第70話 罪と生まれ変わった日
「莉恵子さん、あそこが店です」
「おおー、中華料理店さんだ」
「そりゃそうですよ、裏口から入って二階に行きましょう」
今日莉恵子は、葵の実家である中華料理屋に来ていた。
駅前から徒歩十分、大きな街道沿いにある中華料理屋さんで、道路にはたくさんのトラックがとまっていた。
そして道にもお客さんが並んでいるのが見える。
葵に気が付いたファンの子たちが嬉しそうに手を振り、葵もそれに笑顔で返した。
店の壁には色んな商品の写真が貼ってあり、その写真を見るとどれも美味しそうだ。
持ち帰りカウンターも別の場所にあり、シュウマイ弁当と餃子弁当を売っていて、そこも行列が出来ている。
「人気店なのね」
「そうなんですよ。それでやめときゃ良かったんですけどねえ」
そう言って葵は苦笑した。
葵の家は昔から中華料理屋を営んでいたが、声をかけられて冷凍餃子の全国販売を開始。
これが売れて、気をよくした両親は工場を借りて大量生産。
そして娘の葵を広告塔にして、さらに活路を広げた。
商品を効率よく売るために、葵をメインに据えて芸能事務所を設立。
しかし手を広すぎた結果『手を出してはいけない所に手を出して』事務所は潰された。
平たく言うと、出る杭は打たれる……やりすぎたのだ。
そして流された商品への悪評と共に工場と店は潰れ、多額の借金を抱えることになった。
葵はすべて背負ってオンライズに入り、ひたすら借金を返すために事務所で働いていた。
葵は裏口のドアをあけて笑いながら言う。
「もう大変だったんですよ。前の店も家も何か紙が貼られて『触れるな~~~!!』って叫ばれて」
「ええ……?」
「横で完全に静止したお母さんは家の中なのに上は毛皮で化粧も濃いし。でも全く動かずに泣いてて……それでやっと分かったんです。私たち、調子にのりすぎたんだ……って」
「それ中学生の時の話でしょ? 大変だったねえ」
「全部終わったんで!」
葵は机にドンと生ビールを置いた。
お昼の暖かな日差しに金色の輝き……そしてほわほわの泡がギリギリまで乗っている。
今お昼よ? それに仕事中。大切な話をするためにここに来たのに、この時間からビールは……と思っていたら、目の前に餃子が置かれた。
「うちの餃子は酢に黒コショウをつけて食べてくださいね」
「うわぁぁい、頂きます。……あ~~~めちゃくちゃ美味しい、すごいっ……ああ、ビールに最高に合う!」
即飲んでしまった。これを我慢できる人なんて存在しない。
しかも餃子の皮がものすごくパリパリしてて薄くて美味しい。
噛むたびにシャクシャク軽い音がして、中から肉汁が出てくる。
中のお肉は柔らかくて豚肉の甘さがすごい。そして白菜がそれを吸って、ジュワッときて、その深さを酢が際立させてる。
そして最後の黒コショウがピリッときて……
「ビールが止まらない!!」
「ご飯にも合うんですよ。はいどうぞ」
「わぁぁい! ……ん~、肉汁がご飯にっ」
「その上にこの特性ゴマ油で作ったザーサイを乗せると」
「最高に美味しい~~!」
結局餃子二皿と山盛りご飯とザーサイ、それに生ビールを頂いてしまった。
眠たくなってきたし、もう横になりたい。
葵は莉恵子の前の席でサイダーを飲みながら目を細めた。
「そういえば、この前のパーティー、最高に楽しかったです」
「こちらこそ来てくれてありがとう。もうね、ああいうのは一気に済ませちゃったほうが楽だから」
先日、芽依や両親に挨拶した日に入籍を済ませた。
問題は仕事関係者へのお披露目だった。
業界的に境界線が引きにくいのだ。あの会社まで呼んで、ここは呼ばないとか不可能だし、線もひけない。
だから面倒になり、うちの居酒屋を上から下まで借り切り、出入り自由の結婚披露パーティーにしたのだ。
招待状をばらまいて、好きに出入りしてください~~! にした結果、リリヤも葵も来てくれたのだ。
葵は苦笑しながら口を開いた。
「二百人くらい居ましたよね」
「全然知らない人も山ほど居たわ。名刺で段ボールが溢れかえったもん。もう、神代さん寝ちゃって!!」
「あれめちゃくちゃ笑いました。開始二時間で酔いつぶれる主役って、ありなんですか?」
「無しよ!! 結局私があの後八時間も飲んで、お酒抜けるのに丸一日かかったわ。でも葵ちゃんが色々してくれた助かった」
「受け付け手伝っただけですよ。それに、今日のことも頼みたかったし」
「私は噂の餃子が食べられて、ラッキーよ。これほんと美味しい。工場作って売りたくなる気持ちも分かる」
「私も大好きで。調子乗ってたんですよね。作れば作るほど売れて、それに私のCMもガンガン流れて……でもあの頃の私があるから、こうして冷静になれてるんだと思うんです」
葵はそう言ってサイダーを飲んだ。
そこに一階から上がってくる足音が聞こえてきて、葵の母親が顔を出した。
頭にまいた日本てぬぐいを取りながら口を開いた。
「どうもすいません、おそくなりました」
「こちらこそ、お忙しい時間にお邪魔して申し訳ないです」
「いえいえ、うちはもう休憩無しなんで、こうしないと人に会えないんです」
母親は目元が葵にそっくりで優しそうな人だった。
莉恵子はすべて食べてしまったお皿を見せた。
「餃子、美味しかったです。ごちそうさまでした。二皿も頂いてしまいました」
「食べて頂けて良かったです。うちはコレしかなくて。コレだけ作ってれば葵に借金背負わせるなんて情けないこと、頼まなくて済んだのにねえ……」
「もういいよ、お母さん。終わったんだもん。正直七割は私が返してあげたけど、三割はお母さんたちが返したじゃない」
そう言って葵は笑った。
実は先日、葵たち家族は億単位だった借金を完済したのだ。
話を聞くと中学生の時に工場と事務所が潰れて数年間、ひたすら働いてきたようだ。
オンライズの社長も数千万単位で貸したらしいが、それも利子含めて完済だと聞いた。
本当に根性がある子。
実は両親が調子に乗り、子どもの顔を使って事業を始めて借金まみれになることは、業界あるあるなのだ。
子どもを自分の持ち物だと思い、それを使って商売することを悪いと思わない。
葵の両親は芸能関係にも手を出したのが間違っていた。
ナワバリ意識が高い所で、なんのコネもない人が容易に利益を得られる世界ではない。
そこで借金を抱えて自己破産や消えて行く人はたくさん見たことがあるが、子どもと一緒に完済……はあまり聞かない。
オンライズの社長は、そういう『黒い世界』に精通している人だ。
どうしてなんの関係もない葵を拾ったのか聞いたら
「単純に餃子が旨くてね。この人たちが消えたらもう食べられないのが勿体ないと思ったんだ」
と言われた。
でも食べてみたらよく分かる。とても美味しかった。
葵はサイダーの最後の一口を飲んで顔をあげた。
「それでねお母さん……話ってのは。私、ここから出て行こうと思っていて」
「そう……そういう話ね。そうか……そうよね」
母親は力が抜けるように椅子に座った。
実はこの店、都内から電車で一時間半かかる所にある。
事務所は寮を持っていて、メインの子たちはみんなそこに入っているのだが、葵だけは頑なにそれを断り、ここから通っていた。
正直事務所が持っている寮は都内の一等地で、セキュリティーが素晴らしい。
葵は事務所でリリヤに続いて人気があるのに、この店の上にある家に住んでいた。
それはとても危ないことだ。顔を使った商売をしていたし、この店もファンは知っている。
それなのにここに住み続けるのは、アイドルとして恐ろしいほど危険なことだった。
しかし葵のすごい所はそれを利用していた所だ。
店にくるファンにはちゃんとサービスして商品を運ぶ。
サインこそしないものの、声をかけてくるファンを邪険には扱わなかった。
その結果、ファンたちが店に通い、やっかいなファンから守るようになった。
太いファンに囲まれて愛されている葵は、店の売り上げも、評判も伸ばしていった。
葵は顔をあげた。
「私、この店が大好きだし、なによりお母さんたちがまた変な商売始めないか心配だったの」
「そうよね、信用なんて無いわよね。でももうしないよ。ごめんね、葵」
母親はその場で立ち上がって、葵に向かって丁寧に頭を下げた。
その髪の毛は真っ白で……正直年齢よりもかなり老けて見えた。
葵は近寄って母親の手を握った。
「私ね、本当はミュージカルしたいの。ミュージカルはレッスンが長びくから、終電が早いと受けられなくて」
「ごめんね……」
「でも、このお店で私のファンになってくれた人たちは、ずっと応援してくれる気がする。それにファンの顔が見えるのが一番うれしいって気が付いた。だから私、頑張るからさあ。お母さんも変な毛皮買わないで頑張ってよ」
「またそれを言う……」
母親は顔をクシャクシャにして泣いた。
莉恵子は鞄からDVDを取り出した。
「これ……葵さんが幼稚園児の時に取ったCMのテスト映像です」
「はああ?? ちょっとまって莉恵子さん、何出しちゃってくれてるの?!」
実はこれは葵に秘密で持ってきたものだ。
恥ずかしがる葵を宥めて莉恵子はiPadに映像を出して母親に見せた。
これを持っていたのは知り合いの撮影監督だ。
「葵ちゃんのテスト映像持ってるんだよね。新人の頃の仕事で、思い出深いからさあ~」と聞いたことがあったのだ。
ください! と頼んだら、渡されたのは驚きのVHS-Cだった。
撮影監督も「8mmビデオならコンバートできるのにさあ、VHS-Cなんだよな」と笑っていたが、それをなんとかしてくれたのは神代だった。
VHS-CからDVCAM、MINIDVをデータ化できる妙な家電を持っていたのだ。
口が十個ほど付いているような真四角な箱で、とにかく大きい。
ドヤ顔で押し入れから出してきたので、笑ってしまった。
でも……こうして見ることが出来た。
幼稚園児の葵は、今のまま小さくなったような愛くるしい表情でクルクルとカメラの前で動いた。
そして胸もとにお店の名前が入った服を着て、ドヤ顔で立った。
「お母さん、見てて! 葵、こういうのすっごく上手なんだから! えっとね、うちの餃子とっても美味しいよ!! これでいい? 監督さん」
と聞いた。もう愛くるしさたるや、才能の塊だ。
葵は「いやああああ!!!」と悲鳴をあげてその場に倒れこんでしまったが、本当に可愛いし、ご両親が持っているべきだと莉恵子は思った。
母親は日本てぬぐいであふれ出す涙を拭きながら言う。
「……私たちは、こんな可愛い子に、借金を背負わせてしまったんですね」
「それを忘れてほしくないです。そう思って持ってきました」
莉恵子はDVDを渡した。
この業界に入ってくる時、両親のほとんどはそれほど欲がない。
ただ可愛いわが子をみんなに見てほしいと思っている。しかし思いは歪む、それは色んなことが複雑に絡まって。
映像はまだ続く。そこに映り込んだ母親はとても若々しく、満面の笑みで葵を抱き寄せた。
「……こんなの持ってこなくても、もうお母さんは私を出汁にしないよ」
葵はそう言って莉恵子を睨んだが、母親は静かに首を振った。
「いいえ。大切なことよ。ありがとうございます」
そう言って母親は深く頭下げた。
莉恵子は、そこにもう一枚のDVDを渡した。
それは先日あったミュージカルのオーディションで、見事なダンスをしている葵だった。
「これからも応援してあげてください」
莉恵子がそう言うと、母親はそのDVDも抱えて、再び涙を流した。
本音を言うと、ただ釘を刺しに来ただけだ。これから先の神代の仕事に面倒をおこされると困る。
過去の記憶と自分の罪、そして今の幸せを結びつけるのが、一番抑止力が高い。
でも……葵は逆境をバネして戦えるタイプでもあったと思う。
それが功を奏しただけなのだ。それも才能。
葵と一緒に電車に乗った。
お土産に買った餃子とシュウマイがほんわりと良い香りをさせている。
横に座った葵が小さな声で言った。
「……お母さん、髪の毛真っ白だった。いつの間にあんなことになったんだろ。気が付かなかった」
「リリヤが良い美容院知ってるよ。教えて貰ったトリートメントやばかったもん」
「そうですね。東京に呼べばいいんですね。借金も終わったし、定休日も作ればいい。リリヤに聞こう。もうめっちゃ待っててくれてるみたいで」
そう言って葵はスマホを見せてくれた。
そこにはたくさんの料理を作って待っている事務所のメンバーが映っていた。
これから寮の歓迎会らしい。
葵には実力がある。すべてはこれからだと莉恵子は葵の頭を優しく撫でた。
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