3、聖女、出立す

 ベアトリーチェは魔法の大天才である。


 その絶大なる魔法の素質は、生まれながらにして、、とまで言われ「しかも土足でズケズケと踏み込んでるよね」とか「だって、神様もう涙目だし」とか「っていうか、聖女様が神様なんじゃね? 」とか言われたりするほどだった。


 要するに彼女は、この世で唯一、ほぼ無尽蔵むじんぞうの量と大きさの魔法を使える存在なのである。


 もちろん代償はある。


 あまりに強大な力を一度に使えば、その反動で身体が壊れてしまうのだ。


 それが、魔王と魔王軍を、、となれば、おそらくは身体だけでなく魂ごと砕け散ってしまうだろう。


 聖王国セルドニアが、いや、第17代国王ミルグレストが聖女に使わせようとする『神聖究極魔法』とは、すなわちそういうものだったのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 すっかり旅支度たびじたくを整え、身軽な服装となったベアトリーチェ。


 1ヶ月前のお披露目式の時に着ていた純白の聖女服とはうって変わって、今は丈夫な黒い布地で作られた、胸元がセクシーな感じにパックリ開いた、たけも大胆に短いワンピース姿である。


 足にはワンピースとデザインをそろえた、膝上まであるロングブーツを履いていた。


「どう? 似合ってる? 」


 ベアトリーチェは、クルッとその場で回転して見せた。


 その姿を見て、アレックスは感極まったように、目にうっすらと涙を浮かべ、胸の前で両手を組み合わせ、その場にひざまずいた。


「なんと、なんとお美しい……」


「えへへ。そう? 」


 嬉しそうに笑うベアトリーチェの足元に、ズサザザザッと素早くひざ移動で近寄り、アレックスがまくし立てる。


とおととおととおとくて愛しいっ!! ベアトリーチェ様こそまさに美の化身。三界の至宝。神々しいとすら感じ…… 」


「ちょっ、分かったから! 」


「いいえ! もはや貴女様あなたさまこそが神っ!! ああ我が女神っ!! ああああああっ!! 」


 号泣していた。アレックスは両目からドドーッと滝のような涙を垂れ流しながら、ついにはベアトリーチェに向かってひれ伏したのだった。


「うっわ……さすがに引くわー……」


 ベアトリーチェのアレックスを見る目が、ゴミを見る時のそれに変わっていく。しかも乾いたゴミではなく、生ゴミとかヘドロとか、腐ってドロドロした感じのゴミに向ける視線であった。


 しかし、彼はひるまない。土下座の体勢のまま更にベアトリーチェにすり寄り、涙でベショベショになった顔をガバッと上げて懇願する。


「女神のお御足みあしに口づけを!! 」


「ヤダァアアッ!! キモイッ!! 」


「ぐはっ!! 」


 バキッ!


 ベアトリーチェはアレックスの鼻先を、その丈夫なブーツの爪先で素早く蹴り上げたのだった。


「ありが……とう……ござい……ます」


 ガクッ。


 アレックスは自ら流した大量の涙と鼻血の水溜みずたまりならぬ体液溜たいえきだまりに突っ伏したのであった。


 ちなみに、2人のこういったやり取りは日常茶飯事のことである。


 さて、ところで。


 アレックスが絶賛したこのワンピースは、ベアトリーチェ自らが『男受け』を意識してデザインし、腕利きの職人に作らせたオーダーメイドの逸品である。


 胸元とスカート部分、そしてブーツの側面に大小のラナンキュラスの花模様を赤く染めぬいたその衣裳は、ベアトリーチェにとても14歳とは思えないあでやかさをまとわせるものだった。


 何ゆえこのような旅装りょそうを用意したのか?


 それはすなわち、今からベアトリーチェが『アバズレの旅』に出るからである。


 ベアトリーチェは、あのアバズレ宣言をした翌日には、旅に出ることを決めていた。


 そしてその旅で、世界中のイケメンと出会って出会って出会いまくって、片っ端から、と決めたのである。


 げに恐ろしきは14歳の思い切り。


 救国の聖女となるべく育て上げられたベアトリーチェは、その押し付けられた運命に全力で逆らうため、聖女から最も遠い存在になることを決め、それを実行することにしたのだった。


 勿論もちろんのことながらベアトリーチェはあらゆる男関係についてである。


 だがしかし、14歳なのである。


 彼女の脳内は、ありとあらゆる妄想とそれに対する期待と好奇心ではち切れんばかりになっていた。


 準備は万端整った。

 いざ出立の時である。

 ベアトリーチェはワールドワイドな男漁おとこあさりの旅に出る!!


 仕上げとばかりに、美しく長い金髪をグイッとひとつに結い上げ、ベアトリーチェはかたわらで体液溜たいえきだまりに溺れているアレックスに向かって快活に声を掛ける。


「さて。じゃ、行こっか。アレックス」


 ベアトリーチェに声を掛けられた瞬間、鼻血を垂らしながらもハネ起きるようにして立ち上がり、用意していた大荷物を素早く背負うアレックス。


 そして彼はベアトリーチェの後ろに立ち、胸に手をあててうやうやしく頭を下げた。


「御意に。このアレックス、ベアトリーチェ様のかれるところなら、どこへなりともお供いたします」


「ふふ。ありがと。キモイけど」


「もったいなきお言葉」


「よーし! そんじゃ、ちゃんと王様やお城の皆に、旅立ちの挨拶をしていかないとね! 」


 ニヒヒ、とイタズラっぽい笑みを浮かべ、ベアトリーチェは駆けるようにして塔の螺旋階段を下りていった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 王と王妃は、玉座で頭を抱えながらガタガタと震えていた。


「ついに来るべき時がキタ! 」


 そんな予感がしてならなかった。


 起き抜けから朝の静寂しじまを破って、トリッキーな小鳥のさえずりが聞こえてきたかと思えば、追いかけるようにしてカウンターテナーの美声がそのさえずりと不愉快極まりないハーモニーを奏で、ついには甲高く壊れた笑い声が響き渡り、最後に爆発音。


 全て、ベアトリーチェの居る尖塔せんとうの方角から聞こえてきた音である。


 不吉でないはずがない。


 監禁というのも名目だけで、ベアトリーチェが自発的に大人しく引きこもっていただけである。


 どだい世界最強の魔法使いを監禁などしておけるはずがないのだ。


 そもそも聖女への教育は完璧なもので、意のままに出来ると思っていたのに、どこでどう間違ったのか?


「本来であれば……今日は、我が聖王国の記念すべき日になるはずだったのに……」


 王は苦し気にうめいた。


 予定ではお披露目式から1ヶ月後の今日、ベアトリーチェに『神聖究極魔法』を発動させ、一気に魔王と魔王軍を倒すつもりだったのである。


 アレックスを使って、ベアトリーチェが旅支度をしていることはとっくに分かっていた。


 聖女が聖王国から出る。


 それだけで周辺国との力関係が変わってしまう。まかり間違って聖女が聖王国以外のどこかの国に肩入れしようものなら、とんでもないことになる。


 そしてなにより、魔王軍に対しての抑止力そのものが失われることになる。そうなればこの国は…………!!


「なんとか……なんとかしなければ……」


 王はほとんど吐きそうになりながら、ヨロヨロと立ち上がった。


 その時、玉座の間の重厚な扉が、重々しい音を立てて開いた。


「ひっ……! 」


 扉の向こうに立つベアトリーチェの満面の笑みを目にし、王は反射的に息をのんだ。


「どうもアバズレでーす。お別れの挨拶にやって参りましたー♪ 」


 その能天気な声を合図に、ドサッと王は膝から崩れ落ち、その隣で王妃は天を仰いで盛大な嗚咽おえつをもらしたのだった。



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