第16話
「プールだぁぁぁぁああああ」
とある娯楽施設にあるプールを目の前にして、水着に着替えた光愛が叫んだ。
「いや、そんな……海だー。みたいに叫ぶ必要なくないか?」
「いいんですよ。こういうのは気分が大事なんです」
「そうか?」
プールの授業が始まる前に少しでも光愛が泳げるようになれればと練習のためやって来た。俺と光愛の2人でだ。
その会場となったプールは、流れるプール、波のプール、ウォータースライダーがある。
現在は6月。
まだ本格的な夏ではないため、込み合っているという感じではない。
だが時期に限らず人気のある施設であるため、まばらだが人はいる。
波のプールは海の波を思い出させ、見ているだけでテンションがあがる。
流れるプールは水に浸かり、浮いているだけでも充分楽しめるだろう。
ウォータースライダーはどこのプールにもあるわけではないため、一度は滑っておいて損はない。
「と、いうことで! ウォータースライダーを滑りまくりましょう! おー!」
「いや、違うだろ!」
「なんですか? 純慶さん。ダメですよ、好き嫌いしちゃ」
「ウォータースライダーは食べ物と同列なのか⁉」
「ちなみにわたしは、なんでも食べられます。好き嫌いしません」
「そうか。それはすごいな」
「そこらへんに生えている雑草だってドンとこいです!」
「それは別の意味で心配になるから止めてくれ」
「純慶さんは雑草はダメですか?」
「ダメ、というか……食べたことないな」
「食べたことないんですか⁉」
「ああ」
「まぁ、わたしの言う雑草というのは実のところ、ニラとか、小松菜といった
「それを雑草とは呼ばないだろ」
「ということで、ウォータースライダーに行きましょう」
「結局、最初のに戻るのな」
「いいじゃないですか、別に」
「まぁ……そうだな」
「ところで、光愛は海に行きたかったのか?」
海だー。と叫ぶところを、プールだー。と叫んだことが引っ掛かり、なんとなく訊いてみる。
すると、俺のなんとなく思ったことは当たっていたようで、光愛はウキウキした様相で答えた。
「海、行きたいですね。夏休みにでも行きましょう」
すでに行く気満々の光愛。
「そうだな。でも大丈夫か?」
「なにがです?」
調子を良くしている光愛に水を差すように告げる。
こんなことを言うのは忍びないが、今のうちから釘を刺しておく。
「夏休みは補習を受ける予定だろ? 補習常連者なわけだし」
「ふっふっふ」
光愛は含み笑いをする。
「補習常連者」なんて単語を言えば「そんなことありません」と返ってくると持っていたのだが予想外だ。
まるで刺そうとした釘の先が曲がっていて、釘を刺すことを断念したような気分だった。
「なんだよ、その笑い」
「わたしはもう今までとは違うのです」
なんか言い出した。
「今までのわたしはダメでした。ダメダメでした。改心し、補習常連者を卒業します」
「……そうか」
「わー、純慶さん、信じていませんね」
「信じたいよ。信じたいけど本当に大丈夫か?」
「大丈夫です」
光愛は胸を張っている。
以前のようにパットを詰められるだけ詰め込んだ……というわけではない。
程よい膨らみと言えばいいだろうか。不自然な感じはない。おそらくは左右1つずつ詰めているのだろう。
光愛にはこの方が似合っている。
そんなことを考えていると、光愛が声高らかに断言した。
「
「他力本願だな。……っていうか、カナメにノートを見せてもらっても、数学は赤点だったんだよな」
「違いますよ、純慶さん。逆です」
「ん? 逆?」
「はい! テスト数日前から勉強を始めて、赤点は数学だけで済んだんです。これは加奈愛ちゃんのノートがいかにすごいかを物語っています。神です。加奈愛ちゃんは神なんです」
「カナメとよくケンカしているのに、本人いないところですごく褒めるんだな」
「そりゃ好きですからね」
「好きなら、なんであんな口ゲンカになるんだ?」
「わかってませんね。好きだからこそ、目の前でごきげんになられるとなんかイラっとするんです」
「なんだそりゃ」
「上機嫌に絡んでくる友達ってなんかイラっとするじゃないですか?」
「まぁ、わからなくもないけど……そこはノってやるのが友達ってもんじゃないのか?」
「片方が我慢を強いられるのはもう友達とは言えません」
「そうか?」
「そうです」
「まぁ、俺は光愛が上機嫌に絡んできたら嬉しいけどな」
途端。
プール方面に体も、顔も、そして視線も向けていた光愛が、突然バッと体を向けてくる。
瞳をキラキラと輝かせ、まっすぐ俺の瞳を捉えにかかってきた。
気恥ずかしくて視線を逸らすも、変わらず視線を向けてくる。
光愛の瞳から放たれるキラキラ星々が俺の頬に当たっている気がする。
痛くないのに……痛いと感じてしまう。
むしろ、痛々しいと言った方がしっくりくる気さえする。
光愛のそれは、言葉こそ発しはしていないが、まさに上機嫌に絡んできていると言っていいだろう。
正直うざい。
友達だったら(光愛とは恋人だが)ノってやるのが当然だろうなんてことを言っておきながら……。
「……なんかイヤだな」
「わかっていたことですが、なんかショックです」
光愛は瞳からキラキラ星々を投げかける上機嫌モードから一転、頬を膨らませた不機嫌モードへと移行した。
それと同時に光愛は体も、顔も、そして視線も、俺には向いておらず、プールの方へと向く。
無言の上機嫌なウザ絡みから解放されたにもかかわらず、まったく気分が晴れなかった。
今思えば、たとえうざくても、彼女たる光愛の熱い眼差しを無下にするべきではなかった。
そう思い直した俺は膨れっ面の光愛に今更ながら熱い視線を向けると、「もういいです」と軽くあしらわれてしまう。
光愛の機嫌を取るべく「ウォータースライダーを滑りに行くか」と誘えば「はい! 行きましょう!」と返ってくる。先ほどまでの膨れっ面が嘘のようだ。
満面の笑みを光愛は見せた。
しかも、俺の手を取り、引っ張ってくる。
もしかすると光愛はこれを狙っていたのかもしれない。
自分が不機嫌になれば、世話焼きな俺は機嫌を取るためにウォータースライダーを滑ることを提案してくるだろうと。
そう考えての行動だとしたら、光愛は甘え上手だと思う。
してやられた感はあるも、悪い気はしない。
泳ぎを練習しに来たとはいえ、別に遊んでいけないわけではない。
むしろ、プールは娯楽の場なのだから楽しんでなんぼだ。
……そもそもなんで、光愛と泳ぐ練習しに来たんだ?
ウォータースライダーの列に並んでいる間に訊いてみた。
「それはですね……わたしのナイスバディーで純慶さんをメロメロにするために決まっているじゃないですか」
「……そうだったのか」
「なんですか? その、「俺はそんなの求めていないんだが……」という顔は」
「いや、まぁ、光愛にそういうのは求めてないな」
「そんなはっきり言われると女としてショックです」
ウォータースライダーを滑るという提案で取れていた機嫌を俺は、何気ない一言で損ねてしまったようだ。
光愛は再び膨れっ面になる。
だが、これに関しては光愛にも問題があると思う。
光愛が着ている水着は小学生が着ているようなワンピースタイプ。
見た目が見た目だけに妹の愛春が隣にいるような感覚がある。
そんな光愛に大人の女性を思わされてドキドキするわけがない、か?
俺がその仕草に色っぽさを感じ、ドキドキするわけがない、か?
「? 純慶さんどうかしましたか?」
「なんでもない。それよりそろそろ順番が回ってくるが、心の準備はいいか?」
「? ウォータースライダーを滑るのに心の準備は必要ですか?」
「ウォータースライダーは人によっては怖いと思う人もいる。なによりジェットコースターなんかと同じように身長制限があるから、遊園地の絶叫系に乗るようなものだ」
俺がウォータースライダーについて話していると光愛は徐々に顔を青ざめていく。
予想外だ。
ウォータースライダーを滑りたがるもんだから、こんなことを話したところでなにも思わないと思っていた。
「純慶さん。わたし、なんだが怖くなってきました。これが刷り込みというやつですね」
「いや、違うと思うぞ」
光愛はビクついている。今にも食われそうな危機に瀕している小動物のようだ。
悪いことしたなぁと思い、元気づける言葉をかけようとするも、すぐには思いつかない。
そうこうしているうちに順番が来てしまった。
「まぁ、なんだ……死ぬな」
「余計怖いですよ」
「生きて帰ってこい」
「ああ、わたしはいつの間に死の
「自ら立ちに来たんだけどな。……まぁ、なんだ。後ろがつっかえているし、さっさと滑るぞ」
「純慶さんは鬼ですか? 鬼なんですか? いつもの優しい純慶さんはどうしたんですか?」
「あのー、滑るんですか? 滑らないんですか?」
順番が来たというのに
「滑ります!」
答えたのは俺ではない、光愛だ。
「純慶さんと一緒ならたとえそこに死が待っていようとも怖くありません」
「……光愛……」
列の後ろがつっかえているというのに、2人見つめ合い甘いムードを
光愛は悔いはないという風に満足気な表情を見せていた。
俺は光愛のその気持ちに応えるかのように強く抱き寄せる。
光愛の女の子らしい柔らかい肌と甘い香りを感じ、幸福感に包まれた。
傍から見たら明らかに迷惑だ。係の人や列に並ぶ人たちの早くしろよという視線が痛い。
だからこそ、俺は意を決して告げる。
「逝こう!」
係の人が呆れた感じにこちらを見ているが気にしない。
「はい!」
俺の言葉を受け、力強く返事をする光愛。その声に一切の恐怖は消えていた。
俺は安堵し、光愛と2人で立ち向かう。
まぁただ、ウォータースライダーを滑るだけなんだけどな。
そして、俺たちは先ほどの甘いムードの延長であるかのように体を抱き寄せてウォータースライダーを滑った。
――終えて見れば大したことはない。
生きていることへの驚きなどなく、ただただウォータースライダーを滑り切ったというだけだ。
光愛なんか、
「ぷはっ! 楽しかったですね。もう一度滑りましょう」
なんとも幸福感に満ち満ちた顔でそんなことを言う。
気づけば、数えるのも嫌になるくらいウォータースライダーを滑りまくった。
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