第93話 進むための回り道

高町たかまちさん、おつかれさまです」

「おお~莉恵子ちゃん」


 莉恵子が頭をさげると、横に立っていた神代も頭を下げて挨拶した。


「高町さん、お久しぶりです」

「おお、神代も来たのか。新婚自慢か、このやろー!」

「そうです、惚気にきました」

「今すぐ帰れーーー!」


 絶叫する高町の前で莉恵子と神代は手を叩いて笑った。やっぱり高町さんは相変わらずだ。

 休日のある日。莉恵子と神代は父親が作った劇団に顔を出していた。

 劇団名は『ジントニック』。劇団を作ったのは莉恵子の父親と、もうひとり……今、目の前で楽しそうに笑っている高町だ。


 莉恵子の父親はお酒が好きで、会社帰りによくバーで飲んでいた。

 そこで知り合ったのが、高町だった。高町は元お笑い芸人で父親と知り合った時には放送作家として働いていた。

 ふたりは気が合い、いつも一緒に飲んでいたのだが、話していると周りに人が集まる。

 高町は元々お笑い芸人で話が面白く、父親は博識で知識が豊富で何より人に好かれる朗らかな性格だった。

 そしてバーのマスターの勧めで、そのままトークショーのようなことをするようになった。

 最初は単純な漫談を聞かせるような状態だったようだが、高町が父親に脚本の才能があることに気が付き、ちゃんとした劇をするようになった。

 そして劇団『ジントニック』が旗揚げされた。

 『ジントニック』の由来は「劇団にするか~」と決めたときにふたりで飲んでた酒だというから分かりやすい。

 父親は普通に働いていたので、それほど脚本を書けない。それでも高町は父親の脚本に惚れこみ、脚本が上がったら演出する……というのんびりしたスタイルで続けていた。

 そして父親が急死……そのまま『ジントニック』は解散すると思われていたが、立ち上がったのは神代だった。

 『ジントニック』を無くしたくない神代は二十本以上の脚本を持ち込んでアピール、熱意に負けた高町と組み『ジントニック二杯目』が生まれたのだ。

 ちなみにこの名前は正式名称で、神代が言い始めた。

 自分はまだまだ『ジントニック』を名乗れない。二杯目の存在だって。

 そして神代はそのまま映画の世界に進み『ジントニック』は高町がたまに公演をしている劇団として残った。

 高町さんはニヤニヤしながら神代の肩を揉んだ。


「神代監督ぅ~~超大作の準備はどうですかぁ?」

「ハイがんばってます!!」

「楽しみにしてるからよお。まさかお前がここまで出世すると思わなかったよ」

「高町さんに鍛えて頂いたおかげです」

「よし五億円よこせ」

「じゃあ五億回見に来てくださいね」

「五億回連続で批評してやるよ」

「楽しみです!!」


 神代はそういって顔をクシャクシャにして高町に走り寄った。

 莉恵子はその笑顔をみて、ここだと神代は子どもに戻れるんだな……と思った。

 高町は莉恵子と神代が結婚披露飲み会? をした時にも劇団員みんなを連れて最初に来てくれた。

 神代が酒に弱いと知っているからだ。神代はもう、とにかく酒に弱い。

 それは昔からだ。酒好きの高町は二十歳になった神代に酒を飲ませるのを楽しみに待っていた。

 そして劇団名である『ジントニック』を飲ませて語ろうとしたら……飲んで数分後には神代は寝落ちしていたのだ。

 「おい神代、俺はお前と酒を飲むのを楽しみにしてたのに!」と高町さんは叫んでいた。

 莉恵子はまだあの頃未成年でお酒は飲めなかった。

 酔った神代が莉恵子の膝の上に転がってきて……頭を撫でたのを今でも覚えている。

 

「莉恵子さん、おつかれさまです~」

「金子さん、おつかれさまです」


 高町と神代が楽しそうに話していたので、邪魔にならないように遠くで見ていたら、劇団制作の金子が近づいてきた。

 金子は普通の会社員だが、趣味でずっと劇団に関わっている人だ。

 高町と父親の大ファンでジントニックに来てから数十年、ずっと制作の仕事をしてくれている。

 劇団の制作は、莉恵子の仕事……映像のプロデューサーとよく似ていて、まあとにかく雑務が多い。

 金子は莉恵子にiPadを見せながら泣きついた。


「莉恵子さん~~~見て下さいよ~~。休日は全部売れたんですけど平日が全く動かないです」

「うーん。これはキツイね。でもさあ、このご時世平日の仕事終わりに五十人も見に来てくれるなら恩の字だけどねえ」

「そうなんですけどー。それでも半分空いてると、ほぼマイナスですよー」


 金子は嘆いた。

 自宅で映画が気楽に見られるこのご時世、劇場に足を運んで演劇を見たい人は限られる。

 ジントニックも昔ながらのファンに支えられて細々続けているだけだ。

 でもジントニックは他の劇団と少し違っていて、劇が終わると二十分くらい高町が酒を飲みながらひとりで話す。

 お客さんにも一杯振る舞われて、それは劇団の名物でもあるんだけど……考えて顔を上げる。


「神代さん!」

「おう。なんだ?」


 高町と話していた神代が莉恵子に呼ばれて戻ってきた。

 莉恵子はiPadを見せながら言う。


「来週の平日公演、月曜日から金曜日。高町さんのクソみたいなトークコーナーを潰して、神代さん、ショートの劇やりませんか」

「えええええ?!? はあ? 莉恵子、そんなの無理だろ」

「神代さん、今スランプですよね」

「ぐえーーーーーーー」


 莉恵子の言葉に神代は分かりやすく舌を出して目を閉じた。

 神代はずっと映画の脚本を書いているが恐ろしいほどのスランプに陥っている。


 莉恵子と神代が今している仕事はアメリカのMTUという会社のものだ。

 MTUという巨大映画会社は元々SF小説を手掛けていた出版社で五十年以上蓄積された原作を持っている。今までそれを映画にして配給してきたが、ここにきて世界展開、日本でも展開させるために神代が選ばれた。

 それは日本だけではない、中国、ヨーロッパ、北米と同時展開が決まっていて、唯一の条件はMTUの小説の中からアイデアを使うということだ。

 その本の数……三万点以上。内容も多種多様で世界中にファンがいる……それがMTUだ。

 神代は元々MTUの大ファンで、だからこそ苦しんでいた。

 

 企画が動き出して半年以上、神代は日本先っぽ巡り症候群という、別名「何も書けません病」になり日本を転々としていた。

 莉恵子も見守る程度……家で会っても仕事のことは全く話さず、楽しく過ごすことに集中した。

 なにより自分自身が神代の脚本を楽しみにしていたのだ。

 そして先日初めて構成……つまりは脚本の前段階のものを読んだのだが、ものすごく普通だったのだ。

 それを会議で神代に伝えたら沼地のように落ち込んでしまった。

 だから今日は気分転換に劇団に遊びにきたのだ。

 莉恵子は仕事の顔を取り出して背筋を伸ばす。


「神代監督。これ以上、脚本待てません」

「ぐえーーーーー」


 神代監督と呼ぶのは、仕事の莉恵子。

 でもここからは嫁であり、恋人であり、付き合いが長く『ジントニック』の娘である莉恵子になって神代に近付く。


「神代さん、ずっと映画作ってて、人の前ですぐに反応が返ってくる物、作ってないですよね」

「……確かに」

「映画って出来てから流れるまでにかなり時間がかかるし、公開されるときにはもうこっち側は『終わった』気持ちしかないです」

「その通り」

「でも劇は違う。目の前でダイレクトです。久しぶりにすぐに反応が得られること、しませんか」


 莉恵子の言葉に神代は顔を上げた。

 その表情は昔劇団で憧れた……演出家の神代だった。


「なるほど。たしかに、それはいいな。二十分なら作れる。てか、そんなの俺たちだけで決めて大丈夫なの?」

「おっけぇで~~~す、もうツイートしましたRTされました、チケット売れ始めました~~~やった~~~」


 後ろに立ってこっそり聞いていた金子が小躍りする。

 それを聞きつけた高町がニヤニヤしながら近づいてきた。


「おいおい神代、俺のスペシャルトークタイム、潰すんじゃねーよ、あれを目的に来るお客さんがたくさんいるってのによお~~~」

「いえ、最近同じ話がループしててアンケートでは不評で不評で、どうやって『いい加減やめてくれ』って言おうか悩んでました」

「金子おおお前えええええ!!」


 高町は金子を捕まえて叫んでるけど、その表情はめちゃくちゃ笑顔で嬉しそうで喜んでいるのが分かる。

 なにより莉恵子が神代の演劇、久しぶりに見たくて仕方ない。

 正直このタイミングでこんなことをするのは博打だ。

 でも何もしなかったら、このまま神代は折れて脚本はこのまま落ちる。

 残るのは大損害と抱えたスタッフの苦しみだけだ。

 今動かないとダメ。

 それだけは莉恵子の中に確信としてあった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る