第40話 それでも春はくるのだから


 天気が良い休日の朝。芽依は洗濯物を干し終えて、相変わらずのんびり起きてきた莉恵子に軽く食事を出した。

 そして自分はコーヒーを飲みながらスマホをいじる。

 もう三月に入り、菅原学園との契約も済ませ、四月から働くことが正式に決定した。

 スケジュールに入っている『仕事はじめ』の文字を見るだけで緊張してしまう。


「来月からお仕事……緊張してきたわ」

「わかる。私ももうすぐ神代さんと本打ち合わせが始まる。マジで緊張してる。はあ~~ちゃんとできるかな~~~」

「とりあえずがんばりましょう」

「うう~~もう正解がわからない~~」


 韓国のりをバリバリ食べながらこたつの天板に顎を乗せる莉恵子を芽依は苦笑しながら見守った。

 莉恵子はそういえばさあ……と口を開いた。


「就職決まったし、結桜ちゃんに連絡しないの? 元気だよーって、今なら聞いてくれるんじゃないかな」

「それがね……」


 そう言われて芽依はLINEの画面を見せた。

 その写真は、つい最近ママ友から送られてきたものだった。

 場所はウサギのキャラクターで有名な遊園地で、ママ友の子……佐都子と結桜が写っている。

 ふたりともウサギの耳をつけて、ポップコーンを食べながら楽しそうだ。

 それを見て莉恵子は目を輝かせる。


「家から出られたの?」

「そう。学校が春休みになって一緒にお出かけしたみたい」

「良かったねえ~~! 結桜ちゃんこんなに大きくなったのね、ウサギの耳、可愛い!」


 莉恵子は写真を見てうれしそうに言ってくれた。

 結婚式の時に一度だけ結桜に会っているので顔は覚えているようだった。

 芽依はスマホをこたつの上に転がして苦笑しながら口を開いた。


「どうやらね……お義母さんと新しい奥さんが……大喧嘩したみたいで」

「おお??」

「一時的に……だと思うけど、奥さんは実家のほうに戻って。それが功を奏して結桜は部屋から出てきたみたい」

「家の状況はよく分からないけど、結桜ちゃんのためには良かったねえ」

「本当にそうなのよ」


 ママ友の情報収集力には本当に驚くんだけど、奥さんが分娩予約した病院は実家の近くらしく、ずっと「雨宮家にいたくない!!」とゴネていたようだ。

 妊婦さんで移動も大変だろうし、近くて、気が休まる実家のが良いだろう。

 でもきっと……お義母さんはそんなこと許さないと容易に想像できた。

「嫁にきたのに!」と近所の奥さんに愚痴ってたよ! と楽しそうにLINEが来ていた。

 拓司さんは家に居たり、居なかったりする……とママ友は報告してくれた。

 たぶんお義母さんと新しい奥さんに挟まれてる状態だろう。


 まあもうそんなは心底どうでもいいけれど。


 芽依が気になっているのは結桜のことだけなので、とりあえず部屋から出て来られたことを本当にうれしく思う。

 今年は中三……受験の年で、とにかく学校に行かないと始まらない。 

 ママ友の「ちょっと面白いのよお~雨宮家」から始まるLINEは多少げんなりするけど、ママ友の娘……佐都子のおかげで家から出られた。

 本当に良かった。


「それもあって……」

 芽依はコーヒーを飲んだ。

「もう私はかかわらないほうがいいかなあと思うの。子どもが生まれたらまた戻ってきたりするかも知れないけど、要するに『結婚して妊娠した娘を受け入れることができる実家が近くにある人だ』ってことが分かったから、今回みたいに状況が悪くなったら拓司さんは奥さんの実家に入るんじゃないかな。まあお義母さんはキレ散らかすと思うけど」

「キレ散らかす!!」

 莉恵子は爆笑したけど、芽依は苦笑して続ける。

「でもね、私は皆の言うこと聞いちゃってたから。お義母さんと喧嘩もできなかったし、それこそ新しい奥さんみたいに自分の意思を通すことも出来なかった。拓司さんにも……何も言えなかった。強烈な個性がたくさんある雨宮家で生きてくなら、それくらい根性がないとダメだったのよ。私はもういいわ。あの家の人間じゃなくなったの。だからもう連絡しなくて良いかも」

「そっかあ……芽依がいいなら良いよ。春からネクスト芽依だね! 正直めっちゃ楽しそうじゃない? 菅原学園。ドローンが飛ぶの、来年は私も見に行きたいなあ」

「行きましょう。すごく楽しかったのよ。あれは……また見たいわ」

「キャリ―ちゃん、動かしてよ~~。ほら私のノート、CD入れられるから!」

「……やってみる?」

 

 何も分からないけど、映画を見るような感じかしら……と航平から貰ったCDを莉恵子のPCに入れてみた。

 するとものすごい量の英語がガ~~~~~ッと走り抜けて、莉恵子とこたつに倒れこんだ。

 画面には何か指示を出せ……的な英文が出て言うけど、何て書けばいいのかも分からない。

 これを素人が扱えると思っているのかしら……。

 やっぱり不安だわ……芽依は思った。

 莉恵子は爆笑しながらその画面をスマホで撮影して神代に送っていた。 

 コーヒーを飲みながらチョコを食べていたら、玄関のチャイムが鳴った。

 またAmazon?! と思いながら出ると……芽依宛ての荷物だった。

 

「私宛て?」

「誰かに住所知らせたの?」

「知ってるのは……あ、やっぱり不動産会社の社長ね。会社に残っていた私物を送ってくれたのね」


 退職の手続きをするために住所を書いたのだ。

 あの時は拓司がきて色々あったので私物の回収が出来なかった。

 開くと……中から会社で使っていたブランケットや荷物と会社の人たちからのメッセージが入っていた。

 営業の人たちの雑な経費報告を、芽依はいつも書き直して出していた。

 その感謝と、また遊びに来てください! というメモが貼ったお土産。


 その箱の下から、クッキーの缶が出てきた。

 それはウサギのキャラクターが描かれた、結桜が佐都子と行ったあの遊園地のものだった。


 クッキー缶の上に桜の花びらが舞う封筒が貼り付けてある。

 芽依はゆっくりと開ける。中には几帳面で小さな可愛い結桜の文字が見えた。


『芽依さん、やっほー! なんか心配してるって佐都子ママから聞いた。ごめんごめん。もうあの新しい女マジでゴミクズ、私のへやに勝手に入ってスマホ触ろとしてたの!! もう許せなくて絶対部屋から出たくなかったけど、なんか居なくなった。良かったあ~。今更なんだけどさ、超文句言っても許してくれる人周りにいなくて、芽依さんに超甘えてた気がする。子どもだった、ごめん』


 手紙を見ている視界が涙で滲んで見えにくくなってくる。

 芽依は必死にまばたきして続きを読む。

 

『毎日おばあちゃんはキレまくってて、おじいちゃんは家でぼんやりしてるし、お母さんは全く家に居ないの。もうこの家ダメだ感がすごいけど、佐都子もいるし、友達みんなめっちゃ心配してくれてたから平気。なんとかなりそう。でもさあ、芽依さんは冷静になってみると、年が離れたお姉さんって感じで、今のが普通に話せる気がする。でもLINEだとすぐ返ってくるから、なんかむしろ無理。素直になれない。手紙書いてみたら、わりと良い感じ? だからたまにお手紙交換しない? 最近学校でも流行ってるの、文通。うちの荷物はおばあちゃんが全部見ててイヤだから佐都子の所に送ってよ! 佐都子に持ってきてもらう! んで、勉強はがんばってんの? 私に偉そうなこと言ってたんだから、やってるんだよね? 続報待ってます。 結桜より』


 芽依は手紙を抱きしめて声を出して泣いた。

 まだ繋がっていられることと、自分がしてきたことが無駄じゃなかった気がして泣いた。

 そしてクッキー缶の下からたくさんのお守りと御朱印帳が出てきた。

 それはお義父さんとまわった時の物で、お義父さんからも手紙が入っていた。


『こんなにあったら神様が喧嘩してしまう。また散歩を始めたので、こんど三田神社で会いましょう。御神木を清める会があります』


 入っていたのは芽依の使っていた御朱印帳のみ。

 お義父さんの分は入ってない。つまり一緒に行きましょう……ということだ。

 うれしくて大切に抱き寄せた。

 横で見ていた莉恵子もグズグズと泣いている。

 うれしくてふたりでお土産に入っていたウサギの耳をつけて、クッキーを食べた。

 お互いに似合わなくて「ひどいな」と言い合いながら。

 クッキーは甘くてどこか苦かった。


 外からやさしい風が、梅の甘酸っぱい香りを運んでくる。

 春がくる。

 

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