第94話 信じる未来

 神代はさっそく劇場の上にあるカフェでプランを練り始めた。

 このビルは地下一階が劇場、一階が居酒屋、二階がカフェになっていて、すべて劇団関係者が運営している。

 ビルの持ち主のご厚意で安く借りていて、いつも劇が終わると打ち上げは居酒屋、頭を回したいときはカフェと決まっている。

 神代はコーヒーを飲んで髪の毛をクシャクシャと回し始めた。


「二十分。出演者は前の劇に出る人のみ。来週だからセットなし、衣装もなし。盛り上がってきたな」

「チケットは一時間で完売しました。立ち見も出すことになったみたいです。神代さん、楽しみですね」

「莉恵子~~~、突然なんだよそれと思ったけど……正直めちゃくちゃ楽しいわ。なんかこういう『もうすぐに本番がきちゃう』感覚、忘れた」

「いえ、もう単純に私が神代さんが演出する演劇を久しぶりに見たいというのが本音です。しかも先にやる高町さんの演目はジントニック伝統の『白と黒』です」

「そうだ。だから引き受けた」


 神代は嬉しそうにほほ笑んだ。

 ジントニックにはお家芸と言われている劇があり、そのタイトルは『白と黒』。

 脚本を書いたのは莉恵子の父親で、演出は高町。はじめて公演した時から評判になり、ジントニックといえば『白と黒』と呼ばれる作品だ。

 最初ジントニックには全くお金がなかったので、その劇にセットはない。

 ただ白い大きな板みたいなものが真ん中に置いてあっただけだ。

 その上に何十人も人が座り、そこから物語がはじまっていく。

 その白い板は船にも岩場にも、戦場にも、安らげる部屋にも、人の心の境界線にもなった。

 演者の服装もシンプルに白か黒。それが真っ白の板の上で物語を作り上げる。

 内容の基本さえ守れば設定を自由に使うことを父親が許可していて、多種多様な『白と黒』が公演されている。

 莉恵子はクッキーを食べながら口を開いた。


「白と黒、神代さん好きで、何度も脚本演出してますよね」

「そうだな、白と黒なら、どれだけでも書けるんだよ。続きでも小さな短編でも」

「それはプロデューサー視点で言うと『売りやすい』、ファン目線で言うと『見たい』、奥さん視点で言うと『元気になってよかった』です」

「……莉恵子」

 

 莉恵子の言葉に神代が優しく手を握ってきてくれた。その手はいつも通り大きくて、包まれるだけで抱きしめられたように落ち着く。

 正直心配していたのだ。ずっとしたかった大きな仕事、今までわりと好きに作ってきた神代にとって勝負だ。

 ここで売れると、この先一気に楽になる。神代は本来こういう売れ線の仕事をしていくタイプではなくアーティストタイプだ。

 それでもMTUが好きで、このタイミングでしか、この仕事はできない。

 だったらキャリアのプラスに絶対すべきなのだ。飲み込まれてる場合じゃない。

 でも莉恵子は結局プロデューサーだ。神代が動かないと何も始まらないのだ。

 話していたら、横にエプロンをした若い女の子が立った。


「あの神代監督!! 私、カフェでバイトしてるものです。神代監督の大ファンで、ここで働きながらジントニックで役者をしてます! あの、神代監督が白と黒の短編を演出されると聞いて……あの、ぜひ私も関わらせてください!!」


 女の子は、身長が小さくて可愛らしいが、目に力を込めて言った。

 気が付くと、話し合っていたカフェに続く外階段には数人の人影が見えた。そしてこっちを覗き込んでいる。

 たぶんTwitterをみて駆けつけてきた劇団の若い子たちだろう。

 中にはスーツ姿の子もいる。こらこら会社は? と思うけど、莉恵子もファンなので理解はできる。

 それに働きながらじゃないと演劇は続けられない。お金と時間と体力を奪われる大変な趣味だ。でもその場で観客の反応が見られる劇薬で、一度舞台を作る快感を味わうと、もう一度……と思ってしまう。

 気持ちが理解できるから、莉恵子は若い子たちに席を譲ることにした。

「神代さん、今日から泊まりですよね。荷物を持って来ます」

 と席を立つ。

 莉恵子が出ると何人かが一気に神代を囲い話し始めた。

 それを背中で聞きながら微笑む。

 映画業界では神代はもう「偉い監督」になってしまった。

 そうなると周りに集まるのは基本的に「イエスマン」のみなのだ。

 それは神代もよく分かっていて、だから毎回コンペをして新しい風を入れている。

 これもその一環になると良いと思う。そして莉恵子にはすることがあった。




 次の日。莉恵子は汗をかいた手を握り、顔を上げた。

 広い会議室には二十人以上が座っていて、みんな莉恵子だけを見ている。

 深く息を吸って顔を上げる。


「……あと二週間ください。あと二週間で、みなさんが納得する構成と脚本案を神代は出せます」

 リリヤの会社の社長は背もたれに大きな身体を沈めて分かりやすくため息をついた。

「本当に~~~? もう本当にそこが限界だよ。しかもTwitter見たけど、劇やるんだって? どういうこと?」

 さすが情報が早い。それなら話も早い。莉恵子は顔を上げて声が通るように胸を張った。

「私はこの作品のプロデューサーとして、監督神代に必要なことをさせています。あと二週間、待ってください」

「う~~ん。大場さんが言うなら待つよ。ていうか、こっちはそれしか出来ないからね。信じてるからね!」


 莉恵子は深く頭を下げたが、会議室全体はざわざわ……と落ち着かない。

 会議室はネットに繋がっていて、MTU日本支社のプロデューサーやディレクター、出資者たちも見ている。

 正直もう脚本を待たせるのは限界だ。本来鬼の形相で神代を追い回す必要がある。

 一秒だって遊ばせてる時間はない。閉じ込めて追い込めて何かを書かせるべきだ。

 でもそんなことしても良い脚本は上がらない。寄り道をさせることが近道だと信じて決めた。

 それに半年待って、あの仕上がりでは今までのやり方では駄目だということだ。

 だったら違う刺激で動かすしかない。

 正直胃がいたくてたまらない、吐き気がする。

 でもこれが『私の仕事』だ。



「……莉恵子さん、マジでヤベーですね。ここまで追い込まれてて神代監督に別の仕事させるなんて」


 戻った会社で、小野寺ちゃんは相変わらずクリーチャーを書きながら笑った。

 緊張が解けた莉恵子は「ぷえええ……」と冷えたお茶を一気のみして顔を上げた。


「今のままでは駄目、だったら博打ちしてもマイナスにはならないでしょ。私たちには私たちができる事しましょう。神代監督は女性もの主人公の原作にとらわれ過ぎてるから、その関連作……要するに男性主人公の話でも娘さんが出ている所、またその違和感がある部分を拾い上げ。そこから話を広げられそうなら小野寺ちゃんよろしく」

「おっけー。あと二週間、待ちましょう」


 小野寺は楽しそうに絵を描き、沼田は資料を読み始めた。

 葛西は大きな紙を床に貼り、MTUの作品年表を作り続けている。

 そう、今以下にはならない。だから前しか向かない。

 決めて残ったお茶を一気に飲み干した。

 私は私の出来ることを全力でして、神代の全力を待つ。

 それで駄目なら、また考える。

 それ以外何ができるっていうんだ。




 一週間後。白と黒の公演日が来た。

 劇場は開場と共に満員になり、久しぶりの熱気が気持ちが良く、椅子に置かれた大量のチラシの束さえ懐かしい。

 これは全部半年以内に行われる演劇のチラシだ。

 演劇を見る人しか、演劇はみない。それゆえ、どんな劇場に行ってもコレが椅子の上に置いてある。昔はよくこれをつくる作業を手伝わされたのだ。

 チラシの束を見ていたら、横にサラリとした金色の髪の毛が見えた。


「莉恵子さん、お久しぶりです。楽しみにしてました」

「リリヤ。来られて良かった」

「私、こういう小さな劇場初めてです。すごくワクワクします」


 そういってリリヤは帽子をクッとかぶり直し、伊達メガネの向こうで目を細めた。

 その横で葵はチラシの束を片手に、


「すごい。こんなに劇ってやってるんですね。全然知らない世界」


 と目を輝かせた。

 今日の舞台、リリヤも葵も招待することにしたのだ。ふたりはずっと神代の映画に出るのを楽しみにコンディションを高めて待っていてくれている。

 リリヤは最近舞台にも挑戦、葵は念願のミュージカルに出演することが決まった。

 演者の準備は万端なのだ。あとはこちらサイドが頑張らないと。


 神代は演出すると決めてから一週間、家に帰らず劇場に泊まり込み、演出プランを決め、演者に演技をつけていた。

 あの状態になると食事もしない、着替えもしない、風呂も入らないので、莉恵子は二日ごとに顔を出すことにした。

 神代は三階のカフェの個室に住み着いていたので、そこに着替えを持ってきて、大好きなお菓子をストックしていたら、ふらふらと歩く神代が戻ってきた。

 そして莉恵子を見つけてほにゃりと笑顔になって抱き着いてきたのだ。

 そのままずるずると膝の上に頭を置き……眠ってしまった。モシャモシャの髪の毛と曲がってしまいそうなメガネ。

 痛くないようにゆっくりメガネを外した。そしたら鼻当ての所が赤くなっていて、どれだけ長い間メガネをしたままなのよ……と撫でた。

 莉恵子の手を神代は優しく握って……静かに眠っていた。

 大好きな大きな手はペンのインクで真黒になっていた。台本に恐ろしい量の文字を書きながら演出するので、右手の指が真黒になるのだ。

 莉恵子はウエットティッシュでそれを拭きとった。

 膝の上で完全に脱力して眠る神代が可愛くて、好きで、やっぱり尊敬してて、そんな人の一番でいられる自分が誇らしい。

 それに見合う自分で居たいと思いつつ、そんなことより神代さん可愛い……と眠っている間ずっと頭を撫でていた。

 やっぱり神代さんのこと好きすぎる。

 そして一週間のうち、横になって眠ったのはその日だけだったと金子に聞いて驚愕したが……とにかく仕上がったようだ。



 さあ、幕が上がる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る