第34話 新しい扉
「普通のビルの一室……なのね」
芽依はスマホのマップを見て場所を特定……顔を上げた。
ここは都内にあるフリースクールだ。
里芋をむきながら莉恵子のお母さんに相談してみたら「学校だけじゃなくて、こういうのもあるのよ?」と薦められたのだ。
お母さんは未来小鉢という変わった食事を提供していて、その関連で知り合ったようだ。
営業時間は普通に朝八時から夕方六時。
4F……上がってエレベーターの扉が開くと、カンッ……と高い音が響いてきた。
それは定期的に……カンッ……カンッ……と続いている。芽依はその音がする方に向かった。
フリースクールと言われている場所は、大きく扉が開かれていて、中がよく見える。
その手前に丸い机が何個か置いてある空間があった。
自動販売機が置いてあり、フリースペースのように感じる。
芽依はなんとなく、音がする部屋には入れず、丸い机の椅子にチョコン……と座った。
なぜなら室内で何が行われているのか、まったくわからなかったからだ。
事前に見学の問い合わせをしたら、ここもまた「好きにきてください」との返答だった。
同時に「色々してるので、勝手に覗いて頂ければ」……。
色々してる?
芽依は少しだけ背を伸ばして見てみるが……三人ほど姿が見えた。皆それぞれ別の作業をしている。
ひとりはトンカチのようなものを使って何かをねじこんでいる。
その横では少年が大きな布のようなものと格闘している。
髪の毛を高い場所で縛った女の子は机に向かって何か必死に書いている。
わからない。勝手に入って行って良いのかも……わからない。
背を伸ばして見ていると、同じ丸テーブルに座っていた女の子も、同じように室内を見ているのがわかった。
なるほど。これはここに丸テーブルを置いて、中をのぞかせて、興味があったら入れるようにしてるのね。
じゃあ私は率先して動くべきね。芽依は室内に入ってみた。
むわっ……と木と、皮の匂いがした。すごい。頭をさげると中にいた人が会釈してくれた。
「お邪魔します。電話で連絡した竹中芽依です。見学にきました」
「はい、ご自由にどうぞ。今日は靴作りの日なので、ちょっと騒がしいですが、奥では普通に勉強もしてますよ」
「靴作り?!」
「そうです。オシャレな靴を作る方はそれなりにいるんですけど、ここで作っているのは心のサポート用の靴です。病気で右足のみむくんでしまったけど、オシャレな革靴を履きたい……とか、骨折してギブスをしているけど……とか、悩みは人それぞれです。そういう方々にオーダーメイドで靴を作る会社の方が出張で教えにきています」
職員は作業している職人さんを紹介してくれた。
職人さんは白髪のおじいさんだったが、大きなメガネをして緑色のエプロンをしている。
芽依の方を見て軽く会釈して、すぐに指導に戻った。
室内は学校でいうと普通の教室より少し広い程度だ。そこに色々なものが持ち込まれている。
ミシンに皮……そしてカッターのようなもの、並んでいる足の形をしている木……。
作業しているのは六人ほど……男の子四人と女の子二人。みんな黙って手を動かしている。
ノートパソコンをいじっている子がいたので後ろから覗くと足の形が立体画像になっていた。
これはたぶん……3Dと呼ばれるものだろう。
データをよく見ると右側だけ大きかった。
見ていると職員の人が説明してくれた。
「この方は病気で右足が常にむくんでいます。でもオシャレが好きな方で。うちで作った靴を履くとお出かけするんですよ。これが前に作った靴です」
職員が見せてくれたスマホの写真には、ものすごくオシャレなおばあちゃんが写っていた。
帽子とお洋服はお揃いの柄。首元には淡い紫色のスカーフ。オシャレな枝がついた杖をついている。そして足元には皮のブーツ。
よく見ると左右の太さが違う……特注品だとわかった。
職員は続けた。
「生活できればそれでよい……だと、生きがいを殺してしまう人たちが多いんです。外では普通でいたいんですよ、みなさん」
「わかります」
芽依は深く頷いた。
雨宮家にいたとき、お義父さんが骨折……箇所も悪く固定された状態は長く続いた。
お義父さんと芽依は趣味が似ていて、怪我をする前はふたりで神社やお寺を散歩していた。
御朱印を集めていたし、お守りを買うのも好きだった。
スリッパを履けば外出は可能だったけど、お義父さんは嫌がった。
「神様の前にスリッパで行けるか」って。
治った後も足首を固定した状態で歩く必要があり、靴が限定された。
その結果家からまったく出なくなり、急速に弱って行った……。
オシャレな靴があったら、また一緒に神社に行けたのかな……?
でも御朱印帳もお守りも、全部雨宮家に置いてきちゃったから、お義父さんを守ってくれてるかしら……芽依はふと思った。
職員は周りを見渡しながら続ける。
「ここの子たちは素人ですが、熱心なので二足目からは使えるものも多くて喜ばれてます。実際職人になった子もいますし、3D関係の職業についた子もいます。医療に興味を持った子も。ここはただの入り口です」
職員の方曰く、勉強するから出てこいと言っても子どもたちは出てこない。
でも「靴作ろぜ」「幼稚園児と散歩しようぜ」だと「隣の丸テーブルまではくる」らしい。
興味がある場所であり続けることが大切なのだろう……芽依は思った。
奥で勉強もしているというので、入って行くと、そこはまるでPCルームだった。
細かく区切られた空間にPCが何台も置いてあり、ほとんどが埋まっている。
窓際には大きなソファー……そこに男性が座って、小学生の子に勉強を教えていた。
軽く会釈すると、視線だけで返してくれた。
そして再び説明に戻る。
PC画面を見ると……映っているのは動画の授業のようだった。
画面に向かって教師たちが説明をしている。
みんなの席の後ろを移動して画面を見ていくと……映っている先生も内容もすべて違う。
みんなヘッドフォンをして説明を聞いて動画を一時停止、そして手元のプリントに書き込み……動画の再生を始める。
なるほど。このシステムなら小学校から高校生までの学生がいても、補うことができる。
聞き耳を立てると、ソファーにいる男性に質問をしていたのは小学生……でも勉強の内容は難しそうな数学の話だった。
説明を聞いて納得したのか席に戻り、また授業を聞き始めた。
そして次の女の子が質問にくる。それは中学英語の内容で、男性は丁寧に教えていた。
芽依はそれを見ながら思った。
「ここは私のレベルでは働けない場所だ」と。
ソファーに座っている人は、芽依に気が付いて「どうぞ」とソファーの横を開けてくれた。
男性は芽依と同じくらいの年齢に見えた。そして名まえを長尾と名乗った。
「親御さんですか」
「いいえ、違います。教師として仕事を探していて、見学にきた竹中芽依と申します。でも……ここは表の靴作りもそうですし、勉強を小学校から高校生まで幅広く見なきゃいけないんですね。ちょっと……私には無理な気がします」
「何の資格をお持ちなんですか?」
「小学校のみです」
「小学生の時のみの日もありますから、大丈夫ですよ」
「でも……さっきの子どもさんの質問内容って高校生クラスでしたよね?」
「彼は数学だけが大好きで、小学校に通えなくなった子なんです。だからこの学年フリーの時間帯にいるんですね」
「あの……レベルが高すぎて、ちょっと混乱してます」
芽依は正直に言った。
来る前に少しフリースクールを調べてきたのだが、ここまで進んだシステムだとは思ってなかった。
ゲーム機の持ち込みを許可しているようなところもあったし、iPadで映画見られるからフリースクールに行く……なんて書き込みも読んでいた。
考えが甘すぎた。ここで自分が何かできると思えない。
長尾は軽くほほ笑んで口を開いた。
「ここは菅原グループのフリースクールなので、自由に見えて実は授業がかなり充実してるんですよ」
「?!」
その言葉に芽依はグルンとふり向いて長尾を見た。
「ここ、あの、山の上の菅原学園の関係なんですか?」
「ご存知ですか。そうです、同じ系列です。している内容もほぼ同じです。僕もよく行きますよ。ただ山に登りたくない教師がみんな逃げてきています」
「あー……はい、わかります」
「僕も菅原学園の出身です」
「あー……あのレゴの……」
「学長をご存知ですか?!」
さっきまでお客さんと話している風だった長尾は学長の名まえを聞いて目を輝かせた。
芽依はその勢いに圧倒される。
「はい、見学に行ったら……すごくて」
「すごいですよね、学長は。この授業のシステムをひとりで構築した方なんです。このシステムは全国の塾や不登校児専門の学校で活用されていて、今じゃ一般の学校でも活用しようという話が出てきています。基礎学力は全ての学年で同じですから。僕たち教師の仕事は、基本に転んでしまった子どもたち、それより先に行きたい子どもたちのサポートだと思うんです」
長尾はその後、説明を聞きに来た生徒たちに止めらえるほど芽依に向かって熱く教育論(主に学長愛)を語った。
長尾は「来週超カルタ大会があるので、ぜひ行きましょう」と目を輝かせていた。
超カルタ大会……? カルタに超とかあるのだろうか……意味がわからない……。
芽依はお礼を言ってフリースクールを出た。
あの学長……何者なの?
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