第58話 青空に消えて


「ああ……やっと解放された」


 芽依はふらふらと脱衣所に入った。

 あの後、小清水は「やっと会えたし、ランチ奢るから! シフトなんて航平にさせればいいの。近藤、航平呼んで!!」と強引で逃げ出すのに苦労した。 

 どうして新任の教師が学長に仕事を投げられるのか、全く分からない。


 芽依は「はあ」とため息をついた。

 正直この学校……みんな性格が濃くてすごい。


 ひとりでいるのはつまらないから、楽しいのは良いんだけど、これほど濃い必要はない気がする。

 でも変わった学校だから特殊な人が集まるのは仕方ない。

 それがイヤなら普通の学校に行けば良かったのだ。

 でもそれは……魅力を感じなかった。

 だからまあ、仕方ないわね。


 とりあえず連絡先を交換して、来週ランチの約束はしたので、それさえ終われば気が済むはずだ。

 近くのホテルランチはとても美味しいらしいので、楽しみだ。

 それに……底抜けに明るくて強い人はきらいじゃない。

 ただ仕事をさぼりたくない、それだけだ。


 でも朝から農作業をして、つかれてしまった。

 時計を見るとまだ十一時三十分で驚いた。

 こんなに体力が残ってないのにまだ午前中!

 芽依はつかれた腰を伸ばしてジャージを脱いだ。すると折ってあったズボンの下や、袖から大量の土が出てきて外に飛び出した。

 もう私自体が泥になったみたい!! すべての袖を伸ばしてブラブラさせると、固まった土がバラバラ出てきた。

 そしてよく見るとジャージの袖口に名まえが書いてあった。

『近藤』

「?! これ近藤さんのジャージなの?!」

 見ると『菅原学園』のロゴも入っていた。でも今運動をしている子たちが来ている菅原学園のジャージではない。

 モデルチェンジしたのかしら。ということは、近藤もこの学校の出身なの?

 ……謎が深い……。芽依はジャージからまず泥を落とし、シャワーを浴びた。

 学校のシャワー室にしては広くてキレイで、シャンプーやリンスもあった。

 これなら作業後のリフレッシュになるわね……と着てきた服に着替えた。 

 ああ、スッキリした。


 

 シフトは二時からなので、まずお弁当を食べることにした。

 この学校には給食のように、みんなで食べる習慣はない。

 でも食堂やカフェテラスがあり、安く食事をすることができる。

 しかし芽依には量が多く見えた。少ないものは栄養バランスが偏っているように見えたので、お弁当を作ってきた。

 それほどご飯は必要ないし、おかずなど作り置きで良いのだ。


 問題はこれをどこで食べるか……だった。

 職員室は食事をする空間ではなく、PCルームとロッカーのような場所だ。

 他の人はどうしているのだろう……と学校を探検したら、教師はみんな学校の色々な場所に『巣』を作っていた。

 教室の一部を緑で囲んで自分の空間にしている人、図書館の一部に住み着いている人、理科準備室のビーカーを磨いている人……本当にみんな好きな空間に自分の個室を作っていた。学校内に自分の部屋を?! たぶんクラスがないので教室が余っているし、その個性を生徒たちが見極めて近づいているように見えた。

 個性の主張の一部なのね……どうしよう……芽依は考えた結果、家庭科準備室に向かった。

 そこにはまだ誰も住んで? なくて、ミシンや調理道具がたくさん置いてあった。

 学校特有の大きなミシン、それにたくさんの大きな鍋に冷蔵庫。

 ここは落ち着く……ここにしようかしら。

 芽依は大きな窓を開いて、雑多な机を片づけた。そして隅にお弁当を広げた。

 窓から優しい風がふきこんできて、カーテンを揺らす。

 外には山の緑が美しく見渡せる。ああ、なんか……すごくいいな。芽依はお弁当を食べながら思った。

 すると廊下を挟んだ音楽室から、ピアノの音が聞こえてきた。

 背を伸ばしてみると……演奏していたのは日向ミコだった。


 五月も後半の暖かい風にのせて、ミコの伸びやかな声が響いて来る。

 ドローン大会の時は「アイドルソングね」としか思わなかったが、あれはカメラ越しだったから?

 近くで聞くと、ミコの声は気持ちが良い。

 廊下のドアを開くと、更に声がよく聞こえるようになった。


 廊下の奥に人影が見えた。それはシャワーを浴びて着替えた蘭上だった。

 服はキレイになっているから……きっと社長に届けさせたのね。社長は迷わずあの服を捨てたはず。想像するだけで笑ってしまう。

 そしてミコが弾いているピアノに気が付いて、横に座り、歌いはじめた。


 ミコの声は甘く、生まれたての子猫のような声で……それでいて、どこか大人の色気がある特殊な歌声だ。

 それに対して蘭上の声は、まっすぐ澄んだ迷いがない少年の声。でもふとした時に少女が踊るような可愛さを見せる。

 ふたりの声が混ざると、それは声を使った遊びに聞こえた。

 

 こっちで遊ぼうよ。ブランコが楽しいよ?

 靴を遠くに飛ばそうか。ほら空へ。

 けんけんして取りに行こう。


 一緒に遊ぶ景色が目に浮かぶようにふたりは、たまに目を合わせて歌う。

 いつのまにか廊下には他の生徒たちも来て、蘭上とミコの歌を聴いている。


 ミコは音を探すように、それでも知っている道を歩くように、ピアノを弾いていく。

 その音を拾うように、それでいて導くように、蘭上は声を重ねる。

 ミコがピアノの音で蘭上を誘う。おいで、おいで。

 歌詞があるわけじゃない。でもふたりはきっと同じ場所に向かっていく。


 ふたりの歌はいつのまにか公園を飛び出して、海へ続く広い場所へ続く。

 そこは風もなく、風車が見える。灯台に向かう細くうねった道を、鳥が舐めるように舞う。

 翼を広げて……そこに一気に風が吹いた。

 芽依はそこには居ないのに、たしかに居て、風を見た。

 真っ白なワンピースが膨らんで広がる。

 音の世界で芽依がかぶっていた麦わら帽子を吹き飛ばして、どうしようもなく青い空に吹き飛ばした。 


 窓から入ってきた一瞬の風に我に返る。

 同時に廊下にいたギャラリーから拍手と歓声が上がった。




 ……すごい。




 鳥肌がたってゾクリとした。

 ついさっき畑で、土煙をまき散らしていた残念ぶりだったのに、一瞬で違う顔を見せた。

 本当に歌手なのね、驚いたわ。ミコのピアノも歌も素晴らしかった。

 芽依は素直にパチパチとその場で手を叩いた。

 廊下を挟んだ音楽室でそれを見ていた蘭上とミコが家庭科準備室に入ってきた。


「芽依ちゃん先生、お家ここにするの?」

「そうしようかなと思って。ミコちゃん、ピアノと歌すごかった」

「えへへへ~~~、これでもミコすごいんだよ~~」

「本当に素晴らしかったわ」


 芽依が本気で褒めると、視界にグイグイと蘭上が入ってきた。


「俺もでしょ!! 正直俺のこと、超認めたでしょ? あれ、蘭上くんって家でゴロゴロしてレタスもまともに切れないし、いつも騒いでばかりだし、部屋の片づけもしないし、服は泥だらけにするけど、蘭上くんって歌上手なのね?! って思ったでしょ」

「……蘭上最悪じゃん。居候なんでしょ? もっとちゃんとしなよ」


 それを聞いていたミコはスン……とした顔になって芽依の隣に座った。

 そして鞄からドーナツを出して食べはじめた。

 蘭上は諦めずに食い下がる。


「いやいや、芽依さんはきっと俺のことをそう思ったはず。 ねえ、芽依さん」

「そうね。食べたお菓子のゴミを廊下に捨ててお母さんが片づけるのを待ってるし、ペットボトルは洗わないで台所に放置、自分で洗濯するって言ったわりに靴下がいつも廊下に落ちてるし、食べた食器も片づけないし、最近じゃ料理の勉強も疎かになってて、ただお母さんの料理を満喫している穀潰しかと思ったけど、歌は上手ね」

「ぎゃははははは蘭上、クソじゃん! ガキかよ!!」

「芽依さんは処刑!!!!!」


 そう言って蘭上は芽依のお弁当の卵焼きを勝手に食べた。

 もう本当のことしか言ってないのに。

 でも蘭上が完全に拗ねてしまったので、芽依は謝った。


「言い過ぎたわね。ふたりの歌は本当に素晴らしかったわ。もっと聞きたい。蘭上くんもピアノ弾けるの? 聞きたいな」

「!! 弾けるよ。聞いてて」

「じゃあ今度は私が歌うね」

  

 そう言ってふたりは音楽室に入って行った。

 廊下にはもうギャラリーが集まっていて、ふたりの歌が始まるのを静かに待っている。

 だれもスマホで撮影とかしていないのだ。ただふたりの歌を静かに待っている。

 そんなことが芽依は嬉しかった。

 春の終わりを告げる風にのせてふたりの伸びやかな歌声が響いて行く。

 聞いていると、ものすごく眠たくなるけど、パチンと顔を叩いて授業のシフトまでがんばった。

 正直、授業中が誰にも邪魔されず、一番平和な時間帯だった。


 


 家に帰る電車の中……LINEがポンと入った。 

 それは雨宮家のお義母さんからだった。


『返信おそくなりました。新しい門出、おめでとう。うちのクソ男たちがごめんなさいね。何もできなかったの、ごめんなさい』

 芽依はすぐに既読にして返事を書いた。

『何も知らなかったとはいえ、失礼な態度を取りました。申し訳ありませんでした』

『あんたもう、本当に真面目ね。あ~~もう息子育てに失敗したわあ~~。実は私ね、今度日舞の発表会に出るの。見に来ない? 結桜も連れて行くわ』

『行きます!』


 芽依は返信して笑顔になった。

 私はきっと、人が好きなんだと思う。いいえ、きっと違うわね。

 自分が片方しか見えてないって、知れば知るほど、反対側が見たくなるの。

 それがまた反対側に影を落とすとしても、色んな世界を、見てみたいの。


 そしてもう一度、心から人を信じたい。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る