第54話 一緒に過ごす夜(神代)

「あれ? 大場さんは?」

「もう帰りましたよ」


 ロケを終えて東京駅に戻ってきた。

 一年の半分以上をロケ先で過ごしているけど、やっぱり東京に戻ってくると落ち着く。

 終わったし、莉恵子と一緒に帰りたい……とスタッフに聞いたが、もう姿は見えなかった。

 駅のホームを見渡すと、沼田さんが挨拶をしているのが見えた。同じ電車で帰ってきたのは間違いない。

 でも莉恵子はいない。たくさんの人たちが挨拶にくるのでそれを処理しつつ、在来線乗り場に向かう。

 そして電話してみたが……なんと電源が落ちている。

 神代は驚愕した。

 莉恵子は「仕事が終わったら、スマホの電源はすぐ切ります。通知の量がえげつないんです」と言っていた。

 夜も切って寝るのだと言っていたけど……仕事が終わったら、俺に告白するって言って無かった?

 そして仕事、終わったこと無い?


 ロケ中も、もう少し近づいてくるかと思ったら、全くだった。

 いやそれは正しい。チームが二十ありそれぞれにプロデューサーがいた。

 特定のプロデューサーと仲良くするのは良くない。

 特別扱いなど望まないは知っているし、俺も仕事相手として付き合う。当然だ。


 でも、周りに誰もいなくて、何度か二人っきりになれるタイミングがあった。

 早朝のお風呂あがりに会ったりし、深夜にコンビニでも会った。あと誰もいない体育館でも会った。

 俺は周りを見渡して、少しでも話したいなあと思ったから覚えてるんだ。

 でも莉恵子は会釈して去っていくだけだ。

 ありがたい見事なプロ意識。


 それに今回ものすごく莉恵子に助けられた。

 オンライズが大きな仕事を準備しているのは知っていた。

 それはこの規模じゃない……もっと大きなものだ。

 この短編連作で俺を試そうとしていることにも気が付いていた。

 失敗はできない。その中でリリヤの不調は本当に堪えた。

 オンライズの社長が一押しなのは、リリヤなのだ。

 それなのにスタッフの対応が下手すぎる。


 それを裏から手を回し、ネットメディアを上手に使って風当たりを兄貴本人に戻したのは莉恵子だった。

 オンライズの力が使えそうなメディアをすべて押さえて望む記事を書かせて、世論と同じ側に立たせた。

 リリヤ自体のケアも的確で、最後はマネージャーより莉恵子と一緒にいる所をよく見た。


 そして最後に撮影したリリヤの美しさは……コンテの想定を超えた。


 コンテを書いてる時、いつも脳に完璧な絵がある。

 脳内で描いて、描いて、それに寸分たがわぬ世界を作り上げる。

 でもいつだって待ってる、それを超える絵を見せてくれる存在を。

 湖のシーンのリリヤは本当に素晴らしかった。

 それはすべて莉恵子のケアがあったからだ。

 

 リリヤが復調しなかったら、本当に危なかった。どうしようもなく必要で……大切な恋人。

 ……恋人だよな? え、まさか違う? 俺ちゃんと伝えたよな??

 前に家に来た時もピザだけ食べてさっさと帰ったし……むしろコンテ撮のデータ持って帰った。

 ……なんか自信なくなってきた。

 神代は在来線のホームで絶望しそうになった。

 ぼんやり立っていたら、仕事仲間たちが神代を見つけて近寄ってきた。


「神代~~、ここにいたのか。飲みに行こう」

「神代さん、俺の書いた脚本見てください、今回は傑作ですよ!」

「神代ー、コンテでちょっと見てくれない?」

「神代監督ー、設定について話したいんです。この本読みましたか?!」


 神代は引きずられるまま電車に乗せられて、居酒屋で延々と飲まされた。

 酒は弱くてそんなに好きじゃないけど、この日は飲んだ。ヤケ酒だ。

 たくさん飲んで、その後もう一度莉恵子に電話したが当然繋がらず。

 悲しくなって莉恵子の母親が経営している居酒屋に顔出したら「ウナギとお惣菜持って、芽依さんと帰ったよ!」と言われた。

 聞くと時間的には、あの新幹線から直帰の時間だった。 


 そして気が付いた。莉恵子は、俺とちゃんと向き合うのが怖いんだな。

 そんなの、逃がすはずないのに。

 あんなに仕事ができるのに、俺のことは何も分かってない。




 薄暗闇に包まれた世界に、小さなランプが灯っている。

 そこに浮かぶ莉恵子の肌は、白く美しい。

 感覚を確かめるように撫でると、切なそうに俺を見る仕草がかわいくて仕方ない。

 ……ちゃんと恋人だった。よかった。

 大きな掌も、長い足も、身長も、こうなると便利だな。

 莉恵子の自由など簡単に奪うことが出来る。

 もうほんの少しの猶予もなく、逃がさない。


「神代さ、んっ……」


 莉恵子は微かに口元を震わせて名を何度も呼ぶ。

 主に「はずかしい」の代わりにあふれ出しているようだ。

 でもそれを聞くたびに、俺を押さえつけている何かが壊れていくのが分かるから、やめたほうがいいのに。

 鎖骨を撫でて唇を落とす。そして舌で触れると、そのたびにビクリとして指を腕に沈めてくる。

 その指先は美しく磨かれて、つやつやとしている。

 莉恵子は仕事の時にマニキュアをしていない。なるべく地味に徹しているのが分かる。

 でも今は、俺の彼女なんだな。可愛くしてきてくれたんだな。

 そんな小さなことが、どうしようもなく嬉しい。

 細い指を引き寄せて舐める。


「神代さんっ……」


 漏れだす吐息が甘い。

 ああ、もう、本当に好きなんだ。ずっとこうしたかった。

 全部見せてほしくて舌を出して誘う。戸惑い、ぎこちなく、それでも答えるように少しだけ開いた入り口を、奪い尽くす。

 どこかにしがみ付こうと空を舞う腕を背中に回した。

 唇を離すと切なげに口を開いた。


「神代さん、こんなの、もう無理です」

「こっちは十年以上抱きたかったんだから、今日は覚悟して」

「そんなの……」


 そう言って莉恵子はムウ……と小さく口を尖らせた。


「……私だって……抱かれたかったですよ」

「はあ? もう無理。寝かさない。諦めて」

「だから、もう、そんな」


 悲鳴をあげる莉恵子を何度も愛した。

 何度愛しても足りない。莉恵子の心の真ん中に居座りたい。

 毎日一緒にいられるわけじゃないからこそ、いるときは逃がさない。

 心の真ん中、奥深くに俺を植え付ける。そうしないと、莉恵子はすぐに俺を消す。

 でも、そういうところも、ものすごく好きなんだ。



 共に果てて莉恵子を抱いて眠りにつく。

 ふと目覚めると、ひやりと冷たい髪の毛が頬に触れて……横にいることに安堵した。

 柔らかい身体を引き寄せてまた眠る。シャンプーだけじゃない、これは甘酸っぱい莉恵子の香り。

 莉恵子は少しだけ目を覚ましたが、抱き寄せられたことに気が付いて、しがみついてきた。

 肌と肌の境界線がない。温かくてどうしようもなくひとつで、また深い眠りに落ちた。

 また目が覚めて……莉恵子のおでこが目の前にあったので、唇を落とした。

 すると寝ぼけた莉恵子がもぞりと動いて顎の下に唇を触れさせた。

 ああ、好きだ。何度目か分からない……布団ごと莉恵子を包んでまた眠った。





「ん……」


 目が覚めると、もうお昼近いのか……部屋はかなり明るかった。

 でも時間なんて関係ない。今日は休みだし、莉恵子と一日ゆっくりするのだ。

 気が付くと、莉恵子はもう起きていて神代の手を大切そうに両手で抱えていた。


「あ、すいません、神代さんの手、好きで」


 髪の毛が少しモシャリとしていて、はじめてみる朝いちばんの莉恵子だ。

 ……かわいい。

 ついつい、と指先を動かすとその手を頬にすり寄せた。


「私、ずっとこの手が好きで。子どもの頃繋いでもらうのも好きだったし、今も……神代さんって、仕事中考えるときに手を顎の下に持っていくんですよね。その親指とか……見てました」

「……ん」


 予想外の言葉に困る。完全に仕事モードで、そんな風に見ていると全く気が付かなかった。

 そんなの嬉しくて仕方ない。莉恵子は神代の指一本一本に触れながら、ゆっくり撫でる。

 そして指の間に指をいれて、きゅう……と握って、引き寄せた。

 ……もう無理。朝から無理。神代は反対側の手も出した。すると莉恵子はパアと顔を輝かせて反対側の手も握りたがった。

 神代は両手を繋いだ状態で莉恵子をベッドに押し付けて唇を重ねる。

 莉恵子は甘い吐息で反論したが、そのまま解けるようにほほ笑んだ。

 もうほんと、俺の彼女がかわいすぎる。





 

 昨日買ってきたパンと簡単な朝食と昼食の間のようなものを作る。

 目の前の席に莉恵子が座った。 

 神代は口を開く。


「莉恵子。できれば、食事する時は、俺の横、角に来てほしいんだ」

「え?」


 莉恵子は不思議そうに首をかしげた。

 仕事で食事するなら全く気にしないけど好きな人と食事するなら、真横じゃなくて正面じゃなくて、直角の場所にきてほしいのだ。

 言っても理解しにくいことだし、上手に説明もできない。

 でもこれからずっと一緒に食事するなら、莉恵子には知っていてほしいと思った。

 神代はなんとか言葉を探す。


「なんだろうな、昔からこう……正面とか真横じゃなくて、直角のところにいてくれると落ち着くんだ」

「そうなんですか? わかりました」


 莉恵子は食事を目の前の席からするする動かして角に来た。

 神代は椅子を動かすのを手伝う。

 少し横みると莉恵子がいる。

 そして目を合わせてほほ笑んだ。


「えへへ。なんか、いいですね。顔をあげるとすぐ神代さんを見られます。ちょっと近くてちょっと遠くて、それでいて手を伸ばしたら……ほら、触れられる。ちょうどいい距離なんですね」

「ああ、そっか。うん、そうかもな。こたつと同じ距離だ」

「あ、そうですね、こたつって直角ですね。いいですよね、だから好きなのかな。あんまり正面に入りませんもんね」

「そうだな。ここに、ずっといてほしい。良いかな」

「……はい」


 静かに頷いた莉恵子と朝食のような昼食を始めた。

 食パンを、この前買った高いトースターで焼いたのだ。

 でもコンビニのサンドウィッチばかり食べている俺には使い道がなかった。

 実は初めて使った。食べてみるとサクッ……としているのにしっとりして最高だった。


「高いトースターいいな。やっぱり湿度が違う、湿度が。決めては湿度」

「パンが美味しいんだと思います、これは」

「両方だ、両方」

「そうですか?」


 莉恵子は顔をクシャクシャにして笑った。

 そして机に上に溢れたパンの粉をクリーナーで掃除したが、やはりスン……と無表情だった。

 もうこうなってくると、あれこれ繰り出したくなるのが家電オタクの性というものだろう。

 食事を終えて、神代は莉恵子を呼んだ。


「見てくれよ、これ。洗っている所が見える食洗器」

「だから、どうして……すいません、もう面白くて耐えられません。何でそんなところが見たいんですか! どうでもいいですよ」

「見たいだろ、普通は秘密なんだぞ? ほら、皿が洗われていく……。これが見たくて海外から取り寄せたんだ」

 

 神代が言うと、莉恵子は床に転がって爆笑した。

 実は炊いているのが良くみえるガス台用の炊飯鍋もあるので、今度莉恵子と遊ぼうと思った。

 でも鍋でご飯を炊いたことなどなく、たぶん……百パーセント焦げ付かせるか、生煮えになる。

 まあそれも……莉恵子となら楽しい。こげたらオコゲ? 生煮えなら卵でも落とせばいい。

 神代は中が見える食洗器を見て笑っている莉恵子を後ろから抱き寄せた。

 すると首をひねって俺の頬をやさしく指先で撫でて、足もモソモソ……と動かして一歩近づいた。

 そして頬にぎこちなく唇を寄せた。


「……えへへ」


 そう笑って眼鏡を持ち上げた笑顔が可愛くて仕方ない。

 明日も明後日も、一緒にいられなくても一緒にいよう。

 めんどうなことも、苦しみも、楽しいことも、あたらしい世界も、莉恵子と進むと決めたんだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る