第6話
「どうしてこうなったのかしら」
紺藤さん家で料理を習うことになった初日。
キッチンには見るも無残な光景が広がっています。
焼く前特有の光沢を放っていたはずのハンバーグはちょっと焦げちゃったでは済まされない程に真っ黒。
それに呼応するかのようにキッチンに物が散乱しています。
また、それとは別に、電子レンジはもわーっと黒くて嫌な煙を吐いています。
――時は遡り、わたしは紺藤さん家にやってきました。
「本日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね。早速だけど始めましょうか」
約束通り、紺藤さんに料理を習いに来ました。
紺藤さんを先導にキッチンへと向かいます。
本日は初日でわたしがまったくと言っていいほど料理をしたことがないため、早めに始めます。
「それじゃ今日はハンバーグオムライスを作りましょう」
「はい! ……でも、紺藤さん。ハンバーグにオムライスなんて、初めてにしては難易度が高くないですか?」
「そうね。でも、光愛ちゃん。大丈夫よ。私がついているんだから」
「確かに。そうですね」
リアナちゃんの話によるところ、紺藤さんは数々の料理人を育成してきたという実績があります。
だから大丈夫です。
わたしは安心して大船に乗った気持ちで料理を始めることにしました。
「それじゃまずはハンバーグを作ります。玉ねぎをみじん切りして炒めます」
「紺藤さん。玉ねぎが目に染みて大変です」
「そこは気合いよ。自分が作った料理を大好きな人に食べてもらうことを思えば大したことないわ」
紺藤さんは意外と根性論を語る人です。
わたしは言われた通り気合いを入れます。
主に目に。いわゆる目力というやつです。
玉ねぎを睨みつけるかのように眼を飛ばして、真っ向から挑みます。
「光愛ちゃん。顔が怖いわよ」
「玉ねぎはわたしたちの敵です。敵を睨んでもなんら問題ないと思います」
「その敵をこれから食べるということを忘れないでね」
「大丈夫です。まさにわたしたちはこれから捕食者になろうとしています」
「そう言われるとなんだか私たちが悪者のように聞こえるのは気のせいかしら。むしろ私たちが敵のように思えてきたわ」
わたしはニヒルな笑みを浮かべながら、玉ねぎと死闘を繰り広げます。
これでは紺藤さんの言う通り、私たちが悪者ではないのかと思うも、悪者も実はいい人的なことってあるじゃないですか。
だからわたしも悪者だけど、実はいい人なのです。
そうですね。今回は――
――生きるために仕方ないことなのです。
改めて言うことじゃないかもしれないけど、当たり前なことだからこそ、明言しておく必要があります。
紺藤さんから半場呆れた視線を向けられているような気がしますが、気にしません。
気にしたら負けです。
何に負けたって?
それはもちろん。玉ねぎにです。
「それじゃ次は今切った玉ねぎを
「はい!」
わたしは元気よく返事をしてから、又もやニヒルな笑みを浮かべて料理を続けます。
「まだ続けるの?」
「えっと……ダメ、ですか?」
「ダメじゃないけど、疲れない?」
「疲れます」
「じゃあ、止めましょうか。私も光愛ちゃんのそんな表情をずっと見ているのは辛いわ」
「そうですね。止めます」
紺藤さんに言われ、わたしは普段通りの顔に戻ります。
玉ねぎを炒めるのに集中すべく、握っているフライパンの取って部分にぎゅっと力を入れます。
しゃもじもしっかりと握りしめて――
「そうそう。ないとは思うけど、テレビでやってるように、片手でフライパンを持ってシャカシャカ混ぜないよう――」
――テレビでやっているのを見よう見まねで、初のシャカシャカをします。
「ちょっと、光愛ちゃん。だからフライパンをあまり動かさないで。しゃもじで混ぜればいいから」
「いいえ、ダメです。これをしないと料理をしている感がでません。紺藤さんの言う通りではただフライパンにしゃもじを擦り合わせているだけです」
「いや、いいのよ。その擦り合わせるだけで。……ちなみに、光愛ちゃん。火の強さはどのくらい?」
「もちろん、強火です。反撃の余地なく、敵たる玉ねぎをあぶる必要があります」
「光愛ちゃんは今、料理をしているんだよね。別に玉ねぎを痛めつけるためだけにしているんじゃないのだよね」
「……あ! …………そうでした」
「いや、いいのよ。思い出してくれさえすればそれでいいのよ。とりあえずしゃもじを持ったまま頭に手を載せないで。危ないから」
「そうですね。……って! 熱い! しゃもじに付いてた玉ねぎが手に落ちて来て、熱いです」
「光愛ちゃん。落ち着いて! しゃもじを持っている手をブンブン振らないで! 玉ねぎが! みじん切りになって細々とした玉ねぎが飛び散るから止めてぇ~!」
玉ねぎの反撃(わたしの自業自得)にあっている間に、炒めていた玉ねぎは見るも無残なほど真っ黒に焼きあがっていました。
「これで玉ねぎは完成ですね」
「いえ、玉ねぎはやり直しよ」
結局、玉ねぎを炒めるのは紺藤さんが手本を見せると言いつつ、すべてやってしまいました。
「なんだか、すみません」
「いいえ、いいのよ。初めてだししょうがないわ。気を取り直していきましょう」
「はい!」
「それじゃ、次は色々と混ぜ合わせます。パン粉、牛乳、さっき炒めた玉ねぎ。ひき肉、塩コショウ、マヨネーズ……光愛ちゃん。たまごを割ってくれるかしら」
「はい! もちろんです!」
わたしの料理のできなささに呆れて、もうなにも任せてはもらえないと思っていました。
ですが、紺藤さんはちゃんとわたしに料理の指示をくれました。
これはもう失敗することは許されません。
細心の注意を払ってたまごを手に取り――
ツルリ!
パカッ!
――たまごを床に落としてしまいました。
「すみません」
「いいのよ」
謝るわたしに寛大な心で許してくれる紺藤さん。
床に落としてしまったたまごを一緒に拭いてくれました。
「もう一度やってみましょう。今度は落とさないようにね」
「はい!」
「あと、ボウルに直接入れないで、まずはこの小皿に入れてね」
「はい!」
カシャ!
今度は床に落とすことなくたまごを割ることはできました。
割ることはできたんですけれど、
手はべとべと。黄身は殻で傷つき、白身に侵食しています。
「大丈夫よ。殻を取り除けばなんてことないわよ」
「……そうですね」
紺藤さんはわたしを元気づけようとしてくれるも、まともにたまごの殻を割ることもできないという事実に落ち込んでしまいます。
殻をひとつ、またひとつと取り除いていき、すべての殻を取り除き切ってから、一歩下がります。
そんなわたしの様子からもう料理をしようという気がないことを察してくれたようで、紺藤さんはなにも言いませんでした。
紺藤さんは慣れた手つきで材料を混ぜ、ハンバーグの形にします。
わたしはただその様子をボーっと眺めるだけ。
「今日はもうお仕舞にしましょうか」
わたしはなにも言わず
「それじゃ光愛ちゃん。ご飯を温めてくれる?」
「ご飯?」
「そう。お願いできる?」
「はい! 任せてください!」
もうわたしにはなにもできることがないと思っていましたが、ご飯を温めるだけならなんてことありません。
電子レンジに入れてボタンを押すだけです。
まだわたしにできることがありました。
言われた通りわたしは嬉々としてご飯を温めることにします。
その間、紺藤さんはハンバーグを焼くのに手が離せません。
わたしは言われた通り――
――以上のことをしようと、ただ温めるだけではダメだと、周囲を見回してなにかないか考えます。
そうして見つけたのは銀紙で包んで電子レンジで温めるという画期的な方法です。
そうすることでよく温まるはず。
おそらく誰も思いつかないことでしょう。
パパ、お姉ちゃん、はもちろん。
ママだってやっているところを見たことがありません。
紺藤さんがハンバーグを焼いている間に温めてしまいましょう。
そうしてわたしは銀紙でご飯を包み、電子レンジに入れて、温めボタンを押します。
ピッ!
という電子音が鳴ってから
ブオー!
と音を立てます。
温め過ぎてはいけないと思い、しばらくガラス越しに様子を見ます。
すると温まってきたのか、煙が立ち上り始めました。
それはどういうわけか不穏にも黒煙に……!
「ちょっと! 光愛ちゃん! 電子レンジを止めて!」
紺藤さんの声に押されるようにして、わたしは電子レンジを止めます。
気づけばキッチンでハンバーグを焼いている最中だったはずの紺藤さんはその場を離れ、わたしのすぐ傍まで来ていました。
その距離、数m。
電子レンジを止め、扉を開くと、もわーと黒煙が立ち上ります。
火事になるとまでは、また電子レンジが壊れるとまでは、いきませんでしたが、あのまま動かし続けていたら大変でした。
「……すみません」
「まぁ、なんであれ、火事にならなくてよかったわ」
そうやって2人して安心しているのもつかの間。
紺藤さんはハンバーグを焼いていたにも関わらず、電子レンジを止めに入ってきたわけですから。
ハンバーグの焼き加減をみる者がいなくなった結果。
ハンバーグを焼いているフライパンからもイヤな黒煙が立ち上る羽目になってしまいました。
紺藤さんは静かに火を消し、ハンバーグの焼き加減を確認します。
「とりあえず、カップ焼きそばでも食べる?」
紺藤さんが死んだ魚の目でそんなことを言ってしまう始末です。
わたしのせいじゃないもん。
……なんて言える状況ではありません。
「そうですね。そうしましょう」
「
紺藤さんはトボトボと今にも倒れてしまいそうにふらつきながらも、歩いてリアナちゃんを呼びに向かいます。
なんだか悪いことしたな、と落ち込むばかりです。
「なに? これ?」
当然の反応をするリアナちゃん。
「今日はもうカップ焼きそばで済ませましょう」
リアナちゃんはなにか言いたげだけど、空気を読んだようで、なにも言わず紺藤さんがキッチンの棚から取り出してきたカップ焼きそばを取り、食事の準備を始めます。
食事の準備と言っても、カップ焼きそばは色々と入れて、お湯を出してかき混ぜるだけなんですけどね。
本来なら紺藤さんの手を借りて自分で作った料理を食べる予定だったのに。
申し訳ない気持ちと、こんな料理とも言えないカップ焼きそばを食べることになった落胆とが合わさって、落ち込むばかりです。
そうして食べる段になり、リアナちゃんにツッコまれます。
「光愛ちゃん。ソースは?」
紺藤さんとリアナちゃんがカップ内にある焼きそばにソースをかけているにもかかわらず、わたしは2人よりも早く1口目を食べようとしている時でした。
言われたわたしは気付きます。
「後入れだったんですね。先に入れちゃいました」
「あぁ~」
とりあえずとばかりにわたしは食べてみます。
当然、味が薄くて食べられたもんじゃありません。
それからわたしは紺藤さん家で料理をすることはありませんでした。
わたしが料理をできるようになるのはいつになるのでしょうか。
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