第28話

「約束通り、ノートを見せてあげるね」

「おう。サンキュ」


 光愛みなが熱を出してから数日後。


 昼休みの学校の教室にて、約束していた通り、俺はカナメからノートを借りる。


 翌日すぐにノートを借りようとしたら「まだ完全版じゃないから見せられないよ」と言われた。


 完全版と称してわざわざ書き直しているあたり、ノート作成に力を入れていることが窺われる。


 俺としては試験に出題される問題さえ分かればいいのだが……。


 とはいえ、カナメのノートは見やすくて、わかりやすい。それに頼っているのは確かだ。


 それに貸してもらう立場なのだから強くは言えまい。


 だが、その労力を少しは覚えることに使ってもいいのではないのだろうか。


 まだまだ高い点数とは言えないのだから。


「それにしても元気になってよかったね」

「そうだな」


 光愛の風邪は治った。


 それは今朝、カナメから聞いた話だ。


 だが、光愛は今日も、学校を休んでいる。


 カナメに「大事を取ってということか?」と訊くと「まぁそんな感じ」と、はっきりとしない回答が返って来た。


 俺がお見舞いに行ったのは1度きり。


 行ってみてわかったことだが、そもそもとして俺にできることはそんなにない。


 のちに、カナメから聞いたところ、光愛母は専業主婦で基本的に家にいる。


 また、光愛姉は大学生で家にいることが少なくない。


 頼れる家族が2人も家にいるのだから、俺にできることが皆無と言っていいだろう。


 だから俺は1度お見舞いに行っただけにとどめた。


「どうして自ら不要だと決めつけるんですか⁉」


 突然、ガラガラと教室の扉を開き、そんな突飛なセリフを吐いたのは、風邪で休んでいるはずの光愛だった。


「は⁉ 光愛? 風邪で休むんじゃなかったのか?」

「風邪ならもうとっくに治ってます」

「それはカナメから聞いているが……ならなんで朝から学校に来なかったんだ?」

「それは……それよりなんで1度しかお見舞いに来てくれないんですか?」


 まだ熱があるのではないかと見紛みまがうほどに、光愛は顔を真っ赤にさせて言った。


「なんでもなにも俺が行く必要ないだろ。光愛の母親や姉が家にいるわけだし」

「それは……そうですけど、心配じゃないんですか?」


 どうやら光愛は俺が1度しかお見舞いに行かなかったことが不服のようだ。


 とはいえ、俺は別に心配じゃないから1度きりのお見舞いで済ましたわけではない。


 それは光愛母や姉が家にいるからというのもそうだが、そもそもとしてそんな重病ではない。


 そう。それは。


「ただの風邪だろう」


 途端。


 光愛は呆気に取られた顔をしてから、思案する素振りを見せ、次第に柔らかい笑みを見せて言った。


「確かにそうですね」


 納得してくれたようだ。


 ただの風邪とは言ったけれど、風邪は万病の元と言うし。


 医師から診断を受けたわけではないから風邪だと断定はできない。


 けれども、俺がお見舞いに行かなかった言い訳をするのに、わざわざ余計なことを言う必要もないだろう。


 幸い、光愛は気付いてはいないようだし。


「それにしても、どうして治ったのに学校に来なかったんだ?」


 光愛が自分の席に着くのを見計らって、俺ははぐらかされてしまった質問を再度した。


 俺がお見舞いに行くのを待っていたとはいえ、風邪が治ったのに学校に来ない理由にはならないだろう。


「それは、ですね……」


 訊いてはまずかったか、光愛は言葉を詰まらせている。


 そんな光愛に代わってカナメが答えた。


「恥ずかしかったんだよね」

「ちょっと! 加奈愛ちゃん!」

「お姫様抱っこしてもらったり、全裸を見られたり……数々の醜態しゅうたいさらしてしまった光愛は純慶くんと顔を合わせづらかったんだよね」

「うぅ~。加奈愛ちゃんどうして言うかな~」

「いいじゃない。減るもんじゃないし」

「なんだ。そんなことか」

「そんなことじゃないですよ。わたしにとっては一大イベントです」

「だからって、学校をサボってもいいってことにはならないよな」

「うぅっ!」


 光愛は悲痛な顔でうついてしまう。


 なんだか説教くさいことになってしまったが、止むを得まい。


 俺だって別に光愛を苦しめようとしているわけではない。


 光愛は俺にとって大切な恋人だ。


 そんな恋人をいじめて楽しめるわけがない。


 とはいえ、甘やかし過ぎていいわけでもない。


 だからこそ俺は言う。


「事実として光愛は試験の成績が良くないんだ。その分、出席することでポイントを稼ぐ必要がある」

「……はい」

「体調不良で授業に参加できないのはわかる。無理に出席して体調をこじらせたり、他人に移してしまったりすることを考えれば休むことは決して悪いことじゃない」

「……はい」

「だけどな、光愛」


 一呼吸おいてから、恥ずかしさゆえに光愛をまっすぐ見れず、顔に熱を感じながら言う。


 光愛は怪訝けげんそうに俯いていた顔を上げ、俺に向けてくるもんだから尚更、恥ずかしい。


 だが、俺は自分の気持ちをただまっすぐに表明する。


「光愛がいないと俺が寂しいんだ」

「!」

「時間は有限で、一時一時が大切なんだ。俺はそんな貴重な時間を少しでも長く、光愛と一緒に過ごしたい」


 俺はただただ素直な気持ちを吐露しただけだというのに。


 光愛は間に挟んでいたはずの机を素早く回り込み、歓喜のあまり俺に抱き着きにかかってくる。


 瞬時に俺は机などが光愛に当たらないよう避け、正面から抱き留めた。


 光愛は腕を俺の首に巻き付けてくる。座っている状態で抱き着かれたことで光愛のおしりは、俺の膝の上に乗っている。


 女の子らしい柔らかい感触を全身に抱き、甘い香りが鼻孔びこうをくすぐる。


 力強く抱きしめてくる光愛。


 俺はその気持ちに応えるかのように抱きしめ返した。


「純慶さんと恥ずかしいことをしたのを理由に学校を休んでしまいすみませんでした」

「……おう」


 自分からそんなことを理由に学校を休むな。


 なんてことを言っていたはずなのに、こうもはっきりと光愛から言われると、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「わたしも純慶さんと同じ気持ちです」


 光愛は俺の肩に載せていたはずの顔を離し、幸福感に満ち満ちた瞳をまっすぐ俺に向けて言い放っていた。


「末永く一緒にいましょう」


 言い終えた途端。


 教室内に歓声が巻き起こる。一種のお祭り騒ぎだ。


 ある者は指笛を鳴らし、またある者は黒板に「祝! おめでた!」とチョーク全色を使った可能な限りのカラフルで書き、歓声や拍手が巻き起こる。


 それからしばらくの間「光愛のお腹には俺の子がいる」という噂が学校中に広まった。


「すみません。純慶さん。わたしのせいで」

「いや、光愛のせいじゃないだろ。誤解を招くようなことを言ったのは確かだが、それを子供ができたと勘違いしたのはクラスの奴らだし」


 その後、俺、光愛、カナメで誤解を解きに回ったが「2人ができてることに変わりはない」ということで子供はできていないことを理解してもらったが、それ以上の熱を収めることはできなかった。


 まぁ、なにはともあれ、幸せな日常は続いていく。……と、いうことで。

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