第96話 白と黒のその先に
カーテンが開くと、白い板の上に追放された母親と幼女が座っている。
母親の顔は黒の液体がついたままで放心状態。目はうつろ、腕はダラリと垂れ、身動きひとつしない。
その横を幼女は離れて、白い板から下りる。
そして右手を空に向けて指を一本だけ立てる。するとそこにオレンジ色の蝶がふわりと生まれた。
光に包まれた……それは本物の蝶のように優雅にふわふわと空を舞い、幼女の指先に止まる。
それはどの角度から見ても『蝶』だ。
高町の劇で興奮していた観客たちが引き寄せられるのが分かった。
莉恵子は気が付いた。
ペッパーズゴーストを用いた擬似ホログラムだ。
会場に入った時に見たことが無いものが天井に設置してあるな……と二階席から見て気がついていた。
業者の人が神代にプレゼンしているのを聞いたが、高精細モニターとミラーガラスがあればその場に3D映像を投影できる優れものだ。
なるほど。準備期間がないからこそ3Dを用いたのか。
さっきまで荒れ狂うような劇を見ていた観客を引き寄せるには抜群の演出だ。
幼女の指先にとまったオレンジの蝶。
羽からは金色の光を放ち、優雅で美しく、ふわふわと幼女の指先で優雅に舞う。
観客が蝶に目を奪われていると、その一部が解けていく。
まるでリボンで編まれた蝶のようにシュルルルと解けて空に広がり……そしてゆっくりと人の形を作っていく。
編み上がったのは『もう死んでしまった父親……黒の少年』だった。
「どうして?!」
叫んで走り寄る母親。
そして触れようとするが、映像が乱れるだけで触れることはできない。
小さく首を振って否定する幼女。
そして手を動かすと黒の少年は急速に幼くなり、少年の過去が見え始めた。
黒の少年は力が強すぎて、自分がいた村を滅ぼしてしまった。
そして黒の国からも追い出されて、ひとりで白の国境界線にいたのだ。
そして母に出会い、恋をした。
一目惚れだった。
出会った瞬間に、どうしよもないほど心を奪われた。
そして自らが持っている全ての力を使い、黒の国の言葉をカタチにしていく。
話したい、彼女とどうしても「心を通わせたい」。
言語化に苦しみながらも、少年は愛を伝えていたのだ。
それを知った母親は涙を零す。
幼女がクルリと指を回すと、残像の黒い少年は紐となり、再び溶けた。
その紐がもう一度組みあがり、そこにもう一度黒の少年が現れた。
母に会う前に別の黒の女性に出会い、結婚していた。
ふたりが出会わなかった時間軸だ。結婚したが力が制御できずに奥さんを殺してしまい、迫害される。
捕まえられて自由を奪われ食べ尽くされる。
黒の世界では能力は食すことで引き継がれる。無残に喰いつくされた少年の叫びが響く。
どうすればいいんだ。どこなら良いのだ、どこにいれば「ただ生きていられるのだ!」。
叫び声はむなしく響き渡り、喘ぎ、苦しみ果てていく父親を見て母親は叫ぶ。
「なんで! なんなの、こんなことは無かったわ!! だって私と出会ったもの!!」
幼女はほほ笑む。
もう一度指を回すと、飛び散った黒い少年は再び紐になり、溶けた。
そして再び別の時間軸の少年を見せる。
少年は燃えている。それは自らではどうしようもない力の塊。
抑えることが出来ないのだ。指先が壊れるように、マグマのようにグツグツと煮えているのが見える。
指先の皮膚が崩壊して、中から力があふれ出す、押さえられない。
このままでは村を焼いてしまう、自分の存在が悪なのだ。
間違っている、こんな俺が知られたら『黒自体が滅ぼされる』。
ひとり雨が降り続く山の中に逃げ、自分で自分を焼いて笑顔で骨になり真っ黒になり力尽きた少年。
その笑顔は、どうしよもなく幸せそうで、黒こげになった首がゴロンと転がる。
母親はそれをみて崩れ落ちる。
「……何なの、ねえ、あなたは何を見せているの……」
幼女は、ゆっくりと腕をおろして、母親を指さした。
そして慈愛に満ちた表情でほほ笑む。
「死者は生者のなかに生きている。私は『生者がもつ死者の記憶のトラウマ』を見せられる。これが私の『異能』」
幼女が両手を上げて、白い板で舞い始める。
すると手からたくさんの色があふれ出す。真っ黒で無機質な空間に、ピンクやオレンジ、緑に青……色々な花火にように、また星粒が宝石になったようにあふれ出す。
記憶の糸は、まず白の国を見せる。
そこには母親を育ててくれた両親がいた。長く子どもに恵まれず、黒の国から奪われてきた幼女と知りながら、苦しみながら、それでも大切に育てている。
母親は両親が懐かしくて触れようとするが、自分がした裏切りの過去を思い出し、うな垂れる。
幼女は再び指先から過去の宝石を放ち、子どもを引き取らなかった両親の未来も見せた。
それは悲しみにくれて、うな垂れた毎日。
何もないより、何かはそこにあったのだ。
記憶のトラウマは語る。母親の友達たちの姿、過去、未来……遺伝子の記憶はそこに見事な絵巻物のように無限に広がっていく。
次々と過去が開き、その過去の可能性、選ばなかった未来も同時に開く。
それは人の数だけ無数にある。選んだ数だけ選ばなかった未来があり、それが舞台全体を埋め尽くす。
人の記憶の花のように、山の斜面に咲き誇る花のように、広がり、空まで届く。
その真ん中に立つのは、たったひとりの幼女。
そして腕をゆっくりあげてパチンと指を鳴らした。
他の人たちがすべて消えて、幼女だけが立っている。
「えらんでここにいる」
母親の前には、出会って幸せそうにほほ笑む父親の顔があった。
ここを選んだのだと、ここに自ら選択して立つのだと、過去は語る。
母親はその少年の残像に縋り付き、号泣して泣き続ける。
会いたい、会いたい、でも会ってしまったから、出会ってしまったから、もう会えない。
でもそれには意味があったと信じたい。
この子が知らせてくれたから、ここにいるから、信じられる。
幼女は見せた世界を、母親の中に押し込んでいく。
最初に戻すように、ほどいた紐を、時間を、逆再生させてねじ込み、母親の前に跪いて、目覚めのようにほほ笑んだ。
「お母さん、この恋を責めないで」
母は膝から地面に叩きつけられるように崩れ落ちる。
幼女は母の横に座り、手を握って話しかける。
「私はお母さんに会えてうれしい」
母は嗚咽して幼女を抱きしめて抱きしめて頬にキスをした。
「私も、あなたにあえてうれしい。あなたが大好きよ」
いつの間にか母親の横に父親が立っていて、満面の笑みを見せる。
そして、はじめて母親にあった時のように、引き寄せるように、伝えるように舞う。
指先が紐状にほどけて消えて行く。それは砂で作られた城が海に溶けて行くように、それでいて、元々いた場所に戻っていくように。
もう最後だと伝える言語。
足からゆっくりと砂になって消えて行く父親の身体……その口元がゆっくり動く。
「君のなかに生きられてよかった」
何をどうしても、許されぬ存在だった。死ぬ定めだった。
人は悲惨だと、悲しい運命だと言うだろう。
唯一生きられたのは、母親のなかだけだった。それは存在ではない、むしろ記憶。
指先が海に飲み込まれて、膝も腰も消えて行く。駆け寄る母親の指が、砂になる父親に届いた瞬間、それは間違いなく触れ合った。
体温を交換するように砂は火花となり、舞台は完全に暗転した。
真っ白な蝶だけが宙に浮いて、チリリン……と鈴の音が響き、そのまま舞って消えた。
そして舞台は終わった。
しん……と静まり返った劇場に、恐ろしいほど大きな拍手と歓声が響き渡った。
それは波のように広がり、劇場を支配する。まるで建物が生きているように反響して拍手が鳴りやまない。
莉恵子はあふれ出す涙を抑えきれなかった。涙で口が震えて言葉も出ないし、動けない。
昔、神代が白と黒を演出した時、この幼女が力を使って世界中の人たちを惨殺して終わっていた。
その神代さんが愛を語るなんて、変わったなあ。
こんな話を書く神代さんが見られると思ってなかったよ。
莉恵子は泣くだろうと思っていたので、タオルを持ってきていた。それで顔を覆っておいおい泣いた。
横にリリヤは立ち上がって大きな拍手をしている。葵はその奥で座り込んで泣いていた。
また反応が違う。やっぱり『白と黒』はすごい。
座って莉恵子の腕を掴んだリリヤの目は輝いていた。
「私も白と黒に出たいです。あの子を演じたい」
「うん、うん。まず映画が終わってからね」
「はい、そうだ。そうだった。この演出をした人が監督する映画に出るんだった。私出られるんだった。すごい!!」
その目は爛々と強く輝き、美しかった。
横に葵が来た。その目は泣きはらしたように赤い。
そして意志の固まりのように莉恵子の手を握った。
「私ちょっと、テンションバカ上がりで、今すぐレッスンしたいので、もう戻ります!!」
「あっ、葵、私も、私も何かしたい。何かしないと駄目だ」
「じゃあとりあえず、帰ろう。莉恵子さん、すっごく楽しくて、イヤ違うな。何か爆発しました。がんばります!!」
ふたりは脱力して泣いている莉恵子を放置して帰って行ってしまった。
酷いなもう、私がこんな状態なのに……と苦笑してしまうが、ふたりの気持ちはよく分かる。一流のアーティスト同士は化学反応を起こすものだ。
この前よさこい祭りを見た神代にも莉恵子は置き去りにされた。
そして今、神代の舞台をみたリリヤと葵に放置されている。
でも……気持ちはわかる。わかるよ。
莉恵子はタオルで顔を覆いながら泣き続けた。
神代さん、おつかれさまでした。やっぱり私、神代さんのファンなんです。すごく嬉しい。見られて良かった。
過去の神代さんの作品と、今の神代さんの作品、両方見ている人は限られると思う。
莉恵子は全部知っている。知っているからこそ、この劇のように全てが流れこんでくる。
選んで、選んで、ここにいる。
それは私も同じ。
拍手が鳴りやまず、高町に連れられて神代が舞台に出てきた。
いっそう大きな拍手が鳴り響き、莉恵子は立ち上がって拍手した。
私が見たかったものは、間違いなくここにあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます