第29話

 小学1年生の時の話だ。


 俺はショッピングモールに併設されているスイミングスクールに通っていた。


 きっかけは妹が産まれるから頼れる兄になろうと思ったからだ。


 建物の中に入って、父さんと母さんとは別行動を取る。


 2人は俺1人で大丈夫か心配していたけれど、どうにか納得させた。


 スクール開始まで時間がある俺は、おもちゃ売り場に向かうべく階段を上っていく。


 大抵の人はエレベーターもしくは、エスカレーターを使う中、俺は少しでも体を鍛えたいがために階段を上る。


 当然のように人気ひとけはなく、本気を出して駆けあがっても問題ないほどだ。


 だが、俺はケガをしてしまっては体を鍛えるどころではない。そのため、多少制御して上る。


 そんな時、ある女の子と出会った。


「そんなところでなにやってるんだ?」


 2階と3階との間にある踊り場。


 ここはスクールに行くときにしか通らないのだが、階段を上るのに夢中になり過ぎて……目的地であるはずのおもちゃ売り場は2階なのにもかかわらず通り過ぎてしまった。


 女の子は階段の踊り場の端で体育座りをしている。


 それはまるで、何かから逃げ隠れしているかのよう。


 半べそをかいて悲しそうだ。


「別に……関係ないでしょ」

「あ、っそ」


 女の子に突っ張める様に言われ、それに対してムキになって返す。


 関係ないと言われれば関係ない。


 ごもっともだ。


 だけれど、俺は放っておく気はなかった。


 これから兄になる身として……また、4月生まれで同級生と比べると少しばかり年上の俺は、悲しんでいる子を放って置けない。


「なにをしてるの?」

「座ってる」

「それは……わかってる。どうして隣に座る必要があるの⁉」


 女の子は1人にして欲しいのか、突き飛ばさんばかりの罵声ばせいを浴びせてくる。


 音が反響して不審に思った人が来てしまいそうで焦るも、別に悪いことをしているわけではない。


 だが、傍から見ればケンカしているように見えなくもないだろう。


 人が来たら面倒なことになりそうであるため、黙らしにかかる。


「静かにしろ。人が来たらどうするんだ」

「別にいいもん!」


 女の子は突然、バッと立ち上がると、階段を駆け下りる。


 どこへ行くのかと追いかけるも、女の子は2階の踊り場から店が並ぶ方へと覗き、様子を窺っている。


 おそらくは誰かに見つからないようにしているのだろう。


「なんだよ。かくれんぼか?」


 俺は頭の後ろで手を組み、女の子に近づいていく。


 女の子は俺のことを一睨ひとにらみしてから再度、お店が並ぶ方へと視線を向ける。


 しばらく思案する素振りを見せてから階段を上り、元の2階と3階の間にある踊り場の床に腰を下ろす。


 言葉のキャッチボールが成立せず、俺にとっては楽しくない状況であるはず……にもかかわらず、俺はどうしても放って置けず、再び女の子の隣に座った。


「なにがしたいの?」

「それはこっちのセリフ」

「あんたには関係ない。それになにがしたいのか聞きたいのはこっち!」


 力強く、あっちへ行け! と言うように言われ、多少傷つきつつも、逆の立場だったらと考え反省する。


「なんか……すまん」


 俺が謝罪したことで女の子は落ち着いたのか、突っぱねるような言い方をしなくなった。


「そうだよ。わたしは悪くないもん」


 自分は悪くないと言いつつ、抱えた足に顔をうずめ、悪いことをしてとがめられた時のような顔になる。


 必死に顔を隠そうとしているようだけれど、隠しきれてはいない。


 表情に覇気が感じられず、とにかく元気がない。


 だから俺は、どうして元気を失くしているのか、何について自分は悪くいないと言っているのか、まったくわからないけれど、ただただ女の子を元気づけるべく、


「そうだな。おまえは悪くない」


 頭の上に手を載せ、優しくでてやった。


 手をはね避けられることを覚悟していたが、そんなことはなく、女の子はただされるがまま受け入れた。


 撫でるのを止め、顔を覗く。


 女の子は変わらず悲しそうだ。


 理由は相変わらずわからない。


 そこで俺は間を持たせたいがために自分の話をする。


「今度、妹が産まれるんだ」


 突然と始めた自分語り。


 女の子は聞いているのかわからないけれど、俺は語り続ける。


「兄になるということ、妹ができるということが正直どういうことなのかわからない。家族が増えることはきっと、友達が増えるのと同じくらい良いことで喜ぶべきことなんだと思う」


 滔々とうとうと女の子が聞いているのかわからないけれど、プールで泳ぐように、階段を上るように、自然と自分の気持ちを吐露する。


「だけど、本当のところはわからない。俺は嬉しいのか、喜んでいるのか……父さんも母さんも嬉しそうに語るもんだから、俺も嬉しそうにしちゃう。さも楽しみしているかのように、頼れる兄になりたいから体を鍛えるために水泳を習いたいと自分から言い出したけど……本当に俺自身がそうなりたいのかわからないんだ。それでも水泳に熱中していると忘れられる。ごちゃごちゃ考えなくて済む」

「……わたしは考えちゃう」


 声がして女の子の方を見ると、目が合う。


 女の子は目が合ったことを恥ずかしがるように視線を反らし正面を向いて、口元だけ抱えた足にうずめて語りだす。


「わたしの場合は水泳じゃなくてピアノだけど、どう見られているのか考えて……今みたいに逃げ出しちゃう」


 救いを求めるように座ったまま床に手がつくほど前屈みになり、上目遣いで訪ねてくる。


「わたしの演奏、そんなに変かな?」

「いや、おまえの演奏を聴いたことねぇし」


 対して俺は反射的に当然の返答をする。


 聴いたことがないのだからしょうがないだろう。っていうかなぜ俺に訊いた。


 女の子は正面を向き直り、黙り込んでしまう。


 悪いことをしたわけではないはずなのに、申し訳ない気持ちになる。


「なら、聴かせてあげる」

「え、ちょっと」


 女の子は俺の手をぎゅっと力強く握る込むと走り出した。


 後ろの――俺の方は振り向かず、前だけ見て走り続ける。


 手を繋いだままでは走りづらく、下り階段なんか足を踏み外してしまいそうになるも、なんとかそうならないようにうまく回避する。

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