第86話 それでも一緒に
「ようかん、旨いな」
穏やかな日差しが降り注ぐ午後、航平は喜代美が持ってきたようかんを口に入れた。
「航平さん、ようかん良いと思いますよ。脳のエネルギーになるし、ラムネよりお腹が膨れます。調べて置いておきますね」
芽依は柔らかくほほ笑んで髪の毛を耳にかけた。
その髪の毛が茶色く痛んでいるのに航平は気が付いた。
紫外線に長く晒されて痛んだのだろうか。手を伸ばして髪先に触れるとザラリとした。
「芽依、美容院に行こうか。髪の毛が傷んでる」
「大丈夫ですよ。これから一か月作業が続きますし、行くならそれが終わってから自分で行きます」
その言葉にしょんぼりしてしまう。
芽依は本当に甘えない。本家の岳秋から「菅原の人間だと知れると、めちゃくちゃお金使わされるんだよ」と言われていたし、母親である晶子の金使いは尋常ではない。だから女というものはそういうものだと思っていたが、芽依はなにひとつ欲しがらない。
それどころかすべて断ってくる。遊びにいこうと行っても最低限、何かほしいものがないのかと聞いても首をふる。
独占欲から付けて欲しいと言った指輪さえ、畑作業で日焼けするし痛むのがイヤなのでと断られてしまった。悲しい。
芽依に何かしたくて途方にくれてしまう。特別だと伝えたいのに術がない、言葉も得意ではない。
もうこうなったら情に訴えるしかない。航平は髪の毛に触れて顔を覗き込んだ。
「俺が綺麗になる芽依がみたいんだ。俺のために、頼む」
「でもすぐに痛みますし、無意味だと思うんですけど……じゃあ私が髪の毛を綺麗にしたら、航平さんはスーツを着てくれますか? きれいにするなら一緒に食事に出かけたいです」
受け入れてくれた。それにそんなこと言われたら嬉しくて仕方ない。
喜びでそわそわしてきてしまう。
「いいぞ、どこがいい?」
「豪華すぎる店は落ち着かないですから苦手です。航平さんが好きな、何度か行ったことがある店を私に教えてください。そしたらその味を参考にまたご飯作りますから」
「わかった、うん。そうする。もう暗くなる。仕事は終わりだ。基地に行こう。シャワーを浴びて今日美容院に行こう。近藤にスーツの準備をさせるから飯も行こう」
「急すぎませんか?」
「明日から一週間馬場のラボなんだ」
「……そうですか」
芽依の眉毛がしょんぼりと下がったのを見ると、心臓が握り潰されたように痛くなる。
ああ、くそ……。最近はこうして学校に来る日が待ち遠しいが、その一日が終わるのがイヤで仕方ない。
もっと芽依とゆっくりしたいという気持ちがあるのに、吐くような気持ちで向かったラボでは開発が面白くてずっと作業したくなる。
このジレンマは永遠に消える気がしない。
芽依は切り替えたのか、一度目を閉じて顔を上げた。
「じゃあ、今日はお出かけしましょうか。私、航平さんのスーツ姿好きなんです」
「俺は芽依の全部が好きだ!!」
「服装の話をしてたつもりですけど……でも、はい、うれしいです」
ほわりと溶けるような笑顔に抱きしめたくなる。
何かするとまっすぐに対応してくれる心が、嬉しくてしかたない。
芽依は航平が話しかけると、その言葉をちゃんと理解して、誠実に向かってくれるのだ。
芽依に話しかけたい。そしてなんていうか聞きたい。もっと言葉を、気持ちを交換したいんだ。
それなのに芽依の後ろに不審な影が見える。蘭上にミコに弘樹に篤史たち……何をしているかは知っている。泥団子を作っているのだ。
アイツら……またやるつもりだな。航平は蘭上たちを睨んだ。
実はこの前、芽依と話していたら蘭上が泥団子を航平に投げつけてきた。
単純に仲良しな俺たちにちょっかいを出したい子どものクソような感情だろう。
芽依といられる大切な時間を邪魔されることを、航平は一番嫌っている。
後ろに控えている近藤を呼ぶ。
「準備は出来てるか」
「はい。完璧です」
「芽依、帰ろう。無駄な戦いに費やす時間は俺にはない」
「え?」
芽依を後ろに停めてあった車に乗せる。同時に近藤は長い筒を抱えて膝をついて座った。筒についているトリガーを引くと、筒から球がドフォフォンと音を立てて発射された。
球は蘭上たちに着弾した瞬間に煙となり一気に広がった。
「ぎゃああああ何?! なんだこれ、何がおこったの?!」
「ぐっほ、この煙、ヤバ、何も見えないんだけど!」
「ぎゃーーー、まだ何個も飛んでくるよ、蘭上~~~!」
響き渡る叫び声に航平はニヤニヤしてしまう。天才が作ったスーパー泥団子を喰らえ!
この前畑で芽依と話していたら蘭上が泥団子をぶつけてきて、芽依に当たったのだ。
ああん……? お前らそんなことをして許されると思ってんのか……?
マジ切れして仕事の隙間……いや仕事そっちのけで岸本の若いやつらと一緒にこのマシンを作ったのだ。
岸本のヤツラ、仕事以上に目を輝かせて「芽依さんを守りましょう!!」てメチャクチャ頑張って設計してきた。
面白すぎるだろ。結果、かなり特殊な泥団子を噴射するマシンが出来上がった。
あとは近藤に任せた、薙ぎ払え!!
近藤がマシンから泥団子を噴射すると、蘭上たちが叫んで逃げ出しはじめた。
「ぐっほ!! なんだこの煙ヤバすぎだろ?! 前が何も見えないんだけど!!」
「黒スーツのサングラス男が噴射する泥団子マシン、エグイ、信じられない!!」
「こんなクソみたいなの、航平しか作れない、忙しいんじゃなかったの?!」
「いやああああ誰がそんな本気で泥団子作れって言ったのよーーー!!」
「あのマシン欲しいぃぃ!!」
ガキどもの叫び声を聞きながら芽依を連れ去った。まあ航平さまが本気を出したらこんなものだ。
横で芽依が涙を流して笑っている。
「航平さん、何を作ってるんですか。近藤さんがスーツ姿で泥団子を銃で噴射って、ちょっとすいません。面白すぎます」
「前に蘭上が芽依に泥団子ぶつけただろ。もう許さん」
「偶然当たっただけですよ。全然痛くなかったし。あれちょっとまってください、どれくらいの威力なんですか」
「身体に当たった瞬時に煙になる特殊な球を作った。あの煙はエステにも使われているもので、肌にいいんだ」
「肌にいい泥団子! すいません、面白くて」
芽依は目元を押さえて笑いながら泣いた。
航平さま本気の嫌がらせを喰らえ!! 芽依に何かするやつは許さない。
基地に戻りシャワーを浴びさせて、美容院に向かった。芽依のためにスーツを着るなら、俺のために俺が選んだ選んだ服を着てくれと頼んだら、受け入れてくれた。
戻った近藤からスーツを受け取り、芽依と食事を楽しんだ。
高すぎる店はイヤだというので、昔からよく行く小さな和食店にしたら喜んでくれた。
そしてしたくなかったが……喜代美から渡された写真を見せた。
この話をするために外で食事に誘ったのが本音だった。基地だと空気が重くなるかもしれないと思った。
芽依は写真を見てキョトンとした顔で口を開いた。
「母親は亡くなっていて、これが父親ですか。あら、こんな顔でしたっけ……」
その言い方に安心した。菅原は関わる人間を徹底的に調査して、何かあると潰しにかかる。
だから思い入れがあるなら、可哀相なことをする……と心配していた。
芽依の本当の両親は育児放置をしていて、関わりは薄い。
だから良い印象がないことは知っていたが、菅原の家に関わるとろくでもないことになるので、それを心配していた。
お茶を一口飲んで芽依の手を握る。
「俺は菅原の人間だから、深く付き合う人間は、徹底的に調べられる。悪いが、こういうこともたくさん出てくる」
「この人たちは興味がないので構わないです。でも莉恵子と旦那さま、その両親は、何かされたら困りますよ」
「大丈夫だ。そこは守る」
その言葉に芽依は「約束ですよ」と甘くほほ笑んだ。
芽依は神代莉恵子という幼馴染みの女性と長く一緒にいて、今も共同生活をしている。
はやく一緒に住みたいが新型タービンが出来るまで身動きが取れない。
それに芽依からは「あの家と居酒屋付近を離れたくないんですよね」と言われている。
芽依は航平の手を優しく握り返してくれた。
「莉恵子と居酒屋が守ってもらえればそれでいいです。逆にこの人が航平さんに面倒をかけないといいですけど」
「大丈夫だ。芽依、ご飯も食べ終わったし帰ろうか。基地で抱きしめてキスしたい」
「もう遅い時間ですよ。明日もお仕事なんですよね? 私も明日は早いですよ」
「少しだけ。すぐに送らせるから」
「そんなこと言って……この前も全然帰してくれませんでしたよ? 明日も仕事なんですよね? 航平さんにはちゃんと寝て欲しいんです」
そう言って小首をかしげると、髪の毛がサラリと動いた。
芽依の髪の毛は美容院でトリートメントして貰った結果、ツルツルになった。朱色のワンピースを着てめちゃくちゃ可愛い。
いつも暗めの服を好んで着ているが明るい色のが似合うと思う。そして細めた目の上が少しだけキラキラしている。
美容院で「少しだけメイクしませんか?」とメイクさんが提案してくれたのだ。
戸惑っていたが「せっかく髪の毛も服も綺麗にして頂いて、顔が素顔じゃ駄目ですよね」と受け入れてくれた。
いつも化粧をしないから、たまにするとめちゃくちゃ可愛い。
いや普段の服装も、なんなら畑にいる時も可愛いが、別格の可愛さになる。
頬に手を伸ばして優しく触れる。表面が冷たくて、掌で温めるように優しく体温を与えた。
いつも思うんだ、境界線なんて消えてしまえばいい、俺の中に芽依を取り込みたい。そしたらずっと一緒にいられるのに。
芽依は掌に頭を預けるように目を閉じた。
芽依が好きだ。だからずっと一緒にいられるようになりたい。
染み出すように言葉を吐き出す。
「……仕事、終わらせる」
「学校で待ってますね。でも次に来る時は覚悟したほうが良さそうですよ。泥団子マシン、篤史くんたち分解してコピーを作ると思います」
「マジか、それは考えてなかった」
「だってほら、さっきLINEがきたんです」
そう言って芽依が見せてきたLINEには、サツマイモのツタで縛り上げられた近藤とドヤ顔の蘭上、そして子どもたちがピースサインをして写っていた。
おいおい、さっき近藤がスーツ持ってきた時はそんなこと一言も言って無かったぞ?!
芽依は楽しそうに写真を見て、
「次航平さんが来るときは、泥団子戦争ですね。私は近くで見たいけど泥だらけはイヤなので、筒を作ってください。移動できる筒にしてくださいね」
とほほ笑んだ。移動できる筒? ポリカーボネートで作ればいいのか? いや、アルカリに弱いからそこを狙われると面倒だ。
やっぱり塩化ビニリデン樹脂だな。耐薬品性が良い所が気に入っている。それをガラス繊維で補強すれば完璧じゃないか?
しかし熱を逃がさないから五分も立たず熱風呂だ。芽依をそんな目に合わせられない、クーラーをつけるか! いや、排熱は? 明日岸本の奴らと相談しよう。
泥団子銃も性能アップしないと負けてしまう。連射機能を追加すべきだろう、元々人数で負けている場合の必勝方法はそれしかない。
「航平さん、色々楽しくなっちゃってますね?」
そう言って芽依はほほ笑んだ。
そうだ、芽依といると毎日が楽しい。なにより心の真ん中が楽になった。
やっぱり今日も遅くまで帰せそうにないと芽依の腰を引き寄せて頬にキスをした。
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