第77話 君はいつだって僕のヒーロー

「顔のそれ、取れないの?」

「なんで顔にスミつけてるんですかあ?」


 生まれた時から弘樹の顔には大きなシミがあった。

 それは右目の下の所に、すごく大きく丸く黒く、墨汁がポチャンと垂れたような大きなシミ。

 それは手術で取れるけど、小学校に入るまで手術はできないと言われていた。

 神経とか、肌とか、色んな条件が重なって、やっと取れるって。

 そして上手な先生は、順番待ちだった。 

 一年生になる前には手術できるって聞いてたのに、弘樹の目の下には大きなシミがあるままだった。


「なにそれ、取ったら?」

「顔洗ったあ?」


 ひどい事をたくさん言われて、入学式の次の日から学校に行けなくなった。

 人の声を聞くと汗が噴き出して、顔が真っ赤になって、手が震えるようになってしまったんだ。

 お母さんは「こんな風に産んでごめんね」と何度も謝ってくれたけど何も悪くない。

 むしろお母さんが泣くのがイヤで「気にしてないよ」って顔してたから、つらくなったんだ。

 つらいんだ、イヤなんだよ、こんなの。


 そんな時に、蘭上の記事をネットで読んだ。


 肌の病気で、太陽に当たれない。

 それでずっと学校に行ってなかった。そして歌を作ったって。

 いいなあ、かっこいい。

 

 聞いてみたら曲は全部かっこよくて、なにより居場所がない、誰も悪くない、それでもつらくて仕方ない僕の心を歌ってくれていて、嬉しかった。

 ライブも全部ネットで配信されてたから、それを見た。真似て歌ってみたけど、全然才能はなかった。

 でもプロモーションビデオがかっこよくて、映像に興味を持ち、自分で撮った写真とか動かしたりした。

 お父さんは学校に行けない僕を恥ずかしいと思っていて、外に出ることを禁止した。

 みんなができることができない恥ずかしい子。みんなが普通で僕は普通じゃないハズレな子。

 自分が嫌いで、気にしてないわよという顔をするお母さんさえイヤになった。


 その頃、蘭上が学校に行きはじめた……というニュースをネットで見た。

 そこは菅原学園という自由な学校で、小学校なのに授業は単位制。行っても行かなくてもいい。


 なにより、憧れの蘭上がいるのは魅力だった。

 手術も終わり、シミは無くなった。何年も待っただけあって、先生の腕は確かで、もう顔にシミがあったことは誰もわからない。

 だったら、前と同じ学校に行くより、違う所で始めてみたい。

 悩んだけど、お願いして入学させてもらうことにした。


 入学してしばらくは、顔をバカにされるんじゃないかって怖くて、PCルームでひたすら勉強してた。

 一年生から四年生まで学校に通ってなかったので、することはたくさんあった。

 ゲームみたいに進む授業は、どれも面白くて、単位はあっと言う間に取れてしまった。


 そして蘭上が音楽室で歌ってる、よさこい部に入るって掲示板に情報が流れてきた。

 そんなの……めちゃくちゃ見たい。音楽室で午後から。日向ミコといつも歌ってる。そう書いてあった。

 顔を気にしてPCルームにいたけど、誰も顔なんて気にして無くて。そもそもこの学校は他人にあまり興味がない。

 その空気に慣れてきて、かなり気持ちが楽になってきていた。


 昔から音楽には色が見えていて。

 それは空中にシャボン玉があって、その中に色水が入っているような感じ。

 それがふわふわと浮いていて、とあるタイミングでパチンと割れて、そこから音が響きだす。

 音楽室のほうからは、もう無限のシャボン玉が見えていて、向かう足が震えた。

 触れるたびに、目の前で音がパチン、パチンと割れて光っていく。

 はじめて聞いた蘭上の歌は、魔法使いが遠慮なく虹のシャボン玉を吐き出すような力強さで、僕は圧倒された。

 虹色のシャボン玉。くるくる光りながらピアノからたくさんでてくるんだ。


 気が付いたら入部届を出していた。

 学校の中でも、蘭上と日向ミコがいるよさこい部に入部するのは、敷居が高いことになっていた。

 だって芸能人と一緒に踊るなんて! そんなのミーハーってだけでは無理な空気。

 僕は人前に立てない。でも入りたくて。

 そう芽依先生に伝えたら「私もすっごい下手だからわかる!」と言ってくれた。

 そして芽依先生の踊りをみたら、想像以上にすごかった。それで入部した子は何人もいたんだ。本当に……ユニークで。


 「誰か動画作れないの?」って蘭上が言った時、心臓が飛び出すかと思うくらいドキドキしながら手を上げたんだ。

 上げた手はきっと震えてた。それに顔も真っ赤だったし、汗が噴き出して息が苦しかった。

 でも蘭上とはじめて話したんだ。だから、ものすごくがんばって動画を作った。

 できないことばかりしたくて、それでも諦めたくなくて、がんばったんだ。




 それが今、こんな大きなモニターで流れて、みんなが見てくれてる。




 そんなの、すごいよ。

 芽依先生が弘樹の両肩を掴んで興奮している。


「弘樹くん、すごい! 興奮するね!!」

「うん」


 弘樹はもう頷くことしかできない。

 今日はよさこい祭りの本番だ。これから菅原学園が舞台に上がってくる。

 その前に弘樹が作った映像が舞台に流れた。

 何度もチェックしたのに、反省点ばかり目につく。

 あのカットの並べ方、あれで良かったのかな。あのCG苦労したけど、大きなモニターで見たら粗が目立つ。 

 もっと勉強したい。だって蘭上やミコの輝きを表現するのに、こんなレベルじゃ足りないんだ。

 でも映像が終わると、みんな大きな拍手をしてくれて、それだけで泣けてきてしまった。

 後ろで芽依先生が一緒に見てて、支えていてくれる。


「はじまるよ」

「うん!!」


 芽依先生が弘樹の視線に合わせて座ってくれる……のではなく、緊張して小さくなっているんだって分かった。

 一緒に身体を寄せ合って演技が始まるのを待つ。


 やがて、舞台の左右から大きな緑色の布が出てきた。

 それが舞台を包んで何も見えなくなる。この演出を考えたのはミコだ。

 ミコは自分が注目されてる事をわかってるから、舞台が始まる所から色々考えてた。

 その緑色の布の向こうから、みてる人みんなの気持ちとか、意識とか、たとえば横の人が食べているたこ焼きの匂いとか、全部ひっくるめてまとめちゃうような、そんな声が響いてきた。


 細い細い、静かな声が会場に響く。


 菅原学園の演舞が始まる。


 ミコの声は空中にある色を、紙縒こよりのように集める声。

 ものすごく変わってるんだ。ねじって、ねじって、ひとつにまとめていく。

 それが舞台の真ん中に集まっていくのがわかる。


 宇宙の真ん中、誰もいないようなところ。

 それくらい静まった舞台に、ドン……と真正面から殴るような太鼓の音が響いた。


 そして舞台を包む緑の布の上に、キラリと光るものが見えた。

 それはピカピカに光る……刀みたいに見える。

 みんなそこに集中して見ている。


 キンキンに凍った空気……それをドン……と震わせる大きな音が響く。

 ひとつが、ふたつになって、ふたつがみっつに……音が重なって、鳴る速度が速くなっていく。

 同時に、キラリと光って見える刀も、どんどん太陽にむけて上っていく。

 刀が一番上にいくと、同時にドン……と一番大きな音が響いて止まった。

 刀がひらりと回転して……扇になった。

 そしてずっと、細く続いていたミコの声が一度消えた。


 スウ……と空気を吸い込んで、再び現れ、一気に会場を飲み込む。

 それに合わせて扇が舞い降りて緑の布を引き裂いた。

 そこに満面の笑みでほほ笑む蘭上が立っていた。

 真っ白な髪の毛がふわりと舞った。そして挑発するようにアゴをあげて


「はっ!!」


 と叫ぶ。同時に後ろの膝をついて座っていた五十人の仲間たちがカッ……と顔を上げた。

 そしてみんな右手をクッ……と上げる。衣装は全部真黒なのに、右手にだけ赤い軍手をしてるからものすごく目立つ。

 音楽に合わせて、たくさんの赤色の蝶がヒラヒラと舞い踊る。

 そして腰から真っ赤な鳴子を取り出して、カシャンと鳴らした。


 真黒な衣装の塊の中に、真っ赤な鳴子のラインが走る。

 全部飲み込んだような顔で真ん中を歩くのはミコだ。そしてヒールを高らかに鳴らして歌い出す。

 すると鳴子のラインは大きな波になり、見事に音を刻んでいく。


 それはちいさな波だったのに、やがて繋がって、大きなうねりになっていく。

 海の向こう側から塊になって、うねうねうねうね動いて一気に塊になって、加速してくる。

 

 それは眠れなくて、深夜にこっそり見ていた真っ暗な海に見える波のさきっぽ。

 どんどん迫ってきて、塊になって、もうすぐそこまで来ている。

 一気に押し寄せる圧倒的な力に飲み込まれる。

 波じゃない、これは地面が揺れてるんだ、圧倒的な支配力に身動きが取れない。

 このままでは溺れてしまう。

 飲み込まれる!!


 そこに真っ青な蘭上の瞳が見えた。


 そして弘樹を飲み込もうとしていた世界から、引っ張り出してくれる。

 細く見えて、ものすごく強い手の力。

 

 音と踊りの洪水でびしょびしょに濡れているけど、きっとこれが『気持ちがいい』なんだ。

 表現するってこういうこと。蘭上は口元で声もなく「そうだね」って笑った。


 演舞もいつの間にか後半になっている。

 衣装の前は真黒だけど、後ろは真っ青で、左側にいた真黒な人たちが、右側にいた真っ青な人たちと交互に交わっていく。

 水平線の向こうはもう朝で、ゆっくりと浸食するように夜が飲み込まれている。


 一点。


 たったひとつの小さな光。

 それは強烈で、世界の壁に穴が開いたみたいに眩しい。


 それは蘭上の真っ白な存在。

 それが青と黒の世界の真ん中から、飛び出してくる。

 何があっても絶対にくる朝みたいな正しさで、青も黒も突き破って、前に進んでくる。

 その後ろで大きな旗が舞い上がった。

 高いビルも何も無い青い空。大海原を気持ち良さそうに泳ぎ始めた。

 空に舞う大きな鯨が、口をあけて雲をもぐもぐと食べているみたいに旗が広がる。


 その旗には菅原学園の文字が入っていて……あれ?


 弘樹は口元を押さえた。

 ……やめてほしい。

 そして涙で滲んだ世界を必死に取り戻す。

 みたいんだ。ちゃんとこの目でみたい。

 この景色を、ちゃんと見たら、もう大丈夫だ。

 重たいメガネを持ち上げて、流れる涙を押し出す。


 僕は黒縁メガネをしてるけど、あんなのび太みたいな顔じゃないよ。

 いつも着てる灰色のネルシャツとGパン姿……そして胸もとに弘樹って文字。

 ねえねえ、ちょっとダサくない??

 もうちょっと、なんとかなったんじゃないかなあ。


 旗に弘樹の似顔絵が描かれていた。

 その横にはラジコンの絵が描いてあって『影山もおつかれ~』とミコの文字で書いてある。


 全然知らなかったよ。

 そんなの、いつの間に作ったの??

 ひょっとして僕がひたすら編集してる間に、あんなのみんなで作ってたの?

 どうせなら、もうちょっとかっこよく描いてほしかったなあ。

 憧れの蘭上と同じ舞台に立っているのに。

 せっかくあそこに立っているのに。


「へったくそな絵……!!」


 嬉しくて泣き叫ぶ声と同時に胸もとの服を掴む。

 涙が手にぽたぽた落ちてきて冷たい、苦しい、嬉しい。

 全部まとめるみたいに気合いがはいった声が響いて、ドン……と旗が真ん中に立った。

 そして菅原学園の演舞は終わった。


 大きな旗がはためく、空気が洗われたステージには静寂が広がる。

 やがてそこを大きなうねりのような拍手と声援と悲鳴が包んだ。

 ちゃんと朝日は昇ったし、もうここにきっと夜はない。

 歓声にこたえるようにミコと蘭上が手を振ってステージの前のほうに出てくる。


「ありがとうーーー!」

「わーい。なんとかなったねーー、菅原学園でしたーーー!」


 そう言って大きく手を振った。

 そして舞台の一番前のにある関係者席に向かって蘭上とミコ、それに部員たちが手を振ってくれた。嬉しい。ものすごく嬉しい。

 

 泣いている弘樹の肩に、ふわりと何かがかけられた。

 それはよさこい部のみんなが着ている衣装と同じものだった。

 顔をあげると、芽依先生も着ていた。


「作ったの、仲間だもんね」


 ちょっぴり徹夜になっちゃったけど? そう言って芽依先生は笑い、そして手に持っていたラジコンを見せてくれた。

 そのラジコンも……マシンなのに同じようによさこい部の小さな衣装を着ていた。


「……影山さんだ」

「そうそう。これも作ったの。どう? よく見えた?」


 そう芽依先生が言うと、キュイキュイとラジコンが動いた。


「やったぁ。ラジコン用に服を作ったのは初めてよ。可愛いでしょ」


 そう言うとラジコンはキュイキュイと嬉しそうに動いた。

 ほほ笑む芽依先生の目は真っ赤で、きっと泣いてたんだ。

 弘樹は涙を拭いて、顔を上げた。


「芽依先生、みんなの所に行こう」

「そうね。行きましょう」


 来年の大会には、もっとすごい動画を作りたい。

 勉強したいことがたくさんあるんだ。

 だって僕はよさこい部の部員だから。

 踊れなくっても、やれることも、居場所も、ちゃんとあった。

 でもあの旗の絵はちょっとひどいと思う。ミコかな。許せないな。

 きっと僕のが上手だよ。次は僕に描かせてよ。

 

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