第62話 秘められた思いと小さな可能性

 真黒な塊。

 それは艶々として美しい。 

 白い手首がクッ……と回ると、カチンと高い音が響き渡った。

 真黒な塊の奥に、閉じられた瞳が見える。

 長いまつ毛。

 目の上は鮮やかな緑色に塗られていてキラキラと輝くアイシャドウが美しい。

 ドン……と太鼓の音が響き、その瞳が開く。そこには漆黒の瞳がある。

 カメラの視線を奪うように紫の着物が踊る。

 そして奥に風がカタチになって舞い上がる。それはとてつもなく大きな旗だ。

 抜けるような青空に、少女たちの大きな声が響く。

 少女の振り上げた手が空間を切り裂いた。

 それはひとりからふたりへ、そこから大きな渦となって広がっていく。


「……どう?」

「すごい。かっこいいわね」

「これ去年優秀賞だったんだよ」


 日向ミコがスマホで見せてくれたのは、羽織を着た少女たちが音楽に合わせて踊る映像だった。

 手にはカチカチとなる黒いものを持っている。

 芽依はそれが何だったか思い出せない。


「これ……なんだっけ」

「鳴子! でもね、それだけじゃなくて色々使うんだよ」


 ミコが映像を指さす。

 画面の中の少女たちは腰にさしてあった扇を取り出して、ひらひら舞わせて踊る。

 そして四人が前に出て踊り、後ろを数人が移動していく。フォーメーションだ。


「すごいわね……これ……移動とかも決めてるの」

「みんなで話し合って。真ん中にカメラ置いてね、色々やるんだよ。バエるように考えるの!」

「すごい、楽しそう」

「じゃあ芽依ちゃん先生、よさこい部の顧問……よろしくお願いします!!」


 そう言って日向ミコは頭を下げた。

 芽依は口を開く。


「私、ほんと~~~に運動神経が存在しないけど、大丈夫?」

「飯田先生もただの付き添いだったから大丈夫だよ。それに今回は、あ、蘭上~~~! こっちこっち」

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! 蘭上くんだよ~~~!」


 ミコの所に蘭上が滑り込んできた。


「今回は蘭上とミコでオリジナルソング作るの。そしたら部員が増えて、飯田先生が泣いちゃった」

「竹中先生……もう無理です。今まで数人だから何とかなりましたけど、五十人は無理です」

 

 ミコに連れられて来ていた飯田先生はご年配の方で、本当は茶道部の顧問らしい。

 着物や作法については詳しいが、鳴子踊りは全くの素人。

 生徒たちが大会に出るから付き添いは続けてきたが、蘭上の加入で部員が爆発的に増えたようだ。

 蘭上は鳴子をカチカチ鳴らしながら口を開く。


「もう超楽しいんだよ。みんなで踊るダンス考えるの超楽しい。曲作るのも超楽しい!」

 そう言って目を輝かせた。

「衣装もすごいんだよ、ほら、見てて!」

 ミコが見せてくれた映像は、去年の優勝校のものだった。

 四十人くらいがお揃いの衣装を着ている。正面は真黒なのだが、右手の背中側のみ真っ赤な布で、動くとチラチラと見えてかっこいい。

 芽依はそれなりに裁縫するので、これを作る大変さが分かる。

「これも作るの?」

「衣装部がいるの! みんな将来服とか作りたい人」

 そう言って芽依の耳元にコソコソ寄ってきて小声になり

「(蘭上の服を作ると就職有利になりそう……って言ってる)」

 と言った。そしてパッ……と身体を戻して両手をパンと叩いた。

「だから、よろしくお願いします!」

「芽依さーーーん!」

 ふたりにここまで頼まれて断るほど鬼ではない。

 そもそもどこかの顧問になってほしいと学校からも言われていたのだ。

 芽依は頷いた。

「踊りはできないけど、何でも手伝うわ。言って」

「わーーい!」

 ミコと蘭上は飛び跳ねて喜んだ。

 そしてさっそく音楽室で鳴子をカチャカチャ鳴らしながらダンスを作り始めた。

 廊下で見ていた部員だろうか……下は小学生から上は高校生たちが、おずおずと中に入っていく。

 ただ遊んでいるように見えた蘭上は、小学生たちに鳴子を渡して一緒に踊り始めた。

 なんか……うん、すごく良いな。芽依は素直に思った。


 最初に見た時はひとりで里芋を剥いていたし、顔色も悪かった。

 でも畑に出るようになり、健康そうな肌色になった。

 データを見ると夜中にちゃんと勉強もしているようだ。

 今朝電車の中でネットニュースを見たら新しいアルバムの制作も発表されていた。

 居酒屋の常連になった社長曰く「年に一度のアルバムしか出したくないって。もうちょっと仕事してくれないかなー」と嘆いていたけれど、今は学校が楽しいのだろう。

 それにきっと、この経験は彼の財産になって、ここから何年も先を輝かせるはず。

 何か手伝えたら良いけど……と芽依はスマホを見た。

 

 踊り……日舞……お義母さんは詳しいのかな。

 芽依は新しくなったスマホで蘭上たちが鳴子で踊っている姿を録画して送った。

 全く知らない会社の安いスマホにしたのだが、普通に使えている。月に二千円近く安くなって良かった。

 昔は有名企業のものしか知らなかったけど、今は色々あるのね。

 芽依は動画をお義母さんに送った。何か踊りのヒントが貰えると楽しそうだけど。


「さて、と」


 おやつの時間になったので、甘いものを食べようと思った。

 家庭科準備室を部屋にしてから、キッチンクラブの子たちと仲良くなり、昨日一緒にチーズケーキを作ったのだ。

 驚いたのは、顧問が近藤だということ。

 SPじゃなくて教師なのかしら? 本人に聞いても「秘密です」と言われるだろう。

 とにかく美味しいケーキが頂けるならそれだけで嬉しい。

 作り方もとても参考になった。元料理人でSP……? よく分からないわね。

 芽依は家庭科準備室から出て隣の家庭科室の巨大冷蔵庫から冷えたチーズケーキを出した。

 一日経ったほうが絶対美味しいと思って取っておいたの~!

 お皿を持ってふり向くと、目の前に近藤が立っていた。


「美味しいコーヒーをお持ちしました」

「きゃああああ!!!!! び、っくり、しました」

「おやつの時間でしたので、私も……ここに冷やしておりまして」


 そう言って近藤は一番高い場所からお皿を取り出した。

 そこには芽依と同じように切り分けて取っておいたチーズケーキがあった。

 お仲間すぎる。芽依は家庭科準備室に近藤を誘って一緒に食べることにした。

 そして近藤がいれてくれたコーヒーは今まで史上、最高に香ばしくて美味しいかった。


「……なんですかこれ、次元が違うんですけど」

「校内に焙煎機があるんです。さっき焙煎してきました」

「!! この学校……本当になんでもあるんですね」

「豆ごとに温度調整が可能な学長の手作りの焙煎機で、学校外からの利用者もあります」

「すごいですね」


 航平は何でも作ってしまうんだな……と素直に尊敬した。

 そしてふと思い出した。

 そうだ……この話を、近藤にならしても良いかな、と芽依は思っていた。

 廊下のドアを閉めて、声が漏れないようにする。

 そして近藤に向かって背筋を伸ばした。


「あの……菅原喜代美さんの話を小清水さんから伺いました」

「そうですか。喜代美さんは私も一度しかお会いしたことがありません。難しい問題だと思います」


 近藤は静かにチーズケーキを食べて、コーヒーを飲んだ。

 芽依はあの時チラリと写真を見た時から、ずっと気になっていたのだ。

 あの団子のようなものがたくさんくっ付いているもの……調べたらやっぱり思った通りの物だった。

 芽依はその写真をスマホに表示させる。


「あのですね、喜代美さんが小清水さんに送ったという写真を少しだけ見たんですけど……たぶん、千葉で行われているお祭りのものだと思います。里芋祭りっていうんですけど。こう……里芋をですね、もうはっきり言うと女体みたいに盛って、それを神社に運ぶんです。昔のこういうものは基本的に子孫繁栄を願うもので、形が象徴的なので分かったんです」

 

 近藤は真剣な表情になってスマホの画面を食い入るように見た。

 芽依は続ける。


「あともう一つ見えた写真なんですけど……あれは間違いなく七十五膳据神事しちじゅうごぜんすえしんじのものですね。ケースが特殊なので有名なんですけど」

「しちじゅう……? すいません。全く知らないです」

「そうですね、七十五のお膳が供えられる特殊な神事なんですけど……とにかく二つとも神饌しんせん……神様のお食事に関する神事の写真でした。私は前に結婚していた時のお義父さんがこういうのが好きで調べたので知ってるんです、あまり有名では無いかも知れません。喜代美さん、そういう類がお好きな方なのでは……全然違ったらすいません。でもチラリと見えた二枚の写真は、そうでした。そして二つとも大切な人たちの幸せを祈るための神事です」


 芽依がそう言うと、近藤はものすごく真剣な表情で顔をあげた。


「竹中さん。これは……とても大切なことの可能性が高いです」


 芽依はまっすぐに近藤を見て口を開く。


「これをここで、近藤さんだけに言うのは、あなたを信用しているからです。神事に参られる方のほとんどは理由があります。ご自身の体調が悪く、神事に参られているなら、このように口を出すのは良くないことです。だから気が付いてしまったけど……悩んでました。でも皆さんが喜代美さんが御病気だと思っているなら、少し違うかもしれない。幸せを遠くから願っているのかもしれないと、と伝えたかったのです。誰かに言うなら断定せず、小さな可能性として扱ってください」


 芽依が言うと近藤は静かに頷き、残っていたチーズケーキを大きな口で一気に食べて家庭科準備室から走って出て行った。

 本当に病気か、ただ趣味で神社を回っているのか……芽依には分からない。

 ただ、里芋祭りも七十五膳据神事も、お義父さんと「いつか行きたいですね」と話して調べていたので間違いないと思う。 

 とにかく芽依のような素人に何かできることはない。

 でも……小さな糸口になればいいと思う。

 チーズケーキを小さく切って食べているとお義母さんからLINEが入ってきた。


『鳴子踊り! しかも高校生! とても楽しそう。私たちも大会に出ようって話してたのよの』

『私、顧問になったんですよ。お義母さんが踊るのも見たいです』


 芽依は窓から入ってくる風に目を細めた。

 もう春が終わって、夏の香りがする。

 

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