第98話 わかってるけどね?

「よし、通った。オッケーだ。あああ、良かった……」


 莉恵子はアメリカからきた返信を見て転がった。

 神代はすぐに脚本作業に入った。そして沼田や小野寺と三人で、一週間で構成案と五分の一の初稿、冒頭の絵コンテを出してきた。

 内容は日常的に怪獣が生まれる世界で、怪獣の腹の中から出てきた女の子(リリヤ)と、怪獣をエネルギーとして活用する女科学者(葵)が対峙しながらも恋に落ち、ふたりで世界に抗う話だ。構成と絵コンテが同時に出るなんて聞いたことなくて驚いたけど、これがめちゃくちゃ面白くて最高だった。

 小野寺が書いた怪獣の腹を特殊工具で切り裂く葵は残虐性と美しさが共存していて最高。

 そして工具を掌で軽く曲げながら中から出てくる深紅に染まったリリヤ……この部分だけで予告が作れる。

 それを送ったら、さっきアメリカから表現修正は入りそうだけど、作業を進めて問題ないと返信が来た。

 半年以上悩んで苦しんで書けなかったのに、スイッチが入れば一週間。

 でもそんなものだと分かっていたからこそ、賭けたのだ。

 神代は昔から仕事に関して良く言うと天才肌、悪くいうと気分屋だ。

 技量で作るタイプじゃないのに、今回は憧れのMTUということもあり戦略を練りすぎた。

 時間がありすぎるのが問題では……? そう思ったから即席でも演劇をして、瞬発力を取り戻してほしかった。

 これで駄目なら、他の方法を探さないといけないと色々考えていたけど……とにかく良かった。

 みんなにメールして安堵のため息をついた。

 ここからひたすら書かせるだけ。

 莉恵子の仕事は上がりの回収と食事の保証だけになる。


「はああ~~~、安心した~~~~」


 莉恵子はソファー近くの冷蔵庫からビールとチーズを取り出し、こたつの上に大量ストックしてある柿の種を開けた。

 本当はもっと豪華なツマミで飲みたいけど、もうとりあえず乾杯。

 仕事終わりに「最高に良いと思います! これを待ってました!!」って書いてあるメールを見ながら、こたつでビール飲むなんて最高じゃない?

 ふおお……ひと段落……と天板に顎を乗せていたら、芽依が帰ってきた。


「ただいまー!」

「芽依ちん、おかえりー!」

「芽依ちんってことは、飲んでるのね。丁度いいわ、良い物あるわよ~~」


 前の道を車が走り去る音が聞こえたから、芽依はどうやら誰かに送ってもらったようだ。

 そして部屋に入ってきた芽依の手には『カニ』と書かれた箱があった。

 莉恵子は叫ぶ。


「カニ!!」

「そうカニ!! しかも食べごろに解凍されてるの。それにウニがたっぷり詰まった瓶も入ってるの」

「うそおおおおん!! きゃああああ!! なんで、なんで芽依ちん、こんな超豪華セット!!」


 芽依は冷蔵庫にその箱を入れて手を洗いながら言った。


「ほら、前に私が柔道着を繕ってたの覚えてる?」

「ああ、なんかすごい量を縫ってたね」

「あれね、近藤さんが先生をしてる道場の生徒さんの柔道着だったんだけどボロボロのものが多かったの。でも分厚くて少し手を入れればまだまだ着られそうだったから全部直したのよ。そしたら近藤さんがお礼にって」

「うほおお……なんかず~~っと縫い物してるな~~って思ってたけど、あの作業がカニに!」

「ウニに!」


 ふたりでキャーキャー叫びながら食事の準備をした。

 やっぱり美味しいカニすきなのでは?! と鍋を取り出して出汁を準備。もう惜しみなく鰹節を大量投入。ここはケチれない!!

 その間にご飯を炊いて、先にカニをしゃぶしゃぶして食べると……。


「めちゃくちゃおいしいいいいいーー!! 口のなかでほわりと蕩けて消えちゃう、すごい!!」

「うーん。柔らかい。これ生でもいけるって近藤さん言ってたけど、汁がね、ほしいじゃない。この汁で雑炊が食べたいわよね」

「はああーーん、そんなの絶対美味しい!」

「ウニも丼で頂きましょう」


 そう言って芽依は炊き上がったご飯に、これでもかとウニを乗せて渡してきた。

 白いご飯の上で金色に輝くウニがピカピカと輝いている。

 こんな豪華丼……そんなっ……! と震える箸でご飯とウニをセットにして口に運ぶと震えるほど甘くて美味しい。


「きょえええ……甘い、溶ける、口の中が海になったあああ……」

「今日東北のほうから届いたものらしいわよ。当日取り寄せ数量限定!」

「ちょっと我慢できない。神代さんに写真とって自慢しよっと。あ、仕事一段落したのーー!」

「最近莉恵子が頑張ってるの見てたから、ご褒美あげたくて『お礼頂けるなら、美味しい物にしてください』って言ったの」

「芽依ちん、ありがとうーーー!!」


 カニをしゃぶしゃぶにして野菜とたくさんたべて、かに味噌を取り出して豆腐に塗り、最後にはカニの殻を鍋に戻してグツグツ煮て出汁を取り、雑炊を作った。

 もうこれが超絶絶品で腹いっぱいになり、ひっくり返った。

 ああ……私、芽依ちん無しで生きていけるかしら……。

 ずっとずっとここに居てよ……と思うけど、芽依はちゃんと家族を作りたい人だと莉恵子は知っている。

 菅原学園の御曹司の家は色々と複雑なようだけど、状況を聞くだけで芽依にメロメロで、芽依は知ってるか知らないけど、最近自宅周辺に警備っぽい人を見る。

 たぶん菅原の関係者が芽依を見守ってるんだと思う。

 大切にされているのは分かるから……結婚出来ない人って芽依は言ってたけど……家族になれると良いなあと思っている。

 なにより芽依は毎日めちゃくちゃ楽しそうで、ほんとうに綺麗になった。

 莉恵子はそれがなによりもうれしい。

 芽依はあまり飲まないんだけど、今日は珍しくお酒を飲んでいて、頬を赤く染めて莉恵子に何か書類を見せて口を開いた。


「ねえ、莉恵子、人間ドックに行きましょう」

「……芽依ちん。今たらふくカニとウニ食べて、なんなら超お酒飲んでる状況でいうことかな、それ」

「だからこそ、言うのよ。美味しい物をこれからも食べ続けたいでしょ?」

「その程度の理論では莉恵子さんは納得させられないのだ!」

「莉恵子。人間ドック、前にいつ行った?」

「会社の検診いってるもん~~~」

「この前家に『再検診のお知らせ』が来てたわよ。どうせ忙して会社にいなくて、受けてないんでしょ」

「す、するどい……。その通りなんだけど……」


 莉恵子は両指を組んで顎の下に置き、顔を上げてドヤ顔で口を開く。


「検査したら何か出てきそうじゃん。でも検査しなかったら、何も出てこないよ。つまり健康。問題ないね!!」

「じゃあ再来月の日曜日に予約するわね。というか、実はもうしたの」

「うえ~~~~い、芽依ちんうえ~~~い、勝手に何してるの! やだやだやだ実はバリウムとか飲んだことないの、怖い怖い怖い!!」

「胃カメラに切り替えられるみたいよ」

「もっとイヤじゃん!!」

「麻酔も出来るって」

「鼻に?!」

「喉に? ちょっと分からないけど、大丈夫よ、きっと」

「え~~~~ぜったい大丈夫じゃないよおおおお、いやぁぁぁ莉恵子さんは健康ですーー!!」

 

 そこまで言って、ふと気が付く。芽依ちんにしてはやることが強引すぎるのだ。

 莉恵子ははたと気が付いた。


「芽依ちん、身体、何か調子悪いの? それで心配なの?」

「違うわ。体調は全然悪くない。実は菅原のお家のほうから健康診断を受けるように言われたの。超豪華な健康診断、全額菅原持ちよ」

「ああ~~~、ブライダルチェックだ~~~、なるほど~~~」


 おかしいと思ったのだ。何でもしっかりと話し合う芽依が、勝手に予約をするなんて強引な手腕。

 何かわけがあるんだろうと思った。

 ブライダルチェックを強要されるということは、結婚はないと言ってたけど……あるのかもしれないなあ。

 そんなのちゃんと幸せになってほしいと心の奥底から思う。

 莉恵子は芽依の横にズルと近づいてニヤニヤした。


「……健康診断、怖いんだ?」

「怖いわよ!! 私もこんな頭の先から足の先まで調べられる健康診断、行った事ないもの。航平さんは健康診断が好きらしくて、つい先月も受けたんですって。だから私の気持ち全く理解してくれなくて……。怖いって言ったら『莉恵子さんも一緒ならどうだ?』って」

「ううう、ズルいな学長さん~~。そんなの私が断れるはずないじゃん」

「お願い莉恵子、一緒にきて! 怖いの。なんかてんこ盛りなのよ~~」


 いつも頼み事なんてしない芽依に頼まれて断れるほど世話になってない莉恵子ではない。

 なにしろ今カニを食べてウニを食べてお腹は一杯だ。これも作戦のうちだったらどうしよう……と思ってしまうが、もう全ては腹の中だ。

 莉恵子はビールを飲んで芽依が持ってきたパンフレットを見た。


「わかった。一緒にいく」

「莉恵子~~。ありがとうーー。良かったああ……」


 芽依は嬉しそうに腕にしがみついてきた。

 芽依はお金もちと結婚したいとか、そういうタイプではまったくない。

 それなのに偶然好きになってしまったのが菅原家という大きな家の、しかも愛人の子で……芽依ちんどうしてそんな茨の道を……と思うけど、だからこそ応援したい。

 そしてパンフレットと、申し込まれた日程を見て莉恵子は柿の種を喉に詰まらせそうになった。


「朝十時から、夜二十時まで?! なにこれPETって」

「なんか全身輪切りにして写真を撮るみたいよ。航平さんが自分が輪切りになった動画を楽しそうに見せてくれたけど、ちょっと本当に意味が分からなかったわ」

「輪切り?! なにそれ何か電波でってことだよね」

「よく分からないけど脳ドックとかも全部あって、総額百万円以上するみたい」

「ぎえええええ……」


 莉恵子は費用の欄をみてひっくり返った。無料なら……って当たり前だけど微塵も無料じゃない~~!

 でも菅原家にいる人の奥さんになるなら受けて当然なのだろう。

 芽依だって、本当はこんな風にお金を使って調べられるのは好きじゃないと思う。

 それでもそんなの受け入れちゃうくらい、学長さんが好きなのね。

 莉恵子は、ふうと息を吐いた。


「よく考えたらラッキーね。とことん調べて貰いましょう」

「莉恵子。ありがとう! あとさっきからスマホめちゃくちゃ通知入ってるわよ」

「はへ?」


 見るとそれは神代と沼田と葛西たちだった。

 内容は『カニとウニは残ってるのか?!』だった。そういえばテンションが上がって写真を送ったのだった。

 送るだけ送って忘れていた。莉恵子はむくりと身体を起こして空になったカニの写真を撮って送った。

 即神代から怒りと悲しみと脚本が通った嬉しさと、それでいてカニの恨み電話がかかってきたけど、もうお腹の中だから仕方ないね。

 芽依とゆっくりお酒を飲みながら、健康診断の内容を調べた。

 莉恵子にも、そろそろちゃんとしなきゃいけない理由もあり、少し調べたいことがあったので丁度よかった。


 

 

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