第69話 君が求めているものは


「なんだ、これは。なんでこんなものを喜代美が持ってるんだ」

「そんなにすごいものでしたか」

「すごいなんてもんじゃねぇ。数兆円の価値だ。USBメモリーに無造作に入ってて良いもんじゃねぇよ」


 航平は生体認証が必要なドライブにデータをコピーしてUSBメモリーを初期化した。

 そして机に転がす。なんでこんなヤバイものを喜代美が持っているんだ。


 これを渡されたのは、さっき畑で……だ。

 「心配かけちゃったわね」と薄くほほ笑みながら、包装されてない饅頭の箱を渡してきた。

 嫌な予感がして開いてみたら、饅頭の隙間にUSBメモリーが挟まっていた。

 その横にはご丁寧にお手紙付き。


『私は航平くんと芽依ちゃんの味方です』


 航平はその手紙を指でつまんだ。

 何が味方だ、怖すぎるだろ。めちゃくちゃ古典的な政治家の仕事じゃねえか。

 そして饅頭は旨い。食べながらデータを見る。


「これはタービンの設計図だ。それもコアパーツ、特許の塊だ。世界中で使われてるタービンの根っこで使われてるものなんだけど、この特許を持ってるのは馬場工業の天才エンジニア馬場さんだ。超頑固じじいなんだけど。その馬場さんしか知らないはずの特許データが、ここに入ってた。さっきビビってググったけど、殺されてなかった。それくらいヤバいやつだ」

「……怖いですね」

「怖いどころの騒ぎじゃねーよ。菅原重工もこれが欲しくて馬場に技術合併を持ちかけたけど失敗したはずだ。結局レンタナエレクトロニクスと組むって聞いてたけど、なんかトラブってるんだな。一番怖いのは、これを喜代美が持ってきたことだ。こええ、マジで関わりたくねえ。でも……データはすげぇよ、めちゃくちゃ綺麗な設計図だ。……くそ、何なんだ……」


 USBメモリーの名まえがまた恐ろしい。

 『Crappy Hibiscus』……腐った、壊れた? ハイビスカス。

 晶子のことか? と思ってしまう。

 あのじじぃも晶子のことを腐った花だと思ってるということか? 

 しかしそれとタービンは何の関係もないだろう。


 そしてもう一つ入っていたファイル……それは写真だった。

 着物を着た女性がほほ笑んでいる。世に言う『お見合い写真』というものだ。

 画像検索かけると、岸本重工の一人娘が出てきた。

 これもタービンの関連会社だ。何なんだ、何が動いてるんだ?

 航平はため息をついてUSBメモリーをゴミ箱に投げ捨てた。

 嫌な予感しかしない。


 そもそも喜代美がまっすぐ芽依の所に向かった時点で「危ない」んだ。


 本家が全部知ってるってことだからな。

 ただ何かを作っていたいだけなのに、世界には面倒しかない。

 ただその世界の面倒が、作ったものに価値を付けてお金に変え、次の世界に繋がるとも知っている。

 コインの表と裏で、技術発展とブラックマネーは結局切り離せないし、ある意味それが正常なんだ。

 息苦しさを感じて深呼吸をした。


「……芽依はどこで飯を食っているんだろう」

「いつも家庭科準備室でお弁当を食べられてます」


 近藤がすぐに答えるので、少し驚いてしまう。


「なんでそんなこと知ってるんだ」

「私はクッキングクラブの顧問ですので」

「ああ、そうか」

「カフェの食事は量が多く、食べきれないのだと竹中さんはおっしゃってました」

「確かに女性向けではないな。味の意見も欲しいし、テストで作ってるサラダをブッフェにして置いたらいいんじゃないか」

「連絡しておきます」


 そしたら芽依もカフェに来るだろう。

 家庭科準備は学長室からあまりに遠くて、行くだけで十分以上かかる。

 時計を見ると、次の会議が始まる時間が近づいていた。

 同時に自分から、あの特殊な肥料の匂いを感じた。


「シャワーを浴びる時間はあるか」

「ございます」


 航平は学長室にあるシャワー室に入った。

 芽依といるときは匂いなど感じなかったが、やはり凄まじいな、この匂いは。

 これで会議に出るのは失礼だ。

 何より腹の真ん中に何か薄暗く、重たいものを感じて、それを洗い流したかった。


 脳裏にずっとあるのは、タービンの設計図ではなく、見合い写真だった。


 いくら菅原の家とはいえ、自分は愛人の子どもだ。

 愛人の息子をあてがわれたら憤慨する家は多い。

 しかし恋愛の皮をかぶって近づいてくる女はたくさんいた。

 あれは親の指示だろう。

 愛人の息子をあてがわれる家にはなりたくないが、権力のおこぼれは欲しい。

 みえすいた薄っぺらい女ばかり見ていて、何も信じられなくなった。

 でも見合いはない。愛人の子で良かったと安心していたが、見合い写真を送られるということは『その可能性がある』のだ。


 シャワーを『強』にして頭から、水をかぶりながら考える。


 仕事とはいえ婚約なんてしたら、芽依は一歩も俺に近づかなくなるだろうな。

 そういう女だ。 

 楽しく居られる場所が増えたのにそこに行けなくなるのはつまらない。


 あのデータと写真には、関連した『何か』がある。

 必ず見つける。

 航平は頭を冷やしながら考えた。

 



 シャワーを済ませて、そのまま会議に出る。

 新しいシステムや企業との話し合いは楽しいし、何より新しいことが動き出すのはすべてワクワクする。


 仕事を終えて学長室に戻ると、夕方の涼しい風が入りこんでいた。

 屋上庭園に出る大きな窓には薄いカーテンがかかっている。

 そしてシルエットが見える……風がカーテンを揺らして姿が見えた。

 居たのは、芽依だった。

 肩までの髪の毛をひとつに縛っているので、ぴょこんと跳ねている。

 それを動かして航平のほうを見た。


「お仕事、おつかれさまでした。レゴの消毒を近藤さんに頼まれたのでお邪魔しています」

「……ああ、それはいいな」

「量が多いので、ゆっくりで構いませんから……と」

「そうか。ゆっくりでいい」


 まったく近藤はよく分かっている。

 こうすれば、このあと、もう一つあるめんどくさい会議に素直に行くと分かってるんだ。

 航平も芽依の隣に座った。

 そしてシャツの袖をまくりあげて消毒液の中に手を入れてレゴを洗い始めた。

 それを芽依が止める。


「ゴム手袋しないと駄目です、塩素ですし」

「少しくらい大丈夫だ」

「だったらゴム手袋を貸すのでしてください。……あ、でも航平さん思ったより腕が太いし、掌が大きいんですね。私は手が小さくて、持ってきてるのはSサイズです」


 そう言って芽依は掌を航平に見せてきた。

 それは恐ろしく小さくて、細い指しかついてない。


「どこまで小さいんだ、お前の手は」

「大きさは関係ないですよ。近藤さんなんて、ものすごく大きな手で繊細にクッキー作りますよ」

「そんなこと俺だって出来る」


 なんだか苛立って動いたら、折っていたワイシャツの袖が伸びて塩素の中に入ってしまった。


「おっと」

「キャ――! これ、衣類用の塩素じゃないからよくないですよ。それに航平さんのシャツ高そうだし。ほら脱いでください。軽くすすぎましょう」

「ああ、悪い」


 脱いでシャツを渡すと、芽依は「寒いので、これ着てください」とベンチに置いてあったパーカーを貸してくれた。

 それはグレーのシンプルなものだった。芽依はシャツを水道で洗いながら航平のほうを見る。


「どんな服を着てても羽織れるようにLサイズなので、航平さんでも大丈夫だと思いますよ。今日結構風が強いんです。だからレゴを干して帰ったら一日で乾くかなーって」


 確かに冷たい風が抜けて寒かったので、芽依のパーカーを羽織ると……キツイが着られた。

 何より自分が持っているどんな服より温かくて、芽依に向かって口を開いた。


「いいな。どこのものだ」

「ユニクロですよ! もうユニクロが便利すぎて……と。これくらいで大丈夫ですかね。わあ……布地が違う。メーカーが書いてないからひょっとしてオーダーですか。わあ……なんか作り方も独自」

「そうだな。俺が着ているワイシャツはすべて職人の手作りだ。好きなんだ、職人の仕事を見るのが」

「いいですね、作ってる過程、見てたら楽しいですね」


 芽依が目を輝かせる。

 ここで「芽依の分も作らせる」と言っても、芽依は断るんだ。

 断られることが分かっているから、言うこともしない。

 航平は思わず口を開く。


「芽依は……何をもらったら一番嬉しいんだ」

「ええ? あ、でも最近。親友が結婚することになって。その婚約者さんと一緒にコーヒーショップいったんです。あ、航平さんの焙煎機で作ったコーヒーをとっても褒めてくれてました。そこで三人で日付が入れられるタンブラーを作ったんです。結婚記念に。あれはすごく嬉しかったですね。もったいなくて使いたくないけど、莉恵子が『使ったほうが味がでるよ!』って言うから、昨日から学校で使ってます。なんか、すごく嬉しいですね」


 その話を聞きながら航平は「親友夫婦と同じタンブラーを買って嬉しい理由が、よく分からない」と思ってしまった。

 しかしこの話は、タンブラーを買ったことが嬉しいんじゃなくて、その親友夫婦と仲が良いのが嬉しいのだろう。

 そして気が付いた。


「芽依。今度俺がいつもシャツを作っている職人の工場を見学しに行こう。布がたくさんある」

「!! 採寸とかも見られますか」

「もちろんだ。専用のミシンがある」

「それは……行きたいです」


 芽依は丸くて大きな目を細めてほほ笑んだ。そうだ、この顔が見たかった。

 なるほど。芽依が好きなのは『共感と共存』なんだな。

 それは航平にとっても、呼吸が楽にできる時間で、あればあるほど悪くないと思った。

 芽依は手で絞っていたシャツをパン……と叩いて広げて見ながら言った。


「私、しっかり作られているシャツは形が美しくて、好きです」


 もう夕方が始まる屋上庭園の空の下、航平のシャツがふわりと舞い、広がった。

 それをハンガーにかけて、芽依は髪の毛を一度ほどいた。

 夕方の少し冷たい風に、芽依の真っ黒な髪の毛がふわりと広がった。

 そして細い指で、風にあばれる髪の毛を丁寧にまとめて、小さなゴムにその髪の毛を通した。

 ぴょこんと跳ねるように髪の毛がまとまり、芽依はスカートを揺らして航平のほうを見てほほ笑んだ。

 

「さて、もう少し洗いますか」

「……そうだな」


 美しいのは芽依だろうと思うが、そんな言葉は言わない。

 航平は「キレイ」とか「美しい」とかいう定義がない言葉が嫌いだ。

 家に気に入られたいと思っている女たちが、口々にそう言って寄ってきたのが大きい。

 何年もそれを軽く言われてきたので、その類の言葉はウソだと思っている。

 証明ができない言葉は好きではない。


 でも、ウソみたいに聞こえる言葉を、ウソではないと証明するためには、どう伝えたらよいのか分からない。


 だからもう黙ってレゴを洗うことにした。



 そして芽依のパーカーを着たまま会議に出たら、思いのほか好評で笑ってしまった。

 パーカーキャラになろうか……と思ったが、芽依が航平のシャツ姿を好きだと言うなら、やっぱりワイシャツを着よう。

 いつ一緒に工場で行こうか。芽依の授業スケジュールも確認しないと。

 土日に誘うと断られそうだから、今日のように畑のあとに連れて行く……いやシャワー浴びたいと怒られそうだ。

 どこか都内で部屋を借りてシャワーだけ……嫌がるだろう。

 学校に戻ったら仕事をしてしまう女だ。どうやって連れ出すのが正解なんだ。

 航平はそれを考えているだけで、楽しかった。



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