第35話 神代のマンションに初めていく
「お邪魔します……神代さん?」
「おう、莉恵子。おつかれさま。入って」
「買ってきましたよ、ピザ」
「おおお~。食べよう食べよう」
引っ越そうかなーと言っていた神代は、本当に莉恵子の家から自転車で十分ほど離れたマンションに引っ越してきた。
ここは最近出来た大型マンションだ。
一階に巨大なスーパー、そしてコーヒーショップ。クリーニングにピザ屋もあって、正直最高の住み心地だと思う。
駅から遠いが、目の前がバス通りだし、駐車場も広いから不便ではない。
神代は大学時代ここら辺に住んでいたが、莉恵子が高校入ったタイミングでスタジオが集中する場所に引っ越していた。
しかし監督になった今、スタジオの近くに住んでいると、新人たちがお酒片手に映画論を語りに来るので大変だとは聞いていた。
週明けに引っ越し完了したと聞いていたので、週末になった今日頼まれたピザ片手に来たら……もう恐ろしいほど部屋が片付いていた。
神代がいるリビングにはめちゃくちゃ薄くて大きなテレビと、こたつ、そして本棚に数冊の本しかなかった。
莉恵子は頼まれたピザをこたつの上に置いて周りを見渡した。
「え……荷物、もう片付けたんですか?」
「俺、荷物めっちゃ少ないんだよね。あ、入って。こたつ」
「わあ~~、こたつあるんですね。ふう……温かい」
「莉恵子の家で入ってたから、もう抜け出せなくてさ」
すすめられてこたつに入ると、もう布団から神代の匂いがして、心の中で「ううう」と思う。
実は平然とした顔で入ってきたが、神代の個人宅に入るのは初めてで、昨日からドキドキしていた。
仕事をしながら恋人として付き合うことについて神代と話したのだが、家に来る時は恋人。
それ以外の場所では仕事相手として線引きしよう……ということになった。
つまり今は恋人……恋人……?! 私は今神代さんの恋人!!!
ドキドキする心臓を抑え込むように小さく開けた口から空気を思いっきり吸い込む。
神代は冷蔵庫から莉恵子が好きな炭酸入りのオレンジジュースを出してくれた。
今も昔もこのジュースが好きで、ピザの時は特にこれを飲む。まだ覚えててくれたんだ……と、そんな小さなことが嬉しくて仕方ない。
しかし……荷物が本当に少ない。
「神代さん、本はどこにあるんですか?」
神代は莉恵子の父親と競いあうように本を読んで、夜中まで話していた。
夜中にふたりが話している声を聞いているのが好きだったし、それに参加したくて小難しい小説を読んだりした。
あの頃はカバンにいつも新書が入っていた気がするけど。
神代はiPadをトントンと叩いて見せた。
「全部電子にしたんだ。紙であるのは古い映画のパンフレットくらい。それは全部こっちの部屋に入れてある」
そう言って隣の部屋の扉をカラカラと開けた。
そこには本棚があり、数百冊はありそうだった。
しかし莉恵子はその部屋の別の物に目が釘付けになった。
部屋の中に大きなデスクトップパソコン、それに巨大モニターが見えたからだ。
しかもそれは一台や二台じゃない。
「ていうか、ちょっとまってください。PCの量、すごくないですか? これ個人宅のレベルですか? 3D制作事務所とかこんな感じですよね」
「もう最近はさ……おいで?」
神代に呼ばれてPC室に入る。
そこは壁にそって大きなテーブルがあり、そこにモニターが四台、PCが二台。そして会社にあるような大きなコピー機まであった。
神代はPCのマウスを動かして画面を見せてくれた。そこには画像ソフトが立ち上がっていた。
莉恵子も仕事で見ているのでソフトの名前くらいは知っている。
「アフターエフェクトで絵コンテ動かしてるんですか」
「最近はiPadで書いて、そのままPCで軽く動きつけて、そのまま作業IN」
「そこまで神代さんが」
「するする。やっぱり早いからね。んで、最近はiPhoneで撮影できるから、素材も入れやすいし。良い時代になったよ。ほら見てて」
神代が映像を再生すると、アイドルの仕事で最初に動くことが決まっている作品のコンテが動画で動き出した。
背景は写真で、手前のアイドルの絵が簡単に動いていく。
秒数動き、指示、カメラの動き、それがすべて作り上げられていた。
「……すごいですね。これだと作業者の理解が早い」
「やっぱ紙の絵コンテだと説明が難しいし、イメージ共有がしにくい。だから俺はもう軽く作ってる」
「沼田さんにも見せたいです」
「じゃあデータで送るよ。会社のアドレスにサーバーの場所送っとく」
「ありがとうございます!」
そこまでふたりで話して……無言になった。
自宅に遊びに来てるのに、めちゃくちゃ仕事の……しかも有益な話をしている……。
恋人皆無である。神代もそれに気が付いたのか
「ダメだ。莉恵子が楽しそうに仕事の話題ふるから悪い。はい、出る出る。この部屋は俺の仕事部屋」
「すいません。単純に本がどこにあるのか気になっただけなんです。うちの本は……もう電子化できる量じゃないですね」
「莉恵子のところはあのままにしてほしいな。俺は出先で調べ事することが多くてこうしたけど、英嗣さんの本はあのままがいい。頼むよ」
「頼まれなくても、一生あのままだと思います」
莉恵子は苦笑した。じつの所、一階から二階に荷物をねじ込んでいるだけで、二階の書斎は足の踏み場もない。
神代が一番来たいのは書斎だと思うが、前より酷くなってしまった。芽依が急かすからぁ~。
もちろん責任転嫁である。
神代に促されて再びこたつに入る。そしてものすごく喉が渇いていたので、オレンジジュースを一気飲みした。
うー、美味しい。その様子をこたつの横の席で神代が見ていた。
「莉恵子はピザと言えば炭酸オレンジだもんな。今も好きなんだ? 俺さ、コンビニで見かけるたびに『莉恵子のオレンジ』って思ってた」
「そんなこと言ったら、ほら、見てくださいよ」
莉恵子は買ってきたピザを開いた。
そこにはコーンがギッシリつまっているピザが入っている。
神代と莉恵子はこの最初からこのコーンがぎっちり入っているピザが好きで、更にここにコーンを増量させる。
コーン乗せ乗せピザが好きなのだ。
「そうそうこれ。なんでこればかり食べてるんだろうな。ずっと好きなままだよ」
「私もです。でも会社でこれ頼むと『はあ……?』みたいな顔で見られて」
「わかる。俺も『コーンマヨ・コーン増量』って言うと制作がマジ意味わかんないって顔で見てくる」
「美味しいですよねえ」
「なあ」
莉恵子と神代はふたりでピザを食べながら大きなテレビで映画を流した。
神代は映画を見ながら「ああ、ここのタイミングで曲を流すのはいいな」とか「この説明はセリフで言わせるべきだな」とぶつぶつ言っているのを横で静かに聞いた。それは『やっぱり仕事の話をしている』のでなく、昔……莉恵子の家で父親と神代がずっと話していた時のようで、それが嬉しくて仕方なかった。
……やっと近くにこられた。
でもそれは……ちゃんと私ががんばったからだ。
そう思えることが、なにより嬉しかった。
神代をこっそりと見ていると、手が優しく握られた。
驚いて顔を上げると、神代はふわふわとした髪の毛を揺らして口を開いた。
「恋人タイムですし、少しくらい触れてもいいですか?」
「っ……、あの、えっと……はい」
「莉恵子はさあ、マジで高校生の時に俺に『もう子どもじゃないですからね』って言った時から、ここに関しては成長してないよな。子どもじゃん。よいしょっと」
「!!」
そう言って神代は一度、こたつを出て、莉恵子の後ろにすわった。
そしてこの前のように莉恵子を後ろから抱っこするような状態で、再びこたつに入ってきた。
「神代さん……!」
「この前抱っこした時も思ったけど、俺、この状態すげぇ好き。はやく慣れて? 仕事終わったら手加減しないよ」
「!!!!」
あまりの言葉に莉恵子は息が苦しくなってこたつの天板にお腹を押し付けるようにして逃げ出す。
その隙間を埋めるように、神代が後ろから抱っこしてくる。
「うーん、今のカットは前に手元を見せたほうがいいな。何してるのか分かりにくい」
莉恵子の頭の上で映画に対するコメントを普通に言っている。
もうどうしよもなくドキドキするけど、心のどこかで私だって大人になったんだもん……というよく分からない闘志が湧いてきた。
何度か諦めて彼氏を作ってみたことがある。キスだって経験だってしてる。それなのに神代相手だともう全力で、どうしようもないほど……好きで身動きが取れなくなってしまう。でも私だってあの頃の子どもじゃない。
莉恵子はクッとふり向いて口を開いた。
「もう子どもじゃないんです、覚悟なんて出来てますから!!」
そう言うと神代は「!!」と目を丸くした。
そして倒れこむように後ろからギュッ……と強く莉恵子を抱きしめて、声を絞り出す。
「ごめん、煽った俺が悪い。顔真っ赤にして……何言ってるんだよ、もう。可愛いな莉恵子は。もう……ああ……くっそ……」
そう言って莉恵子のしがみ付いてきた神代の耳が真っ赤で、それをみて少し落ち着いた。
なんだ、神代だって緊張してるんだ。そう思ったら、どうしよもなく嬉しくて首の下にモゾリと入り込んで鎖骨の間に頭をトン……と置いた。
冷静になってみると、莉恵子の背中にある神代の心臓は、ドク……ドク……とかなり大きく鳴っていた。
きっとそれは私も同じだ。そう思うことさえ、嬉しかった。
神代はリモコンを引き寄せて、見ていた映画の再生をとめて、配信の画面に入った。
「ああ、もう。最も仕事っぽいのを見よう。もうダメだ、よしこれだ、もう俺はこれを見てやる」
そう言って神代はアメリカのSF映画のドキュメンタリーを流し始めた。
それはもうものすごくマニアックな内容で、最新のCG合成からメイクまで、情報てんこ盛りだった。
熱く語り始めることでなんとか冷静になった神代に……それでも抱っこされながら、莉恵子は説明を聞いた。
それはどうしようもなく幸せな時間だった。
神代さんが、好き。大好き。
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