第97話 たどり着いた未来

 劇が終わり、みんなで打ち上げの居酒屋に向かう。

 カウンターの周りに十席、そして畳の間が数個あるだけの小さなお店だが、もうすでにたくさんの料理が並んでいる。

 店長はビルのオーナーで、昔テレビ局で働いていた人だ。退職金でこのビルを買い、好きな作家に劇場を貸している。

 店に来る映画監督や、演劇人と語るのが大好きな人だ。

 部屋の隅には趣味の本が並び、脚本もたくさん置いてある。壁には劇団から育って行った俳優たちのサインが飾ってある。

 高町と神代、そして莉恵子も昔からお世話になっていて、入った瞬間から「お~~~おつかれ、良かったよ~~!」と拍手してくれた。

 劇場の中心にある椅子は、このオーナー専用席で、すべての演劇を見ているのだ。

 変わらないで居てくれる人がいると、安心して変化できる。

 それは父親の言葉で、最初聞いた時は「?」と思ったが、今は心の奥底から理解できる。


 オーナーは高町と神代を一番奥の席に座らせて、さっそく飲ませ始めた。

 高町は酒好きなので楽しそうに飲み始めたが、神代は「みんなと話したいんですーー!」とお酒を断っていた。

 それもそのはず、一週間まともに寝てない状態で飲んだら即眠るだろう。

 三人は楽しそうに話し始め、そこに俳優たちも加わり盛り上がり始めた。


「よし、と」


 莉恵子は最後の仕事をはじめる。打ち上げの受け付けだ。

 舞台の初日は、もう本当に色んな人たちが顔を出しに来る。劇を見ていた人はもちろん、招待客、馴染みの客、劇を見たかったけど見られなかった人。役者のマネージャー、新人スタッフの売り込み、演劇専門雑誌の記者、映像関係者……無限にくる。

 その人たちと話して次につなげていくのが大切な仕事だ。

 制作の金子と一緒にどんどん名刺を捌いて、会わせたほうが良い人たちをマッチングさせていく。

 打ち上げだけ来る偉い人も多く、こういうタイミングで進む話も多いし、貴重な出会いだ。

 打ち上げが始まって一時間、挨拶し続けた頃に見慣れた顔が来た。

 

「おつかれさまです! 落ち着きました? ご飯食べてから来ました」

「小野寺ちゃん。ナイスタイミング。やっと落ち着いた所。どうだった?」


 小野寺と沼田と葛西も劇に招待していたのだ。

 小野寺は二階の一番奥から舞台を俯瞰、沼田は演出側の人間なので舞台袖で見ていたようだ。

 葛西は莉恵子と同じプロデューサー側の人間なので、出入り口付近で立ってみていた。

 小野寺はビールを飲み干して口を開いた。


「圧巻でした。沼田さんはもう興奮して帰りました。コンテ書くそうです。葛西くんは三階のカフェで色んな人に話しかけてます。私は衝撃すごすぎて……愛の重さにひっくり返りそうですよ。いや~~莉恵子さん愛されてますね。私、白と黒を見たのは三回目ですけど、こんなすごい愛を見せつけられたのは初めてです」

 

 実はこの言葉、打ち上げ会場に来てから二百回くらい言われていた。

 小野寺の言葉に周りのスタッフが寄ってきた。


「そうなんですよ~~! 皆殺し神代が愛を語るなんて」

「結婚したからだなーって話してたんです。愛がすごい」

「泣けました。ヤバい。ほんと良かったです。神代さんが神から人間に……いややっぱり神だわ」


 反応を聞きながら苦笑してしまう。

 最初に発表した白と黒で惨殺しまくっていたイメージが強いのだろう。

 みんなは興奮して莉恵子にビールを注ぎまくり、これも仕事のうち……と思いながら、美味しく全てのビールを頂いた。

 それは久しぶりに、心の奥底から「おいしい」と思えるビールで楽しんで飲んだ。

 




「莉恵子、やっとふたりになれた」

「神代さん。逃げきりましたね」


 莉恵子と神代はタクシーの中で安堵のため息をついた。

 明日も昼は仕事、夜は公演があるのであまり長く打ち上げは出来ないのにテンションは戻らず、三時間も拘束されてしまった。

 高町が気を使ってくれたのか「次行くぞ!」と全員引っ張って行ってくれて、やっと莉恵子と神代は解放された。

 しかし高町も明日があるのに……やっぱり普段から劇を回してる人は体力が違う。

 ゾンビのように力なくタクシーから抜け出して、重力に負けそうになる身体を引きずってマンションに入った。

 やっとたどり着いた家のソファーに座り込んだ。

 神代は、

「うわあああ……家だああ……」

 とソファーに寝転がった。

 それもそのはず、一週間ぶりに帰宅したのだ。

 そういえば荷物。莉恵子が持ち込んだ神代の服や荷物がすべてカフェの部屋に置き去りになっていることを思い出した。

 お客さんが入れるスペースを借り続けてるのは迷惑だ。明日全部持ってこようと莉恵子はスマホを取り出した。

 すると、そのスマホを神代が奪って電源を落とした。


「もうおしまい。俺も落とした」

「神代さん。おつかれさまでした」

「もうだめ、めちゃくちゃ疲れた。これ以上やったら間違いなく死ぬ。一週間の間、何回もガチで天国見えた」

「3Dかなり使ってましたね。一週間で演技つけて、撮影して、加工までしたんですよね。どう考えても無理しすぎですよ」

「そうなんだよ。でもやりたくて…………すげぇ楽しかった。今も拍手が身体の中に残ってる。ずっとずっとこれが欲しかったって分かる。ありがとう、莉恵子。好き」


 そう言って神代は莉恵子を抱き寄せた。

 茶色のふわふわの髪の毛が頬に触れる。神代は頭をぐりぐりと莉恵子の頬に押し付けて、首にコテンと甘えてきた。

 可愛い。この人は本当に天才で……でもからっぽになると動けなくて……そんなところも全部愛おしい。

 髪の毛をかき分けるように手を入れて、やさしく撫でると、神代が肩から顔をあげた。

 茶色の痛んだ髪の毛。細められた目、吸い込まれるように莉恵子は目を閉じた。

 神代は莉恵子を引き寄せて、ゆっくりと唇を重ねた。

 一度重ねて……莉恵子の顔を見て、そして再び引き寄せて、何度も優しく、軽く、それでいて大切なものを確かめるように何度も唇を重ねた。

 神代は莉恵子を確かめるように抱き寄せて言う。


「……俺の愛は伝わりましたかね」

「いえいえ、神代さん。あれ、高町さんへの愛ですよね」

「ぐえーーーーーーーー」


 神代は爆笑してソファーに転がった。

 今日は散々「神代さんの愛が爆発しましたね」とみんなに言われたら、莉恵子は分かっていた。

 莉恵子と一緒になって作風が変化したのは間違いない。

 それでもあれは……。

 莉恵子は神代の頭を撫でながら口を開く。


「神代さん。高町さん、本当に良性ポリープだったんですよ」

「……いや、うん。今日カッパカッパ飲んでたから、安心した。俺、高町さんが本当に飲むか見たくて、引き受けたのかも知れない」

「そうですよ、神代さん。大丈夫なんですよ、そう言ったじゃないですか」

「でもさあ、だって、信じられないだろ。高町さん、めっちゃ痩せたから」

「良性でも手術はしたわけですから」

「だからさあ……心配で」


 神代は身体をおこして莉恵子に抱き着いてきた。

 実は数か月前に、高町が倒れた。検査の結果良性ポリープだったが取ったほうが良い場所で、手術をすることになった。

 ひとり身の高町を心配して、莉恵子と神代はウロウロしたが、制作の金子に「心配無用……だそうです」と断られた。

 高町は、いつまでも『強い先輩』の自分を誇っている。

 そう言う風に見ていてほしいのだと分かっているけど……それでも心配だった。

 

 神代が作ったパートは愛を語ってるんじゃない。

 演劇を捨てて映画を選んだ自分を正当化したいのだ。

 でも……。莉恵子は神代を抱きしめて口を開く。


「両方、ちゃんと生かされてましたね。映画で培った映像を作る技術と、演劇。どっちもちゃんと入ってました。今最高の、選び取った神代さんになってました」

「……昔の俺なら、映像を演劇に持ち込まなかったと思う。そういうことをしないのが演劇だって思い込んでたから。でも、違うんだよな。全部選んでさ、ちゃんといるから、それを元気な高町さんに見せたかったんだよなあ」


 苦笑する神代を見て莉恵子はいたずらっぽくほほ笑む。


「でも私、知ってるんです。実際見るまで読みませんでしたけど、金子さんから脚本は頂いてるんです。幼女の名前、ラウルなんですね」

「ああ」

「ラウルって、中学生の劇の時、私にくれた役の名前ですよね?」

「うわあ……莉恵子さんすごいですね……勝てる気がしません……」

「神代さんが私のこと大切に思ってくれてるの、知ってますよ。ぜんぶ最初から分かってました。嬉しいです」


 神代は抱き着いた状態で顔をクシャクシャにして抱き寄せてくれた。


「……莉恵子が色んな人に頭さげて、時間作ってくれたの分かってる。明日から脚本書く。書ける。もう浮かんでる。心配かけてごめん」

「はい」

「あと、今回劇団で新人の子たちと作って、やっぱり楽しかったからさ、映画もみんなの意見を聞きたい」

「小野寺も、沼田も、葛西も、資料を準備して待ってますよ」

「うんごめん、準備できた。大丈夫だ、ありがとう、莉恵子」

「はい」


 うれしくて、うれしくてしがみ付いて、神代の頬にキスをした。

 そして小さくむくれる。


「もうそろそろ、お仕事の大場理恵子から、神代さんの奥さんの神代莉恵子になって怒ってもいいですか?」

「莉恵子は、かわいいなあ。ズルいなあ。仕事ができてかわいいなんて、ずるいなあ」

「すっごく、心配したんです。半年間ずっと心配してたんですよ」

「ごめん」


 神代は目を細めて莉恵子の頬にキスをしてくれた。

 莉恵子は神代の手を握って続ける。


「ずっと見守ってました。だから賭けだったんです、これで駄目ならどうしようって。そしたらご飯も食べないで、めちゃくちゃムチャして……。仕事してほしくて、でも心配で、それでも好きで、張り裂けそうでした。十歳離れてるし、心配なんです。高町さんの心配より、自分の事大切にしてください。神代さんが好きなんです」

「うん。しかし莉恵子はいつまで俺を神代さんと呼ぶんだよ。俺の奥さんの神代に戻ったんじゃないのかよ」

「神代さんが、好きなんです」

「うん、うれしい。うん、ごめん」


 神代は顔をクシャクシャにしてほほ笑み、優しく許しを請うようなキスを何度もした。

 それでもムクれていた莉恵子の手を引いてお風呂場に向かい、髪の毛を洗ってくれた。

 お礼にリリヤの高いトリートメントを神代の髪の毛に塗ると、徹夜で傷んだ髪の毛がツルツルになり、神代のふわふわテンパ―がストレートになってしまい、ふたりで爆笑した。

 そして布団に入り、どうしようもなく幸せに愛されて、眠った。

 明日からまた忙しい。それでも今日だけは、このまま甘く。

 一晩だけでも、甘く。

  


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