第80話 それでも諦めきれないから
いつものホテルに車を向かわせる。
しかし打ち上げに顔を出すのはやめて基地で眠ろうか……と航平は思いはじめていた。
「……仕事が多すぎる」
ため息をついた。
ここから始まる新型タービンの開発は単純な道のりではない。
菅原重工に丸投げしたいが、航平が居ないと進まないだろう。
それが終わったら次は岸本のジェットエンジンが待っている。
しかも内容は『100キロ歩いたら誰かいるかもしれないからとりあえず歩いてみるか』レベルの無謀ぶり。
筋道も見えないのに、そこまでしないと政略結婚が待っているようだ。
「めんどくせえ」
楽しい事しかしたくないのに、どうしてこうなったのだろう。
もう政略結婚のが楽だろう。
結婚は家の契約で、子どもなんて性行為無しで生まれてくるし、感情は必要ない。
俺には政略結婚がお似合い……そう思いはじめた。
……いや、嘘だ。そう思いたいんだ。
自分に関わる人間はすべて菅原に利用されると思い知った。
航平は本家ではなく愛人の息子だ。
しかし本家の岳秋は弱すぎて、すべて航平がすることになるのは昔から分かっていた。
その結果、航平の所には本家並みの圧力がかかってくるのは間違いがない。
航平は何されようが無視できるが、芽依を狙われたら身動きが取れなくなる。
守りたいものがないからこそ無敵で居られるんだ。
調べると、新田の嫁と晶子は大学時代、同じラボだった。
楽しそうに笑っている写真を見ると、こんな普通だったのに、菅原に入ってゴミクズみたいになったのが怖すぎる。
……菅原は、本当にやべぇ。金と思惑と支配渦巻く地獄だ。
俺がイヤだと思う場所に、どうして芽依を入れられる?
芽依のことは学校で見てればそれで良い。菅原には菅原の家に適合した女じゃないと、生きていけないだろう。
この一連で知らされたのは「恋が出来る立場にない」ということだけだった。
「……近藤。基地に戻って寝る。裏の駐車場につけてくれ」
「わかりました」
寝よう。航平は車から降りた。
すると裏口の駐車場に、日向ミコがいた。もう衣装ではなく普通の服を着ている。
そして手をヒラヒラさせながら航平に近づいてきた。
「やっほー、学長、ひさしぶりじゃん。痩せたぁ?」
「仕事してた。打ち上げは終わったのか?」
「これからだよー。でもミコは仕事~。もう駄目、よさこいのために全部止めてたんだけど、もう断れないー」
「歌、良かったぞ」
「見てくれたのー? うれしい。あ、学長、芽依ちゃん先生に会った? 芽依ちゃん先生、航平がいない間、ず~っと学長室覗いて淋しそうにしてたよ。これ見た?」
そう言ってミコが見せてきたのは、レゴで再現された学長室だった。
机、本棚、そしてレゴ棚、外の屋上庭園、ベンチ。
そしてその部屋に特殊なソフトを使わないと作れないレゴの人形が置いてあった。
航平と、芽依。ふたりは仲良く並んでいる。
そして近藤と、長尾と、蘭上、それにミコも篤史も弘樹も置いてあった。
ミコは笑いながら言う。
「がんばって作ってたよ~。毎日ぷんぷん怒って、めちゃくちゃ可愛かったんだから。学長愛されてるじゃん~~。この人形作るソフトヤバいって! ミコも手伝おうと思ったけど、難しくてぜんぜんわかんないんだけど!」
ソフトを使うと顔や髪型、それに体形などすべてオリジナルで作ることが出来る。
しかし内容が難しい。芽依はこういうことに強くないはずだ。
ミコは航平のレゴを拡大して見せてくれた。
「学長、ちゃんとワイシャツ着てるの。ウケる~」
そのレゴにプリントされていたワイシャツは、芽依が抱きしめて泣いたワイシャツだった。
航平は唇を噛んだ。
屋上で丸まって「わかんないー」ってノートパソコンいじってたのになあ。
「難しくしないでくださいね」って怒ってたのになあ。
このソフト、3Dだろ。どうやったんだ。
篤史もわかんねーだろ……そもそも言語が英語だ。
なにやってるんだよ。どれだけ時間かかったんだ、芽依。
「……バカだな」
口にすると、どうしようもなく芽依に会いたくなった。
航平はミコにお礼を言って打ち上げをしている部屋に向かった。
会場に入って芽依を探したが、姿が見えない。
ここは式典で使う大きなホールだ。芽依は入学式の時も一番後ろの隅っこに座っていた。
こういう会が苦手なのだろう。だからきっと奥にいる。
そう信じて一番後ろに行くが……いない。
じゃあ裏か? 会場を出て準備室に行くが、そこには大量の料理があるだけだった。
居ない。じゃあどこにいるんだ。ここじゃなくて合宿棟にいるのか。
いや、みんなここに居るように見える。
そうだ、LINEで……とポケットから取り出したら後ろから抱きつかれた。
「学長じゃん~~~!」
「蘭上。芽依を見なかったか」
「芽依さん? さっき裏庭方面に出て行ったよ。それよりお仕事終わったの? 飲もうよーー」
「悪い。先に芽依に会わせてくれ。あ、演舞良かったぞ」
「見てくれたの?? やったーーー!」
蘭上に手を振って航平は階段を走り下りた。裏庭方向には基地がある。
そっちに向かったのか。
エレベーターを待てなくて階段を駆け下りたら、膝に力が入らなくて転びそうになった。
体力がヤバい。さすがに無理しすぎた。
舗装されてない道が膝に辛くて、息切れして、頭が痛い。
フラフラになりながら基地についた。
乱れた髪をかき上げて認証させて部屋に入ると階段の一番上に丁寧に置かれた靴が見えた。
芽依のものだ。
掃除をずっとしてないから土足でいいのに……と思ったが、きっと部屋に設計図が広がってるから、ここで脱いだんだ。
芽依らしい。航平は階段をおりて部屋の中に入った。
芽依はどこだ?
さがして歩くと、ソファーの横に立っている芽依が居た。
「芽依!!」
「あ。航平さん。会えて良かった。ラムネと水の補給に来たんです。痩せちゃいましたね、大丈夫ですか?」
芽依はそう言ってふんわりとほほ笑んだ。
その笑顔を見て、航平の心臓は握られるように痛くなった。
ああ、どうしてあきらめられると思ったのだろう。
こんなに笑顔ひとつ見るだけで、どうしようもなく苦しいのに、嬉しいのに、どうしてそんなことを思えたのだろう。
芽依が近づいてきてくれてるのに、俺が遠ざかってどうするんだ。
俺が絶対あきらめちゃいけないものは……
航平はそのまま階段を駆け下りて、芽依の肩を抱き寄せた。
「……芽依、疲れた」
「はい、おつかれさまでした。……痩せましたね」
モゾリと近づいて来る芽依に両腕で包むように、抱え込むように、確かめるように触れる。
柔らかくてふわりと甘い香りがして、それさえも自分の中に取り込みたくて大きく息を吸う。
芽依はコテン……と頭を航平の顎の下に入れて、航平の一部のようになって口を開く。
「……航平さんは、体温が高いですね」
「そうだな、平熱が37度ある」
「高いですね。でも健康的。疲れたなら、眠られますか?」
そう言って航平と別の物になろうとする芽依を引き寄せた。
「疲れてない、眠くない」
「わかりました」
そう言って少し笑い、再び航平に抱きついてきた身体を再び抱き寄せる。
長く抱きしめていると航平の体温の中に、芽依が溶けていくのが分かる。
ああ、もうこのまま飲み込んで食べてしまえたら……と顔を覗き込むと、まっすぐに見ている芽依の真ん丸な視線がそこにあり、我に返った。
俺はいつの間に抱きしめてたんだ?!
航平はそのまま飛び跳ねるように離れた。
探して走りまわって、顔を見たら我を忘れて抱き寄せていたけれど、芽依からしたら突然何をされたのかワケが分からないだろう。
航平は後ずさりしながら慌てて弁明した。
「……すまん。ちょっと考え事しながら走ってきて。顔を見たら……すまん」
航平から離れた芽依はキョトンとした顔をしていたが、口元に指を持ってきて「うーん」と考えて、ソファーに座った。
「……航平さんは、寝ている時のほうが積極的なんですね」
「え?! 俺、ラムネ持ってきてくれた芽依に何かしたのか」
「……航平さん。ソファーに座ってください」
「……おう」
「えい」
「?」
航平がソファーに座ると、芽依は航平の胸もとを押してきた。
これは横になれということだろうか……戸惑いながらそれに従った。
すると「よいしょ」と芽依が横に座り、そのまま横になり、くっ付いてきた。
「?!」
そして胸もとにモゾモゾと入ってくる。
状況が理解できなくて石のように固まってしまう。
芽依は「んしょ、んしょ」と腕を持ち上げて隙間に入り、足の間に足を入れてきて、モゾモゾと顎の下から「えい」と顔を出した。
「こんなことしました」
「こんなこと寝てる時にするか!!!」
「……じゃあもういいです」
「嘘だ。いくな。駄目だ、寝てる時の俺も天才だって話をしている」
航平は横になった状態で芽依を抱き寄せた。
立って抱き寄せた時より密着度が高くて、気持ちが良い。
寝ている俺はこれをどれくらいの時間していたのだ、教えてくれ寝ていた俺。
この気持ちが良い時間をどれくらい味わっても許されるのだ、教えてくれ寝ていた俺。
状況が飲み込めないので思考を飛ばして理性を保っていると、芽依は胸もとからモソモゾと顔をあげた。
髪の毛がモシャアとなったまま、ふわりとほほ笑んだ。
そして目を細めて口を開き
「あ、おひげがないですね。前はおひげがありました」
と細い指先で顎に触れた。
ああ……もう駄目だ。
航平は芽依の両頬を包んだ。芽依の顔は小さい。ものすごく小さくて両手にすっぽりと包めてしまう。
柔らかい頬、それに猫みたいに真ん丸な瞳、もう自分だけのものにしたくて、我慢ができない。
航平は小さな頬を両手で引き寄せて、芽依の薄い唇に自分の唇を触れさせた。
……冷たい。
身体はずっとくっ付いているから、ふたつじゃなくてひとつみたいに温かいのに、芽依の唇は冷たくて……それが悲しくて何度も唇を重ねた。
芽依はワイシャツをクッ……と握ってそれに答えてくれる。
それが嬉しくて、頬を包んで逃げられないようにしてしまう。
何度も何度も唇を重ねていると、温度が溶けて、唇もひとつになるのが分かった。
やっとひとりじゃなくなって、安心して唇を離した。
芽依は胸もとから真ん丸な目で航平を見て口を開いた。
「……してほしくて、ソファーに転がしてしまいました」
「芽依、駄目だ、そんなこというな」
気持ちの真ん中がいっぱいになってしまい、芽依を強く抱き寄せた。
そして口を開く。
「芽依。レゴ、見たぞ」
「あ、学長室の。あの専用ソフトは何なんですか。あんなの、……んっ……」
睨んで文句を言う芽依が可愛くて再びキスをした。
ああ、駄目だ、もうこれは、駄目だぞ。
「あのな、俺、仕事がすげーーーことになるんだ」
「そうなんですか……仕事なら仕方ないですね」
芽依は胸もとで眉毛をさげた。
視線も口元も、しおしおと落ち込んでいく。
「おいやめろ、そんな顔をするな、待て、やめろ、その顔はやめろ」
航平はそんな芽依の顔が見たくなくて、でも離したくなくて抱き寄せた。
芽依は航平に抱きついたまま口を開く。
「アプリも勉強しますし、そろそろ大豆の収穫準備も始まります、航平さんはお仕事がんばってくださいね」
「……芽依が好きだ」
「会えなかった間に、いろんなラムネを買っちゃいました。髪の毛が傷んでいたので……あ、髪の毛も切ったんですね。そうやってたくさん航平さんを思い出して、あれ、これが恋なのねって気が付きました。私は航平さんと恋がしたい。航平さんをもっと知って、好きになりたいです」
「芽依」
晶子の呪いを知っているのに、もっと知りたい、好きになりたいと言ってもらえることが嬉しくて仕方ない。
嬉しい、すごく嬉しい。
航平は再び芽依の唇に、自分の唇を触れさせた。
実は人生で初めてキスをしたが……ひとつになれる感覚がとても気持ちが良い。
顔を離すと、嬉しそうにコテンと甘えてくるのもたまらない。
おいおい、めちゃくちゃ可愛いぞ。なんだこれ大丈夫か? もっとこう、盛大に保護しなくていいのか?!
……本格的に仕事に行くのがイヤになってきた。
「……イヤだ。馬場と岸本のラボに行きたくない。バカじゃねーか、無理だろあんなの、絶対やりたくねえ!!」
「そうなんですか。よく分からないですけど、私はここに居ますから」
「行きたくない、やりたくない、何もしたくない、イヤだ。毎日芽依とキスしてここで暮らす!!」
「お仕事なんですよね?」
「行きたくない!!!!! イヤだ!!!!」
叫ぶ航平の頬を、芽依が柔らかく包んだ。
「いつでもここに居ますから」
「行きたく、ない!!!」
航平が叫ぶと芽依は声をあげて笑った。
行きたくない……じじぃと魑魅魍魎しか居ないマジもんの地獄だ。
でも仕事を終わらせないと芽依にプロポーズできない。
……ここは地獄か。
ため息をつく航平の胸もとに芽依がモゾモゾとしがみ付いてきてワイシャツを握った。
そして胸もとで顔をあげてふわりとほほ笑んだ。
……やっぱり天国だ。
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三章はここまでとなります。
読んでいただき、ありがとうございました。
更新スケジュールについて近況ノートに書きました。
ご一読頂けるとうれしいです。
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