第2話

 転校した高校への初登校日。


 クラスメイトから質問攻めにあった。その内容を園田そのだは聞いていたらしい。妹と弟がいること。俺が夕食の支度したくをしていること。料理中に妹と弟が近づいてきてケガしないか心配なこと。


 そういえば、兄妹はいるか。料理はできるのか。それらを聞かれたときに話したな。それを聞いた園田は助けられたお礼に夕食を作ることにしようと思い立ったらしい。園田に直接きいたら話してくれた。


「盗み聞きして、すみません」

「いや、いいんだよ。盗み聞きって言うほどでもないし。そういえば、なんで今朝は人通りの少ない商店街を歩いてたんだ? もっと人が多い通りがあるだろう?」


 商店街のすぐ近くに片側一車線の広い通りがある。人通りも多い。俺はそれを思い浮かべながらそれとなく聞いてみた。


 まぁ俺もそこを通っているわけだから人のことは言えないのだがな。


「そ! それは……」

「いや、言いたくないんならいいんだ」


 恥ずかしそうにしている園田を見て、聞いてはいけないことかと申し訳なくなった。


「私、楽譜がくふを見るのが好きで本が欲しかったんです。ただ、開店時間には早く店員さんがいないか店内をのぞいてるところにからまれてしまいました」

「そうか。それじゃ、その本を買わないとな」

「寄ってもよろしいのですか?」

「当然だろ。まぁ、あまり時間はかけないでくれよ。慶太けいた愛春あいはが待ってるからな」

「はい!」


 登校時と同じ道を歩く。商店街の書店で園田が目当ての本を買った。そのあと、料理の材料を揃える。


「なにを作るつもりなんだ?」

を作ろうかと考えてます」

「材料はなにが必要だ?」


 一般的なカレーといっても個人の感覚によるところがある。普通と同じだ。


 園田がどういうカレーを作ろうとしているかによって必要となる材料が変わるのも必然。


「お米、ルー、お肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも」

「肉以外はうちにあるな」

「そうなんですね。それじゃ、お肉だけ買って帰りましょう」

「お金は俺が払うよ」

「いえ、悪いですよ。お礼なんですから」

「俺のうちの夕食だからな。材料費を出すのは当然だ」

「……そうですか? ……そうですね」


 園田ははにかむように笑った。ピンク色の髪がかすかに揺れる。


 今朝、開店前のお店で買い物をしようとしたことといい。材料費といい。どこか抜けているようだ。


 リンゴ入りのビニール袋に加えて、肉入りのエコバッグを手にげる。もちろん、学校指定カバンも持っている。


 園田は持ちますよと言ってくれたが、女子に持たせるわけにいかない。


 商店街を抜けて保育園で弟を回収する。そこから自宅のアパートへ向かった。


「おにいちゃん。このおねえさん、だれ?」

「この人は兄ちゃんのクラスメイトで夕食を作ってくれる。園田さんだ」

「ゆうしょく……おにいちゃんがつくるんじゃないの?」

「今日はこのお姉さんが作ってくれるぞ!」

「よろしくね! 慶太けいたくん」


 クラスメイトからの質問攻めにあっていたときに聞いたのだろう。園田は弟の名前を知っていた。


「ふ~ん。あ! わんわんがいるよ! わんわん!」


 聞いておいてどうでもいいのか。たまたま通りかかった散歩中の犬に近づいていく。人懐ひとなつっこい犬で慶太にれられてうれしそうにしている。


「あら? 今日だけで会うのはこれで2回目ね」


 今朝、リンゴをくれた紺藤こんどうさんだ。いったい1日にポニーの散歩を何度しているのだろうか。


「よくいますね」

「本当にね。あら? そちらは彼女さん?」

「いえ、クラスメイトです」

「そうなの?」

園田そのだ光愛みなです」

紺藤こんどうあかりよ。こんどうのこんは紺色のこんなの。よろしくね」

「へ~。珍しいですね。驚きました」

「そうなのよ。私も初めて旦那に教えられたとき、驚いちゃった。それでね……」

「あの……すみません。妹が家で待っているので……」

「あら! そうよね。ごめんなさい。光愛みなちゃん。また今度お話しましょ」

「はい!」

「ポニーちゃん。行きましょ」


 紺藤こんどうさんには悪いが、愛春あいはをいつまでも1人で待たせるわけにはいかない。


 小学二年生の愛春あいはは俺ら高校生よりも授業が終わるのが早い。すでに家に帰っているはずだ。


 かぎを持たしているから外で待つことはないが、1人でさびしくしていることだろう。


 愛春あいはが家で待っているから急がないと! という気持ちと。慶太けいたが歩き疲れたりどこか目の届かないところに行ったりしていないか。今日初めて家に来る園田への気配りは足りているか。


 3つのことを気にしつつ家に向かった。


 慶太は元気そうに歩いている。さすが俺の弟だ。体は丈夫じょうぶにできている。心配なのは頭の方だ。はぐれるなよ。


 園田は慶太けいたのことを気にかけてくれている。荷物で手がふさがっている俺の代わりに慶太けいたの手を握ってくれた。


「ただいま」

「おかえり! もう! 遅いよ! お兄ちゃ……ん?」


 愛春あいはの元気なお出迎でむかえが心地ここちよい。


 何事もないようで一安心ひとあんしんだ。


「お兄ちゃん。そのお姉さんは誰?」

「あ~、この人は……」

「もしかして、彼女さん⁉」

「登校初日に彼女ができるなんてさすがお兄ちゃんだよ!」

「いや、愛春あいは。この人は彼女じゃなくてだな」

「お兄ちゃんに彼女。愛春あいははこれほどにうれしいことはありません!」

「だから、彼女じゃ……」

「かのじょ~」


 慶太けいたまで愛春あいはられて園田そのだのことを彼女だと言う。


「そうです! 私はお兄ちゃ……純慶すみよしさんの彼女です!」

「園田まで……いいのか?」

「子どもの言うことです。気にしないでください。それに私は……」

「でも、どうして彼女さんがうちに来たの? 親に紹介しちゃう? いくらなんでも早くない⁉」

愛春あいは~」


 俺は靴を脱ぎ、荷物を玄関に置いて、愛春あいはを追いかける。愛春あいはは背を向けて逃げ出した。


 そんなに広くないアパートの一室。すぐに捕まえ、後ろから抱きかかえて本当のことを言う。


園田そのだは彼女じゃなくて、夕食を作りに来てくれたんだ!」

「え~。彼女さんが夕食を作ってくれるの⁉ やった!」

「だから、彼女じゃ……」

「そうよ! 2人ともカレーは好き?」

「好き!」「すき!」

「お姉さんがとびっきりおいしいカレーを作るからいい子に待ってなさい!」

「「はい!」」


 なんであれ、打ち解けられているようで安心した。


 愛春や慶太が打ち解けられるか心配ではあったからな。


 ……彼女ね。悪くはない。だが、お礼としては重過ぎる。




 朝食で汚した食器やコップをかたす。そのあと、園田がカレーを作る。その間に俺は慶太けいた愛春あいはの相手をする。


 思い描いていた通りだ。


 ガシャン! ガシャン! 台所からなにかが落ちる音が聞こえた。


「園田! 大丈夫か?」

「すみません。大丈夫です」

「彼女さん。大丈夫? 愛春あいはがお手伝いしようか?」

「大丈夫よ」


 園田の方へ愛春あいはけていく。


 園田は愛春あいはのほっぺを両掌りょうてのひらはさんでこねらせ笑顔を見せた。その笑顔は心配させてはいけないと強がっているように見える。


 俺は台所から愛春あいはを遠ざけて料理を続けるようお願いする。


 台所が変わると料理しづらいと聞くが本当のようだ。まさか自分から料理すると言っておいてわけではあるまい。


 …………ないよね?


 急に心配になってきた。


 慶太けいた愛春あいはの相手をしている部屋からは園田そのだを見られない。気になりだしたら確認しないと気が済まない。


 部屋から顔を出し、そっと料理中の園田そのだのぞいてみる。


「お兄ちゃん。なにしてるの? 彼女のことが気になるの? 好きなの? ベタれなの?」


 ベタ惚れなんてどこで覚えた。だが今はそんなことどうでもいい。


 さわ愛春あいはだまらせて園田そのだを見る。もちろん、ベタ惚れだからではない。確認する必要がある。


 れない手つき。注意深ちゅういぶかく耳をますと聞こえる小声こごえいまだに回っていない換気扇かんきせん。スマホの画面を時折ときおりみる。


 ……ダメそうだ。


「……園田」


 聞こえていない。集中しているようだ。もう一度呼んでみる。


「園田!」

「はい! なんでしょう?」

「もしかして、料理できないのか?」

「そんなことはありません! この世に料理のできない女は存在しません! 私は女です! できます!」


 その理屈はおかしい。


 俺は嘆息たんそくして不可解ふかかいな点を指摘してきしてみる。


「猫の手」


 手元が見えているわけではないが、普段から料理をしていない人が忘れがちなことを言ってみた。言った瞬間にビクついた。やっぱり。


「換気扇」


 表情がくもっていく。イジメているようで気が引ける。ケガされるよりかはましか。


「スマホ」


 ひとみに涙を浮かべて表情で降参こうさんだとげる。


「わかった! 慶太けいた愛春あいはのこと見ててくれ!」

「え? でも……」

「園田が夕食を作ってくれるって言ってくれたのは俺が学校で話してたからだろう?」

「そうですけど……」

「夕食を作ってくれなくてもいい。慶太けいた愛春あいはの相手をしてくれれば俺は大助おおだすかりだ!」

「はい! ありがとうございます」


 あふれ出た涙をぬぐってうれしそうに口角こうかくをあげる。


「いや、お礼を言うのは俺の方だから……ありがとう」


 園田の気持ちが嬉しく、俺は反射的に園田の頭を撫でていた。


 園田はどこか恥ずかしそうに顔を赤らめ嬉しそうにしている。


「あー、イチャイチャしてるー」

「これはそういうんじゃない!」


 そう、これは恋人同士のそれではなく、年下に対してのそれだ。


 園田は同い年ではあるが、年下を思わせる愛らしさを持っている。


 だからこそ俺は、年下を愛でる行為をしてしまう。ただそれだけだ。




 園田そのだ慶太けいた愛春あいはの面倒をみる。俺はを作る。


 なるほどね。


 大方おおかた、普段は料理しなくても一般的なカレーなら作れると思ったのだろう。材料はスマホで休み時間にでも調べて。


 悪いがそれはケガされる前にめさせてもらう。


 できるようになったらお願いしよう。それまではおあずけだ。




 カレーが出来上がる。隠し味に貰ったリンゴをすりおろして入れた。カレー独特の匂いを漂わせておいしそうだ。


 なのだが、これから食べようとしたところで園田が帰ると言い出した。


 なにか慶太けいた愛春あいはがやらかしたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。仲良さそうに手を握り園田はそれを嫌そうにしていない。


「ママがご飯作って待ってますから」

「そうか」


 強制することはできない。


 慶太けいた愛春あいはは園田と一緒に食べたそうにしていたが、どうにか納得なっとくさせた。


「それじゃ、また学校で」

「はい!」

「彼女さん。またね。また来てね」

「かのじょさん。ばいばい」

「ばいばい」


 本当なら家まで送りたかったが、母親が帰っておらず、慶太けいた愛春あいはを置いて行くわけにはいかない。


 園田が家を出て、俺は緊張していたことに気づく。


 そういえば、女子を家に上げたのはいつぶりだろう。


 今まで水泳に没頭ぼっとうしていたからこんなことはなかった。




「ただいま」

「おかえり」


 3人分のカレーを皿に盛っていると、母さんが帰ってきた。顔を見るだけでほっとする。


 慶太けいた愛春あいはを1人でみなくていいという安心感だ。


「なに? 今日はカレー?」

「そう。

「? 一般的?」

「お母さん。お兄ちゃんが彼女さんを連れて来たんだよ」

「かのじょ~」

「彼女? 純慶すみよし。登校初日に彼女を作るなんて、いつからそんなプレイボーイになったの?」

「彼女じゃないよ。愛春あいはが勝手に言ってるだけで……」

「どういうこと?」


 母さんは怪訝けげんな顔をしながら、玄関から入って左手の洋室へと向かう。


 さっきまで園田そのだ慶太けいた愛春あいはの相手をしてくれていた部屋だ。


「……純慶すみよし

「なに?」

「学校指定カバン、2つもいるの? ていうか2つも持ってたっけ?」

「え?」


 母さんの視線の先には確かに学校指定カバンが2つあった。やっぱりどこか抜けている。


 俺は頭を抱えてその名を口にした。


「……園田。……俺、ちょっと出掛でかけてくる」


 俺は音符おんぷのストラップが付いた学校指定カバンを持って家を出る。


 園田は音楽が好きで今日だって楽譜がくふの本を買った。それに俺のはなにも付けていないからどっちがどっちのカバンかはすぐわかる。


 母さんの「いってらっしゃ~い」という気の抜けた声を背中に感じながら可能な限り急ぐ。


 まだ近くにいるかもしれない。


 アパートを出てあたりを見回す。すでに外は暗い。頼りの街灯がいとうは俺を応援するかのようにかがやいている。まぶしいぐらいだ。


「どこだ?」


 右を見る。いない。


 左を見る。いない。


 明日、学校で渡せばいいかと正面を向く。


 いた!


 ピンク色のツインテールで高校の制服。かがんでいるから気づかなかった。ただでさえ、小さいのに屈まれたら見つからないはずだ。


「園田?」

「はい! あれ? 純慶すみよしさん? どうしました?」

「どうしたじゃない。おまえがどうした。こんなところで屈んで」

「これはお恥ずかしいところを見られてしまいましたね」


 本当に恥ずかしそうにしている。今日だけでいくつ恥ずかしいところを知ったことかわからないが、今のそれはそのどれよりも恥ずかしいのだろう。


 なんたって、当人とうにんが恥ずかしいことだと口に出してしまうぐらいだからな。


「この石。音符おんぷに見えませんか?」


 俺には音符に見えなかった。はっきり言うのは簡単だが、あえて言わず、話を逸らす。


「本当に音楽が好きなんだな」

「……はい……いや……ですか?」

「そんなことはない。好きなことを好きって堂々どうどうと言えることは素晴すばらしいことだ」

「なら、よかったです」




 そのあと、園田を家まで送る。家に着くまでに園田はよくしゃっべていた。


 6歳からピアノを習い始めたこと。ピアノを父が買ってくれたこと。中学時代は合唱部だったこと。園田自身のことを多く語っていた。それはまるで自分のことを知ってもらおうとアピールしているようだった。


 園田家の前に着いてから、俺はずっと持っていたカバンを彼女に渡した。


 ずっとカバンを持っていたというのにまったく気づかなかったようで、渡すとき驚愕きょうがくしていた。


「今日はありがとう」

「いえ、こちらこそ送っていただきありがとうございます」

「……それで……よかったらだけど……」

「? なんでしょう?」


 今日、園田と一緒にいて感じた。俺には園田が必要だ。


 絶対に離れたくない! 離してはいけない!


 だからこそ、はっきりと今! ここで言う。


「園田……いや……光愛みな!」

「はい!」

「出会って初日に言うのもなんだが…………俺の彼女になってくれ!」


 俺は腰を折ってお辞儀じぎの体勢から、さらに右手を差し出す。差し出した手を光愛みなが握れば、俺たちは恋人同士になる。


 光愛みなはさも当然のように答えた。


「もちろんです! よろしくお願いします!」


 全身で光愛みなぬくもりを感じる。


 光愛みなは俺の手を握らずに抱きついてきたのだ。普通なら差し出された手を握って応えるだろうに。


 やっぱり、光愛みなはどこか抜けている。

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