第51話 それは間違いなく、愛の告白


「神代さん……私、今日は甘い時間になると思ってました」

「そうだな。ほら、甘いぞ」


 そう言って神代は莉恵子に干し芋を渡してくれた。

 なるほど甘い。うーん元気に……違う。

 仕事が終わったら……と暗黙の了解のようになっていたのに、神代が指定してきたのは東京駅発の特急列車で、ついた場所は山に続くケーブルカー乗り場だった。

 仕事が終わって三日、眠って過ごしていたので体力は回復しているけど、別に山に登りたくはない。

 神代が「運動靴とパンツで来てな」と言っていたので、なんとなく甘々デートではないことは分かっていたが、なぜに……。

 でもさっきから、見ている景色を知っている気がする。でも思い出せない。

 とりあえず神代とお出かけできるのはうれしいので、莉恵子は神代の服の袖をつんつんと引っ張った。


「ん」


 神代がほほ笑んで手を伸ばしてくれる。莉恵子はその手を握った。

 ロケの最中も、仕事中も、会議室でも、気が付くとこの大きな手を見ていた。

 神代は身長が高くて手も大きい。そして指が細くて長いのだ。関節が大きくて、莉恵子はこの手が大好きだ。

 クレームを処理しながら、いつもこの手を思い浮かべていた。

 だからこうして触れられるのはうれしい。

 両手で神代の手を包む。

 それに……今日は神代と少し話すべきだと思っていた。

 たぶんこのまま深い付き合いになるけれど、その前に莉恵子の考えを神代に伝えたかった。

 好き嫌いで付き合うというより、ここから先を視界にいれる時だ。

 神代が莉恵子の手を掴んで、引き寄せる。


「この坂を上がるのが良いんだよなあ」

「山の面に対して車両が直角に接してるところがいいですよね」

「その通りだよ! 一番前? 一番後ろ?」

「じゃあとりあえず一番後ろで遠ざかる景色を見ましょうか」

「いいな!」


 神代は持ってきていた一眼レフで写真を撮りながら歩いた。

 映像関係者あるあるなのだが、遠出する時は大きめのカメラをもってくる。

 腰にカメラバッグをつけて、一眼レフは斜めにかけて。

 そして撮る時に電源を入れてすぐ撮って、腰にあるカメラバッグに戻すのだ。

 これはもう習慣で、とりあえず何でも情報を得ておきたいのだ。

 景色よりケーブルカーの構造や、駅舎をよく撮影する。

 それは設定を考える時に最も必要なもので、資料を探しても無いことが多いからだ。


 ケーブルカーから下りて、ゆっくりと坂道を歩き始めた。

 新緑が美しい。まだ虫も少ない時期で、長袖一枚で丁度良い。

 空気は冷たいのに、太陽の光はもう夏のようで莉恵子は背を伸ばした。

 気持ちが良い!

 神代と手を繋いで進路を進む。ここはケーブルカーはあるが、全く人がいない。

 近くに観光地化された大きな山があり、そこには神社や出店もあるので、みんなそっち側に行くようだ。

 莉恵子は山登りの趣味など全くないので、とりあえず神代についていく。


 ここは反対側の道路を使えば簡単に登れるようで、生活している人たちがたくさんいた。

 山を切り取ったようにある民家が見える。小さな田んぼにあぜ道、そして遠くに見える景色が美しい。

『見晴らしの石』と書かれた方向に神代は歩いているようだ。山道はそれほどきつくない。

 でもやっぱりこの景色……なんだろう、覚えがある。でも来たのは初めてだ。


「こっち」


 神代に手を引かれてゆっくり上ったのは……家のサイズほどある巨大な石だった。

 それが山の中腹にどすんとある。手すりも付いていて、結構先のほうまで行けるが……怖くて莉恵子はスススと戻った。

 それほど高い場所は得意ではない。そして思い出した。


「!! ここ、お父さんと神代さんの短編映画のロケ地だ!!」

「そうです。超絶マニアック短編映画、きっと見た観客は百人いないな。俺と英嗣さんが一緒に作った唯一の作品のロケ地。変わってないな」


 そう言って木陰にある真四角の石に莉恵子を座らせた。


「この石!!」

「そうです。主人公が岩の上にいるヒロインを見ていた石です。一応ベンチだけどな」

「ああ、そうだ。そうです、やっとわかりました」


 記憶が繋がった。莉恵子はカメラ位置さえ確認してしまう。

 あそこから撮って、ここ。ヒロインが立っていたのは、あの位置。


「……岩に手すりが足されてますね?」

「そうだ。よく気が付いたな」


 そう言って神代は笑った。茶色のふわふわとした髪の毛が揺れた。

 そして続ける。


「もう少し莉恵子が大きくなったら、一緒に来たいな。莉恵子はきっとケーブルカーだけは楽しむと思う。あとは文句を言うけれど。英嗣さんはそう言ってたんだ」

「その通りです。疲れますよ、山登りなんて。虫がいるし。景色なんて東京タワーでいいです」

「そう言うだろうって、言ってたよ。ああ、懐かしいな」


 神代は優しく莉恵子の腰を引き寄せた。

 ああ、だからここに来たかったのか……納得した。

 お父さんに挨拶しにきてくれたんだ。そう思うと、胸の奥の記憶を優しく撫でられたようで、丸い気持ちになった。

 お父さんのお骨はかなり遠い実家のほうに納骨されている。

 だから神代にとってここがお墓なのかも知れない。


「……神代さん。ありがとうございます、連れてきてくれて」

「俺が莉恵子と来たかったんだ。英嗣さんに、結婚の許可を貰おうと思ってさ」

「!!」

「あれ。結婚しない? 俺はもう五百パーセントそのつもりだったけど」

「……あの、一応私も女子なので、こう……もっと順番みたいなものも……ありません?」

「なるほど。じゃあ今のは、なし。忘れて? テイクB-001。結婚しよう、莉恵子」

「ロマンチックが仕事に侵されて……照れてますね?」

「いやいやいやいやいや、照れて……ます。ああ、もう抱っこする」


 神代はそう言って後ろにまわって膝を立てて、莉恵子を後ろから抱きしめた。

 そうして首の横……肩に頭を落とした。ふわふわの髪の毛がすぐ横にあり、手は莉恵子を強く抱きしめていて身動きが取れない。

 でも神代の心臓がバクバクと大きく脈打っているのは分かる。

 莉恵子はスリ……と神代の髪の毛に頬を寄せた。

 そして顔が見えるように少し離れた。

 すると目の前に、まっすぐに莉恵子を見る神代の目があった。

 神代は口を開く。


「大場莉恵子さん、結婚してください。やっぱりどうしようもなく貴女が好きです」

「うれしいです。私も神代さんと結婚したいです。どうしても、神代さんが好きです」

「……ありがとう」


 そう言って神代はほっとして肩の力を抜いた。

 はあ……緊張していたのは莉恵子も同じだった。

 ふたりでおでこを合わせて笑う。

 そしてこのタイミングでちゃんと話そう、と思った。


「あの。神代さん。私たちって、一年の半分をロケで出てるじゃないですか」

「そうだな」


 安心したのか……神代さんは莉恵子を後ろから抱っこした。


「だから……一緒に住んでも半分以上、神代さんは居ないわけですよね」

「そうだな」

「だから……基本的にはこういう風にデートする時だけ家にいく別居婚で、生活は個々の家で別々にするのはどうでしょうか」

「ああ、それは駄目」

「?!?!」


 神代の言葉に莉恵子は思いっきり振り向いた。

 即NG出されると思っていなかったのだ。

 神代の言い方は完全に問答無用だ。神代は莉恵子を抱っこした状態で続ける。


「この前ロケが終わって、さあ莉恵子と一緒に帰ろうと思ったら、即スマホ落としていなくなってただろ」

「え……あ、はい」

「お母さんに聞いたよ。同居してる芽依さんとウナギと日本酒抱えて、即帰宅したって。居酒屋からお惣菜だけ持って逃げたって」

「えへへ……疲れてたので……」

「あのさあ、俺だって莉恵子とウナギ駅前で買ってさ、一緒に日本酒選んでさ、家でダラダラしたかったよ」

「だって私、あの時、ゴミクズみたいに疲れてましたよ。そんな姿、神代さんに見せたくない」


 そう言うと、神代は莉恵子を抱っこから解放して、真正面にきた。

 その表情は真剣だ。


「莉恵子は怖いんだ。今までの関係を崩して、俺と新しい関係を作ることが」

「……怖いですよ。だって今が一番幸せなのに、この状態でいいじゃないですか」

「俺は莉恵子の駄目な所も全部見たいし、失望したいし、なんなら嫌いになりたい」

「?!」

「それは莉恵子にも同じようにしてほしい。俺を知ってほしいし、失望して、嫌いになってくれ。それでも一生一緒にいると決めてくれ」

「……神代さん」

「俺たち付き合いが長すぎて、記憶が美しすぎて、大人すぎるんだ。だから作り上げた世界を壊すのが怖い。でも俺は、こんなの飽きた」

「そんな」

「莉恵子ともっとグチャグチャになりたい」

「!!」

「そんで、壊れたら何度も修復しよう。それがしたい。そういう結婚がいい」

「こ、こわい~~~~!!!」


 神代は冷静に続ける。


「俺が言ってるのは家で待てとか、そんな話じゃない。いない時に家にいる必要は全くない。お互い忙しいから別居結みたいな状態には当然なる。ただ俺も莉恵子と一緒に居たいのに、恥ずかしい所を見せたくないから、芽依さんといるほうが楽だから……という理由で逃げないでほしい。忙しくて一緒にいられる時間が限られるからこそ、一緒にいられる時は全力で一緒に居たい。俺を気持ちの真ん中に置いてほしい。言ってる意味、分かるよね」


「わか、り、ます……」

「ものすごく一緒にいて、ものすごく離れよう」


 な、なんですかそれはー! 莉恵子の叫び声は神代の鼻歌に書き消された。 

 神代に素の自分を見られる恥ずかしさから逃げ出そうとしている自分を見透かされて膝を抱える。

 でも……かみしめてみると言われた言葉はどれもうれしくて、取り繕いすぎる自分を客観視できた。


 お父さん私結婚します……仕事ができて……どうしようもなく私を底から愛してくれる人と。

 神代は莉恵子を抱きしめながら言った。


「週末……うちに泊まれますか?」

「!! はい」

「土日休めそうだから。ものすごく一緒にいよう」


 そう言って莉恵子を引き寄せる神代の心臓は、今までになく早く脈をうっていた。

 でも莉恵子も全身が火照るほどドキドキして、ただしがみついた。

 

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