第30話

 女の子に引っ張られ続けて到着したのはピアノを試遊できるエリアだった。


 手を伸ばせばぎりぎり鍵盤に届く高さ。


 イスに座れば演奏できなくはない。


 ただ端から端まではどうやっても子供の体格では手が届きそうにない。


「ちゃんと聴いててよね」


 女の子はイスに座って演奏の準備をする。


 周囲にたくさんの人がいるのも構わず、恥ずかしげもなく……まるで俺と女の子、2人だけしかいないかのよう。先ほどまで膝を抱えてうずくまっていたとは思えない。


 自身の演奏が変だという話はいったいどこにいったのだろうか。


 女の子は背筋を伸ばして堂々としている。


「いきます! 森のくまさん~お姉ちゃんバージョン~」


 曲名を言う必要はないはずなのに、元気よくハキハキと宣言した。


 ? お姉ちゃんバージョン?


 俺の疑問を置き去りに演奏を始める。


「ある~ひ おみせのなか

 おねえちゃんと やってきた

 ひとがいっぱいいるおみせ

 おねえちゃんと やってきた

 おねえちゃんの いうことにゃ

 光愛は どこにいるの

 ここだよ ここにいるよ

 ここだよ ここにいる」

「私はくまさんか⁉」


 お姉さん登場。


「お姉ちゃん、どこに行ってたの?」

「それは私のセリフだ!」


 お姉ちゃんの胸の中でわんわん泣きわめく女の子—―光愛(歌の歌詞で判明)。


 光愛は単なる迷子だったようだ。


 ただまぁ、これで光愛の様子から色々と合点がいく。


 ほとんど人が通らない階段の踊り場でうずくまっていたこと、俺が話かけても突っぱねられたこと、お店が並ぶ方を警戒するように見ていたこと、ピアノがあるところまで駆け抜けたこと。


 これらはすべて人混みが苦手だったからだ。


 しかも人見知りする性格も相まって俺のことを警戒していた。


 だが、少し俺と話すことでその警戒が解け「安易に離れて欲しくない」程度になってくれた。


「お姉ちゃん、紹介するね。この男の子は…………誰?」


 俺はずっこける。


 多少なりとも光愛に俺はどう紹介されるのだろうと期待していたが、その内容はなんの紹介にもなっていなかった。


 確かに俺はまだ名前すら伝えていないのだが……もっと言いようがあるだろう。


 俺は手本を見せるかのように自己紹介する。


「俺は白木しらき純慶すみよし。その……光愛とは、階段の踊り場で偶然出遭であって……」


 終。


 思ったより言うことがなかった。


 実際はピアノの演奏を聴いて欲しいと強引に引っ張られここにいる、わけだ。けれども、それは言っていいものかどうか迷い、躊躇ためらう。


 それを言ってしまっては光愛が怒られるのではないかと考えてしまった。


 ゆえに中途半端なところで自己紹介をぶつ切りしてしまう。


 お姉さんはそんなことを気にも留めず、自らも自己紹介する。


「私は園田そのだ結愛ゆあ。この子の姉よ。光愛が世話になったみたいね」

「いえ、そんな……」


 どこか大人っぽさを感じる光愛のお姉さん――結愛さんに俺はたじたじになってしまう。


 俺がこれから向かおうとしている。目指している先が今、目の前に実物として現れているようで眩しさを感じた。


「世話になったっていうか……この男の子はしつこくわたしに付きまとってただけだよ」

「え? そうなの?」

「うん」

「違う」

「違わない」

「いや誰だってあんな人気ひとけのないところでうずくまってたら放っとけないだろ!」

「わたしなら放っとく!」

「薄情だな!」

「放っといて欲しいの!」

「そうかよ」


 軽く口喧嘩まがいなことになるも、光愛の勢いに押されて折れる俺。


 だが納得のいかない俺はケンカモード。がんを飛ばして睨みつける。


 そんな俺の態度に対抗するかのように光愛も睨み返してくる。


「どうでもいいわ」

「「えー」」


 結愛さんは仲裁に入ってくるかと俺は考えていたが、俺の予想に反し、心底どうでもよさそうに素っ気なく意見を述べる。


 俺に賛同してくれるかと思っていたのにがっかりだ。


 がっかりなのだが……。


「どっちか選んでよ。放っとく? 放っとかない?」

「んー。……それより光愛。ピアノ教室に行かなくていいの?」


 光愛が結愛さんに顔を近づけ、どちらか選ぶよう要求する。


 それに対して、一旦は考える素振りをするも、流れるように本題を切り出した。


 特別なことはなにもしていないはずなのだけれど、確かに俺と光愛の軽いケンカは完全に中断させられ、本来向かうべき方向へと軌道修正させられた。


 一見、なんてこともないことに思えることだけれど、俺にはひどく大人の対応に見えた。


「あー! そうだよ」


 ここに来た本来の目的を完全に忘れていたようで、結愛さんに言われて思い出したという感じだ。


「お姉ちゃん。早く~」


 元気よく駆け出し、数メートル先で立ち止まる。こっちを振り返ってから大きく手を振ってくる光愛。


 本当。


 演奏が変だと思われるのを気にしてしまう。は、どこにいったのやら。


 これから人前で演奏することになるのだろうに。


 結愛さんは軽く息を吐いてから俺に別れの挨拶あいさつを交わし、光愛の下へと向かう。


 その足取りは駆けることはなく、優雅だった。


 あれが姉妹の上が下にする対応か。


 俺は妹ができた時の参考にと思い、その背中を目に焼きつける。

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