第44話 桜の君

 ロケが始まった日。

 ネットに上がった記事を見て、神代は頭を抱えた。

 これは大変なことになる。


 リリヤの兄であるケントが『何の効果もないと分かっているのに』商品の顔になり、多額のお金をもらっていたのだ。

 商品の効果がないのに買う人をあざ笑い、その効果にすがる人たちをバカにしている音声も公開されていた。

 最悪なのはケントに騙されたのは客だけではない、両親も騙されて購入していた。そして商品を褒めるコメントを出していたのだ。

 もう逃げようがない。

 事務所の対応は「リリヤは関係がない」だった。

 リリヤがケントが商品を売っている間、イギリスに留学していたのだ。関わりようがない。

 しかし被害者は団体をつくり、騒ぎはどんどん大きくなってきた。

 同時にリリヤの調子が悪くなっているのを、神代は撮影しながら感じていた。

 何を言っても頭に入ってない様子で、これでは使えない。

 マネージャーは頭を下げるだけだった。


「……すいません、もっと出来る子なんですけど」


 もっと出来る状態にするのがお前らの仕事だろうと神代は思ったが、どうしようもない。

 もうこのまま撮るしかないのか。 

 それを見ていた莉恵子が、事務所の社長とマネージャー、そして俺を呼んで言った。


「リリヤ、完全に参ってます。事件に関してですが、ひょっとしてリリヤは関わってないから無視……という態度ですか」

「?? いや、うん。だって本当に全く関わってないからね。無視してれば、すぐ飽きるんですよ、マスコミは」

 社長は当然のように言う。

 莉恵子は表情ひとつ変えずに口を開いた。


「それは社長さんの理論です」


 あまりにもピシャリというので、会議室にいた数十人がシン……と静まり返った。

 莉恵子は続けた。

「その『理論』を、社長さんがいうのは違います。世間に言わせないとダメなんですよ」

「どういうこと?」

 社長は少し苛立って声を上げた。莉恵子は動じない。

「これは提案ですが……まずサイトにあるリリヤの写真をまず下げてください。そして番組に出演させるのを自粛。そして被害者の方に謝罪ではなく『詐欺は許せない』という被害者の人たちと同じ気持ちを表明してください。仲間になるんです」

「はあ? だからリリヤは関係ないんだって。関係してるみたいにしたらダメだよ」

「被害者がいるんです。お金を取られてしまった人たち。自尊心が傷ついています。とにかく気持ちを吐き出したいんです。まずこっちも兄貴に巻き込まれた被害者だと『感じさせる』。そして『そっか……リリヤは関係ないもんね』と被害者が言い出さないとダメなんです。こっちの理論なんて関係がない。態度で示すんです。捕まることで隠れている兄貴の所に矢が飛んでいくようにしないと意味がない。今表に出てるのはリリヤひとりですよ。だから一番集まるんです。先ほど弁護士に確認したら兄貴がマスコミの前に出てくるまで二か月ほどかかるようです。たった二か月でリリヤの未来が守れると思うんです」


 莉恵子の言葉に会議室がシン……と静まり返った。

 横で聞いていたマネージャーが口を開く。


「……私もそれがいいと思います」

「マネージャー?!」


 叫んだのは社長だ。でもマネージャーはまっすぐに莉恵子を見た。


「莉恵子さんの話を聞いてるだけで、ああリリヤは関係ないのになあ……と視聴者の気持ちになれました。リリヤ、本当にまいってて……二か月番組収録を休めるのは良いかもしれません。数か月後の映画のプロモーションで復帰……その頃には兄貴は起訴されてますよね」

「その可能性が高いですね」

「社長、私からもお願いします」


 他の数人のマネージャーも頭をさげて、結局社長は折れた。

 莉恵子に言われた通り写真を下げて、詐欺は許せないという文章を弁護士に書かせてUPした。

 すると数日後にはバカみたいに加熱していた報道が引いて行った。……これには驚いた。

 その間に莉恵子は山の向こう側にあるリゾートホテルのVIPルームを借りてリリヤと葵という一番仲良しの女の子をセットで避難させていた。

 番組収録がある葵まで連れて行くことに社長は反対したが、莉恵子は世間が落ち着いてきたことを見せて、むしろワンフロア貸し切る金を出させた。

 そして今日……ずっと不調だったリリヤは、一番大切な事故シーンで驚異の演技を見せた。

 それを見た社長は一発で納得して、映画のプロモーションまでリリヤを休ませることを正式に発表した。


 撮影を見ていた莉恵子は誰より仕事をしたのに、看護師の服装で泣きそうな笑顔でほほ笑むだけだった。

 ……正直、めちゃくちゃ見直した。

 莉恵子がいないと、撮れないシーンが、間違いなく撮れた。


 それなのに……。

 神代はさっき届いたLINEを見て畳に倒れこんだ。

 抱っこしてくれ、泣きたいって……なんだよもう。

 あああ……かわいい……俺の彼女がかわいい……。

 そこにiPadを持った沼田が来た。


「神代監督、これって動きがかぶってますけど、どうしますか? このままで大丈夫ですか?」

「……沼田さん、抱っこしましょうか。フリーハグタイムです」

「なんで??????」

「プハーーーーー!!!!!!」


 沼田がネジが飛んだような表情をするのと、葛西が後ろでコーヒーを吐き出すのは同時だった。

 神代が疲れてる……と演出陣営が自室に引き上げて行った。

 何をいうかこれが作戦だ。神代は莉恵子に『一緒に旅行にいきたなあ』とお誘いLINEを始めた。

 莉恵子と話したい。既読にならない。まさかもう寝ているのか。まだ二時だぞ?








「いやあ、昨日はよく眠れたな」

「そうですね。連日遅くまで作業してたから、寝不足だったんですね。今日は朝から頭回る感じがしますね」

「若干妙な夢は見たが……いや悪いことじゃないんだけど……なんで突然……?」

「疲れですよ、疲れ」


 沼田と葛西は何度も頷きながら朝食を食べている。

 ロケも終盤戦に入り、演出陣営は撮影素材を夜通しチェックする日々が続いていた。

 連日寝不足だったらしいが、昨日は神代も疲れているようだったので全員部屋に戻って眠ったらしい。

 まさか本当に抱き着いたのか? と莉恵子は葛西に聞いたけど、静かに首をふるだけで教えてくれない。

 ただコンテ用紙がすべてダメになった……それを繰り返すばかりだ。

 なんなの、もう!! 

 莉恵子は夜はスマホの電源を落とす(そうしないと鬼ように連絡が入ってくる)のだが、朝起きたら神代から『旅行に行きたい』というLINEが山ほど来ていた。何か関係あるのだろうか。

 離れた席に座る神代を見ると、たくさんの人たちに囲まれてiPadに指示を書き込みながらパンをかじっている。

 髪の毛がモシャモシャで、メガネが斜めにずれている。黒のハイネックにネルシャツもいつも通りで……あのシャツ、部屋に転がってたヤツだなあと思う。

 こっそり見てたら、神代がふと莉恵子のほうを見た。

 そしてふんわりと優しくほほ笑んだ。

 心臓がバクンと跳ねて、コーヒーを一気に飲んだ。

 今日は朝からロケなので、もう出よう!!

 うう、一緒に仕事してるの、こっそり見られて嬉しすぎる。


 

 自転車に乗って駅の向こう側に向かう。

 もう三月も中盤で、桜が咲き始めている。

 仕事が終わるのは五月で、夏には一度落ち着く。

 その時に……一緒に旅行とかしたいなあと思う。

 もっと仕事場でドキドキしてしまうかと思ったが、予想を遥かにこえて神代と仕事をするのは楽しい。

 その結果、恋と仕事を切り分けるのは問題が無さそうだ。

 莉恵子は自転車のハンドルを強く握った。

 もっと勉強して神代と仕事がしたいと思う。神代の横にずっと立てる人になりたい。

 強く正しく面白いことしか考えてないあの人と、ずっと一緒にいたい。

 

 集合場所に到着して自転車をとめる。

 今日は学校教師のエキストラ……内容は職員室に座っているだけだ。

 それっぽい服装で来てください~と言われていたので、白いシャツとチノパンで来た。

 何人もエキストラが来ていたので服装を見比べたけど、問題なさそう。

 

 ここは普通に使われている中学校だ。今日は日曜日なので校内を借りている。

 グラウンドを歩いていると、野球部のベンチがあり、そこに葵が座っていた。

 アイドルたちは自分たちの作品の撮影が終わると、他の作品のちょい役に出る。

 葵は何かスマホで撮影していたようだが、それをとめて莉恵子のほうを見て挨拶した。


「おはようございます! 昨日はおつかれさまでした」

「おはよう。昨日の演技すごく良かったよ。身体は平気?」

「全然平気です。むしろ絶好調です。きっと毎日楽しいからですね」

「それは良かった」


 そう言いつつ、莉恵子は葵の視線の先を見る。

 そこにはリリヤが見えた。大きな桜の木の下で柔軟体操をしている。

 大きな白い襟が特徴的なセーラー服をきている。

 金と銀の境界線のような髪の毛をポニーテールにまとめて、なぜか柔軟体操をしていた。

 リリヤは何年もバレエをやっていて、指先まで完全にコントロールされた美しい動きをする。

 ちょうど満開になろうとしている桜と、朝の迷いがない日差し、そしてリリヤの揺れるスカート、すべてが完璧でふたりで見惚れた。

 葵が地面にしみ込んだ氷が溶けだすように言う。


「めっちゃきれいですよね、リリヤ」

「そうね、最初見た時、びっくりした。ハーフなんだっけ」

「そうですね、イギリスと日本の」


 お母さんがイギリス人で歌手、お父さんが俳優さんだったはずだ。

 捕まってしまったお兄さんも風貌がとても美しい。だからって罪が消えるわけではないが。

 葵はリリヤを見ながら静かに言う。


「……リリヤがいないとダメなのは、私の方なんですよね」

「うん」

「あの子に認められている自分がいるから、私は笑っていられる」

「そういうの、わかる」


 自分が大切に思う人に、認められている。それだけで存在できるのだ。

 彼女たちからすれば世界すべてが敵でも、ふたりで完結している。

 良いなあ……と思うのと同時に、企画がものすごく上手くいくのを莉恵子は感じていた。

 これはもうプロデューサーだから仕方ない。このアンバランスさこそが、欲しかったものだ。

 葵はヒョイと莉恵子の横にきて口を開いた。


「神代監督とは結婚されるんですか?」

「?!?!?!」


 莉恵子の真ん丸になった目を見て葵は爆笑した。


「あれ、まだそんな状況にない。付き合い始め?」

「!!!!!!!」

「莉恵子さん、目玉が落ちますよ。あははは、もうかわいいですね。敏腕プロデューサーのそんな表情、神代監督たまらないだろうな」

 莉恵子はススススと葵に近づいた。

「……付き合ってること、誰にも言ってないけど」

「分かりますよ。お互いの視線の先にいますもん」

「……神代さんの先に、私、いる?」

「すんごく甘い視線で見てますよ。誰もみてないところで」

「見てるじゃない」

「私は特別です。知らなかったんですか」

「……すてきな能力。将来うちにきて? 良いプロデューサーになれるわ」

「お世話になりたいです」


 そういって葵はにっかりと笑った。

 元気な見掛けに騙されるが、視野が広くて感受性が豊かなのだろう。

 プロデューサーになってリリヤのために企画を考えると良い。それで昇華される想いのために頭を使うと良い。

 莉恵子は葵を見ながら思った。






「おつかれさまでしたあああ!!!」

「おつかれさまでした!!」


 青空の下で百人以上の声が響き渡る。

 開始から実に一か月以上……やっと撮影が終わった。

 といってもCGがメインの今の時代、この素材を持ち帰ってここから二か月以上仕上げ作業に入る。

 とにかく素材は撮り切った!!

 莉恵子たちチームのウキウキと新幹線に飛び乗った。

 ロケは楽しくて好きだけど、やはり一か月以上家にいないともう家の布団で寝たくて仕方ない。

 来週から芽依も仕事だし、今日はゆっくり家でダラダラする~~~!

 

『今から二時間で帰る!!』

 芽依にLINEするとすぐに既読になって

『ウナギにしようか』

 と返ってきた。

 芽依はお肉より何よりウナギが好きみたいで、大きな仕事が終わるといつもウナギを準備してくれるようになった。

 こたつでウナギ~~~!!

 

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