第8話

「お願いします」

『はーい』


 オーダーされたオムライスを手早く作り、メイドに提供をパスする。


 バイトは、まだ試用期間ではあるも、れたと言っていい。以前までは店長にうかがうこともあった業務も、今はほとんどなくなった。


 ただそんな中でも慣れないことはある。


純慶すみよしくん、今日は猫さんがいいな」

「それじゃあ、私は犬さん」


 メイド喫茶の休憩きゅうけいはキッチンがまかないを作ってからなのだが、どういわけか皆、オムライスを注文し、俺に絵を描いて欲しいとせがんでくる。


 本来、メイドがサービスとしてお絵描きをしているわけで、賄いでそれをする必要はない。


 だというのに、どういうわけか、その依頼が俺のところにやってくる。


 頼まれた以上、やらないわけにはいかない。決してうまいわけではないのに。


「わーい。ありがとう、純慶くん」

「いえ、喜んで頂けてよかったです」


 別に時間的にも気持ち的にも余裕よゆうがないわけではない。


 だから嫌ではないのだが……こんなところ光愛に見られたらなんて言われることやら。そう考えると、本当に光愛がバイトに採用されなくてよかった。


 ただまぁ、それにしても……。


「どうして光愛みなは不採用なんですか?」


 店長がキッチン――客から見えない場所に来たタイミングで訊いてみた。すると、首を傾げ、怪訝けげんな顔をみせた。


 誰のことを言っているのかわからないのだろう。


「ん? 光愛?」

「小さくてピンク髪の……」

「ああ、あの子か〜。っていうか、純慶くんの知り合いだったのか」

「ええ、まぁ。それで理由はなんですか?」

「いや、まぁ、なんというか。見た目はかわいいし、採用したい気持ちはあったんだけどな。言いづらいんだが、私の中でダメってささやくんだ。……なんでだろうな……?」


 この人、実はすごい人なんじゃないだろうか。


「だが、まぁ、そうか。純慶くんの知り合いで推薦すいせんできるというのなら、今からでも採用するのはありかもしれないな」

「いえ、全然そんなことありません」

「そうか? でも、知り合いなのだろう?」

「知り合い。ですが、推薦はできません」


 絵を描いて欲しいとせがまれている姿を見られたくないというのはもちろん。光愛の失態しったい土下座どげざ勘弁かんべんだしな。


「そうか。だが、どうして理由が気になるんだ?」

「いえ、なんとなく」


 落ち込んでいたことを話そうかと思ったが、そしたらまた採用しようという話になりそうだ。


 くべきではなかったかな。




「おかえりなさいませ、お嬢様」


 お嬢様――女の客とは珍しい。


 メイド喫茶は若い女がウエイトレスをしている性質上、男の、それも、20代や30代が多い。


 とはいえ、お嬢様がまったく来ないというわけではない。割合としては全体の1割にも満たないだろう。


 メイドに料理をパスする際、客が見える場にでる。その際にその顔をおがんでみる。


「純慶さん」


 光愛だった。今さっき、お嬢様として来店されたのは光愛だった。彼女は恥ずかし気もなく、こちらに向けて手を振ってくる。


 数少ないお嬢様がキッチンの俺に手を振ってくるものだから、他のお客さんの視線が痛い。


 別に気にしなくてもいいかもしれない。むしろ、手を振り返し、自然に振る舞ってもいいだろう。知り合いなのだから。


 このことを想定していなかったため、どうすればいいのかわからない。


 結局、手を振るとまでいかなくとも、軽くてのひらを見せ、キッチンへと戻ることにした。




「お嬢様方、ご来店は初めてですか?」


 わたし、園田そのだ光愛みなは純慶さんがメイドさんとイチャコラしていないか気になり、様子を見にやってきました。


 バイトは不採用となってしまったけど、なんてことはありません。


 お客として来ればいいのです。わたしはこれを親友の加奈愛かなめちゃんに言われて気づくことができました。


 本当ならば加奈愛ちゃんと来たかったけど、陸上の大会が近いからと断られてしまいました。


 だからといって、1人で来る勇気はなく、わたしの隣にはお姉ちゃんの結愛ゆあがいます。


「はい。初めてです」

「初めて? お二人とも?」


 2人して頷いて返します。


 ただ、お姉ちゃんに関しては、先日、メイド喫茶とはなんたるかを語っていたのを思うと、本当なのかは怪しいところです。


 ちなみに、わたしは面接の際に来ましたが、あれはノーカンでしょう。


「わかりました。それではメニュー説明をさせていただきます」


 つっかえつっかえの、慣れているのだか、いないのだが、よくわからないメニュー説明を受け、メイドさんが一時的に去ってからカウンターに目を向けると、純慶さんがいました。


「純慶さん」


 嬉しさのあまり、声を掛け、手を振ると、素っ気ない感じに掌をこちらに見せ、待てのポーズをしてからキッチンがあるであろう奥へと姿を消します。


 なんでしょう。わたしはいったい、なにを待てばいいのでしょう。まだ注文をしたわけではないため、料理を待つわけではないでしょうし。


 そう考えると……は!


 そういうことですね。これは盲点。


 純慶さんはわたしがお店に来ることを見越して準備をしてくれていたということですね。


 わかりました、純慶さん。待ちましょう。


「え~っと。どれにしようかな。やっぱり、最初はオムライスかな? 初めてだし」


 初めてであることを強調し、オムライスを注文しようとしている、お姉ちゃん。わたしはそれを制止し、意図を伝えます。


「待って。お姉ちゃん。注文する必要、ないみたいだよ」

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