第45話 アンバランス


「今日のランチはカレーなのね。お父さんのカレー美味しいから楽しみ」


 芽依は山盛りの玉ねぎを剥きながらひとりごとを言った。

 莉恵子がロケで一か月以上家にいないというので、芽依は莉恵子のお母さんがしている居酒屋でバイトをしていた。

 理由は家にひとりでいるのが好きではないからだ。

 子どもの頃、朝起きるとひとりで、机の上に置かれていた菓子パンを食べた。そして学校に行った。

 帰ってくると机の上に千円あって、それで晩御飯を食べた。

 ずっとひとりでいるとあの頃のさみしい気持ちを思い出してしまう。

 誰かの気配をかんじて過ごしたい……そのほうが落ち着くのだ。


 朝から野菜の下処理をしていたら、目の前の椅子に金髪の男の子が座った。

 さすがに慣れてきたので分かる……起きてきた蘭上だった。

 ここに通い始めて分かったのだが、最上階にある個室に、もう彼は住んでいた。

 仕事を終えてまっすぐに最上階に帰って? 行った時にはさすがに驚いたが、お母さんは普通に晩御飯を運んでいた。

 大きな子どもが生まれたものだわ。

 蘭上はまっすぐに芽依を見て口を開く。


「芽依姉さん」

「誰が姉さんなのよ」


 さすがの芽依も普通につっこんだ。

 血が繋がらない姉弟ね……なんて思ったけど、目の前で言われると違和感しかない。全然違うわ。

 すぐに否定したが、蘭上は一ミリも動じない。


「お母さんが一緒だから、芽依さんはお姉さんだってお母さんが言った」

「いつも通りの『芽依さん』でお願い。慣れないわ。玉ねぎ剥ける?」

「やる」


 玉ねぎを剥きながら、蘭上は鼻歌を歌う。

 芽依はそれほど音楽を聞かないし、今蘭上が目の前で歌っている歌が有名なのか、売っている歌なのか、何も分からない。

 それでも蘭上の声が美しいことは分かる。聞いていて気持ちが良いのだ。

 ふと菅原学園に音楽室があって、立派なドラムやギターがあったことを思い出した。


「……あなたみたいに歌が上手い人が、たくさんいたりするのかしら」

「どこに?」

「私ね、来月から学校で働くの」


 そうして芽依は今までのことを簡単に話した。雑草だらけの学長とレゴだらけの部屋、そして駅前のフリースクールに空を舞うドローン。

 まとめて話すと本当に学校の紹介だと思えないし、来月からそこで働く自分……大丈夫かしら? としか思えない。

 本当に何かできるのかしら……。芽依は玉ねぎを剥きながらまた不安になってきた。

 やれる! と思う瞬間と、もう絶対無理、ダメなら一か月で逃げ出す……という気持ちが交互に来る。

 ああ、はやく莉恵子が帰ってきてほしい。ダラダラ話すだけで気が楽になるのだ。

 口に出して愚痴りたい。少しため息をついたら、視界にグイと蘭上が入りこんできた。

 そして口を開く。


「俺も学校いく」

「うん、学校ね。……はい?」


 一瞬何を言われたのか分からなくて、首を傾げる。

 目の前の蘭上は大真面目だ。


「俺、病気で学校行ってないんだ」

「そうなの?」

「俺も学校行く!」

「ええ……?」

「俺も学校に通いたい。青春する」

「でもまあ……別に見学はフリーだから、とりあえず駅前のスクール見に行く?」

「行く!!」


 蘭上は玉ねぎを握って目を輝かせた。あれは小学生みたいなものよ、と莉恵子がお酒を飲みながら言っていたけど……本当にそうかも知れない。

 学校に病気で行ってなかったのね……だからこんなに無邪気なのかしら?

 そこまで思って航平たちはきっと勉強ができるけど無邪気だわ……と思った。


「楽しそう。ここ? ここなの?」


 そう言ってスマホの画面を見せてくるけど……正直食べ物を扱ってる時にスマホを触らないでほしい。

 あとで手を洗わせないと。

 蘭上はスマホ画面に菅原学園を出して色々検索を始めた。

 その背格好は当然だけど大人で、学生の年齢じゃないわよね……そういうのって大丈夫なのかしら……と考えて、一瞬で「あの菅原学園だし」と思った。

 そう思えるくらいには理解しているのかも知れない。

 とりあえず唯一連絡先を知っている長尾に聞いてみると「通信部の所属になると思うけど、全然問題ないよ。どうぞどうぞ」と軽く言われた。

 やっぱりね。思った通りで少し安堵した。




 数日後……芽依と蘭上は駅前のフリースクールに見学に行くことにした。

 よく考えたら芸能人という枠の子を、勝手に連れ出して良いのかしら……と不安になった。


「芽依さん、おはよう~~」

「おはよう」


 しかし蘭上は普通に莉恵子家の最上階からエレベーターで下りてきた。その慣れた様子は完全に住人。

 少なくとも私はこの子を芸能人の枠で見てないわ……と芽依は思った。

 どうしても常識の範囲から出ることができない。何をするにもまず確認……聞いてみて……と思うけど、航平や蘭上を見ていると「細かいことは気にしなくていいのでは?」と少し思う。でもまだ思考が追い付かない。


 蘭上が外に出るとすぐに大きな車が横付けされて、乗るように促された。

 運転しながら挨拶してくれたのは、蘭上の会社の社長だった。

 恰幅が良いおじさんで、ニコニコしながら車を走らせる。


「最近蘭上、メリハリつけて仕事してくれるから助かってるんだよ。前は『気分が乗らない~』とか言ってたのになあ」

「はやく帰りたいから」

「良いことだよ。俺は蘭上がちゃんと食べて歌ってくれればそれでいい」

「たべてる」

「知ってる。良かったよ、本当にさ」


 その言い方は本当に蘭上を心配しているのが分かる優しい言い方で、ちゃんと保護者がいるのね……と安心した。

 病気で学校に通ってなかったと聞いて芽依なりに調べてみたら、大変そうな病気と戦い、波乱万丈な人生だった。

 なんか莉恵子の家で芋を剥いたり、玉ねぎ切ったり、甘酒飲まされてる姿ばかり見てるせいで、ネットの情報と繋がらないままだ。

 車は駅前のフリースクールの近くに止まった。

 社長曰く「電車には乗せたくない」らしく、帰りも連絡してくれとLINEを教えてくれた。


 車から降りると、フリースクールの建物……窓際に座って外を見ている人が見えた……航平だった。

 なんで駅前のほうにいるの?

 芽依に気が付いたのか、航平は窓を開けて「おーーい、竹中芽依!」と叫んだ。

 ここは駅前だし、そこは四階だし、身体が出すぎて危ないし、声が大きすぎて道を歩いている人も見上げてるし、色々と勘弁してほしい。

 でも良い所も知っているので会釈して返す。

 芽依の横に蘭上がきて見上げる。


「あれが学長?」

「そうよ」

「変なの。すごくいい。行こう」

「う~ん、そう?」


 実は蘭上が「菅原学園を見に行きたい!」と言った時から「混ぜるな危険」なのでは……という気がしていた。

 芽依の中で蘭上は小学一年生くらい。航平は……頭脳明晰な小学校六年生くらいかしら。

 蘭上も航平もマイペースすぎて……と思いながら、エレベーターに乗ろうとしたら、ポンと開いて中に航平がいた。

 どうやら下まで来たようだ。そして中から飛び出してきて目を輝かせた。


「竹中芽依!!」

「……はい。おひさしぶりです。さっきから気になってたんですけど、どうしてフルネームで呼ぶんですか」

「そういう気分だから。あ、この人が見学の人? こんにちは、俺学長、よろしくね」


 航平は蘭上に向かってドヤァ……と言った。

 どうやら芽依と見学の子が行くことを、長尾が話していたようだ。


 蘭上はじ~~~っと航平を見た。芽依は意味なくドキドキしてしまう。

 なんだろう……危険な薬剤を一緒に混ぜてしまうような緊張感がある。

 蘭上はスッ……と航平の胸元に近づいた。

「おお?!」

 航平が驚いて逃げようとするが、蘭上は航平の服を引っ張って匂いを嗅ぐ。

 そして顔をあげた。

「……甘い匂い」

「ああ、今部屋でお菓子教室してるんだよ。パティシエ呼んで本格的にやってる」

「お菓子」

「そうそう」

 航平がそう言うと、蘭上はエレベーターに飛び乗って、こっちを見た。

 その目は「何階だ?!」と書いてある。航平は苦笑しながらエレベーターに乗り四階を押した。

 そして芽依に入るように促し、ドアを押さえて待っていてくれる。

 ……こういう所、ちゃんと大人というか、ちゃんと育てられた人なのよねえ……と芽依はお礼を言って乗り込んだ。


 四階に到着すると蘭上はまっすぐにお菓子を作っている部屋に入って行った。

 そしてすぐに輪の中に入って行く。

 みんな「誰だ?」という顔をするが、すぐに受け入れて一緒に作り始めた。

 それを見て芽依は安心した。芸能人だし……と思ったけど、よく見たらアイドルの日向ミコ……ミコミコクッキーの女の子もいた。

 なるほど、ここの学生は有名人に慣れているのかも知れない。

 安心して見ている芽依の所に近藤が近寄ってきた。

 今日も黒縁メガネにワイシャツを着ている。でもしっかりとエプロンを身に着けていて、やはり少し笑ってしまう。


「竹中さん、おつかれさまです」

「おつかれさまです。お菓子作り、楽しそうですね」

「一緒に作りませんか。有名なパティシエさんに来て頂いてるんです」

「ぜひ!」


 芽依も参加しようとしたら、後ろで航平が「竹中芽依! こっちこい!!」と叫んでいる。

 芽依は近藤に近寄って「……なんで私の事をフルネームで呼んでるんですかね?」と聞いた。

 すると近藤は苦笑しながら小さいな声で

「学長は、久しぶりに会う女性は緊張してフルネームで呼ぶんですよ」

 と言った。予想通りの答えに芽依はふきだして笑ってしまう。

 航平の表情がさっきから少し強張っていて、緊張しているのかな……と思ったのだ。

 芽依は苦笑しながら航平に近づく。

 すると航平は自分が作ったメロンパンを見せてくれた。

 それは予想よりちゃんとメロンパンで、美味しそうだった。


「どうだ!」

「上手ですね。あの、学長さんのことは何て呼べばいいですか?」

「航平。みんな航平って呼ぶ」

「じゃあ、私のことは芽依って呼んでくださいね」

「いや……年上の女性に対してそれは遠慮がなさすぎて失礼だ。芽依さん……にする」


 急に真顔の『大人』の表情を見せて言った。

 だからこのアンバランスさは何なのだろう。

 芽依は口元を押さえて笑いながら


「では、私も航平さんにします」

「なんだか気持ち悪いけど仕方ないな。んで、何作るんだ?」

「では、私もメロンパンを」


 そういうと航平の目が輝いた。

 やっぱりこの人、大人と子どものバランスがおかしくて、それが楽しくて仕方ない。



 

 

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