第56話 震える手と、上げた視線の先に

 会場のホテルは、大きくてとても豪華だった。

 菅原学園がある山は都心から電車で一時間近くかかるし、駅からも遠いのに需要があるのかしら……?

 芽依は不思議に思ったが敷地内には多くのアクティビティがあり、それを利用する人たちでにぎわっていた。

 山の斜面にある広々としたコンサートホールに、大規模なアスレチック。巨大室内プール、そして何より大きなゴルフ場を持っていた。

 明日は菅原出資のゴルフ大会もあるようで、テレビの取材班も宿泊に来ていた。

 なるほど、そういう需要があるのね。芽依は納得した。

 

「こっちこっちー!」


 敷地内にバスが到着して、ミコに連れられてホテルに入る。

 ホテルマンが丁寧に頭をさげてくれて気持ちが良い。

 それに途切れることなく車が来て、中に生徒たちが入って行く……菅原学園は思ったより規模が大きいのかも知れない。

 ミコと長尾に連れられて、ホテルの最上階にある部屋に入って、驚いた。

 大きなシャンデリアがある巨大な空間で、窓の外には都心が一望できる。ベランダにある巨大な噴水があげた水がキラキラと輝いて美しい。

 芽依は自分の中で語彙を探す。 


「……ものすごく豪華な体育館みたいね」

「例えがなんか地味だね? あ~~。よっちゃん~~! じゃあ芽依ちゃん先生あとでね!」


 ミコは友達を見つけて去って行った。華やかで明るい子はこっちが話題を振らなくてよいので気楽だ。

 式が始まるまで時間もあるし、芽依は隅で座って居ようと思った。

 正直こういう華やかな場所はあまり得意ではない。

 一番苦手なのは人に注目されることで、二番目に苦手なのは人前で話すことだ。

 逆に目立つ人は、どちらかというと好きだ。強い光で自分を隠してくれるから。

 

 一番後ろの椅子が並べてある所、そこの一番隅に座って小さくため息をついた。

 実は昨日から緊張している。式の中盤で新任教師の挨拶があり、その時は舞台に上がらないといけないのだ。

 芽依はそれが苦手で仕方ない。

 でも名まえを言って頭を下げるだけだから、がんばろう……と思った。

 ブッフェ方式で窓際にはたくさんの料理が置いてある。でも全く食欲がなく、お茶だけ持ってきた。

 芽依からひとつだけ椅子を離した所に座った長尾も深くため息をついた。


「俺、こういう会で挨拶しろって言われるのが苦手でさ。人に教えたりするのは好きなんだけど、教師として前に立つのがイヤで、菅原に来たんだ」


 同じだ……。

 そういえば、もう所属している教師たちも、一度前に出て挨拶するのだとプログラムに書いてあった。

 芽依は手元にある湯呑のふちっこを触りながら口を開く。

 

「分かります……私も苦手です」

「そっかあ……一緒だね。もう俺の周りは強いのばっかりでさ。学長なんて『俺を見ろ、俺が最高、俺に注目しないヤツはアホ!』な精神でさ」


 言い方がそっくりで思わず笑ってしまう。

 でも……それにそういう強い人に憧れる所がある。

 莉恵子も昼夜問わず仕事をしていて、隣の部屋で強い口調で人をやり込めていくを何度も聞いた。

 航平や莉恵子のようにはなれないけど……自分の心が痛くない方向に生きていきたいと思う。

 長尾としんみりとお茶を飲んでいたら、舞台の上にスーツをきた航平が上がってきて叫んだ。


「よっしゃ、菅原学園の入学式が始まるぜ~! 今年もよろしく! 俺は学長の航平。学長室は出入り自由だから、勝手にきてくれ。レゴを使ったらちゃんと片付けないと近藤に怒られる。あ、近藤は俺の監視役。怖いから気を付けてね!」


 呼ばれた近藤が航平の後ろで小さく頭をさげた。

 芽依は長尾のほうを向いて口を開く。


「あの、素朴な疑問なんですけど、近藤さんって……おいくつなんですかね」

「うーん、俺さ、菅原に入ったのは高校の時で。学長は同級生なんだよ」

「あ、そうなんですか! それでその距離感」


 長尾と航平は仲が良いんだけど、長尾が航平を尊敬していて……微妙な距離感を保っているなあと思っていた。

 同級生なら納得だ。長尾が続ける。


「学長は、在学中に授業システム作って色々すごいから、同級生でも航平なんて気楽に呼べないんだよね。学長は昔から学長」

「そういえば、そんなこと言ってましたね」


 授業システムを作ったのは十代だった的なことを前に言っていた気がする。

 長尾はそれを横でずっと見ていた人なのか。


「いやそれでね、高校生なのにボディーガードがいるので有名だったんだよ。それが近藤さんなんだけど」

「?? 一緒に授業を隣の席で受けてたんですか?」


 芽依が言うと長尾はふきだして笑った。


「いやいや、教室には入ってこないよ。でもすごいんだよ。気が付くとすぐ近くにいるんだ。廊下の影でスッ……と立ってたりさ、食堂で飯食べてると鍋と同化して立ってたりさ、体育してる時によく見たら木の一部になってたり、瞬間移動ができるんだ。たぶん忍者」

「長尾さん、ご挨拶の時間です」

「そうこんな風に。うっわ、もうだから怖いんだって。近藤さん、音もなく近づいてこないでください!!」


 長尾は叫び、芽依は驚いた。

 この部屋は広いので移動に時間がかかりそうなのに、数分前に舞台袖に立っていた近藤が今長尾の隣にいた。

 近藤は表情ひとつ変えずに長尾に近づいて言う。

 

「ご挨拶の時間です」

「わかりました! 竹中さんからの質問です。近藤さん、おいくつですか?」

「非公開です」

「ね。秘密なんです」


 そう言って長尾は廊下に出て舞台の前へ向かった。

 芽依の横には背筋を伸ばして立っている近藤がいる。

 長尾は現在所属している教師の挨拶で……芽依の挨拶はもう少し先だ。

 気になって近藤の近くに立った。そして口を開く。


「近藤さん、手を見せてください」

「はい」


 近藤は手を芽依の目の前に出した。手を見ると大体の年齢が分かる。

 見ると……とても艶々していて、なんなら美白でもしているのかというほど美しい手だった。

 でも首元は……それなりに年齢がいっているような……? もう少し分かると思ったけど全然無理だった。

 近藤は手を後ろに引っ込めた。そして小さな声で言った。


「……最近、麴にはまっていまして」

「!! それで手がこんなに艶々なんですね」


 昔、麴を素手で触っている人は、手が綺麗なのだと聞いたことがあった。

 それでこんなに艶々しているのか。麴すごい……! 芽依は興奮して続ける。


「何を作ってるんですか」

「主に味噌を」

「私も一度作ってみたかったんです。美味しいですか」

「それはもう」

「仕込みは冬ですよね。もう終わってしまいましたか」

「今年の冬にどうですか。大豆を育てる所から始まるんです、味噌は」

「ええ……いえちょっとそこまでは……」

「菅原学園は畑を持ってまして。豆まきは六月なので丁度よい時期ですよ」

「ええ?! ……興味あります」


 この知識量……年上だとは思うんだけど、非公開ならそれで良い。

 とにかく料理やその周辺のことに詳しくて、とても楽しいのだ。

 近藤は菅原学園にある畑の写真を見せてくれた。芽依は興味こそあるものの、畑作業は全くしたことがなかった。

 借りるとなるとかなりの広さを借りることになるし、通えない距離では困る。

 だから手を出せずにいたけど、自分で野菜を作ることに興味があるかと問われたら……あるのだ。

 でも大豆……? 写真を見せて貰っていると、足元にキュイキュイッと小さなラジコンカーが来た。

 これが入学式用のラジコン……!


「影山~~、芽依ちゃん先生に会いにきたのお?」


 右手にドーナツ、左手にオレンジジュースを持ったミコが戻ってきた。

 そして芽依の隣の席に座って、足元をキュイキュイ動いていたラジコンを手に持った。

 そのラジコンには『影山』とシールが貼ってあった。

 影山って……あのドローン大会でハッキングをしたという天才さん!

 芽依はラジコンに付いているカメラを見て口を開いた。


「……ここから見てるの?」

「たぶんそうじゃん? でもミコも会ったことないの。マジで電脳かも。ちなみに影山ってみんなが勝手に呼んでる名前で男か女かも知らないのよね」

「え、じゃあどうやってドローン大会でチームになったの?」

「TwitterにDMが来たの。学長倒しませんか? って。でもそのアカウント、今はもうないの。でも影山の計画通りに動いたら勝てたし? ドローン窓の外に捨てるのめっちゃ楽しかったし? ねえ、影山」


 そう言うとラジコンは手元でキュイキュイ動いた。

 そろそろ挨拶だと近藤に促されて歩き始めたら、後ろを影山のラジコンがキュイキュイと付いて来る。

 なんだか可愛くて後ろを振り向きながら歩くと、通路をキューンキューンと激しく動いた。

 なにこれ、可愛い。私結構小さいメカに弱いのかもしれない。

 車の運転も好きだし、最近乗ってないから乗りたいなあ……と少し思う。




「新任教師の方と、事務員の方です。舞台へどうぞ」


 緊張しながら舞台袖で待っていたが、司会者の声で前に出る。

 明るい舞台……苦手……と思ったら、足元を影山ラジコンが足元でキュイキュイ回った。

 なんだか頑張れと言われている気がして……ほんの少し気持ちが楽になった。

 視界に何かチラチラ入るな……と思って顔を少しだけあげたら、そこには蘭上が座っていた。

 そして手をふっている。机の上には大量のケーキとジュース。満喫してる……でも、椅子に足をあげるのはやめなさい。

 順番がきて震える手でマイクを受け取る。


「竹中芽依です、よろしくお願いいたします」


 なんとかそう言ってマイクを次の人に渡した。

 すると蘭上は楽しそうにパチパチと手を叩いてくれた。足元ではキュイキュイとラジコンが回っている。

 ラジコンを見て蘭上は目を輝かせた。

 事前に何人か知り合いが居たから……なんとかなった。

 芽依は安堵のため息をついた。


 後ろの席に戻るとお腹が空いていて、ミコが持ってきてくれたケーキを食べた。

 これがまた美味しくて! 

 ミコは「ここのご飯を食べるためだけに入学式来てるの~!」とほほ笑んだ。


 芽依はミコに『入学式』と書いてある看板の横で写真を撮ってもらった。 

 それを莉恵子と、お母さん、お父さん……それに結桜と、最近知ったお義母さんのLINEに送った。

 ふたりにも新しい自分を見て欲しい、まっすぐに思った。


 

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