第39話 何ができるかなんて


「どうぞ、ミコミコクッキーです」

「っ……すいません」


 芽依は目の前に置かれたクッキーを見て、どうしても笑いが我慢できない。

 近藤は黒縁メガネにかっちりとしたスーツ……それに品が良い革靴、腕時計も拓司が持っていたものより良い物だとすぐに分かる。

 そして指先は丁寧に整えられていて美しい。

 そんな大人の男性が、目に星が入っている可愛いキャラクターのアイシングクッキーをお皿に出してくれるのだ。

 ミコミコクッキーなんて正式名称を言いながら。

 正直笑いが我慢できずに口元を押さえて笑ってしまう。

 回転椅子ごとザーーッと移動してきて、クッキーにヒョイと手を伸ばしてバリバリ食べ始めたのは航平だ。


「うめぇ!! まさか近藤に出し抜かれるとは。俺の一年の苦労が……」

「いえ、私はミコミコクッキーを作っていただけです」

「くっ……」


 芽依は正直近藤が「ミコミコクッキー」と言うだけで笑ってしまう状態にあった。

 なんとか笑いを飲み込んで、クッキーに手を伸ばす。一口入れるとほろりと溶けて、同時に甘酸っぱい味も広がった。


「あ、これアイシングも手作りなんですね。甘酸っぱい」

「そうです」

「使ってるのはイチゴですか。青は……ブルーベリージャムですね。すごく美味しい」

「ありがとうございます」


 近藤はメガネの向こうで控えめにほほ笑んだ。

 食紅で色をつけたと思っていた部分は、すべて食品を使っていた。

 手間も時間もかかるけど、これをするならアイシングする意味もあるし、味も上がる。

 動画を見た時から思ったけど、近藤は料理が上手なのだろう。

 再び航平が椅子ごと近づいてきて口を開いた。


「で? 芽依さんはうちの学校に来る気になった?」

「あの」

 

 芽依はコーヒーを一口頂いて背筋を伸ばした。


「正直、この学校を……なによりあなたを……ただの変人だと思ってました」

「うおーい素直かよ。まあそうだよな。出会いが悪すぎた」

「駅前のフリースクールも拝見しました」

「長尾がいるところね。あそこ駅から近くていいけどドローン飛ばせないんだよな」

「なにより授業スタイル……動画が素晴らしいと思いました」

「システム作った時十七歳だからさ、俺天才なんだよね」

「えっ……いえ、本当に天才ですね」

「やっぱり素直かよ。システム作っただけで、授業は動画のプロに頼んでるけどさ。でもいいでしょ、基本はプロに習ったほうがいいよ」

「その通りだと思います。それに……今日のカルタ大会も、正直とても面白かったです」

「へえ」


 航平は目を真ん丸にして輝かせた。

 その表情は本当に幼い子どものように見える。

 芽依はクッと顔を上げた。


「あの、正直、この学校私にはレベルが高すぎて、実務経験がない……それに凡人の私では勤まらないと思うんです。みなさん何かに対して目を輝かせていて……私は何もないです。真面目しか取り柄なくて、頭も固い。何も特殊な才能がないんです。いろんな才能がある人たちに……憧れます。でも私みたいな人間には……」

「あのさあ」


 航平は椅子からピョンと降りてソファーの横に席に座った。

 ふわりと太陽の香りがした。この人からは太陽をあびたお布団みたいな香りがする。


「うちの学校って変人教師しか居ないんだわ。まあカルタ大会見たから分かると思うけど、変人率が超高い」

「変人……個性的な方が多いですね」

「菅原学園は子どもの小さな『記憶』を作りたくてやってるんだよね。教師の個性はそれに対応するためのオマケ。同じ記憶なら楽しい方が良いだろ~~って対応した結果なんだよね。その結果、変人奇人が集まった」

「私は……ものすごく普通で……何かできると思えなくて」

「もうしたじゃん。篤史の中にはもう芽依さんと校内探検した『楽しい記憶』があるだろ。俺は毎日聞かれてたんだ「芽依さんいつ来るの?」って。それが一番大事なんだよなあ。ていうか、そんなにクソ真面目な性格で、うちの学校でMAX変なカルタ大会を面白いって言えるなら、もうそれだけで合格だよ。自分の学校で開催してるのに何してんのか意味不明だわ」

「そんなことないです、すごく面白かったです。とくにあのくるくる走るキャリーちゃん」

「!! キャリーちゃん。『ちゃん』付けてくれるの? ちょっと待ってよ、はい、試作品だ」

 

 そう言って航平は机から小さなキャリーを持ってきて、芽依に渡してくれた。

 実際のサイズの二十分の一くらいだろうか……とても小さいのに精密に作られている。

 芽依は目を輝かせた。


「やっぱり可愛いです。すごい。頂いていいんですか」

「!! いいぞ、やる。プログラムも持って帰れば動かせるけど、持って帰る?」

「いえ、それは頂いても無理だと思うんですけど」

「ちょっと待てよ……これプログラム修正したら並行移動くらい簡単にできないかな……オタクしか居なくて一般視点が無さ過ぎるんだよなあ……ちょっと待ってよ。お~~い長尾~~~ちょっときて~~」


 航平は椅子ごと移動しつつ、長尾に電話をかけた。

 大会終了後、長尾と葉山は小学生たちにプログラミングの教室のようなことをしていて、学長室には居なかった。

 その会は丁度終わったらしく、数分後には三人集まって何か作業を始めた。

 口論しながら笑いながら一時間……(芽依は近藤と美味しいクッキーのお店談義をしていた)……航平はCDを渡してくれた。


「これ普通のPCに入れたら、キャリー動かせるぞ」

「家に個人のPCは無いんですけど、お金が貯まったら買いますね」

 芽依がそういうと長尾が目を輝かせて近づいてきた。

「新しく買うの? ノート? デスクトップ? どんなのがいいの?」

「はあ? お前普通の女がデスクトップ買うと思ってるの? そんなんだからずっと彼女いねーんだよ」

「葉山さんに言われたくないですよ。好きな子に自分で組んだ超ハイスペPC送り付けてファンがうるさいって送り返されてましたよね」

「あれはあいつが悪い。同じ値段で組めるのに普通に買う女はクソ」

「それでよく俺をバカにできましたね?!」


 長尾と葉山が楽しそうに喧嘩を始めたところに、スッ……と銀色の四角いものが差し出された。

 持っていたのは航平だった。


「これ、一世代前で悪いんだけど使ってないからあげる。初期化してるし」

「レッツノート?!?! これまだあるの?!?! イルカ住んでない?!」

 葉山が爆笑する。

「バランス良くて俺は好きだけど? Core i7だから悪くないし」

 航平は憮然として言う。

「学長~~~竹中さんに良い顔しちゃってええ~~~~ぴゅうぴゅう~~」

 長尾が航平のお腹をコショコショする。

 そこに葉山がカバンを持って近づいてきて黒い鈍器のようなノートPCを出す。

「俺のThink Padのがカッコ良くない?」

「ぎゃはははは!! きた弁当箱。葉山さん、女性にThink Padすすめるとか、マジヤバいですよ」

 長尾は葉山を指さして笑った。 

「はああ??? お前のトラックポイントどこだよ、押しやるよ」

「信者マジ怖い。あのボタン要らなくないですか?」

 ギャーギャーやりあう長尾と葉山の隙間に航平が薄いノートをねじ込んでドヤ顔で言う。

「時代はSurface」

「CD使えないですよね」

「鼻にBluetooth刺すぞ、このやろ」

「学長やめてください!!」


 航平と長尾と葉山は、芽依が一ミリも分からない話題でギャーギャーと叫びあっている。

 前はバカな男子たちのこういう大騒ぎが一番苦手だった。でもそれは……全く興味がなかったからだ。

 今は「ただ楽しいことをしている」のだと分かる。

 まあ正直雑草の中で転がりまわることが何で楽しいのか知らないけど。

 それに「ホント男子ってこういうのが好きなのよね」とは今も思う。

 でも……このキャリーちゃんはとても可愛い。

 芽依は掌に小さなメカを乗せた。




「お待たせしてしまってすいませんでした」


 あの後たっぷり騒ぎを聞かされた。

 そして三人してこれを見てくれ、あれを見てくれ、これはどうだ? と色々見せてくれた。

 その姿は完全に大きな子どもで笑ってしまった。


 それに付き合っていたら遅くなってしまったので、近藤が車で家に送ってくれることになった。

 話を聞くと学長に仕えるSPさんらしい。それなのに芽依を送ってて大丈夫なのかと聞いたら

「今日はドローンの反省会のために学校に泊まられると思います。長尾さんと葉山さんと一緒に。毎年そうなんですよ」

 とほほ笑んだ。

 反省会で学校に泊まる?! バカみたいと思う。理解できないと思う。

 でも心のどこかで面白そうだと思う自分がいた。

 何よりあの青空を駆け抜けるドローンたちの、圧倒的な美しさが忘れられないのだ。

 芽依はポケットの中にあるキャリーちゃんを優しく撫でた。




「ただいまー!」

「芽依おかえりーー!」

 帰ると珍しく莉恵子が先に帰宅していて、すき焼きを作っていた。

 神代のマンション下にあるスーパーで安くなっていて、それをタレで煮たのだと見せてくれた。

 すき焼きは、とにかく肉の量が膨大で、野菜という概念は存在しなくて、なぜか白滝の量がすごかった。

 でも疲れた体に人が作ってくれたご飯は超美味しくて、かみしめながら食べた。

 そしてポケットからキャリーちゃんを出して机に置いた。

 莉恵子の目が輝く。


「?!?! 何これ、ちょっとまって芽依、すっごい可愛い」

「動くのよ。すごかったんだから」

「え~~~~~?!?!」


 予想通り莉恵子はキャリーに興味深々だった。

 そして冷静になると分かる……きっと莉恵子と同居することで、オタクとかマニアとかいう生物と生活することに慣れてきたのだ。

 前の私だったら、ここまで学長たちのことを「面白い」と思えなかったかも知れない。

 ここにきて莉恵子を見てると、本当に毎日楽しそうで……憧れるのだ。


 ノートPCを頂くのは悪くて断った。それにちゃんと自分で買いたいと思う。

 今は家では動かせないけど、いつか動かしてみたいと思う。 

 芽依はすき焼きの残りにうどんを入れて食べながらビールを飲んだ。

 久しぶりに心底美味しいと思える味で、莉恵子と笑った。

 

 

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