第61話 そこに見える小さな光


「芽依、本当に大丈夫なの?」

「子どもじゃないんだから、大丈夫よ。でも少しだけ早く帰ってきてくれたら、うれしいな」

「任せて! じゃあ行ってきます、何かあったらLINEして!」


 莉恵子はバタバタと家から飛び出して行った。

 芽依はふう……と小さく息を吐いて布団に戻った。

 身体が熱いのに寒い。ものすごく久しぶりに発熱してしまった。

 体調を崩すなんて何年ぶりだろう。

 雨宮家に行ってから一度も寝込んでないと思う。だってあの家では朝から晩まで働いていて、布団で眠った時間はものすごく短いのだ。

 離婚してこの家に来てからは、むしろゆっくり眠れるようになり、体調はものすごく良い。

 ウトウトしながら考える……最近農作業が楽しくて太陽を浴びすぎてるのかも知れない。

 首の後ろまで守れる大きな帽子を買おう。日差しを浴びるのって、すごく疲れる。

 スマホを持つと、学校から確認の通知がきていた。

 休むことが認証されたようだ。

 そして丁度学校に用事があったらしい長尾が代わりにシフトに入る……と書き込んでいた。

 ……悪いことしちゃった。

 芽依は枕にコテンと頭を落とした。分かってる、体調不良は仕方のないことなのに、どうしても自分を責めてしまう。

 自己管理に失敗したのだと思ってしまう。だってみんな寝込んでないのに私だけ。

 もう少し体力をつけないと、この先辛いわね……。

 スマホを握ったまま、再びウトウトして……はっと目覚めた。


「……そうだ。LINEしておこう」


 芽依はスマホを再び立ち上げた。

 実は航平が『芽依のLINEを教えろ』って車をおりた時に言うから交換したのだ。

 そこに『月曜日ジープ持って行くから、山を走ろう。どれがいい?!』と何台も写真を送ってきていた。

 どれも楽しそうだけど……小清水の気持ちを察してしまった以上、悪い気がしてしまう。

 単純に、航平と話していたら小清水が来て気を使う……とか、そういうことをしたくないのだ。

 人一倍気が付いてしまうからこそ、イヤなのだ。

 芽依はLINEを立ち上げて打つ。


『体調を崩してしまったので、月曜日は畑作業をやめておきます。それに風邪をうつしてしまうかもしれませんし、またのタイミングでお願いします』


 こう伝えて、会った時に「いつにする?」と聞かれても「また連絡しますね」を二回繰り返せば大丈夫だ。

 LINEはすぐに返ってきた。


『体調不良で休むと見た。大丈夫か』


 菅原学園には職員みんなが使える巨大な掲示板のようなものがあり、連絡事項はそこに書き込む。

 内容を自動判別して、関係ある人には通知が行くようになっている。

 このシステムを作ったのも航平らしく、本当にすごいと思う。

 大きな板にメモをはるようなビジュアルで分かりやすく、その連絡に紐付けするようにコメントを書くことができる。

 公開、非公開、公開する人を限定……など選ぶことができるし、みんなが確認して重要性が高いと判断されたことは目立つようになる。

 芽依が休むのはさっき事務員と長尾が反応したので、目立つところに上がったのかも知れない。


『38度程度の発熱です。他に症状はないので大丈夫だと思います』

『何か近藤に届けさせるか』

『同居している人がいるので大丈夫です』

『そうか、わかった』


 連絡を終えて芽依は再びトン……と布団に頭を沈めた。

 喉が渇いていたので、スポーツ飲料を取りに台所へ向かった。

 今朝発熱したことを莉恵子に伝えたら、自転車で二分のコンビニへ消えて、飲料やゼリー飲料、そしてドーナツを買ってきた。

 ドーナツ? と聞いたら莉恵子は「私は体調崩すと味覚が真っ先に壊れるの。だから少し元気になったら味が濃いものを食べるの」とドサドサ置いた。

 なるほど? と思うけど、とりあえずスポーツ飲料だけで良いわ、と常温にしておいたそれを飲んだ。

 背筋がぞくりとする。寒い。熱ね。

 それをペットボトルのまま抱えて部屋に戻った。


 布団に入って眠ろうとすると……子どものころ熱を出してひとりで眠っていた時のことを思い出した。

 体調を崩しても誰も見てくれないので、芽依はずっと体調を崩さないようにしてきた。

 手洗いうがいを徹底して、風邪がはやる時期にはマスクもしていた。

 でもインフルエンザとか感染症はどうしてもなった。

 病院には莉恵子のお母さんが連れて行ってくれた。学校が終わったらすぐに莉恵子が来て「うちで寝なよ!」とこの家に連れてきてくれた。

 ああ、だからこんなに心が落ち着いて……でも淋しくて……芽依は膝を抱えて眠った。


 ポン……という通知音で目が覚めた。

 眠っていたようだ。汗をかいているし、少し身体が楽になっている気がする。

 着替えないと……と思いつつスマホを引き寄せて見ると、送信者は拓司の元上司……その奥さんだった。

 何の用だろうと確認したら、誕生日会のお知らせだった。

 そういえばと思い出す。拓司の上司は自分の誕生日を奥さんや部下に祝わせるのが好きな人で、芽依はその誕生日会を毎年手伝っていたのだ。

 『今年もお手伝い、お願いできますか?』という内容だったので『離婚したんです』と送った。

 どうやら伝わっていなかったようで、ダラダラと会話が続き……過去を掘り起こして伝える作業に疲れてしまった。

 やっとLINEを終わらせて、スマホの電源を落として投げ捨てた。

 もうスマホを見たくない。


 拓司の会社は上司の覚えが良いと、出世が早い。

 お祝いのお酒は半年以上前から蔵元に予約したし、誕生日会も率先して手伝った。

 むしろそこまでしないと、出世は絶望的だし、奥さまに嫌われると系列会社に飛ばされたりする。

 まあもう知らないけど。


 ……ていうか、会社の人になんで私が離婚したことを話さなきゃいけないのかしら。

 私は放り出された人間なのに。

 イライラしてきて、布団から出て濡れたパジャマを洗濯機に投げ込んだ。

 そして台所に置いてあったドーナツをかじった。

 部屋を片付けて掃除機をかけて、ゴミを投げ捨ててスポーツ飲料を飲む。

 熱を測ったらほぼ平熱に下がっていた。


 ……あら、良かった。


 そういえば離婚してここにきて、わりとバタバタしてたし、スマホは前のまま使っていた。

 このタイミングで回線ごと変えようかしら。個人的に繋がっていたい人なんて限られている。

 学校は専用のメールアドレスがあるし、掲示板はとても使いやすい。あれがあれば問題ないわ。

 そう決めて毛布に丸まっていると、玄関のチャイムが鳴った。

 え? 誰だろう、でもパジャマ姿だし……と思ったら、玄関の前で聞きなれた近藤の声がした。


「竹中さん、出なくて大丈夫です。簡単なものを置いて行きますから」

「すいません、ありがとうございます!」


 芽依が部屋の中から声をかけると、足音が遠ざかり車が去って行く音がした。

 大丈夫だと伝えたのに……あ、ひょっとしてスマホを落としてるから、心配したかしら。

 でももう……スマホに触れたくない気分だった。

 そう思って玄関に届けられたものを取りに行ったら、中にはスポーツ飲料や栄養剤と、なぜかレゴブロックが一箱入っていた。


「……航平ね」


 芽依は思わずそれを見て笑ってしまった。

 有名な映画のシリーズで……わりと大きい。これはきっとあれね、莉恵子のドーナツなのね。

 きっと航平は熱を出したらレゴブロックを作ってるのね。


「なにそれ」


 想像して笑ってしまった。でもレゴブロック……昔は自由に作るものだったけど、最近は細かく袋に分かれて入っている。

 そして説明書がついているのだ。それを見ながら順番に作っていくと、完成するようになっていた。

 すごい。

 熱も下がったし身体も辛くない。暇つぶしに作って見ることにした。

 すると説明書がものすごく分かりやすいのだ。すごい、なにこれ面白いんだけど。

 夢中になって作っていたら、玄関から音がして莉恵子が帰ってきた。


「ただいま、芽依起きてて大丈夫なの?」

「熱が下がったわ、もう大丈夫だと思う」

「てか……レゴ? なんで? すごい、かわいいーー!」

「学長が届けてくれたの」

「なんで風邪でレゴ? 逆に頭痛くならない? まあいっか、鍋作る! 食べられる?」

「うん、食べたい」


 芽依はレゴを作りながら答えた。

 さっきまでイライラしていたのに、レゴを作っていたら不思議と落ち着いていた。

 そして気が付いた。航平もレゴを作って心を落ち着かせたかったのかしら。

 鍋を作りながら莉恵子が台所から話しかけてくる。


「帰るってLINEしたのに既読にならないから、超焦って帰ってきたよ」

「あ……ごめん、私電源落としてるの」

「なんで?」


 芽依は拓司の上司の奥さんからLINEが来た話をした。

 莉恵子は肉団子を投げ込みながらため息をつく。


「上司の誕生日会ぃ……? めんどくさ……。芽依よくそんなの付き合ってたわね」

「旦那を支えるのも嫁の仕事だと思ってたけど……この感じだと離婚したこと、全然伝えてないのね」

「上司には伝えるけど、その上司がどこまで伝えるか……とかは、分からないけど、とにかく面倒だね」


 芽依は毛布にくるまって口を開いた。


「それでね、スマホ回線ごと変えようかなあ。もっと安いのでいいや」

「私会社がiPhoneだからそれしか分からないんだよね。よし、明日は土曜だから休んで、日曜日買いに行こうよ。ヨドバシが助けてくれる」

「莉恵子のそのヨドバシに対する熱い信頼はいったい……。でもそうね、日曜日に行きましょう」


 莉恵子と笑いながら食事をした。

 鍋を食べたら、味もしっかり分かってもう大丈夫だと分かった。


 寝ててよ!! と莉恵子は芽依の部屋から布団を引っ張ってきて、横に並べた。

 そうだった。体調崩すと、いつもこのリビングで莉恵子と眠ったの。

 うつりそうで心配したけど、莉恵子にはいつもうつらなくて……基礎体力の差かしら。


 暗くした室内でレゴに貼ったシールが小さく光っている。それを見ると少し笑ってしまう。

 そして気が付いた。レゴはゴールが設定されてるから精神を落ち着かせるのに向いてるんだわ。

 料理と一緒。素材が揃ってて作り上げると、最後に出来上がる。

 はじめて作ったけど、わりと楽しかった。悪くないのね。


 莉恵子の寝息と静かな光。

 芽依はやっと安心して目を閉じた。



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