第67話 私という存在の価値を
「まさに死屍累々。神代さんお酒に強くないのよ。でも好きらしくて結構飲むの」
「悪い酒じゃないなら良いわね。でも、挨拶本当に嬉しかった。ただの押しかけおばさんなのに」
「正直、芽依ちん来なかったらマジで片づけなかったな。それに、子どもの頃からずっと一緒にいてくれてるのも、見てるから」
そう言って莉恵子は熱燗を一口飲んだ。
挨拶の会は、一段落。最初に酔いつぶれたのは神代で、それを追うようにお母さんも寝てしまった。
お義父さんは最後まで「良かった、良かった……」と日本酒を飲んでいたけど、さっき眠った。
畳の部屋にたくさんの布団をひいておいたので、みんな自由に眠っていると思う。
莉恵子は長く楽しく飲めるタイプなので、宴会が始まって五時間経過した今も平然と日本酒を飲んでいる。
芽依はやはり落ち着かなくて、あまり飲んでいない。
そしてこのタイミングで莉恵子に聞いてみたいことがあったのだ。
「ねえ莉恵子、あなた子ども産むの?」
「うーーん、それねえ……ずっと考えてるけど、答えが出なくて」
莉恵子は日本酒をおちょこに注いで口に運んだ。
「まず神代さんとの仕事が一年。その間は無し。でもね、その間に次の仕事が入ってくるの。私は代わりがいないのよ。代わりを育てるのが普通だけど、私の信用で受けてる仕事も多いから代わりはいない。ちなみに神代さんも同じ。神代さんじゃないと作れないものを求めてくる。本当に誰にも代えられない人。つまり産むなら完全なワンオペ。そして私は数年仕事ができない。実際ね、女性プロデューサーは、みんな作っちゃうんだよね、作る人は。それで後ろを調整してる。それは無責任とかじゃなくて、そうじゃないと断れないの。それに『仕事を休んで子どもを作ります』って休んだ人は、半年後に離婚して戻ってきたわ。色々考えた結論……わからない」
「わからない」
「ロケなしのCGメインにすれば、あり。でも妊婦になった時のことなんて分からないもん。だから怖いわ。迷惑はかけたくない」
そう言って莉恵子は黒豆を口の中に投げ込んだ。
そして自分に言い聞かせるように再び「産むなら最低三年休む覚悟が必要だわ」と言った。
その横顔は恐ろしく澄んでいて迷いがない……芽依があまり見たこと無い『仕事場の莉恵子』だった。
「かっこいい……」
「ごめん芽依……俺はもう結婚したんだ……」
「かっこわるい……」
「芽依ちん!!!」
そう言って莉恵子はおちょこを芽依に渡してきた。
「ま~~~~た気を使って全然飲んでない。はい、飲もう」
「そうね、部屋も簡単に片づけたし、明日のご飯も炊いたから、もう寝るだけだし、飲もうかな」
「いつの間に?! 部屋がきれいだし、食べ残しが片づけてある。芽依ちん……ありがとうございます……」
「慣れない人が家にいると落ち着かなくて、動いてただけよ」
莉恵子に促されて芽依は日本酒を飲んだ。
ふわりと甘くておいしい。うん……やっぱり熱燗好きだわ。
芽依は前から思ってたことを伝えることにした。
「あのね。莉恵子は昔から100か0で考えすぎよ。あなたは恵まれてるの。実家のお母さんもお義父さんも自転車で十五分走ったら住んでるの。それに口から手が出てくるくらい孫を欲してるわ。早くしないとたぶん蘭上を養子にする」
「ブハーーーーッ!!! ちょっとまって気持ち悪くて吐きそうになった」
「冗談だけど。でもね、全部自分でやろうとしないで。私もここを出てもすぐそこら辺に住むから手伝える」
莉恵子は日本酒を口に運んで膝を抱えて丸くなる。
「……芽依ちんが出てくの、ほんと淋しい。でも……神代さんはこの家に思い入れがあるし住みたいと思う。私もそれがいいと思う」
「それが自然なことよ。それに他の場所に住んでても、私は莉恵子の親友で、誰より助けたいと思ってる。私は産みの親とほとんど一緒に生活してないでしょ? 育ててもらったのは一緒に住んでなかった莉恵子のお母さんよ。ようするに、愛してくれる人がいれば子どもは育つわ。そう……私くらいには育つわよ?」
「あれ、なにそれ、最高じゃん。てか、その視点、考えたことなかった」
「莉恵子の周りには『私たち家族』がもういるのよ。甘えることを恐れないで。少なくとも子育ての部分では『自分』にこだわる必要はないわ。それは恐ろしく恵まれているのよ」
「か……考えたことなかった」
芽依は莉恵子の手を優しく包んで口を開く。
「『私』は、わりと幸せよ、莉恵子」
莉恵子は顔をクシャリとして、再び泣き始めた。
「なにそれ……芽依ちん……でもまってこれはトラップだ……いつまでも芽依ちんは近くにいてくれない、芽依ちん、黒スーツの眼鏡男は何?! あの男新しい彼氏?! ずっと気になってたけど、今日はもう聞いちゃうんだ!!」
「ああ、近藤さん。彼氏じゃないわよ。お菓子作りと裁縫が上手で、農業に詳しいSPさん。すごく良い人よ」
「はあ……? 設定が渋滞してない……?」
そんなこと言われてもそういう人なのだ。
横で莉恵子は鼻水をかんでつぶやく。
「そうだね……仕事は全部自分で面倒みたいって思うから、子どものこともそう考えた。少なくとも実家は近いね。贔屓のCGスタジオが近くにあると思えばいいか……なるほど。出資も私だと思えば使いやすい。自家スタジオね」
「なんでも仕事に置き換えて考えるのね」
「妊娠出産って、私にとってはひとつのプロジェクトだよ。うちらって毎日新しいプロジェクトが来るんだけどね、それが動いて形になるのは、本当に少ないの。だからまあ……ひとつのプロジェクトとして入れてみる。本当にスケジュールと相談だわ。でも芽依ちん、ありがとう。完全にその視点抜けてた。神代さんと相談する」
莉恵子はそう言って日本酒を飲んだ。
そして二人でお布団をひいて丸まって眠った。
あたたかくて、良い香りで……深く眠った。
「おはようございます、早いですね」
「おはようございます。竹中さんのほうが早いと思うのですが……すいません、いつのまにかお借りしていたパジャマ姿で」
「莉恵子が準備してたんですよ。神代さんのお家パジャマ~~~って」
「あ、そうなんですか。……嬉しいですね」
そう言って起きてきた神代はほほ笑んだ。
その表情があまりに子どもっぽくて芽依は笑ってしまった。
知らない誰かがいる朝は、緊張して早く目覚めてしまう。もうこれは性格だ。
だから昨日の片づけをして、今日食べてしまったほうが良いものは朝食用に、お弁当やストックに回せそうなものは冷凍した。
飲んだ朝はしじみの味噌汁。コーヒーを準備したところで神代が起きてきたのだ。
「コーヒー飲まれますか」
「あ、すいません。ありがとうございます。なるほど……これは莉恵子が『私は芽依と住むので』と言うわけですね」
「コーヒーが特殊なので、自慢したいだけですよ」
そう言って芽依は神代にコーヒーを出した。
まだ七時だからみんなが起きてくるのはもう少し先だ。
神代はコーヒーを飲んで目を丸くした。
「?! なんですか、これは。ものすごく香ばしいですね」
「私が働いている学校に焙煎機があるんです。そこで昨日焙煎したものです」
「莉恵子から伺ってますが菅原学園はすごいですね」
「本当に面白い学校なんですよ」
神代はコーヒーを飲んで「いや、すごいな。焙煎でここまで変わるのか」と目を丸くしていた。
芽依が焙煎機の話をすると神代は楽しそうに聞いてくれた。
芽依はこういう少しだけ遠い親しい人と話すのはとても得意だ。
家電が好きだと聞いていたので、ふたりになったらこの話をしようと思っていた。
神代はコーヒーを追加で飲んで口を開いた。
「あのですね。丁度良いので将来的なお話をさせて頂いて良いですか?」
「はい。そうですね、したほうがよいと思ってました」
「次の仕事が始まってまして……規模が大きく、期間も長いです。莉恵子も現場プロデューサーに入っているのですが、最低でも一年、公開まで考えたら一年半です」
昨日莉恵子から聞いた話と同じなので静かにうなずいて聞く。
「まだ企画状態でそこまで達していませんが、俺は脚本も自分で書きます。正直その時はひとりで籠もりたいタイプなんです。最低でも一か月かかります。その後、それをどう絵にしていくか……という絵コンテというものも書くのですが、映画だと三か月以上……これを書いている時の俺は廃人ですし、なんならひとりで旅に出たりします。家だと書けないことも多くて」
「へえ……」
芽依が自然と見ている作品はそんな風に作られているのかと驚いてしまうが、莉恵子の働き方を見てるとそんなものかと思う。
神代は続ける。
「だから正直……生活が切り離されている今の状態は、俺のような仕事の仕方が決まっている人間にはありがたいんです。ただ将来的には今住んでいる場所を仕事場にして、生活の拠点はこの家に動かしたいと思っています」
芽依はそれを聞きながら、莉恵子が言いにくいことをはっきり言う……やっぱり信用できる人だと思っていた。
「やはり思い出の家なので、英嗣さんがいる気がして、俺はこの家すごく好きなんです。でもね……仕事がね……四十も過ぎるともう、仕事の仕方が決まっていて、それは変えられないです。だから今の仕事は今の環境のまま続けます。それが終わったら、ここに住みたいと思っています。大丈夫でしょうか」
そう言って神代はまっすぐに芽依を見た。
芽依はコーヒーを飲んで顔をあげた。
「昨日莉恵子とも話し合いました。私は莉恵子と居酒屋が大好きなので、この周辺に住むとは思いますが、それはいいですか」
「それは莉恵子が何より喜ぶと思います。俺は竹中さんを追い出したいんじゃなくて、莉恵子を独占したい愚かな男です。だから莉恵子が喜ぶことは、なんでも嬉しいです」
神代ははっきりと言い切った。
芽依は正直……羨ましいなあと思っていた。
ここまで愛されて莉恵子は幸せものね。
後ろのふすまがススス……と開いた。
そこには朝から泣いている莉恵子が座っていた。
「神代さん……昨日から何なんですか……褒めても何も出てきませんよ」
「いや、別に本当のことだ。それにこの生活が最高なことは俺にもわかる」
「ですよねえ……」
莉恵子は神代の隣の席に座って鼻をちーんとかんだ。
芽依がコーヒーを出すと莉恵子は顔をパアアと輝かせて飲んだ。
芽依は苦笑して口を開く。
「……本当にふたりのお手伝いさんとして雇ってもらってもいいんだけど」
「芽依ちん、これ以上甘やかさないで!! コーヒーに牛乳ちょうだい、あったかいのがいいの!!」
「莉恵子、俺たちには、俺が買った高いエスプレッソマシンがあるじゃないか」
「あれ、めちゃくちゃ使いにくいんですけど。ぶちゃぶちゃ何か出てくるわりに、いつまで待っても出てこないし」
「おいおい、おいおいおいおい」
ふたりが夫婦漫才を始めたのを横目に朝ごはんの準備を始める。
そうね、ちゃんと自立したうえで、一緒にいられたらそれが一番だと思う。
私は莉恵子のお母さんみたいになりたい。
自立して、遠くで、近くで、大切な人たちを見守れる人になりたいの。
そうして大人なった自分を今は大好きだから、そうなりたい。
でもこの周辺、実はものすごく家賃が高いので、初期費用だけでかなりのものだ。
節約しないと一年で貯めるのは大変そう。それに慰謝料で新しい部屋は借りたくない。
本当にあのお金、どうしたものかしら。もう呪いだわ。
形が残らないものに溶かしたいけど……そんなにないのよね。
「コーヒー本当においしい」
「豆か……莉恵子、役所行った後、この店寄ってみないか」
「若い店長がイキってる店は大体、ただ苦いですよ」
「分かる気がしてしまう……竹中さんも一緒にどうですか」
「……楽しそうですね」
ふたりは目を輝かせた。
近くにいたいから、近くに部屋を借りよう。
私は、この人たちが大好きなの。
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