第9話

 コピーを取り終えてから教室に戻り、勉強中の相葉に声をかけた。


「相葉。すまんな。待たせちまって」

「大丈夫だよ。どうせ帰っても勉強するだけだし。家でする分を少しばかり教室ですることになっただけだからね」


 相葉は大丈夫だと口では言いつつも、俺が来た途端に早々と勉強道具を片し始めた。


 テキパキとしていてうかうかしていたら借りていたノートを渡し損ねそうなほどだ。


 急いで相葉に借りていたノートを渡した。


 すると流れるようにノートをカバンに仕舞っていく。


「そういえば光愛とちゃんと仲直りしなくて大丈夫なのか?」


 教室から下駄箱への移動途中で問う。


「ああ~。気にしないで。光愛とケンカなんていつものことだから」

「そうか?」

「明日になったらなにもなかったかのようにいつも通りになるから」


 そのいつも通りというのが転校してきたばかりの俺にはわからないのだが……仲良くやっていくということだろう。


「そうか。ならよかった」

「っていうかさ。なんで白木くんがそんなこと気にするわけ?」

「そりゃ、相葉と光愛がケンカしたのは俺がノートを借りたことが元凶だろ? なんか悪いな~と思って」

「ふ~ん。別に白木くんは悪くないと思うけどな……それよりさ」


 下駄箱のある昇降口にやってきたところで、相葉はくるりと回りスカートをひるがえらせ俺の正面に向き直る。


 それから後ろで手を組み、頬を膨らませて文句を垂れてきた。


「相葉って苗字で呼ぶの止めてくれる?」

「嫌なのか?」

「嫌ってゆうか……」


 相葉は口元に手をやり、考える素振りをみせてから言う。


「イヤだね」

「なんだそれ」


 なんのために考える間を置いたのかわかりゃしない。


「なんか光愛に負けた気がする」

「なんの勝負だよ」

「いいから! あたしのことは名前で――カナメって呼ぶこと! これ決定!」


 右手を高々と上げ、踊るように軽やかなステップではしゃいでいる。


 俺は別に呼ぶとは言っていないのに相葉は1人で勝手にテンションを上げていった。


「いいじゃん。減るもんじゃないし。それにもし呼んでくれたら、あたしも名前で――スミヨシくんって呼んであげるよ」

「あげるよって……別に俺は呼んで欲しいわけじゃないんだが……」

「なにおー! かわいい女子に名前呼びして欲しくないだなんて……お前は本当に男か⁉ ついてるのか⁉ ビンビンじゃないのか⁉ ドビュドビュしてないのか⁉」

「変なこと言うな! ……しょうがねぇなぁ」

「やった」


 俺が折れると相葉……もとい、カナメは嬉しそうに俺が名前呼びするのを待ち構えている。


 別に女子を名前呼びすることは大したことではないはずなのだが、俺も年頃の男子。緊張しないと言えばウソになる。


 待ち構えられていることもあり、緊張は増すばかり。


 カナメは俺の瞳をまっすぐ上目遣いで見据えてくる。


 それがなんとなく気恥ずかしくて俺は目を逸らし、小声で、


「……カナメ」


 初めてカナメを名前で呼んだ。


「スミヨシくんは可愛いですなぁ」


 カナメは小悪魔的な笑みを浮かべてから素早く靴を履き替える。


「また明日ね」


 俺に向けて手を振ってから、脱兎だっとのごとく駆けていくカナメ。


 その後ろ姿は彼女にとってなにか重要な目標に向けて進んでいるように感じられた。




 翌日。


 早朝の教室で、俺は目を疑った。


 光愛が勉強している。


 授業さえまともに受けていないのは、昨日みせてもらったノートとカナメの証言から明白だ。


「あ! スミヨシくん! おはよう」


 カナメが快活な声で俺にあいさつしてくる。


「おう! おはよう」


 その様子を光愛は不審に思ったのか、怪訝けげんそうにじろじろと見てくる。


 そんな光愛を昨日の続きとばかりにカナメがあおる。


「あたしも光愛みたいにスミヨシくんと急接近しちゃった。うかうかしてたら取られちゃうかもね」


 光愛はむーと頬を膨らませて言い返してくる。


 ……かと思ったら、机に向かって勉強を再開させた。


「どうしたんだ? 光愛」

「ん~、昨日のことが堪えたみたいだね」

「昨日っていうと、カナメに無能って言われたことか?」


 カナメは先ほどまで、あははと笑みを浮かべていたのを止め、ポカーンとさせる。しばらくしてから、クスッっと笑い、


「スミヨシくんのおかげだよ!」


 背中をバンッと叩かれた。


 特に痛いとか、そういうのはない。


 それよりも……そうか。


 俺がノートを借りたことで2人がケンカしたのだから、俺のおかげといえば俺のおかげなのか。


 に落ちないが、光愛が真面目に勉強するようになったのは素直に嬉しい。


 この調子で補習常連者を脱することを祈る。

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