第101話 対面

「芽依すまない」

「大丈夫です。少し驚いただけです。それより航平さん、今日から大阪だって言ってたのに大丈夫なんですか」

「俺の情報も向こうに抜けてるって……それも見せたかったんだよ、晶子は。芽依、すまない」

 

 結局迎えにきた近藤の車に乗せられて、学校近くのホテルまで戻ってきた。

 正直芽依は驚きこそしたが、航平のようにショックを受けていない。航平は完全に打ちのめされていて顔色が悪い。

 芽依はソファーに手を引いて座らせて横に座り、肩を撫でる。


「私は大丈夫ですよ。驚きましたけど、少し冷静になると、すごい演出してる人だなあ……と思い始めました」

「……演出?」

「なんでしょうか。外連味を足している……歌舞伎の登場シーンのようでした」

「芽依は晶子の恐ろしさを分かってないんだ、あいつは駄目だ、あいつは……」

「航平さんは晶子さんが嫌いなんですよ。もうそれは何年も染みついたもので、私が簡単に立ち入れることじゃない。私は今日はじめて晶子さんに会いました。たしかに威圧感はすごいですけど、頑張ってるなあと思うほうが強いです」

「頑張ってる?!」


 航平は心底驚いた……そして何より面白くて仕方ないというように手を叩いた。

 芽依は近藤が入れた美味しい紅茶を一口頂いて机に置いた。


「わざわざ真っ白なワンピース着てくるところとか、駅のホームに立ってる所とか、大きく見せようとしているなあという感じです。それにあの人は直接私に何かできない。そうですよね」

 芽依の冷静な言葉に航平はやっと落ち着いたようで、芽依の手を握った。

「そうだな。自分が直接手を下すわけにはいかない。本家の喜代美が芽依の味方だから。父親は、俺と芽依が付き合っていることを反対していないが本音は違うだろう。俺をもっと利用したいと思っているはずだ。晶子は父親が反対してると分かってるから好き放題できるんだ。喜代美が表舞台に復帰した今、晶子は崖っぷちだ。喜代美の手前、表だって動けない父親の願望を叶えたら一発逆転もある。分かるか、芽依。行っても地獄、戻っても地獄なら、人は最も効果的な地獄を選ぶんだ」

「危害をくわえても、私を排除するということですか」

「わからないから、見張ってるんだ」


 芽依ごめん……と航平は芽依を抱き寄せた。

 航平は今日から大阪で一週間ラボに籠もり、仕事をすると聞いていた。その矢先……緊急信号を受けて飛行機で帰ってきたと聞いて「悪いなあ」と思ってしまうのは、何も分かってないのだろうか。

 いや……違う、と芽依は顔を上げた。


「航平さん。晶子さんから頂いた連絡先に週末お話しましょうと連絡してください」

「芽依駄目だ。行かせない」

「こうしてお仕事があるのに来てもらうのは違うと思います」

「そんなことは気にするな!!」

「ちゃんと航平さんに全て筒抜けだと知らせた状態で、約束された場所で、安全な所で。そうじゃないとまた脅されますよ。ちゃんと話して、それでも何かしてくるなら喜代美さんを介して一言あっても良いと思うんです。航平さんが海外とかにいるタイミングで何かあったらどうするんですか? 航平さんが大阪にいたタイミングも晶子さんの狙いなんですよね?」

「芽依、でも、そんなの……」

「こっちが有利なんです。みんなが見ている場所で安全に会いましょう。私は私と付き合ってることでお仕事の邪魔をしたくないんです。それこそ晶子さんの思い通りだと分かりませんか?」


 航平は「でも」「だって」「そんな」と子どものように文句を言い続けていたが、冷静に話し続けると分かってくれた。

 そして最後には晶子に連絡を入れさせた。

 すると晶子はホテルの一室を指定してきた。

 一気に不安になった航平は芽依にしがみついて離れなくて、そのまま今日は基地に泊まることになった。

 ずっと「やっぱりイヤだ」「アイツは何なんだ」「やっぱりやめよう」「今から一緒にアメリカにいく」と駄々をこねて、まるで子どものよう。

 芽依は航平を優しく抱き寄せて眠りについた。

 静かにふりだした雨が基地を優しく包む音が響く。芽依は航平の金色の髪の毛に触れてオデコを出して、柔らかくキスをした。




 芽依に宥められた航平は次の日から大阪に向かった。航平を安心させるために芽依は一週間の間、近藤に送迎を頼んだ。


 そして一週間後……都内の大きなホテルで、芽依は航平時計を付けてそこに向かった。

 晶子には航平や他の人もこの会話を聞いていることは事前に伝えた。

 ここまですれば本当に「ただ話すだけ」なので問題ないと思う。

 航平は朝からそわそわと落ち着かず、芽依の横から離れない。手を握り抱き着いて来る。近藤曰く「仕事がかなり速く終わりまして……先方が驚いています」と苦笑していた。

 先日経済ニュースに出ている航平を偶然見たが、菅原が開発した専用タービンが特許を取得して海外展開、今一番の注目株だとキャスターが伝えていた。

 株価は急上昇、菅原最大の利益を出しているとネットのニュースでも読んだ。

 すべてを仕切っているのが航平で、若き天才と伝えていたけど……今芽依の横でダンゴムシのように丸まっている。

 芽依は可愛くて、航平の頬にキスをした。するといつもは付けていない口紅が航平の頬についてしまい、慌てて手でぬぐった。


「……すいません、口紅をしていたことを忘れてました」

「芽依。やっぱり俺もいく」

「ふたりでってお話ですし、航平さんがいくと……たぶんこじれます」

「芽依~~~~」

「晶子さんは本当は航平さんと話したいんですよ。だから私にちょっかいを出している。航平さんが行ったら、航平さんに夢中になってしまって、何の話もできない。また歌舞伎が始まりますよ」

「なんだそれは」


 そう言って少し笑った航平に、芽依は抱き着いた。


「……かえってきたら、すごく甘やかしてくださいね。三日もお休みなんて初めてじゃないですか? 実はすごく楽しみにしてました」

「うん、そうなんだ。落ち着かなくて。すぐ近くにいるから」

「はい、少し話してくるだけです。じゃあ行ってきますね」


 芽依は航平の手を握って、約束の部屋に向かった。最上階のロイヤルスイート。 

 入るのも専用のエレベーターが必要で、誰かが付き添ってないとそこに近づくことも出来ない場所だ。

 やはり逆に安全だと感じてしまう。航平には少し強がったが正直電車で接触された時は怖かった。得体が知れない恐ろしさが間違いなくあった。

 あんな風に神出鬼没されるのは、心臓に悪い。それにずっと送り迎えされているのもイヤだった。

 自分が思ったより自由を愛してるのだと思い知ったくらいだ。

 

 先導されて、スイートルームに入ると、目の前に東京が一望できる大きな窓が広がった。

 ここは都内でも高い場所にあるホテルだけど……すごい。芽依は宙に浮いているような感覚に息を吐いた。

 ふわりとあの電車で香った香水の匂いが身体を包んだ。

 横をみると晶子が立っていた。今日は緑色の美しい着物を着て、髪の毛を結い上げている。

 そして丁寧に笑顔を作ってほほ笑んだ。


「いらっしゃい、芽依さん。うれしいわ、来ていただけて。やっぱり芽依さんは頭がいい。こうしたほうが得策だって分かってくれたのね」

「晶子さん、こんにちは。そうですね、電車でお会いした時は驚いてしまいました。今日はよろしくお願いします」


 芽依は丁寧に頭をさげた。トリートメントに行った髪の毛がさらりと揺れた。

 晶子の髪の毛があまりにキラキラで美しかったので、芽依もこの前航平が連れて行ってくれた美容院をお願いしたのだ。

 やっぱり心のどこかで張り合っているのかもしれないと芽依は自分の気持ちを少し笑ってしまった。

 みすぼらしい自分では航平に見合わないことなど自分が一番分かっているからだ。

 晶子は窓際の席に芽依を座らせてくれた。そこからは見事に東京を見渡すことができる。


「……すごい景色ですね」

「そうなの。私この景色が好きで、誰かとお話しするときはこのお部屋にしてるの。芽依さん今日は美しいのね。電車の時みたいに裸じゃない。ちゃんと武装してきたのね。これも全部航平が聞いてるの? 来ればいいのに。もう一年以上会ってないわ。航平~~~、会いたいわ~~~~。航平~~~大好きよ~~~~」


 晶子は芽依が机に上に置いたスマホに向かって叫んだ。

 一年……それはきっと航平が奨学金のことでテレビに出ていた時だ。あの時の航平のなんともいえない表情を芽依は今も覚えている。

 抜け殻のような、抗えないような航平の表情。あの顔を見て、芽依は航平を屋上に誘ったのだ。

 思い出している芽依の手を晶子がクッと握った。その細いのに強い力に芽依はハッと顔をあげた。


「何度連絡しても航平は私に会ってくれないの。私が呼んだら絶対に来てくれたのに。私の頼みを断るような子じゃなかった。芽依さん、貴女に会って航平は変わってしまったのよ。私の航平じゃなくなっちゃったの。航平に会いたい。芽依さんなら分かるでしょ? 航平を好きな仲間ですもの」


 晶子はまっすぐに芽依を見て言った。

 芽依は背筋を伸ばす。


「好きなら、その人のしたいことを応援すると思います」

「子ども産んだことある?」

「ないです」

「じゃあわからないわ。なんでも許可してたら子どもは育たない。嫌われても憎まれてもその子にあった道を準備するのは大人であり親であり母である私の仕事。それは母親全員が思うことよ。他の女と付き合ってた時はこんなふうじゃなかった。他の女と付き合っても、キスしても、セックスしても、こんな風に航平はなってなかった。私が会いたいって言ったら来てくれたの。必ず」

 

 晶子は強く言い切った。

 これは嘘だと知っている。岳秋から「今まで彼女はいなかった」と聞かされているし、なにより航平が「そういう煽りをしてくる」と言っていた。

 芽依は出された紅茶を飲んだ。甘くて深くてとても美味しい。

 ウソをつくと聞かされていて、ウソを聞かされると、逆に心が落ち着いてしまう。

 航平の母……芽依は静かにその顔を見た。目は……お父さんから来てるのね。でも顔の輪郭……なにより大きな耳が同じ。

 静かに顔を見ていると、晶子はキョトンとした。


「貴女、思ったより肝が据わってるのね」

「いえ。あのお話があるんですよね。そうじゃないとこんな風に呼び出さないのでは……と思っていたので」

「そうね。航平と別れるだけでは納得して頂けないと思って、お見合いを持ってきたの。うちの研究所が名古屋に持っている会社の社長なんだけど、菅原ほど大きくないけど良い会社なの。そこの社長さん」

「なるほど」

「航平みたいに頭がいいのよ。会ったらきっと気に入ると思う。私みたいに面倒な姑もいないわ。あらやだ自分で言っちゃった。私は航平には契約的な結婚をしてほしいの。心や時間を持って行かれることはさせたくない。仕事なのよ、結婚なんて。時間は有限なのに心を奪われるのは才能の無駄使い。今日もホテルに来てるなんて時間の無駄よ。航平今、すっごく大きな仕事してるの、知ってる? 誇らしいわ。私の息子。天才なの。あの子が褒められて伸びれば伸びるほど、嬉しくて仕方ない。こうして無駄なことに時間を使わせたくないの。仕事以外、あの子に取って無駄なのよ。でもそれじゃ、せっかく航平の奥様になろうとしてた芽依さんに悪いから、こうしてお見合いを持ってきたの。先方も乗り気で、いつでもお会いしたいって言ってるの。私は航平のことを思って言ってるのよ。わかるでしょ?」


 晶子はまっすぐに芽依を見て言った。

 正直……一ミリも理解できないことではないのだ。

 だって芽依も、緊急ボタンを使う時は躊躇した。大阪にいる航平に連絡がいくと分かっていたからだ。仕事の邪魔をするくらいなら自分が耐えれば良いと思ってしまったのはある。

 それほど芽依も航平の邪魔になりたくないと思っている。

 芽依になにかあると心を乱し、こうして付き添ってくれる時間がどれほど損害を与えているか、理解出来なくはない。

 芽依は顔を上げた。


「航平さんにとって一番大切なのはお仕事なのは間違いないと思います」

「話が早いわ、芽依さん。そうなの。航平は天才。貴女は普通の人。若い女に旦那を寝取られて離婚されたバツイチの三十女。何のとりえもない、両親に捨てられたどうてもよい女、家も無いじゃない。そんな女に航平が時間を使う必要はないの。今この瞬間もね」


 普通の人。

 若い女に旦那を寝取られて離婚されたバツイチの三十女。

 何のとりえもない、家も無い、両親に捨てられたどうてもよい女。

 心の中にザクザクと切りこんでくる言葉に芽依はうつむく。

 本当にその通りなのだ。

 自分の価値などないことは、ここまで生きてきて知っている。


「そうなんです……私は普通で……何の才能も無い」

「そうよ、航平のような天才には見合わない凡人」


 航平や莉恵子のように、何か特別な才能があるわけじゃない、そんなこと重々分かってる。

 もっと似合う人がいる。小清水のように頭が良くて家柄が合う人もいるだろう。芽依なんて大学も全部普通で……考えれば考えるほどただの人だ。

 前の結婚も同じだった。自分の身にそぐわない人と結婚して、頑張って、頑張って、すべてを引き受けた結果、離婚した。

 また私は同じことを繰り返してるのだろうか?

 どんどん自信がなくなっていく。

 俯くと、そこに航平が作ってくれた時計が見えた。

 それは航平時計なんだけど、この日のために航平がまた妙な機能をたくさん仕込んでくれた。

 超カルタ大会の時に使った真山が使ったガスを仕込んだのだ。そんなの使ったら私も倒れますよね?! と言ったら航平は「絶対に俺が助けにいくから」と笑ったのだ。

 そう、航平は絶対に来てくれる。どこにいたって助けてきてくれるから、それは絶対に信じられる。

 芽依を見つめて頬に触れる手、温かくて大好きだ。

 いつも顔を斜めにして芽依を見つめて、キスする前の細めた瞳。


 ……私はあの人に愛されてる。

 大切に、大切に愛されている。

 だから私も愛したい。


 航平さんにそぐわない人間でも、迷惑をかけても、この気持ちがわがままでも、それでも一緒にいたい。

 もう良い子はやめる。

 この恋にずうずうしくなると決めた。


「私、航平さんが好きなんです」


 芽依は腕時計を掴んで顔を上げた。 

 晶子は眉毛を下げて表情をグシャリと歪めて、芽依に顔を寄せた。

 

「だからね? わかるでしょ?」

「好きなんです。あの学校でキラキラと輝かせている目、子どもたちに教えてる時の楽しそうな表情……いいえ、教えてるのかな、一緒に遊んでるんだと思います。そして面白いことを次から次に思いつくあの大胆な考え方。頭の柔らかさ。それをすぐに実行する力。そして困っているとすぐに来てくれます。優しくて大きな手。迷わず進むその力。私、航平さんが好きなので、航平さんに嫌われて、別れて欲しいと言われるまで、恋人で居たいです」

「好きだなんて感情であの子を支配しようとするのはやめて、あなただって分かってるでしょ?!」


 晶子は大声で叫んだ。

 その表情は完全に最初の頃の優雅さはない。

 芽依は静かに口を開く。


「支配してるのは貴女です」

「天才が仕事しやすい環境を与えているの。それは親として当然のこと。才能は世の中にちゃんと使っていかないと。感情なんて何の意味もないのよ」

「じゃあ、なんで基地にクマのぬいぐるみを送り付けてるんですか? あれは晶子さんの感情ですよね」

「あの子は誰から生まれたのかすぐに忘れる。だから教え続けているだけ。あれは楔よ。あの子に打ち込んだ楔。私のものだと忘れないための楔。私には無い血を持ってるの、あの血が、私の子が、菅原を飲み込むのよ。航平は私の息子、私の最高傑作。誰かの物になんてさせない、航平は永遠に私のものよ!」


 そう言い切った晶子の目は血走っていて恐ろしい。

 なるほどこれが本性。

 航平さんが恐れるのも分かる。

 自分の息子を自分の代用品……菅原家を飲み込むためのアイテムとしか見ていないのね。

 そして狂った執着……こんな人と一緒にいたなんて……心が痛む。

 芽依は立ち上がった。


「何かしたいなら、すればいい。それで気が済むならすればいい。私は別れません」

「バカな女。私を煽るとどうなるか分かってるの?」

「分からないです。バカなので。それでも私を守ってくれる航平さんが、最高に素敵な人だと分かっているので」

「もう少し頭が良いと思ってたけど」

「頭は良いと思います。晶子さんを苛立たせる程度には。これ以上支配するのはやめてください。貴女の存在こそが時間の無駄です」

「あなた……!!」


 そう言って芽依の頬を叩こうとした晶子の腕を、芽依は掴んだ。

 部屋にパシン……と高い音が響く。細くて頼りない腕。

 それでも航平を悲しませる腕。

 芽依はその腕をクッ……と握った。


「航平さんは貴女の『モノ』じゃない。天才だと思うなら邪魔をするのはやめませんか」

「私は母親。お前は部外者」


 晶子がそう言い放つと、同時に香水がきつく匂った。それは腐った花の香り。咲いているのに、間違いなく花の芯が腐っている。

 芽依は腕を離して一歩下がって頭を下げた。


「すいませんが、お見合いはできません。私のためにありがとうございました。では失礼します」


 晶子は芽依に目もくれず外を睨んでいる。

 芽依は机に上に置いていたスマホを持って、部屋の外に出た。

 やっと空気が美味しく、普通に感じて、大きく深呼吸をした。

 ふり向くと廊下の先に航平が立っていた。目が真っ赤で泣いているのが分かる。

 もう本当に……泣き虫で。芽依は駆け寄って抱き着いた。

 航平はボロボロに泣きながら芽依を抱きしめてくれた。


 この人を愛してるから、一緒にいたい。

 ただそれだけ。


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