での名前で本名ではない」


 酒のつまみを自身の名前にするなんて、よっぽど好きなんだな。


「そう硬くならないで。あたり触りないことしか訊かないから」

「はい……」

「まずは、そうだな。……歳は、いくつ?」

「高校2年生……17歳です」


 年齢を訊かれているのに、高校生であることを言ってしまい、慌てて本来の答えを言う。


「高校生ね」

「ダメですか?」


 高校生の募集はしていないのかと焦るも、思い過ごしだったようだ。


「いや、全然。親や学校の許可は?」

「もちろん、取ってます。……けど、ここって、どんなお店ですか?」

「あぁ〜、ごめん。先に話すべきだったね」


 手のこうを額にあて、完全に失念していたとばかりに真剣だった表情をくずした。その様子を見て、内心ないしんほっとする。自分以外の誰かがミスすることで、ミスする事自体は珍しくない。


 そう思える。別に自分のしたことがなかったことになるわけではないけど、ほっとしてしまう。より立場が上の人なら尚更なおさらだろう。


 ただ、考えてみれば本来は求人票を見てから応募。それから面接なわけだから、彼女が失念しても仕方がないかもしれない。


 おかしいのは本来のルートで応募をしない俺の方だ。


 弛緩しかんした面持ちで、女性が店長を務めるお店について説明を受ける。


「メイド喫茶なの」

「……は?」

「ここはメイド喫茶ルル・アモーレ。通称、ルルアモ。メイド喫茶というのはおかえりなさいませ、ご主人様。ってやつ。聞いたことぐらいはあるでしょ」


 そうあって欲しいとばかりに言ってくる。そう言われてしまっては聞いたことないとは言えないよな。


「聞いたことはありますけど……俺、働けるんですか? 男ですよ?」

「キッチンならね。……嫌?」

「いえ、ただお店に入るのは初めてで。こんな感じなんですね」

「まぁ、お店によるかな。カウンターしか席がないとこ、ライブをやるとこ、時間に応じてお金がかかるとこ」

「……ここは?」

「今言ったことはどれもない。他のとこに比べれば安く利用できる。その分、スタッフの給料も安いけどね。比べてみると面白いよ」

「……そうですか」


 比べてみると、の部分が俺をこの世界に引き込もうという思いが透けて見え気圧けおされる。それが伝わったのか、さっきまでの勢いが消え、一歩引いた態度に変わった。


「やめとく? お金を稼ぎたいだけなら他にいっぱいあると思うよ」

「いえ、大丈夫です。困ってるとわかってて引けません」

「お人好しだねぇ。なんか悪いことしたかな」

「気にしないでください。早くバイト先を決めたいですし」

「ふ〜ん。なんでバイトを? お小遣い稼ぎ?」

「それもありますけど、うち、片親で。少しでも家計を助けたくて。妹や弟はまだ小さいですし。すみません、こんな話」

「気に入った」

「え?」


 イスから立ち上がり、前かがみになって両掌で俺の手を握りしめてくる。柔らかく、すべすべな手に包まれる。突然の動きに驚きだ。好意的なのは嬉しいが。


「大した足しにならないかもだけど、うちで働きな」

「ありがとうございます」

「それで、料理の経験は?」

「軽いものなら小学生から。最近は家庭の事情でほぼ毎日」

「なるほどね。じゃあ、早速、作ってみてくれる?」


 そこからは早い。完全に酔いはめているのか、手早い動きでキッチン業務について教えてくれた。


 レシピを渡され、材料や調理器具の場所を教えられ、主要メニューをいくつか作った。


「よし、合格。しばらくは研修ということで私と一緒に入ってもらうから。どのくらいシフトに入れそう?」

「土日祝日のみになりそうですが、大丈夫ですか?」

「うむ、大丈夫。ゆくゆくは1人でキッチン回してもらうから頭に入れといて」

「わかりました」

「早速だけど、今日から入れる? そうだな……5時から9時までで考えてるけど」

「大丈夫です。……あぁ、一応、親に連絡いれてみます」

「そうだね。その方がいい。まさかメイド喫茶で働くなんて思っていないでしょうし」

「……そうですね」


 母さんにありままを話すと驚かれた。ただ経緯いきさつを話すとむしろ納得のようで、「頑張って」と激励げきれいをもらった。


 それから開店までレクチャーを受け、本日勤務のメイドが出勤する時間となった。

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