第68話 次に願うことは

 

 主婦は、家を守ることが仕事。

 家を整えて、食事を作り、笑顔でいれば、大切にしてもらえる、愛してもらえる。

 そう信じていたから、結婚してから家を長時間あけることは無かった。

 お前は主婦なのに、家の仕事を放り出すのか。

 そう言われるのが、何より怖かった。 

 だから結婚後にお寺に興味を持ったけど、遠くの神事は諦めていた。

 でも、お義父さんが怪我をした時、どうしても奈良の鎮花祭はなしづめさいに行きたかった。

 薬をメインに扱う神事で、痛む所に良い御神水もある。

 お義父さんのために……と許可を取ったが、その頃には拓司の浮気になんとなく気が付いていて、ひとりになりたかったのが本音だ。

 どれだけ頑張っても、愛してもらえない。

 居場所なんて無い。

 そう思うと、たった一日でいい。ひとりになりたかった。

 

 不動産会社で働いていたけど、雨宮家の嫁だからお金はすべて家のものだと思っていた。

 だから自分のためにお金を使うのが申し訳なかった。

 なるべく安く泊まろうと探し出したのが、神社近くのゲストハウスだった。

 そこはホテルというより合宿所のようなところで、みんなで一緒に食事を取り、眠る所だった。

 はじめてで緊張したが、みんな鎮花祭に行く人たちで、すぐに打ち解けた。


 今もひとりで行った鎮花祭のことを思い出す。

 神社近くにあった滝から漂う粒子に、身体が包まれた瞬間を。


 その時撮った写真を、結桜から教えてもらったアプリで絵葉書にして喜代美に渡したのだ。

 それはお寺好きの中では有名な、元気を渡す行為。




 喜代美はその絵葉書を持って芽依に前に立った。

 そして目を輝かせて口を開いた。

 

「初めまして、竹中芽依さん。菅原喜代美です。すてきな絵葉書をありがとう。『のどかなる 花の祭りの花しづめ』……」

「『風をさまれとなほ祈るらし』。やはり神事がお好きなんですね」


 芽依の返答を聞いて「すばらしいわ」と喜代美は目を輝かせた。

 腰まである髪の毛は艶やかで美しい。日本画に描かれているような美人さんだ。

 本当にこの方が十年前から病んでいたと言われている方なのだろうか。

 頭の先から爪の先まで美しく整えられていて、お香のような心休まる香りがする。

 喜代美は日傘を肩にのせて、スマホを見ながら口を開く。


「行こうと思ったんですけど、周辺の宿は一年前から埋まっていますよね」

「そうですね。でも、ゲストハウスも多いですよ」

「それは不特定多数の方が宿泊される場所ですよね……?」

「みなさんお仲間です」

「じゃあ竹中さん、来年はご一緒しませんか?」

「神事はいつも日曜日なので、次の日が大変そうです」

「休みなさいよ。次の日の仕事は航平がするわ。ねえ航平」


 喜代美は有無を言わさぬ美しさで航平に笑いかけた。 

 航平は「は、い……?」とよく分からず頷いている。

 それも面白いけれど、何より言っていることが小清水と同じなのだ。

 それに気が付いた航平の隣にいる小清水も、キョトンとしている。

 聞いた話だと、小清水も喜代美とはほぼ初対面らしい。

 私はここにいない方が良さそうね。

 芽依は会釈してその場を離れて、畑に戻った。


 合宿を終えて学校に出てきたら、なんと普通に喜代美が畑に来た。

 見たことがない車が停まってるなあ……と思ったら、中から真っ白で大きな日傘をさした人が下りてきた。

 真っ先に気が付いたのは、畑にいた航平だった。

 驚く航平に会釈して、まっすぐに芽依の所に来たのだ。

 近藤は神社のことを勉強して「自分が伝えたことにしますから」と言ってくれていたけれど、瞬時に見抜かれていたようだ。

 出すぎたことをしたと思ったが、今ベンチでは喜代美と小清水、そして航平が談笑している。

 怒られないなら大丈夫かしら……と芽依は追肥の作業に戻った。

 そこに追肥専用のマシンを押した蘭上が来た。


「ねえ、芽依さん。この前、俺がレコーディングで籠もってた日! 俺抜きでパーティーしたんだって?!」

「パーティーじゃないわよ。莉恵子が結婚するから、旦那さんになる方がご挨拶にみえてたの」

「なんで俺がいない日に、そんな楽しそうなこと!! 俺も参加したかった!!!」

「邪魔なんじゃないの? きゃあああ!! ちょっとやめなさい!!」


 怒った蘭上が追肥マシンから肥料を芽依に噴射した。

 人体に無害とは聞いてるけど、これ臭いのよ!! 

 蘭上は叫ぶ。


「俺も参加したかった!」

「さっき莉恵子からLINE来てたわよ。週末に居酒屋で蘭上にも神代さんを紹介するって」

「えっ、最近全然LINE見てない。掲示板楽すぎて……あ、見て! 学長から買い取ったの。この時計。LINEも見えるんだ」

 

 そう言って蘭上は腕にはめた時計を見せた。

 それは先日航平が屋上でしていた録画もできるお手製デジタル時計? だった。

 蘭上はそれを指先でいじってLINEを確認して目を輝かせた。


「ほんとだ! なんだあ、たまたまその日だったのか。仕方ないなあ……みんな俺のこと大好きだから。アルバムのプロモーション、莉恵子さんに任せてあげようかな」

「忙しそうだから無理じゃない? ……だから、やめてって!!」


 蘭上は再び追肥マシンを動かして芽依を睨んだ。

 正直これはわざと煽って遊んでしまった。

 挨拶の時に蘭上をどうするのかな……と思ったら、そこはさすがの莉恵子だった。

 スケジュールを把握、忙しいタイミングを狙って挨拶の日にしていた。

 蘭上は光が強すぎて、すべてを持って行ってしまうから、気持ちはわかる。

 芽依は蘭上がまき散らした肥料を丁寧に撒きながら言う。


「私も本当に家出ないと」

「ははん、お邪魔虫だね、芽依さん」


 芽依はイラッとして鍬の持ち手で蘭上の背中を突いた。

 蘭上は「ぎゃひん」と言って地面に転がった。

 そして地面に転がったまま状態で口を開く。


「じゃあ俺が前に住んでた青山のマンション貸してあげる。使ってないんだ」


 蘭上は腕時計を操作して写真を見せてくれた。

 そこは体育館みたいな広い部屋が写っていた。

 そして東京の景色が一望できる巨大窓。

 部屋はガランとしていて、真ん中にちょこんとこたつが置いてあった。


「……バカなの?」

「うん、広すぎて寒いんだ。売ろうかな」

「売りなさい。そして莉恵子の家に家賃入れなさい」

「毎月三十万渡してるんだけど、なんか貯金してくれてるみたい。あの家の人たち、優しすぎるよ」


 それを聞いて芽依はグリンとふり向いた。

 この子本当にお金持ちね。それでも……あの居酒屋の狭い部屋がいいのね。

 はあ。真面目にお金を貯めて引っ越そう。芽依は思った。

 蘭上は追肥マシンを動かして、楽しそうに去って行ったので、芽依は休憩することにした。

 そこに航平が来た。

 

「芽依、見せたいものがあるから、少し出よう」

「あの私、肥料をかけられて臭いので、出かけるならシャワーを浴びたいのですが」

「大丈夫、少しだけだ。行こう」

 

 航平は停めてある車を指さした。

 そこにはこの前話していた車……ラングラーが停めてあった。


「持ってきたんですか!」

「そうだ。運転するか?」

「でも匂いが車についちゃいますから……また今度でお願いします。もう蘭上がめちゃくちゃするから」

「匂いなんて気にしない、さあ行くぞ、運転しろ」

「ええ……? じゃあすいません、近藤さん、ブルーシートお借りできますか? 運転席に敷きたいんです」


 相変わらず強引だが、見せてくれるものは面白いので興味がないわけではない。

 それにラングラーは一度運転してみたかった。

 芽依はブルーシートを運転席にひいた。

 そして車を走らせると……視界が高く、噂とおりギアを入れるタイミングが独自だった。

 楽しい。やっぱり車の運転は好き。窓からは気持ちがよい風が入ってくる。

 でも助手席からの視線が気になる。

 さっきからじっと航平がこっちを見ているのだ。


「臭いですか? すいません」

「……いや、全然。あの肥料は化粧品にも使われているものだ。匂いを消しているからむしろパワーは落ちているが」

「そうなんですか。だから最近肌の調子が良いんですね。でも日焼けがすごくて。襟元がくっきり色分けされてしまいました」

「焼けてるほうが、健康的でいいじゃないか」

「こんなにしっかり日焼けの境界線が出来ちゃうのは、困ります」

「そんなこと気にしない」


 あまりにハッキリ言うので芽依は笑ってしまった。

 航平は気にしないかも知れないが、この丈以外の服が着られないのは困るので、せめて七分袖とかを混ぜようかしら……と芽依は思った。

 航平は芽依を見ながら言った。


「芽依は、男の肌の色なんて気にするのか」

「確かに。言われてみたら気にしませんね。でも航平さんは畑に来る時はTシャツだけど、学校ではワイシャツだから、日焼けが目ただなくてよいですね」

「そうだな。会議にTシャツはまずいだろう」

「私、色々作る人がワイシャツ着てるのは良いなあと思いますよ」


 言葉を濁したが、平たく言うと「子どもっぽい人が」というのが本音だ。

 最近は仕事ができる人だと知ったので、安易に言わないようにしたが。

 でも何か作ってる人が、高そうなワイシャツを着ているギャップは良いと思う。

 航平は軽く咳払いをして「そうか」と窓の外を見た。



 芽依はナビに従ってゆっくり走る。

 道はどんどん細く険しくなり、山の奥深くに入って行く。

 これ以上入れないほど道が細くなり、航平の指示で車を停めた。


「こっちだ」


 航平の後をついて細い山道を下りて行くと、一気に空気が変わった。

 微粒子を含む冷たい空気に身体が包まれる。吸い込む息が澄みわたる。

 さらに進むと、川音が聞こえてきて目の前に小さな滝が出てきた。

 滝の前に芽依の身長ほどの水車がゆっくり回っている。

 かわいい! そして横に小屋があった。

 中に入ると、小さなプランターがたくさん並んでいた。それは野菜だった。

 航平が一葉つまんで渡してくれた。食べると……


「あまい!!」

「そうなんだ。でもな、同じように見えるがこっちは……」


 隣のプランターから、同じ形の野菜を取って芽依に渡してくれた。

 それを食べると


「! 苦い。ちゃんと野菜の味がします」

「種を少し変えている。同じ条件で育てているが、ここまで違う」

「美味しいです。こっちのを頂いても?」

「いいぞ」


 芽依は何個もあるプランターから一葉だけ頂いて食べた。

 同じ水で、同じ形をしているのに味が全く違った。

 航平が横に来て説明してくれる。


「これは可能性の実験だ。同じ種で違う味の、別の食べ物を作れる」

「面白いです。この前のブッフェのお野菜もここですか?」

「この進化系だ。美味しいなら好きなだけ持って行くといい。こっちにもある」

「この前頂いて、美味しいなあって思ったんです」

「好んで食べているように見えたから」

「そうです、好きです。嬉しい。わあー、こっちは土も使ってるんですか?」


 芽依が質問すると航平は丁寧に説明してくれた。

 半分も理解できなかったが、葉はどれも美味しくて、最高に楽しい。

 滝の近くに出ると、航平が作ったというマシンが水力で動いていた。

 本当に何でも作れてすごい。芽依は航平がマシンを整備するのを見ながら滝がきれいにしてくれる空気を味わった。


 それはあの鎮花祭の時に味わった安らぎと同じで……心が安らいだ。

 深く深呼吸をして思う。


 ひとりで鎮花祭に行った時は、雨宮家の幸せを祈ったけど……今は違う。

 私は、私の幸せを祈ると思う。 

 そんなことを、少し嬉しく思う。

 

 

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