第55話 新しい門出

「芽依さん、明日一緒にいく? 俺、車だから乗せていくよ」

「初出勤だし、どれくらい時間がかかるか知りたいし……電車でいくわ」

「ええー? これから俺も学校いくんだし、家まで迎えに行かせるよ。ついでだもん」

「要らないわ」


 芽依がはっきりと断ると、蘭上はしょんぼりと最上階の部屋に消えて行った。

 そもそも蘭上が居酒屋に住んでいることに納得がいかないけど……持ち主が良いのだから仕方がない。

 ふりむくと莉恵子のお母さんが苦笑していた。


「芽依ちゃんは相変わらず甘えないわね」

「そうですね……それに一応教師と生徒ですから」

「蘭上くんが、そんなこと考えてるはずないわよ!」


 お母さんはケラケラ笑いながら枝豆を切り落とした。

 今日も居酒屋でお手伝いしているが、明日から本格的に学校が始まるので、それほど来られないかも知れない。それはそれで、少し淋しい。

 お母さんと話ながら作業している時間は大好きだ。

 芽依は小さな声でつぶやく。


「きっと私が楽なんです、そのほうが。境界線が曖昧だと、どこまで踏み込んでいいのか分からなくなりそうで……」

「ほんと真面目ねえ。お母さんなんて蘭上くんに滝見沢(たきみざわ)さんのチケットゲットしてもらっちゃった。今度ディナーショーに行くの」


 お母さんはスマホを操作してオンラインチケットを見せてくれた。

 それはお母さんが昔から好きな滝見沢喜一(たきみざわきいち)という歌手のディナーショーチケットで、入手はかなり難しいとネットで見たことがあった。

 蘭上を使ってそれを得たというなら、さすがお母さんとしか言いようがない。

 お母さんはウキウキと写真をスライドして見せてくれる。


「それで! 見て! これ着ていくの~~~!」

「す、ごい、ですね」

「かわいいでしょ~~~!」


 お母さんが見せてくれたのは、紫でラメがたくさん入っているドレスだった。

 莉恵子も衣装持ちで、いつも山のようにZOZOで買って、段ボールも開けずに押し入れの隙間からねじ込んでいるけど……まさに親子ね。


「君のぉ~~ためにぃ~~~。あ、そういえば芽依ちゃん、これ、あげる」

「え? これ……良いんですか?」


 お母さんが滝見沢の曲を歌いながら出してきたのは、箱に入った真珠のネックレスだった。

 有名ブランドの品で、年代物だと思うが美しく磨かれていた。

 芽依も真珠は持っていたが、こんな良いものではない。ためらっているとお母さんはパチンと枝豆を切り落として


「新しい門出だから、お祝いさせて? 新品なんてもらってくれないでしょ。これね、私がここで働き始める時にね、えいっ! って買ったものなの。お父さんが死んじゃって……それでも働かないといけなくて、莉恵子を家にひとり置いて。気分が落ち込んだ時に、自分に元気を渡すために買ったの。そしたら今幸せだから! 次は芽依ちゃんに幸せが始まりますように」

「……そんな素晴らしい力があるものを、実の娘にあげなくて良いんですか?」

「莉恵子は自分の力でバリバリ進んでいくから良いのよ! あの子にそんな力があるものあげたら、会社作って社長になってさらに恋から遠ざかって起業して出国して戻らないわ! 怖い」


 お母さんは「はああ~普通でいいのに~~」とため息をつきながら首をふった。

 それは言いすぎだと思うけど、たしかに自力でバリバリと進んでいくタイプだ。

 私は不安しかないから……お母さんの力、お借りしようかな。


「じゃあ今年一年間だけでも、お守りに借ります」

「もお~~~~真面目すぎる~~~。入学式に、ね!」


 そう言って箱を渡してくれた。中にはピカピカの真珠。

 すごくきれい。明日の入学式につけていこうと芽依は思った。





 教師としての勤務は四月一日から始まっていて、事務手続きのために何度か学校へ行った。

 しかし菅原学園はクラス分けなど、事前準備が必要ないので、正直「学校は始まるまでソフトに慣れてください」と言われて、毎日授業アプリで勉強をしていた。 

 そして触れるとわかる……授業用のソフトは素晴らしかった。

 まずログインして出席すると、受ける授業が動画一覧で出てくる。

 普通の学校のように「授業を受ける順番」が決まっていないのだ。

 もちろん、この順番で受けたら良い……という筋道は書かれていたが、好きな所から学習を始められる。

 受けたい授業に入ると、まずプリントが表示される。そしてそれをプリントアウトするか、そのままPDFで作業するか選択。

 プリント通りに授業動画が進み、ポイントになると動画の教師が「はい、ここで一度動画をとめて問題を解いてください」と言う。

 だから解いて……動画を再生。説明。正解するとそのまま動画を続ける。教師は「間違っていた人は43秒前に動画を巻き戻してください」と説明するのだ。

 ものすごく分かりやすい。


 動画自体も面白くて、学校が始まる前までに、かなりの量を勉強してしまった。

 それにひとつの学習が終わると、オンラインのテストがあり、それを受けると情報が学校のサーバーにUPされて、どこまで進んだか分かるのだ。

 時間も場所も選ばずに管理できる……素晴らしいシステムだった。

 

 復習も出来たので、勉強の部分は完璧な状態だった。

 問題はその他……学校で何をするか……なのよね。芽依は苦笑した。

 学校で説明を受けたが、菅原学園にはものすごい量の部活が存在していた。

 どこかの顧問になってほしいです、というか……お願いします……と、現時点で五個以上の部活の顧問をしているらしい教師は苦笑した。

 私……こういう特殊なことが一番苦手なのよね。勉強のが得意だわ……芽依はバス停に並びながら思った。



 今日は菅原学園の入学式だ。

 学校に通う必要がないようなスタイルの所なので、入学式はないと思っていた。

 しかし普通に菅原学園がある山の中にあるホテルで行われるようだった。

 ホテルまであるとは知らなかった……。紹介を見ると温泉もあり、部屋も豪華。食事が美味しくて有名だった。

 なんと教師や生徒は半額で泊まれるようだった。

 あら、いいじゃない。莉恵子と行こうと芽依は思った。

 莉恵子は今、仕事が大詰めのようで毎日終電でなんとか帰ってくるような生活を続けている。

 芽依もこれから学校が始まり、慣れるまでには相当かかると思う。

 年末くらいには少し余裕がでるかしら……と苦笑した。それくらい新しいことを始めるのは苦手だ。

 でも、と首元の真珠のネックレスに触れた。応援してくれる人たちもいるし、頑張らないとね。 


 芽依はこの前長尾に教えてもらった駅からバスで行くことにした。

 本数が少ないが早起きは苦ではない。それより坂道を上るほうが辛い。

 所属する小学校も近いし……こっちのが楽だ。

 バス乗り場で並んで待っていると、予想より菅原学園の制服を着た学生たちがいた。

 なるほど……式典の時には着るのね。蘭上に「見たことないわ」と言ってしまって悪かったかもしれない。

 並んでいると、後ろから声をかけられた。


「竹中さん、おはよう」

「長尾さん! おはようございます」


 不安な気持ちだったが、知っている顔を見て芽依は安堵した。

 実は家でずっと授業動画を見て勉強していたが、ひとりで家にいると淋しくなってしまうので、週に何度か駅前スクールにお邪魔していた。

 いつも埋まっているPCを借りるのはしのびなくて、どうしようかな……と思っていたら、長尾が芽依のためにノートパソコンをセットしてくれた。

 そして簡単な使い方も教えてくれて、助かった。

 だから芽依は時間を見つけて駅前スクールの掃除をした。

 莉恵子の家とはまた違う……多くの人がいるけど管理されていないのがよくわかる汚さで、芽依はわりと楽しんで掃除した。

 何人か学校関係者と話したけれど、長尾が一番一般的な感覚を持っていて、芽依は話していて気楽だった。


「今日はスーツなんですね」

「そうそう。学長がね、わりとコスプレ好きで、式とかの時はちゃんと着ろってうるさいんだよ」

「結局色々なタイミングで着ますし、良いと思いますよ」

「そうかもね。俺毎年式典に着てるスーツと冠婚葬祭、すべて同じスーツだ」

「男性はそれで良いと思いますよ」

「いや、女性は大変だね。あ、でもちゃんと俺が言ったとおりパンツスーツだね。ほんと酷いから」

「いえ、菅原学園らしくて、楽しみです」


 芽依は笑った。

 どうやら菅原学園の入学式は、普通に地面をカメラ搭載したラジコンが移動しているらしいのだ。

 それは直接式には参加しないが、こっそり見たい子たちのために航平が導入したシステムらしく、ラジコンが会場の中を移動しているらしい。

 またこの前みたいに走りまわって大会ですか? と聞いたら、いやいや普通の式典だよと言われた。

 普通の式典にラジコンはいないと思うけど……まあ菅原学園だし、と芽依は納得してしまった。

 そしてそのラジコンには全方向にカメラがついているので、スカートでいくと中を見られるから絶対パンツスーツね、と長尾に教えてもらっていたのだ。

 助かった。式典用の服は基本的にスカートで、事前に聞いていなかったら危なかった。

 長尾はやさしくほほ笑みながら


「竹中さんのそういう、こう、しっかりとした服装は、いいね」

「ありがとうございます」


 芽依は笑顔で答えた。

 長尾も航平も葉山も、みんな年下なので対応に余裕がもてる。

 でも近藤は年上……いいえ、ひょっとしたら年下? どっちだろう。芽依は聞いてみようと思った。

 話していると後ろから細い腕が伸びてきて芽依にしがみついた。


「あ~~~長尾先生が芽依ちゃん先生ナンパしてる。あ~あ~あ~~~」

「ミコさん。電車とバスなの?」


 芽依にしがみついてきたのはアイドルの日向ミコだった。

 まわりの生徒も「おお……」という感じで見ている。

 ミコは恐ろしいほど短いスカートの制服を揺らした。


「ミコは電車大好き。だって流行がわかるし、楽しいことは駅前にあるよ。やっぱ遊ばないと!」


 と笑った。

 あまりにスカートが短いので、ラジコンは大丈夫なの……? と聞いたらスカートを思いっきり持ち上げた。中にショーパンを履いていた。良かった。

 それでも長尾は目を閉じて見ないようにしていて、その普通の感覚に芽依は安堵する。

 ミコは芽依の腕にしがみつきながら


「当然っしょ~~!」


 と笑った。その砕けた笑顔を見ていると緊張した気持ちがとけてきた。

 そして三人でバスに乗り込んだ。

 新しい毎日が始まる。

 

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