第63話 真の悪女は少女の顔をしている
「岳秋くんは何点だったの?」
「岳秋くんは何番だった?」
「岳秋くんは何の委員なの?」
何か変だと思ったのは、小学校低学年の時だ。
母親の晶子は、ひたすら航平と同級生の菅原岳秋を比べたがった。
そして言い続けた……「誰に負けてもいいけど、岳秋くんには勝ってね」。
航平は首をかしげた。わけがわからん。
「なんで?」と聞くと「楽しいから」と花がほころぶような笑顔でほほ笑んだんだ。
あの顔を見た時の背筋がゾクゾクした感覚をまだ覚えている。
その頃、岳秋とは「たまに連れて行かれる上手い飯が食える所で会うヤツ」で、クラスは離れていたし、あまり関わりが無かった。
でも晶子があまりに意識するので、会いに行ったらメチャクチャビビられた。
でも強引に一緒に遊ぶうちに、ただの気弱なヤツだったと知った。
そして中学年になり、家の事情も分かってきた。
自分が菅原一族という巨大な家の愛人の子であり、本妻の子は岳秋。
なるほど、それで勝てとか言うのか~と理解した。
でもまあ関係ないな、と航平は思った。
別に勝負などしていない。
頭に浮かんだことを、そのまま形にしているだけだ。
そして中学生になる年。
菅原本家のパーティーが行われた。
庭の真ん中で樹齢数百年の桜の木が、これでもかと咲き誇っていたのを覚えている。
そんな見事な桜の木の下……晶子は喜代美の前に立った。
舞い散る桜の花びらと共にほほ笑んで口を開いた。
「あなたって本当につまらない。せっかく同時期に産んであげたのに、敵にもならない」
本家の岳秋とは同級生だ。
同タイミングで産ませるなんて道三郎は最低だなと思っていたが、それを仕組んだのは晶子だった。
そしてそれは晶子の『遊び』だったんだ。
晶子は身長が小さくてふわふわした髪の毛の、系統で言えば華憐で可愛い女だ。
その顔から発せられるとは思えないほどの毒に、航平は恐怖で笑ってしまった。
岳秋は横で泣いてた。いや、ほんとごめん、晶子ヤベェわ。
あの日を最後に喜代美は表舞台から姿を消した。
岳秋は「もうイヤだ」と毎日泣いてた。
航平ももちろんイヤだが、動揺して晶子を楽しませるのは、もっとイヤだった。
アホなんてどうでもいいから視界から排除することにした。
それに航平には物を作る才能があり、そのためには菅原の金は便利だった。
それは晶子も同じで、自分のために研究所を作らせて湯水のように金をつぎ込ませた。
大嫌いだけど、脳内構造は母と子どもで一緒だと分かった。
晶子のすさまじい所は、表に悪を全く出さないところだ。
表面上は、完璧に影の女、愛人。表に出ない。
でも道三郎を完全にコントロールして、自分の好きなように操った。
晶子は着眼点が良く、利益は上がった。頭が良いんだ、基本的に。
これが面白くないのは、本家のほうだ。
家に力があるから政略結婚してるんだ、本気で潰そうと思ったら愛人一家なんて消し飛ぶ。
だから道三郎に交渉した。
「特許全部やるから、俺と晶子を守れよ」と。
家としての力はないが、金を稼ぐ能力が晶子と航平にはあった。
それが認められて、今、菅原の立場で好きに暮らしている。
航平は世界から「菅原に飼われているカモ」だと思われていると知っている。
でもそんなのどうでも良かった。
家も環境も変えられない。逃げ出して何になる? 菅原の影響力は大きい。
何か考えて売り出しても、菅原を敵に回したら潰されるだけだ。
だったら利用する立場になるしかない。
真の悪女は恐れがなく、少女の顔をしているとは誰の言葉だっただろうか。
ふわふわとした顔と、何十年も変わらぬ笑顔。
そして「航平の出来がよくて良かった」とすり寄る指先。
気持ちが悪くて仕方ない。
なまじ才能がある母親だからこそ、本気で理解できない。
どうして才能で生きて行かないんだ。
気持ち悪くて吐きそうになるたび、何かを作った。
何かを作ってる時が一番おちつく。
それは今も昔も、変わらない。
「行くぞ!」
大量の煙が吐き出されて、教室にいた生徒たちが逃げ出す。
今日はコーヒー焙煎機のメンテナンスの日だ。
焙煎機は基本的にオートマ化している。数個のモードがあり、それでほとんど何とかなる。
でもそれじゃあ面白くないだろう?! と考えたのが、この焙煎機だ。
コーヒー豆の種類は多く、産地により豆の質は全く違う。
固さも強さも肥料も気候も違う場所で育てたものは、ちゃんと特性を生かして焙煎したほうが楽しい。
篤史が近づいてきて航平に聞く。
「これは何がすごいの?!」
「とにかくすごい!!!」
航平はそう言って胸を張った。
物を作れる才能があって、本当に良かった。
「ここから豆を入れるんですか?」
ふり向くと、竹中芽依がいた。
なんだ焙煎機に興味があるのか。
「そうだ、ここから入れる」
「このエチオピアの豆と、コロンビアの豆は何が違うんですか?」
「気候が似ているが全然違うんだ。標高が違うし水質も違う。だから、エチオピアのほうはここで先に湿度を足す」
「えーー? なんでなんで?」
芽依に説明していると、小学生や高校生たちが集まってきた。
「突然加熱するとえぐみが出やすい豆だと分かったんだ」
「苦くなるんだー!」
「そうだ」
航平が説明すると、高校生が温度計を見ながら口を開く。
「学長。ずっと聞きたかったんですが、勇気が出なくて……あの、ここの熱設定は、本体で管理してるんですか」
「ここでは設定されてない、こっちのPCで一括管理してるんだ。これがこの焙煎機の面白いところだ。こっちを見ろ」
航平は自分が説明下手だと理解しているが、説明しても分かってもらえると思えず「どうだ!」で済ませてしまう。
教育として間違っているのは分かっているが、難しい。
芽依は聞いているのか? と探したら、廊下にある椅子に座り、近藤とコーヒーを飲んでいた。
「おい、芽依、お前が聞いてくるから答えたのに」
「私は難しいことは分からないです。でも味の違いはわかります。面白いですね。それにもう少しかみ砕いて……レゴの説明書みたいに順番に話してあげると分かりやすいですよ」
「レゴ?」
レゴの説明書は、イラストを多用した分かりやすいもので、そんな風に説明など出来るはずもない。
そもそもこの焙煎機は、たくさんの特許が組み合わされている。そしてその管理はすべてこの特殊センサーが担っていて……いや、でもこの焙煎機はわりと単純な構造で、特殊センサーを説明するのに良い題材かも知れない。
「学長、ここは? ここのセンサーはどうしてこっちを経由してないんですか」
「ここで測ると、誤差が大きいんだ。だからこっち側を通さず、チェックしている」
「学長、どうしてここで圧力を二度かけているんですか?」
「……分かった、まて、構造を最初から説明する。おい篤史、学長室からノートPC持ってきてくれ」
「わーい。行ってくるねー!」
篤史はうれしそうに学長室に走って行った。
授業が始まると理解した生徒たちが、焙煎機周辺に机を運んでくる。
みんなノートやスマホ片手に目を輝かせている。プロジェクターの設置もし始めた。
もう少し説明するようにしないと駄目だな……と心の中で航平は苦笑した。
どうしても航平は『分かる』ので『知りたい』という目線が抜けてしまう。
ただのメンテナンス作業の時間だったが、突如すべての構造を説明することになった。
しかし新しい視点や、効率のあげ方も分かった。自ら作りたいという生徒も出てきて有意義な時間になった。
人に説明するのは自分の脳内を整頓することだ。
かみ砕いて伝える言語能力が足りないのは否めないが、それを補充するのは「知りたがる人たち」だと今日知った。
しかし疲れた。
目の前にクッキーとコーヒーがおかれた。
その横に……報告書。それは『家についてのこと』だった。
目を通して顔を上げる。
「本当にすべて神社の写真だったのか」
「調査した結果、そうでした」
あのパーティーで喜代美が姿を消して十年以上。
心の病気として扱われ、完全に『面倒なものには蓋』されてきた。
間違いなく喜代美の存在は『難しい』。
「岳秋は?」
「会いに行かれました。特にこの神社なのですが、ここは子どもの頃に一緒にいったことがあるそうで、思うことがあったようです」
「そうか」
「子どもの健康祈願をする神社で、朝一番から滝に入るような場所のようです」
「修行僧か?! なんだれそれは」
岳秋はずっと航平と比べて劣ることを悩んでいた。
そんなの晶子の掌のうえに飛び出して自らダンスしているようなものだ。
気持ちが理解できないわけではないが、それをしてしまったらお終いだ。
近藤のポケットでポン……と通知がなり、確認した。
そして顔をあげた。
「喜代美さん、お元気だそうです」
「本当に病気じゃなくて、好きに楽しんでた可能性もあるのか。自分が狂わせたはずの女が元気では、晶子はつまらんだろうな」
航平はコーヒーを飲んで顔をあげる。
「喜代美が頭が回るヤツなら、岳秋と手を組めばいい。進化心理学を知っているか。サルはひたすら一番強いボスを殺してきた。どうやって殺すかというと、力がないものたちが手を組んで、多数派で力を組んで、最も強いボスを殺すんだ。そして再び誰かがボスに立つと、もっと弱いものたちが手を組んで殺す、殺して殺して、世界を均等に保つんだ。強すぎる力は、弱い者たちが手を組むことで殺すことができる。岳秋と喜代美が手を組んで晶子を殺せばいい。味方は多いはずだ」
近藤はコーヒーの追加を注ぎながら言う。
「その理論で言うと、航平さんも殺されますね」
「そうだな。俺もそのうち殺される」
立場も金も奪えるが航平の頭の中は奪えない。
それが唯一の救いだ。
晶子が本気で追放される前に、権利で名前を売って社会から自分を守らせたい。
コーヒーを飲んでいると、近藤がLINEを見ながらほほ笑んだ。
「ハガキを、とても喜ばれてるみたいですね」
「ハガキ?」
「竹中さんが写真を使って絵ハガキを作り持たせてくれました。私は全く詳しくないのですが、薬草がたくさんのったお椀のようでした。これを見せて喜んでくれたら、きっと本物です、と」
「なんだその神社オタクの暗号みたいなやり取りは!」
「心が疲れた方に渡すお椀のようなものらしいです。竹中さんらしいですね。しかしこれで本家が動き出すとなると厄介なので、私が調べたことにします。現在勉強中です」
「頼む」
航平はコーヒーを飲んでスマホをいじった。
実は芽依とLINEを交換したのだが、その数日後には送れなくなっていた。
学校のデータで確認したら電話番号が変わっていたし、メールアドレスも変更されていたのでスマホが故障したのだろう。
しかし連絡先は基本的に引き継ぐものだし、そのまま連絡先が無くなるのはどういうことだ。
……気にくわない。
「近藤は芽依とLINEでやり取りしてるのか」
「四月の赴任前はLINEでしていましたが、今は校内の掲示板を使っています。シークレットにさせて頂いていますが。航平さんが作った学校内の掲示板システムは非常によく出来ており、これがあれば連絡に不便はありません。とても素晴らしいシステムだと思います」
「良く出来てるだろう!」
「その通りです」
そう言って近藤は学校内のシステムメンテナンスのスケジュールを転送してきた。
そうだ、そろそろ大規模なメンテナンスをしようと思っていた。
近藤に上手に使われているのは分かるが、自分を上手に使う奴が好きだからそれでいい。
プログラムを眺めていたら近藤がレゴを片付けながら口を開く。
「週末ですが、よさこい部がそこのホテルで合宿を行うそうなのでお手伝いに行ってきます。こちらにはおりません。よろしくお願いします」
「よさこい部、今年も夏の大会に出るのか。あの大会でドローン飛ばしたいな。良い絵が撮れると思うんだけど」
「今年から竹中さんも顧問になられたので、お話されてみたらどうですか」
「日向ミコと蘭上に巻き込まれたか! 楽しそうだな。俺も顔出す」
「わかりました。では」
近藤は正しく頭を下げて学長室から出て行った。
スマホを見て考える。今日芽依に「スマホを変えたのか。もう一度LINEを教えろ」と言えば良かったのに、なぜか言えなかった。
拒絶されたくないから、事前に近藤に確認しようと思ったんだ。
「……らしくねーな。合宿で聞こう」
知りたいものは知りたいんだ。
俺にも神社トークしてくれよ、面白そうだ。なんだよ、神様の食事ってのは。
何も知りません、無力ですと言いながら何なんだ、竹中芽依。
スマホを転がしてプログラムを流した。
ああ、きれいだ。
プログラムは指示しか書かれてないから美しい。
人もそう単純だったら楽なのに。
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