第48話 これが私の生きる道
「よし。これで良いかな。良い香り! 足りない野菜は豚汁で良いかしら。美味しい豚肉も買っちゃいましょう」
芽依は忙しく商店街を歩き回った。
数時間前に莉恵子から『帰る』とLINEが来たのだ。
もう話したいことがたくさんあって、楽しみで仕方ない。
あれから考えているけど、結婚して幸せになれる……という考えが消えたように感じる。
真面目そうな義父も浮気をしていたことは、芽依の心に深く傷を作った。
莉恵子が結婚して、家を出なきゃいけない可能性は高いけど……それでもこの周辺に住んで、たまに愚痴れる間柄でいたい。
恋! 結婚! じゃなくて、親友が近くにいる人生が最強なような気がし始めていた。
そして仕事。もう出来ないかもとか思わない。やるしかない。
芽依は「ふう」と力を入れた。
「よし、今日は飲もう。すいません、なにかオススメください」
「お、大場さんの所の芽依さん。今日は飲む感じ?」
居酒屋にビールを入れてくれている酒屋さんに寄ると笑顔で迎えてくれた。
このお店はワンコインでカップ一杯の日本酒を提供していて、おつまみは持ち込み自由だ。
莉恵子が足しげく通っている立ち飲み屋で、ツケまでため込んでいる。
でも色んなお酒が置いてあるので楽しいのは分かる。
莉恵子は日本酒が好きなので、その周辺でオススメを聞いてみる。
酒屋さんはくんくんと鼻をならして芽依が持っている袋を見た。
「うなぎだ~~。今日はお祝いだね。じゃあこれはどうだ。日本酒のスパークリング。これ莉恵子さんが飲んで潰れた酒」
「ええ……?」
「もう買えばいいのにさ、一杯五百円だと高くつくのに、一本飲んじゃって! いや笑っちゃうよ、莉恵子さん面白すぎる」
「好きなんですね? じゃあそれでいいです」
「まいどー! お。こっちは芽依さんが好きそうなワインだよ。小さいボトルおまけでつけちゃう」
「ありがとうございます!」
日本酒とワインを抱えて商店街を歩く。
あとは美味しいコーヒーとパンも買いましょう。
明日の朝ゆっくりするために……あ、スープ! この前行ったイタリアンで持ち帰りのスープ売ってて美味しかったのよね。
あれも買いましょう。芽依はウキウキと買い物をした。
家に気が合う親友が帰ってくるだけで、こんなに楽しいのだ。
するとポケットでスマホが揺れて、莉恵子からLINEが入ってきた。
『芽依~~~? 芽依が実家にいるっていうから来たら、なんか蘭上住んでるんだけど?!』
「そうなのよね」
芽依は画面を見て普通に言ってしまった。
莉恵子はあまり実家に行かない。お母さんがとにかく莉恵子に厳しくて、それに最近は神代とのことを聞かれたくないのだろう。
まったく寄り付かないのだとお母さんは愚痴っていた。だから蘭上が最上階に住み着いていることは知らなかったのだろう。
両手に荷物を抱えて居酒屋に帰ると、そこにはピカピカの学生服……ブレザーにシャツ、それにネクタイ……パンツを穿いた蘭上がいた。
そして芽依を見つけて目を輝かせた。
「芽依さん! 見て。菅原学園の制服買ったんだ!」
「あの学校制服あるのね」
「あるんだよ! 誰も買ってないみたいだけど」
「そうね、ひとりも見なかったわ」
「似合ってる?!」
「学生みたいに見えるわ」
「学生?! ほんと?!」
「本当、本当」
蘭上は嬉しそうにその場でくるくるまわった。
それをお母さんとお父さんが楽しそうに動画に撮り、拍手している。
完全に可愛い我が子の門出だ。
それを見ている莉恵子の顔は……完全に呆れていた。芽依はそれを見て笑ってしまう。
こんな完全に『無』になっている莉恵子、珍しすぎる。
お父さんが「食事なら家ですればいいのに。なんでも作るよ?!」と言ってくれたが、ふたりで断った。
淋しいなあ……と言いながら、作り置きのお惣菜をたくさん持たせてくれた。
そしてふたりで逃げるようにタクシーに乗り込んだ。話したいことがたくさんあるの!
家に帰り、冷たいものはすべて冷蔵庫に入れて、部屋着に着替える。
台所に戻ると、莉恵子は着替えもせず、こたつに入って大の字に伸びていた。
ずっとロケで飛び回っていたので当然だ。
芽依は昨日から冷やしておいたビールを持ってきて、机に置いた。
「おつかれさま」
「芽依~~~~! 神代さんが、超甘いLINEばっかりしてきて死にそう。まだ終わってないのに!! こんなの酷い!!」
「こっちはお義父さんが浮気してたことが判明して、雨宮家崩壊、蘭上は菅原学園に通うことが決まって、学長は愛人の子だったわ」
「多い多い情報が多い、無理無理無理。設定詰めすぎ、考えなおして! そんな脚本使えないから!!」
「全部本当のことよ」
「お腹すいたのおおおお……」
「なら着替えなさい」
「はぁい」
莉恵子はずるずるとこたつから出てきて服を投げ捨てはじめた。
もう……と思うけど、それを集めて私が洗濯しなければ莉恵子は明日にでも洗濯するのだ。
同居して十か月、やっと距離感がつかめてきた。
着替えた莉恵子が目を輝かせて台所に来た。
「うなぎ!! すごい、ご飯ピカピカ!」
「今から豚汁作るわね。洗濯機一回でも回したら? 明日着る部屋着がないでしょう」
「そうする!!」
莉恵子はこたつに戻ってビールを飲んで、玄関に転がっているスーツケースから服を出して洗濯機にぶち込みに行った。
夜の間干しておけば、明日の昼には乾くでしょう。
その間に豚汁を作り、うなぎを温めて、お父さんが持たせてくれた出汁巻きたまごと、ザーサイ、角煮を出す。
莉恵子が走って戻ってきた。
「うわ~~~ん!! お腹すいたああ~~」
「食べましょう、出来たわ」
それをこたつに運んでビールで乾杯した。
ふわふわの泡と炭酸……ああ、心底美味しくて、最高に幸せだ。
莉恵子はビールを一気に飲んで、うなぎをものすごい速度で食べた。箸も使わない、スプーンだ。
大人なのに、なにをしてるのかしらと思うけど、うなぎとご飯が一緒に山ほど食べられてきっと効果的ね。
莉恵子は一気に食べて「ぷはああ~~~」と息を吐いて机に倒れこんだ。
「あのさあ、芽依。話があるんだけど」
ん? 結婚するから出て行けって言われるかしら? 芽依は姿勢を正した。
「私、たぶん神代さんと結婚するけど、一緒に住みたくないんだわ」
「ずこ~~~~~」
予想と真逆の言葉が出てきて首をひねった。莉恵子はビールを飲んでトンとコップを置いた。
「考えてみてよ。私と神代さんが結婚したら、このご飯を作るのは誰? 神代さん? 私? 一か月のロケ終わりでふたりとも体力ゴミクズなのに?! 家に帰って一秒でも早くダラダラしたいのに、外食しろって?! 無理でしょ。私ひとりならコンビニでご飯買って帰ってくるけど、神代さんいたら『作らなきゃだめ?』って思っちゃうよ、好きだもん。それはきっと神代さんもきっと同じだよ。でも、一ミリだってそういうことを思いたくない、神代さんをそういうポジションに置きたくない!!」
「まあ、そうね。あなたたちの場合主婦がいるほうが効率が良いし、ふたりとも才能あるんだから仕事したほうがいいわね」
「それに神代さん、年末の仕事もう決まってるけど、二か月沖縄だよ? 一緒に生活する意味ないんだよなあ。家政婦さんに頼むとか、そういうことじゃないの。今のままでいい。生活と恋と仕事を分離させたいの。たまにちゃんと甘えに行きたい。あとは仕事したい。ワガママ?」
「うーん……あんまり聞かないわねえ……まあそのまま神代さんに聞いてみたら?」
芽依はビールを飲みながら言った。
莉恵子は出汁巻きたまごを食べて「ふううう~~~ん」と目を輝かせてビールをもう一度飲んでため息をついた。
「神代さんと結婚したい……と思う。それは……唯一の人になりたいから。やっぱりものすごく好き。一番の特別って思いたい」
「浮気されるんだから」
「きっと神代さんはバレないようにするよ」
「捨てられるんだから」
「神代さんは普通にフってくれそう」
「はぁ? 私もそう思ってましたけどぉ?」
ふたりでギャーギャーと酒を飲んで叫んだ。
この点に関しては、分かり合える気がしない。
莉恵子はビールのコップをキュッ……と握って言う。
「私たちふたりとも仕事に生きるべき人間なんだよ。正直、今の状態が最高なんだよね。どうしたらいいんだろ」
「エッチする前に聞いてみたら?」
「芽依ちん!!!」
「出た芽依ちん。ほら、日本酒のスパークリング買ったのよ」
むくれた莉恵子に、芽依は買ってきたお酒を出した。
開けるとシュワワ……と炭酸が跳ねて、ものすごく良い香りがした。
莉恵子はそれを飲んで目を輝かせた。
「なにこれ、うま!!」
店で山のように飲んだはずだが、忘れているようだ。
芽依はザーサイをつまんでため息をついた。
「私は……当分恋はしたくない。もう何のために恋するのか、家族って何のためにあるのか、永遠とは存在するのか、人の心とは可視化できないものなのか……」
「は~~、スパークリングの日本酒最高じゃん」
「莉恵子聞いてる?」
莉恵子は角煮を食べて、日本酒を飲んでぷはああ……と味わっている。
つまり何も聞いてない。そして芽依を見て言う。
「芽依ちんは、ずっと人生の迷路でくるくるしてて? そんでずっと家にいて? ずっと一緒にいよ!」
「うーん、それもありかなって思い始めちゃった」
「でっしょーーー? 恋愛は外! 家は家! 新しい時代はこれよ!!」
「なにその、鬼は外、福は内みたいなの。ていうか、この日本酒最高ね」
「芽依ちん~~~疲れたよ~~~もう何もしたくなーーい」
「わかる」
芽依と莉恵子はふたりで理想や夢や、それでいてどうしようもないことを、たくさん話した。
もう面倒になってお皿はシンクにぶち込んだ。風呂だけ入ってふたりで布団を並べて寝た。
そういう日があっても、きっと良いのだ。
明日の私たちがなんとかする。
毎日はそうやってできている。
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