第95話 白と黒


 真っ暗な舞台にリン……と高い鈴の音が響いた。

 その音は、上から、後ろから。建物全体を包み込むように響いてくる。

 リン……リン……と少しずつ大きくなっていく音に、熱気と興奮でざわめいていた会場が静まっていく。

 莉恵子は目を閉じてその音に集中する。

 最後に大きく「リン!!」と鳴り響いて舞台の真ん中にある真っ白な板にライトが当たった。

 そして観客の視線がグッと集まる。

 『白と黒』……ジントニック伝説の舞台が始まった。



 真っ暗な舞台の真ん中に置いてある白い板。

 天井から、たったひとつ、世界に白い場所はそこしか無いように照らされている。

 それは地獄の底に残された最後の島のように白く、美しい。

 その白い板をよく見ると何かみっちりと乗っている。そして小さな箱の中から虫が湧き出すように、もぞもぞと動きだして、白い繭のようなものが突き出してきた。

 それは空を掴むように動く……白く塗られた指だ。

 そして顔が見える。しかしそれはよく見ると顔ではない……真っ白なお面を被った人たちだ。

 お面は目の部分だけ切り抜かれていて、真黒な目が見える。その目がギョロリと周りを見渡す……それは人という名の白い肉塊。

 白いお面に白いカツラを被った人間たちが白い板の上から吐き出されるように、転がり落ちるように生まれる。

 指の先まで隙間なく白く塗られていて、服も白。

 白の人間たちだ。

 白の人間たちは、真っ白な板を守るように、取り囲むように立つ。

 そして心臓を撃ち抜くようにドンと大きな音が響く。すると白しか居なかった人間の……ひとりのカツラがずるるるると落ちて黒い髪が見えた。

 真っ白な人たちの間に、たったひとり、黒い髪の毛の人間が生まれる。

 静寂に声が響く。


「それは、たったひとつの異変」


 声が上がると、その一点の黒に、白全員の視線が集まる。

 腰を低くして……じりじり……と白が黒を囲む。

 囲んで、囲んで……睨む。その動きは人間というより、影。 

 人の周りに白い影が、うようよと意志を持って、這いずるように動き、見学する。

 今まで見たことがない異質なものを見にして、信じられない、理解ができないという表情でじろじろと遠慮なく、しつこく見渡す。

 さっきまで一緒の白だったのに、頭のみ黒くなった人間を、白はじろじろと見る。

 頭が黒くなった人は、自分の変化が理解できずに戸惑い、震える。

 そして白のひとりが集団からクッと飛び出してきた。闇夜に突き刺さる真っ白な腕。そして黒の頭をむんずと掴む。


「おまえはなんだ」


 そして白たちは口々に叫ぶ。「おまえはなんだ」「おまえだけなぜちがう」「どうしておまえだけちがうんだ」。それは声の輪となって黒を包む。

 黒は震えながら首をふって「知らない、わからない、何もしてない、とつぜんこうなった」と叫ぶ。

 白のひとりが黒の胸ぐらを掴み、白い板の反対側に押し出す。頭だけ黒かった人間は、お面も転がり落ち、白い服ははぎ取られて、黒い服になり、無残に床に転がる。


 最初の黒の誕生だ。


 そしてまたドンという音が響き、白の中に黒い頭が生まれる。白の人たちはそれを板の向こうへ追放し続ける。

 心臓を撃ち抜くような音が響き、どんどん黒の頭が増えて、白の三分の一が黒へ追放された。

 そして世界は白と黒に分断された。

 

 雫が背後にポチャンと落ちた。

 追放された黒が集まっている世界に冷たい雨が降っているのだ。風も強く、荒れ果て、何も無い。とても生きられる場所ではない……膝を抱えて嘆き悲しむ黒の人々。

 黒の人たちは寒さから、身体を寄せ合って小さな丸を作り、暖を取る。

 中心にいる人が震えるように細い腕が上がる。それにみんながしがみ付き、波のようにうねり、空から力を得るように這いまわり、力を乞うように、祈り、願い、のたうち回る。

 足を踏み鳴らし、それに合わせて黒の人々が目を一斉に見開く。

 その目は血に染められたように赤い。黒い服をきて、目の周辺に赤いインクをべたりと塗っているのだ。


 異能の誕生だ。


 黒の集団は白から追放され、過酷な環境で生き延びるために異能を手に入れた。

 そして黒の集団は強く声を上げる。諦めない、ここで生きる、白に支配されない、黒として生きる。




 一方白は、守られた空間で静かに優雅に時を暮らしていた。

 ただ毎日、身体中をチェックされる。それは舐めるように、全身を疑われる。指先、膝、背中も、胸も。

 黒になっていないか、ちゃんと白のままか。人間の扱いではない、検品のように機械的に冷たく続く作業。

 チェック作業をしている中に、ひとりの少女がいた。

 真っ白な髪の毛に美しい肌、すらりと長い手足……そして死んだ魚のような目で人々をチェックしている。

 力なく、ダラリと垂らされて腕は脱力している。

 ぴゅうと風が吹けて流されるように右へ。ザザザと砂が舞えば転がるように左へ。

 ただ受けた指示をこなす少女。


 この少女……白側に居るが、実は黒側の異能を持った少女なのだ。

 黒側に調査に行った人たちが研究対象として誘拐して連れてきた。

 少女の昔の記憶は消され、研究した特殊な遺伝子操作の結果、身なりは白の人間。

 本人も自分が元黒の人間だと知らない。

 そして少女は白側のリーダーとして黒を監視する立場にあった。

 

 いけないことだ、よくないことだ。なのにどうして。


 死んだように仕事をしていた少女は、黒の世界の近くにくると息が楽にできる。水に見立てた青色の布が張り巡らされた空間で踊る少女。

 でも駄目。私はそちら側の人間ではない。いけないこと。

 張り裂けそうな想いを抱えて少女は青い布に丸まる。それは身体を包むが、心まで隠せない。

 隠しても隠しても、少女はなぜか黒にひかれる。当然だ、実はホームなのだから。


 気になって今日も黒側の世界を見に行くと、ひとりの少年と出会う。この少年は黒の男の子だ。


 ふたりの初遭遇。少年は少女に興味を持ち話しかける。

 しかし黒の世界では普通の言葉を使わない。黒の少年が使っていたのは、黒の言語。

 それは音の集合体で、高音からお腹をえぐるにように低い重低音まで含まれた多重音だ。

 多くの情報がたったひとつの多重音で表現される異能者専用言語。一言で高濃度の情報を交換できる知能の塊。

 しかし白の少女には異音でしかない。

 黒の少年から吐き出される多重音に、少女は耳を塞ぐ。聞くに堪えない、ひどい苦しみさえ感じる。

 黒の少年は、理解されない苦しみと嘆き苦しむ。


 それでも話がしてみたい。

 どうしても君に惹かれるんだ。

 この気持ちを、どうやって君に伝えたら良いのだろう?

 

 悩んだ結果、黒の少年は多重音に時系列を加えてダンスで表現しはじめる。

 それは何色もある絡まりあった布の塊で表現される。黒の少年が黒布を引っ張るように踊る。反対側から少女が見よう見まねで黒い布を引っ張る……少し解ける。

 そしてふたりは左右に分かれて、ただの塊だった布を分解して七色の世界を見せる。

 舞台の真ん中、ただの塊だった布がどんどん解けて世界に広がっていく。

 ただの騒音だった多重音が……布の塊が解けていく……バラバラに全ての音が分解されて、実はすばらしい音楽だったことに気が付く。

 黒の少年の言葉を白の少女が理解したのだ。

 触れ合えば触れ合うほど、言語は少女にしみ込み……その結果、少女の記憶がよみがえっていく。

 黒の少年が白の少女に触れる。

 少女が驚く……恥じらう、それでも生まれてしまった気持ちに暴れ、波打つように指を伸ばして、黒の少年に触れる。

 瞬間、指先が黒く染まる。

 それは実際に塗料を身体に塗り付けあうダンス。自分の色という体液を塗りつけるエロティシズムの塊。

 存在しない生物外の性行為を見せられている感覚に近い。


 音楽も何もない、ただぺちょぺちょと筆が身体に液体を塗りつけている音が響き渡る。

 それが張り巡らされた布の隙間から、のぞき見のように見える。

 漏れる吐息、引き寄せるような強い足先、舐めるように動く指、それに答えるように蛇のように動く舌先。

 やがて色の布は消えて、色に犯された少年少女だけが舞台に残される。

 黒の少年は染まった少女を見て、満足げにほほ笑む。


 その顔は白のペンキに濡れて美しい。

 逆に白の少女は黒く塗られて気高い。


 少年が舞ったのは、新しい黒の言語であり、愛の告白であり、性行為そのもの。


 言語を知ることで、少女は「実は自分が黒側の人間だった」ことを思い出した。

 同時に身体からほとばしるように生まれてくる異能、押さえられない力、思い、歴史、記憶。

 そして黒側は、奪われていた娘の存在に気がつき、激怒して、戦争を仕掛けてくる。

 

 引き裂かれる白であり黒である少女と、黒の少年。

 

 少女の事情も単純ではない。

 家族や愛してくれた友達は白側にいるのだ。

 白と黒の戦いが始まり、白の少女は和解のために立ち上がる。真っ白の髪の毛の先は少しだけ黒く染まり始めていた。

 少女はその髪の毛を大切そうに引き寄せて、抱き寄せ……決意を持って白の人たちの前に立つ。

 それは死んだような表情で白い人たちをチェックしていた少女ではない。

 意志を持ち、自分のために生きようと決めた意思の塊だ。


 最後の戦いで、黒の少年と白の少女が対峙する。

 そしてギラリと剣が光る。

 黒の少年が号泣しながら少女のお腹に剣を刺そうとしているのだ。

 振りかぶって、動きをギギッと壊れた車のように止めた。


 お腹の中から『何か』を感じたのだ。


 それは鈴の音。静かに、甘く、それでいて優しく。何度か鳴り響き、やがて赤子の泣き声に変わっていく。

 剣を持った少年の手が震える、ぶるぶると制御できない、大きく揺れる。

 白の少女のお腹に中には、黒の少年の子どもが宿っていたのだ。

 鈴の音は、黒の国の人たち、白の国の人たち、全員に伝わる。

 世界にたった一滴落とされた水のように、さざ波のように、その音が広がっていく。

 それは世界の中心から波として吐き出される、間違いなく生命の叫び、ここに命があるという嘆き。

 少年の手から剣が落ちる。カラン……と空虚に響く音。


 殺せない、殺せるはずがない、それなら俺を殺せ。それで何かを消せるならば。


 叫んだ直後。

 裏切り者となった黒の少年の首が、空に飛ぶ。

 右から左に、迷いなく。まっすぐに世界を睨んだまま。

 少女の顔にぶちまけられた黒い液。震えながら、どろどろと顔についた液体に手で触れる。

 そして手についた黒い液……それは少年そのものなのだ。

 泣き叫び、それでも死ねない、死ねない、もうこうなったら絶対に死ねない。

 大きくなったお腹を抱えて少女は小さな島に逃げ込む。

 やがて真っ白な肌に黒い髪の毛を持った子どもを産む。

 その子はとてつもない力を持っていて、母は真っ黒に染まった身体で子どもを抱きしめて立つ。


 その後ろに白と黒の人々が一列になり、波のように踊る。

 その真ん中に母は子を抱いて立っている。

 戦っていた人々が踊りながらひとつの人間の束になっていく。

 白と黒が混ざり、単体の人は消えてうねる気持ちの波となる。

 母に向かって苦しそうに手を伸ばしてくる……その手の数は蛇のように、意思のように、感情にように母にまとわりつく。

 身体にあった黒い布はみんなの手で引きちぎられていく。どんどん露わになる母の身体。苦しい、前に進めない。何もない消えて行く。

 やぶられて裸にされて、それでも、それでも、足を引きずって、一歩一歩前へ進んでいく。

 最後の一枚が引きちぎられた瞬間、母が振り向いた瞬間ドンとカーテンが落ちてきて世界から叩きだされた。

 

 全身に鳥肌がたち、ブルリと身体を震わせた。

 これが、白と黒。


 口のなかに鉄の味を感じて莉恵子は我に返る……思いっきり唇を噛んでいた。

 同時に耳をつんざくような拍手と歓声が沸き上がり、観客たちが立ち上がって拍手をする。

 それは劇場全体を生き物のように包み込む。

  

 自分は白側の人間?

 白側の人間なら、黒になったらどうするか。

 愛する人がそうなったら追放するのか? 隠すのか? 

 異能を持った人間を、愛せるのか?

 その前に「君は本当に白で居続けたいのか」。


 高町が今日演出したのは、最も基本的な白と黒だった。これは序章であり基本。

 初公演から10年以上、この先を好きに作ることを許可されていることもあり、多種多様な白と黒が公演されている。

 世界情勢や人種差別を含んだ大きな事件、それがあるたびに白と黒は形を変えて演じられている。だから『伝説の舞台』なのだ。

 そして見ている人たちの感想も毎回変わる。

 莉恵子も最初みた時は「白の少女、何も悪くないよね?」と思ったが、大人になった今見ると「自分がいるだけで迷惑になるなら消えるなあ」と思う。

 割れんばかりの拍手の中、リリヤと葵は放心状態だった。


「……イヤですね、なんで違う人を追い出すんですか」

 リリヤはつぶやく。なるほど、リリヤは自分自身が外国人で、日本にいるとそう感じるのかな……と莉恵子は頷いた。

「なんで最後ひとりで子ども抱えて生きていくんです? 力がありますよね? 滅ぼしましょう。いますぐ殺戮だ、絶対に許さない、皆殺しにするまで徹底的にやれ」

 葵はめちゃくちゃ怒っている。莉恵子も昔そう思ったので苦笑してしまう。

 その言葉にリリヤが怒る。

「そんなの何の解決にもならない。同じことを繰り返すわ」

「だからって受け入れたくないんだけど。許せない」

 見た人間がそれぞれの立場で感想を述べたくなる……リトマス試験紙のような舞台、それが演劇の最高峰だと莉恵子は思っている。

 この脚本を書いたので自分の父親だということは、今もずっと誇らしい。


 リン……と再び鈴の音がして、再び世界が暗転した。


 神代のパートが始まる。

 休憩もなし、ザワザワした空気もそのまま神代は飲み込むつもりなのだ。

 その覚悟……莉恵子は羽織っていた上着の前をクッ……と閉じた。

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